無責任賛歌
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映画『キューティーハニー』について、今日になって、気がついた事実。 冒頭で、ハニーは「海ほたる」に向かうのに、透明なゴミ袋を服代わりに、ほぼ半裸状態で商店街の中を突っ走る。エネルギーが足りなくて変身できない、という設定なのだけれど、「変身できないのなら、自前の服を着ていけばいいじゃん。この子は服を一着も持ってないのか?」と首を傾げていた。でも、考えてみたら、「Iシステム」でどんな服も纏えるのだから、わざわざ服を買って所有してたりはしないのですね。ただのサービスかと思っちゃってた(かもしれんが)。 パンフレットのインタビューなどを読んでみると、今までよく知らなかったのだが、サトエリ、かなりなオタク少女だったのだな。『エヴァ』には完全にハマッていたそうだし、中学時代はオタク仲間しか友達いなくて、アニメ語で話したり、コミケ行ったりしてたそうだし。そう言えばメイキング映像で『式日』のギャグもトバしてたなあ。 サトエリに関して「あんなのハニーじゃない!」とバッシングしてるオタクもいるようだが、「仲間」だと分かったら、少しは排他的な態度が、変わるんじゃないだろうか。もっとも「同族嫌悪」を示す可能性もあるけれども。 「ヤフー」の映画評なんか見てると、やっぱりと言うか、脊髄反射しかしてないヒステリックなカミツキが見えるからねえ。「エヴァ嫌い」とか。『ハニー』の映画評で『エヴァ』持ち出してきてどうするんかね。 ああ、でもホントにこの映画、ヒットしてほしいぞ。アラはあるけど、日本映画の中から、これだけ素っ飛んでるエンタテインメント映画が生まれたってのは、すばらしいことだと思うのである。今回も、パンサークローの真の首領、パンサー・ゾラは名前のみ語られてはいたが、未登場だった。次なるパート2でこそ、パンサー・ゾラとの最終決戦を見たいと熱望しているファンはきっといるだろう。で、ぜひとも実写版、イボ痔小五郎の登場を(無理だって)。
『ハニー』でブラック・クローに扮していた及川光博、次は7月から始まるNHKアニメ『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』の第3話にゲスト出演するらしい。 このアニメ、制作が『To Heart』のOLMだったり、ポワロの声が里見浩太朗で、マープルが八千草薫だったり、よく分らんがオリジナルキャラクターでメイベル・ウェストという小娘(名前だけだとハニー・ウエストをちょいと連想するね。声優は折笠富美子)とアヒル!( ̄∇ ̄ ;)が登場するとか、豪華なんだか貧弱なんだか、いったいどんなものが出来るのか、期待していいんだか悪いんだか全く分からない。とりあえずミッチーが出るなら、しげのために録画してやらんとなあ、とは思うけれども、全く、アニメの実写化よりも、実写や小説のアニメ化にも問題はないかってこと、もうちょっと議論されてもいいと思うんだけどもねえ(--;)。
5月も終わりであるが、今月のシメの話は、やっぱりトンガリさん。 日頃から私たちに対して仕事が杜撰だ、書類はきちんと出してくれ、やいのやいのとうるさかったので、仰る通りにきちんと書類を揃えて提出したのである。 途端にトンガリさん、「こんなにしょっちゅう書類を出されても処理できません」と文句を垂れ出した。 「ですが、書類を出してくれと仰ったのはあなたですよ?」 「まとめて出して頂けないんですか?」 「あなたが、一度にまとめて出されても困ると仰ったものですから」 自分が言ったことも忘れている、と言うよりは、こちらに仕事を強要すれば、その分、自分の仕事も増えるのだということに全く気が付いていなかったのだ。阿呆である。 仕事は仕事、引き受けないわけにはいかないから、またブツブツ口の中で悪態をつきながら、トンガリさんは引き上げて行った。結局、この人、仕事をしたくないだけなのである。脳の不自由な方だからと遠慮していたが、仕事が滞ってはどうしようもない。不自由だろうが何だろうが、その脳を使える限りは使って頂こう。
今日も終日雨。こうも雨降りが続くと、運動療法が続けられずに困るのだが、同僚にはすっかり私が雨の日も運動をし続けているものと思いこまれてしまっているのだ。 階段を登ってきただけで、てっきり私が運動してきたものだと思われて、「よく続いてらっしゃいますね」なんて言われてしまうのである。「いや、なかなか体重が減りませんで」と頭を掻くのだが、実際、体重がずっと微増しているので、ヤバイのである。食餌制限もそうだけれども、何とかして運動しなくっちゃなあ。
