2018年01月13日(土)
nasneをセッティングしましたのだ!
エクスペリア持ってるので、アプリがプリインストールされてましたのだ!
SONYサンガツ!
で英語の先生からいただいた、少年院クリパでの関根先生のメッセージの要約が、
島先生からお借りした本から感じ取ったことと、すごく一致してる気がして、心が震えましたのだ。
皆さんは世界の救い主がこの世に来るという知らせを御使たちが誰に一番最初に伝えたと思いますか?
それは当時、蔑まれていた職業である、羊飼いたちなのです。彼らは人口調査のときにも数に入れてもらえない、そんな存在だったのです。
御使いたちはどう思ったでしょう。
世界の救い主が来るというそのニュースを知らせる幕が切って落とされたその瞬間、ガッカリしたのではないでしょうか。
伝える相手は薄汚い羊飼い、場所は暗い草原だけが広がっている…
私なら怒ります、もっとエルサレムのシティホールみたいなところで、大観衆に向けて、発表させてくださいよ、と言いたくなります。
でも、そういう晴れやかな場所にいる人たちではなく、羊飼いに真っ先に伝えられたのです。
それでは、イエスキリストはなぜ、来られたのでしょうか。それは私たち、1人、1人の罪を背負って代わりに死ぬためなのです。
罪って言っても、それは人を殺すとか、何かを盗むとか、そういう罪ではないのです。
罪とはズレている、ということです。きょうは肩がズレて調子が良いなあ、という人はいません。
腰がズレていたら歩けません。
ズレているというのは、本来のその人からズレている、
その人の本質を生きていない、ということなのです。
さて、誰かが亡くなったら、その死んだ日は憶えていて、私の場合だったら、
関根先生は良い先生でした、ということになるでしょう。でも、誰も誕生日は憶えていてくれません。
クリスマスはキリストの誕生日を祝う日です。2000年以上経った今も、世界中で祝われているのはなぜでしょう。
それは世界の救い主、イエスキリストが今も生きておられるからなのです。