ふと、気が向いて、栗本薫の『時の石』を読み返す。 高校生のころ、これを読んで感動し、ボロボロ涙を流した記憶はあるのだが、何分もう20年以上も前のことだから、細かい内容は忘れている。さて、このトシになって読み返してみて、再び感動できるものだろうか、と思って読んでみたのだが、別の意味で何か切なくなってしまった。 「時の石」というのは「精神的タイム・マシン」とでもいうものである。いつ、誰が、何のために「そこ」に置いたのか分からないが、偶然、現代の高校生がそれを手に入れ、再び帰ることのない「精神の旅」へと旅立ってしまう……。ラストに栗本さんらしく、ホモを匂わせるような描写もあるが、読んだ当時はまさか栗本さんが「筋金入り」だとは思いもせず、そのほのかな終わり方に胸が締めつけられるような切なさを覚えたのだった。 今はさすがにそういうことはない。読み返してみて、「ああ、こんな“大甘”な物語だったんだ」と、その粉飾の過ぎる文章に閉口してしまうくらいである。 では、何が切なかったか、というと、作中にほとんど何の注釈もなくオタクネタが散りばめられているところなのである。 キャラクターの一人のガリ勉君が、「藤波」と仇名をつけられる。これは、柳沢きみおの『月とスッポン』というギャグマンガに登場するガリベンくんの名前なのだが、そんなことをいちいち説明しなくてもよいくらい、「藤波」というキャラクターのことは、当時のマンガファンならば誰もが知っている「共通言語」として機能していたのである。しかし、今や古本屋ですら入手困難であろうこのマンガのこのキャラは、もはや「わかる人にはわかる」というレベルでしか思い出されなくなってしまっている。『時の石』では、そのガリ勉くんが更に「フジっこ煮」とからかわれる。これは、江口寿史の『すすめ! パイレーツ』のギャグを踏襲しているのだが、もうここまで「超有名」なネタだと、江口の名前はおろか『パイレーツ』というタイトルすら紹介されない。それくらい、この「フジッこ煮」のネタは、「周知」の事実だったのである。 もちろん、当時だって、「マンガを読まない人々」は存在していた。しかし、そんな人間を栗本薫は読者として全く想定していなかった。読者もまた、そんな栗本薫の態度に明らかに「仲間意識」を感じていた。今思えば、栗本薫にそういったシンパシーを感じていた読者は、まだそう名付けられてはいなかったが、まさしく「オタク」だったのである。 今の栗本さんならば、こんな「濃い」と言ってもよいネタを堂々と振って、それでいて平然としていられはしないだろう。当時はそれが出来たというのは、まだマンガが今ほどには「拡散」していなかったからだ。 あのころは、過去のマンガもまだ殆ど絶版になってはいず、ちょっと大きめの書店に行けば、昭和20年代、30年代のマンガだって遡って読むことができたし、売れているマンガ雑誌も限られていて、現在進行形のマンガの大半を読むこともまだ可能だった。マンガの裾野が広がりに広がってしまった現在、それは到底不可能なことである。 だから、あのころのマンガファンたちは、マンガが世代間も越える「価値」を持ちえるだろうと、信じて疑わなかった。それはもう、今でははかない「夢」である。マンガファンどうしでも、話が通じない、意見が合わずに敵対する、そんなことは日常茶飯事になってしまった。同じマンガファンだというのに、どうして許し合うことが出来なくなってしまっているのだろう? だから私は切なくなってしまったのである。 ……寒い時代だとは思わないか(これももう、誰のセリフだかわかんない人もいっぱいいるんだろうなあ)。
2003年05月31日(土) 追い込み日記/サボっていた男 2002年05月31日(金) 病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか 2001年05月31日(木) 多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生Ⅱ』
2004年05月30日(日) |
相手を選ぼうよって話と、韓国の『ヒカ碁』 |
ここ一週間ほどは、なんとなく気疲れすることが多かった。 あっちゃこっちゃ医者回りをしたり、しげと延々人生について語り合ったり(~_~;)、例によって例のごとく、トンガリさんの意味不明の言葉を解読したりと(したからと言って、何かいいことがあるわけでもないが)、平凡なんだか異常なんだかよく分らない毎日を過ごしていたからだろう。気がついたらまた食事の量がいつの間にか増えてもいる。3ヶ月検診が間近だというのに、ちょっとヤバイのである。
休日くらいは、ゆっくり朝寝をしてかまそうと思っていたのだが、起きて時計を見てみるとまだ6時。枕元で話し声がしていたので、目が覚めてしまったのだ。 こんな朝っぱらから、何なんだと、見てみると、しげが電話で誰ぞと話している。しげのちょっとエラそうでナマイキな口ぶりから判断するに、相手はハカセ(穂稀嬢)であるらしい。ウチのメンバーの中では穂稀嬢は最年少なので、しげのくせに威張っているのである。風呂に入って、上がってみると、まだずっと電話し続けていた。私が目覚めてからもかれこれ小一時間にはならないか。 ようやく、電話が終わったようなので、いったい何を話してたんだ、と聞いてみると、「今日は役者がみんな都合で集まれないから、練習自体、中止しようって」 「で、どうしてそんな長電話に?」 「いつの間にか、話が“人生相談”になってた」 「“人生相談”? 誰が誰に?」 「ハカセがオレに」 「……はあ」 「間違ってると思わん?」 「そりゃ、間違ってるよ」 何をどう相談したのかは知らないが、何かを相談して、何の参考にもならないことしか言わないのがしげである。「お前に相談するくらいなら、便所のリケッチアにでも相談するわ」とバンコランに言われたのはパタリロだったが、しげに相談するくらいなら、確かに梅毒スピロヘータやクラミジアに相談したほうがマシかもしれない。 ……だからと言って、ハカセ、本当に相談しないようにね(^_^;)。 たいていの場合、自分の悩みというものは、他人から見れば殆ど悩みと言えないくらいに「軽い」ものだよ。
練習がなくなったので、映画でも見てこましたろ、ということでキャナルシティまで『キューティーハニー』を見に行く。 日曜なので、かなり混んでるんじゃないかと危惧していたが、雨降りのおかげなのか、駐車場もまあまあ空いている。到着したのは30分前、開演時間には余裕で間に合った。……つか、我々が今日の一番乗りだったよ。映画の詳しい感想は、コンテンツの方を参照のこと。サトエリがいいと思えるかどうかで、観る人の感想は180度違ってくるだろうね。 しげはミッチーさえ出て歌ってくれりゃ、それで満足、映画自体は「まあまあ」だとか。『CASSHERN』は長くて後半が鬱陶しかったが、似たような回想シーンが『キューティーハニー』にもあるけれど、こちらは実にあっさりとしたもの。どっちかというと「物足りない」くらいだったので、中間が取れないものかと思ってしまった。 1時間半という回転率のいい作品であるにも関わらず、AMCでの上映は一日たったの4回。前売りの売れ行きが芳しくなかったのかもしれない。公開二日目だというのに、客席も半分ほどしか埋まっていない。いかにもオタクって感じの一人ぼっちのお客さんもチラホラいたが、たいていは若いカップル。こういう人たちがたくさん来てくれないと、『CASSHERN』のようにヒットには結びつかないのだ。全体として、100人いるかいないか、というところで、この分だとちょっとヒットは危ぶまれそうな気配である。 エッチなシーンは確かにあるけど、たいしたことないから、老若男女、こぞって見に行きなさい。
帰りに、しげ、おでんの材料を買い込む。 昨日、たっぷり作ったシチューを、腐っちゃまずいとばかりに一日で食い切ったので、もう次の食事を作らねばならなくなったのである。しげも、少し口をつけはしたのだが、「クリームシチューの具に豚汁の材料は合わなかった」と反省している。確かにゴボウやタケノコがシチューに入ってても、うれしかないわなあ。豚汁の具って言ってるわりに豚はおろか、肉自体、全く入ってないし。でも、ンなこたぁ、作る前からわかるだろう(-_-;)。 そんなもんでも文句一つ言わずに私は食べてしまうくらい、好き嫌いがないのだ。感謝してほしいくらいである。
アニメ、『ヒカルの碁』が、『ゴースト囲碁王』と題して、韓国でも6月1日からテレビ放映されることになったとか。けど、韓国の事情に合わせて、日本色の強いシーンは修正されるんだと。ヒカルもシン・ジェハに、佐為はチャランという名前に変えられるとか。 著作権がどうのこうの、と喧しいわりには、こういう「国情に合わせた変更」というのはしょっちゅう行われてるのが不思議である。日本でも何の映画だったっけ、中国映画の南京大虐殺のシーンがカットされたりとか、ディズニーの『ノートルダムのせむし男』が原タイトルから『ノートルダムの鐘』と改題されたりとか、何だかなあな改変はいくらでもあるけれど、「向こうの国ではこう認識されてるんだから」と許容する心がなけりゃ、結局は文化交流は不可能だと思うけれどもね。だいたい、佐為を韓国人に見せかけるのは無理があるだろう。それともチマ・チョゴリを着た霊に全部作画しなおすのか? 向こうの番組見た人の感想とか、どこかにアップされないかな。
2003年05月30日(金) 追い込み日記/懐かしの男 2002年05月30日(木) タカリ女の言い分/『東亰異聞(とうけいいぶん)』1巻(小野不由美・梶原にき) 2001年05月30日(水) まるでNENNEのように/『帰ってきたハイスクール!奇面組』(新沢基栄)ほか
2004年05月29日(土) |
手術決定&女の子の国 |
行きつけの眼科がアテにならないので、もうちょっと大きめの眼科に出かけてみる。 位置的に行きやすいところでもないのだが、住宅街に近いせいか、かなり繁盛している様子で、土曜日の午前中ということもあってか、待合は満員で、ざっと4、50人の患者さんが待っている。いつでも閑古鳥の行き付けの眼科とは雲泥の差だ。 かなり待たされて、両目とも眼底検査、最初は女医さんに診てもらって、そのあと院長先生(意外と若い)に回された。 即座に「網膜に変成が見られます。予防が必要でしょう」と、先の眼科医とは全く逆のことを言う。こちらは一も二もない。今日はもう手術は無理ということなので、ちょうど来週の火曜、糖尿病の3ヶ月検診があるので、その日の午後に治療を受けに来ることにする。治療費、またたっぷりかかるんだろうなあ、と思って聞いてみたら、前の眼科の半分以下。金額にしてン万円も安かったのだ。 あああ、あの医者、ボッてやがったな。義理があってずっと通っちゃいたのだが、もう信用ができない。もう二度と行くまい、と決心したが、いささか遅きに失した感はある。義理だの人情だの、現代人にとっちゃ、足枷にしかなってないよなあと痛感することであった。
『週間文春』の林真理子さんのエッセイで、宅配の寿司が異常に不味かったので、その寿司店の社長にクレームをつけた話が載っていたが、しげはそれを読んで「この人って『客人生』しか歩いてきてないよね」と言う。 確かにクレームをつけることが生きがいなんじゃないかと思えるような品のない客はいるが、林さんの場合はそれほどでもない。社長に偶然会ったので、つい文句を言ってしまったが、ご本人が、「鬱陶しいオバサンになっちゃった」ということは自覚していて、自嘲しているのである。それに比べて、「芯のある米で握った寿司」を2時間遅れで宅配した寿司屋は、「商売人の自覚のない」と批判されても当然だろう。現実にそんな腐れた店は腐るほどあるのである。 「お前、仮にも店を構えてるんだろう、大学祭の出店のタコ焼きみたいに、生煮えベチャベチャ、食えたシロモノじゃないってレベルと同等でどうすんのよ」と思った経験はみなさんにはないだろうか? いちいち目くじら立てるのもなあ、とガマンをしていれば、相手は「これで許されているもの」とつけあがる。基本的にサービス業であることを忘れてしまっているのだ。老舗だと自惚れている店ほど、そういう傾向がまま見られる。いやね、職人気質でガンコでも、美味けりゃ文句はないけどね、不味いもの食わせといて「不味いと言うな!」というのはただの傲慢でしょう、ってことなんですよ。「不味いなら食うな!」というのも的外れの批判で、そのイカレた逆ギレぶりが情けない限り。美味いか不味いかは食ってみなけりゃわからんという当たり前のことがもうわかんなくなってるんだよねえ。 店には店の、客には客の、「分」というものがあるのだ。それがわからなければ、お互いに見限られても仕方がない。繁盛する店とそうでない店の差というのは、ホントにごくごく基本的な客あしらいで決まってくるところがある。私がウェイター、ウェイトレスの「よろしかったですか」という口調に不快感を示すことを避けないのは、それが客をバカにしている言動であることに気がついた人間なら。みながみな、言い続けなきゃいけないことだと思うからである。「クレームをつけるのもみっともないからやめよう」という判断は美徳ではあるが、既にそんな美徳が察せられる人間も死に絶えつつあるのだ。まあ死んでいいって思ってる人もいるんだろうけれどもね。
昨日からまたまた「どうしたらしげは家事をするようになるか」ということを延々と話していたのだが、ともかく「家事をしようとする」と、「失敗したらどうしよう」という妄想がしげの活動を規制してしまう。なにもあれもこれも全部やれと言ってるわけではないのだから、とりあえず「食事と掃除と洗濯だけでも毎日するようにしたら」と何百万回も繰り返し言ってたことをまた言ったら、「じゃあ、食事と掃除だけする」と言う。これも何度もしげがそう言っては守れなかったことなんで、たいしてアテにはできない。 それでも一年発起した気になったのか、しげ、買い物をしてクリームシチューを作る。でも鍋いっぱい、軽く十人前くらいは作るものだから、到底今日中に食い切れる量ではない。戦前の大家族かい、ウチは(-_-;)。性格が大雑把だから、微妙な加減というものがわからないのである。気持ちは嬉しいのだけれども、そもそもしげの大雑把な性格そのものを変えなけりゃ、問題は解決しない。普通の日常的な、誰でもできそうな簡単な家事だって、今のしげにはムリなのである。 しげがきちんと家事に勤しむ姿を、いつの日にか見られるものかと期待して十一年が経ったが、私はまだ期待し続けないといけないのだろうか。
斎藤美奈子さんの『紅一点論』をパラパラと読み返す。 明日から『キューティーハニー』が始まるので、そのあたりだけを読み返しておこうと思っていたら、ついつい全部読み通してしまった。タイトルにある通り、特撮・アニメにおけるジェンダーを、少年少女用の「伝記」の系譜の流れから見直す、というコンセプトの評論だから、作品論とはちょいと違うのだが、作品を「男の子の国」「女の子の国」に二分化したときに、何の注釈もなく『キューティーハニー』を「女の子の国」に入れてしまっていることに、改めて首を傾げてしまった。……当時、女の子が中心で見てたのか? あれ。永井豪だぞ。まあ、後に『キューティーハニーF』と、ホントに少女向けアニメになっちゃったので、昔のアニメも、見てた女の子がいたことはいたんだろうなあ、と思いはするのだが、『F』に相当違和感を感じたことは事実なのである。 斎藤さんは『ハニー』について、「戦うヒロイン」としてはあまりに突出していて、後続作品が続かなかった、と主張している。けれどもそれにはどうにも疑問を感じないではいられない。『ハニー』だけが浮いて見えるのは、そりゃ、テレビアニメの系譜だけで見るからで(そもそも「女の子の国」に分類すること自体、無理がある。ヒロインが女の子だから、ということであれば、あまりに短絡的な分け方だ)、昔から永井豪マンガを見続けてる立場からすれば、『キューティーハニー』は特に突出している作品でもないのである。 永井豪の「戦うヒロイン」はもちろん『ハレンチ学園』の柳生十兵衛から始まっている。『あばしり一家』の悪馬尻菊の助、『ガクエン退屈男』の錦織つばさなど、初期の永井豪ヒロインはたいてい戦っていた。『デビルマン』の牧村美樹だって、決して守られるだけのお姫さまではなかった。『キューティーハニー』以降だって、『けっこう仮面』というトンデモナイものがあるのである。今度の『キューティーハニー』で特別出演の永井豪がハニーを見て「けっこう!」と叫ぶのは、ハニーとけっこう仮面がひと繋がりの存在であることの証拠だろう。 私が永井豪にずっと引かれ続けていたのは、登場する女の子たちがみんな「強かった」からである。というよりも、「女の子は強い」ということのほうが私にとっては自然であった。私は女だらけの家で育ったし、私の母はいかにも「戦前の母」で、伝法で磊落、スカートなんてはいたこともないし、ゴキブリなんか平気でつぶすし、ドブネズミも素手で掴まえる、店に殴りこんできたヤクザの胸倉つかんで投げ飛ばすくらい、腕っ節も強かった。若いころはしょっちゅう竹を真剣で気合いとともに切ってたというが、戦前はそういう「強い女」は母に限らずいくらでもいたのだ。 だからまあ、『宇宙戦艦ヤマト』の森雪が「だって古代くんが死んじゃう!」なんてブリッコしてるの見てると、私は「こいつこれでも女か?」と鳥肌が立っちゃうくらい気持ち悪く感じてしまうのである。 なんだかねえ、日本は長らく男尊女卑の社会で、女は家に縛られてて、男の言いなりで従順にさせられてって、それが封建社会の姿だった、ていう人は多いけど、それって、もともと武家社会という、日本の人口から考えればほんの1%に過ぎない世界のイメージが、明治維新以降、拡大されていったせいで起きた錯覚なんじゃないの? 少なくとも、昔からビンボーだった「庶民」の家庭は、女だって働かなきゃならなかった。家庭に閉じこめてなどいられない。ヘタすりゃ稼ぎは父親より大きいから、家庭内での母親の発言権が父親より上だったところだって、腐るほどあったのである。 「戦後、強くなったのは女と靴下」と言うが、私には「女は弱くなって、その分卑怯になった」と思えてならない。もちろん、そうでない女性もたくさんいるだろうが、男に甘える女、自分の弱さを売り物にする女、男に尽くすのが使命と考えているような女が糞にしか見えないのは、私の場合、確実に母親の影響である。 私が『ヤマト』に殆どハマらず(キャラクター造形的には出てくるやつが全てナルシストばかりで、とてもドラマなどと言えるシロモノではない)、『ガンダム』で一番好きだった女性キャラがミハル・ラトキエで(ファーストシリーズ中、殆ど唯一と言っていいくらい生活感のある「働く少女」であった)、『エヴァンゲリオン』に一番燃えた(精神を病んでるか愚かなやつばかりだが、これだけ「甘えのない」女性キャラばかりが登場したアニメも滅多にない)のは、確実にそれぞれの作品の女性キャラの存在の大きさに比例している。 斎藤さんは、女性ヒロインのエポックメーキングであった『ダーティペア』についても全く触れていない。見たことがないか、SFについて語る素養が全くないかで、「逃げた」のではないかと思われるが、あの作品くらい、「SF」という「男の子」の世界に、女の子が殴りこみをかけてしっちゃかめっちゃかにしてくれた痛快な作品もないのだ。星一つ破壊し、何百万という人間を死に至らしめておきながら、その張本人二人が「可愛いから許される」なんて物語が、SF以外のなんだと言うのだろう。「女の子」はその存在ゆえに、全ての罪が許される。女性の絶対優位を標榜したあの作品を無視していては、せっかくの斬新な批評も画竜点睛を欠くものだろう。できれば斎藤さんにはもう一度「仕切り直し」をしてもらって、新たに増補改訂版を出してもらいたいものなのだが。
高知県の小学校で、校庭のごみ集積場の上に「女子のスクール水着と体操服を15枚ずつ用意しろ。でないと、学校設備を壊す」と脅迫文を張った無職の男が逮捕。 ……そうかあ、よっぽどほしかったんだろうけど、「無職」だから買いたくても買えなかったんだろうなあ、思い余っての犯行なんだから、情状酌量の余地は充分にあるでしょう、学校も山本周五郎のように「これを持って帰りなさい。けれどもう二度とこんなことしちゃダメだよ。また水着がほしくなったら、来なさい」とか言って、許してやんなさい。うそ。 脅迫文に、「身長1・6メートルのサイズ」と指定されていたってことは、飾って楽しむだけが目的ではなくて、自分で着るつもりだったってことなんだろう。学校側が無視していたら、「要求を5枚ずつに減らし」たっていうのが何ともいじましい。もともと15枚要求していたということは、毎日着替えるとしてほぼ2週間分、取っかえ引返えしたかったってことなのか。あるいは体操服を敷き詰めてその上で寝転んでみたかったとか。……やっぱ、職に就いて金稼いで自分で買えよって。 でもまだハタチなんだよな? ハタチで働きもせず、考えてることは小学生の水着と体操服のことだけってのがなあ。いや、今はこれ、笑ってもいられるけど、この程度の性衝動も抑制できない人間が、逮捕されたからって反省するとも思いにくいんだよね。恐喝未遂だから、まずたいした罪には問われないだろう。すぐに社会復帰して、更に本能をエスカレートさせていって、ホントに取り返しのつかない犯罪を引き起こす危険性だってあるのだ。想像を逞しくすると、今回の事件は「前哨戦」であって、次にはその服を着せる「中身」を誘拐してくる腹づもりだったのかもしれない。160センチという指定サイズが「自分のため」じゃなかったとしたらどうか。 日本の法律はまだまだ性犯罪に対して甘いと思うんである。
2003年05月29日(木) 追い込み日記/アカデミズムな男 2002年05月29日(水) 管理ってそういうことじゃなくてよ/DVD『絶叫屋敷へいらっしゃい!』/『ガンダムエース』7月創刊号ほか 2001年05月29日(火) ヒステリー・ヒストリー/『オサムとタエ 早春残光編』(村野守美)ほか
2004年05月28日(金) |
神経科に行こう!&デジモン新作 |
金曜日はしげの通院の日。 診療のあとはいつも、しげがその日お医者さんとどんな話をしたのか、報告してくれるのだが、今日は何となく嬉しそうな顔をしている。 「ねえ、オレ、通院して何ヶ月になるか知ってる? 7ヶ月だって!」 「まあ、そんなもんだろうな」 「今日、お医者さんから『何ヶ月通ってるか分かりますか?』って聞かれたから、『わかりません』って答えたら、そう言われたんよ。3ヶ月くらいだと思ってたからもうビックリ」 「おれが退院してからも3ヶ月経ってるんだから、それくらいにはなるやろ」 「で、『効果はありますか?』って聞かれたから、『相変わらず家事をしないって言われてます』って答えたら、『じゃあないんですねえ』って言われた」 「……『言われた』じゃなくて、するようになれよ」 神経科のお医者さんが患者さんとどんな話をするのか、興味はあってもなかなか具体的に耳にする機会は少ない。プライバシーの問題があるから当然ではあろうが、何かにつけ排他的になりがちなこのクニでは、神経科に通ってるってだけで偏見の目で見られてしまいかねない。 しげが通院していることも日記に書こうかどうしようか、最初は迷いもしたのだが、考えてみたら、「書いちゃマズイかな」と考えること自体が偏見を偏見のまま放置することになる。別に差別撤廃なんてキレイゴトを口にする気はないが(そんなのは理想論どころか妄想だ)、私は世間が、しげ程度のいかれぽんちの存在を許容できないのなら、世間自体に存在価値はないと考えているのだ。狂ってない人間なんて、いない。 神経科に通ってることをカミングアウトした本も、少しずつ増えてきている。私が最初に読んだのは、大原広軌・藤臣柊子共著の『精神科に行こう!』だったが、私はこれを読んで「ああ、精神科(神経科)って、もっと気軽に通えるとこなんだ」と知って、随分、気が楽になった。もっともしげの方はこれを読んだ当初は、かえって「やっぱり頭のおかしいヤツが行くとこじゃん。もし診察されてそのまま入院させられて帰って来れなくなったらヤだ」と、いったいいつの時代の話やねん、と言いたくなるような妄想に取りつかれてしまったが(そんな描写はこの本の中には全くない。念のため)。こいつ、やっぱり治療を受けた方がいいなあ、と思ったのはしげのそのセリフを聞いた時からだった。 他人とうまく付き合えない人間ばかりが神経科に通わなければならないというわけではない。それもまた偏見である。「自分は社交的で人間関係を作るのが得意である」と考えてる人間だって、誇大妄想なのである。たいてい「そう思ってるのは自分だけ」で、まあサムいギャグばかり飛ばしている中年オヤジに多いパターンだ(^o^)。須らく、人はみな神経科に通って構わない。 病院の名前とか、具体的なことを書いてそちらに迷惑をかけちゃまずいから、それは避けるが、会話の内容などは、もっと知られていいと思う。そうでないと、いつまで経っても「神経科はコワイところ」というイメージが消え去らない。 今の病院の先生、しげが最初に診療を受けた時に、「合わないなあと思ったら別の病院に変わっていいんですからね」と言ってくれたそうで、それだけでも信頼できるかなと思っている。 「ねえ、『カイリショウ』って知ってる?」 「聞いたことはあるな」 「前に、先生から『病名がほしかったら付けてあげますよ』って言われてたから、『ほしいです』って言ってみたんよ」 「ほしいのかい(^_^;)」 「だって、劇団のウリになるじゃん」 「……うーん、なるといえばなるかなあ」 「『夢と現実の区別はつきますか?』って聞かれたから、『つきません』って言ったら、『それは“乖離症”と言えますね』って言われた。いろいろ聞かれて、この次までにもっとカッコイイ病名決めてもらうことした」 「……決めてもらうものか? そういうのって」 「だって『物忘れがヒドイ』だけじゃ、“健忘症”ってことになっちゃうじゃん。“健忘症”はヤダ。まだ“記憶喪失”の方がいいよ。ウソにならない程度にカッコイイ病名の方がいい」 病名に注文つける患者というのも何なんだかなあ(~_~;)。
キャナルシティで映画『ビッグフィッシュ』。こないだ見た芝居『バナナがすきな人』も息子にウソ話ばかりついてる父さんの話で、父と子の断絶とその関係の回復の物語だったけれども、これもコンセプトは同じ。こちらは映画だけによりファンタジックだったが、『バナナ』よりもずっとウェルメイドだったので驚いた。近藤芳正さんの方がティム・バートンよりもずっと「乾いた」人だったんだなあ、と比較ができるのが面白い。これもまたカミサマを頂くクニの人と、そうでないクニの人間との違いであろうか。
昨年で「東映アニメフェア」が終わってしまって、劇場アニメを単発公開しかしなくなってしまった東映動画(「東映アニメーション」と社名が変わっても、やはりこう言いたいのである)だが、次の新作が完全フルCGの『DIGITAL MONSTER X-evolution(仮)(デジタルモンスター ゼヴォリューション[X進化])』になったそうである。デジモンの映画シリーズ自体は子供ダマシの手抜きのない、濃密かつメリハリの効いた演出で、「東映動画健在なり」を感じさせてくれて新作が楽しみなくらいだったのだが、どうしても『ワンピース』や『どれみ』とかの添え物イメージが抜けず、損をしていたと思う。だからこうして一本立ちした形で新作が作られることは嬉しいのだが、よりによって“フルCG“~? ハッキリ言っちゃうが、CGはもう確実に一つのカベにぶつかってると思うのである。ドリームワークスの『シュレック』もパート4までのシリーズ化が決定されたと言うが、ホントにそんなことしていいのか、と疑問に思う。あそこに出てくるキャラクターの中で、最も動きが不自然で魅力に乏しかったのが「人間」であるフィオナ姫だった。CGでは「人間」は描けないのだ。ピクサーの『トイ・ストーリー』の時にもそのことは感じていたのだが、あれからCGは殆ど進歩していない。一時期の日進月歩がまるでウソのように、この5、6年は停滞している。結局、これまでのCGはカリカチュアされたキャラクターしか描けていないし、これからそれを越える映像を作ろうと本気で考えているスタッフも少ないように思う。 『デジモン』シリーズは、部分的にCGは使っていても、あくまでセルアニメーションとして評価されてきた作品である。デジタルだからデジモン、という発想は短絡的なだけじゃないだろうか。しかも、そのCGアニメーションの制作を担当するのは、香港のCG制作会社『Imagi International Holdings Limited』なのである。……なんだ、外注どころか、日本アニメってわけじゃないのね。東映動画がますます自分の首を締めるようなことにならなきゃいいんだけれど。 監督はTV版『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』のシリーズディレクター、角銅博之。脚本は平成『ガメラ』3部作や、『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』の伊藤和典と、『エアマスター』の川崎美羽の二人。実力のある方たちだから、つまらないものになりはしないとは思うけれど。
2003年05月28日(水) すっ飛ばし日記/耽美かヤオイな女たち 2002年05月28日(火) 素敵なあなた(はあと)/CD『ぼういず伝説』/『コメットさん☆』DVDBOX2ほか 2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』
2004年05月27日(木) |
「義理」もまあ、ありがたいけど。 |
ここんとこ、鬱陶しいことが続いているが、今日、キャナルシティから劇団四季のミュージカル『ユタと不思議な仲間たち』の招待券が送られてきた。こないだ、抽選に応募したのが当たったのである。四季嫌いのしげだけれども、タダなら文句はあるまい。ずっと前からこの芝居、見たかったんだけれども、なんか機会を逸してたんだよなあ。 もっとも、招待日は決まっていて、それが平日なのである。……まあ有休取って、何とかしよう。でも同僚にはナイショ(~_~;)。
二日経って、眼の具合、特に変化はない。 つまりよくもなっちゃいないが、悪くもなってはいない。右と左と、両方に血管のような首吊り縄がぶら下がっているわけだがら、眼球を動かして(要するに寄り目にして)像を重ねれば、首吊り縄が3Dになって見えるかとも思って試してみた。ところがそうすると、縄と焦点が合わなくなって、縄そのものが見えなくなってしまうのである。 ……おお、ということは焦点がズレればこの縄も見えなくなるってことじゃん! ……って、寄り目で生活なんてできゃしないって。
職場でも、私の目の具合を心配して、同僚が次から次へと「いかがですか?」と聞いてくるのだが、なかなか返事が難しい。 心配をかけないように、と「全然大丈夫でした」とウソをつくわけにはいかない。何しろこれでまた病院通いの回数が増えるのである。当然、仕事を同僚に肩代わりしてもらわねばならない回数も増える。それじゃ、「大丈夫じゃないじゃん」ということになってしまうから、やっぱり正確に病状は説明しておかなければならない。そうなればどうしても気遣われてしまうのであるが、心配してもらったからといって、目がよくなるわけでもない。壊れたものは元には戻らないのだ。 同僚にしたところで、具体的にどう気遣えばいいのか分からないのは困ってしまうと思うのだが、私とて「こう気遣ってくれ」と言えるような具体的なものは何もない。しょうがないので、お互いに「大変ですねえ」「いやどうもご迷惑をかけます」と不得要領な会話を交わしている。せいぜい「すみません、時々気づかずにぶつかっちゃうかもしれませんが、インネンつけるつもりはありませんから」とか、ヘタな冗談を飛ばすくらいのことしかできないのだが、これで相手の気持ちが和らぐわけでもない。 同僚が私に対して心配そうな顔をするのは「義理」である。「所詮は他人事」と冷たく突き放すようなモノイイをしたいわけではないが、「同情」の気持ちはあろうが、「愛情」のような強い感情ではないから、心底からの心配ではないことは事実である。ゆえに、「心配し続けなければならない」状況を強いられ続けることは、しょっちゅう顔を付き合わせてなきゃならない同僚にとっては苦痛であるし精神的な負担にしかならない。同僚がみな、しょっちゅう「近ごろ、調子はどうですか?」と尋ねるのは、気候の挨拶よろしく無意識的に投げかけられているけれども、その言葉の裏から、「調子がよければ余計な心配せずにすむのになあ」という感情が見え隠れしている。そういう要らぬ気遣いをさせてしまうことがまた私に溜め息をつかせることになっている。 誤解なきように願いたいが、私は「義理」で心配されることを不快に思っているわけではない。確かに「義理」というのは「人情があるフリ」であるから、誠実ではないという見方もできるけれども、カミサマじゃあるまいし、人間、そんな誰彼なしに博愛主義になれるわけでもない。「人情がある“フリ”だけで済ます」「“フリ”を“真実”として受け入れる」という、日本人の「腹芸の世界」が、ここでも人間関係を成立させる潤滑油として機能しているのである。これは美徳と言っていいものだろう。 けれど、フリはフリに過ぎないのであるから、「義理」を感じなければならない状況があまりに続くようであれば、そこに「無理」が生じてくる。かける言葉もなくなれば、自然、「遠巻きにされる」ことも生まれてくる。「義理」は、人間関係を長期に渡って継続させて行くツールとしては、そのスペックが甚だ不安定でアテにできないものなのである。しかし、これまで日本人はあまりにその「義理」という「交際マニュアル」に頼り過ぎていたために、それ以外の方法を考えることができなくなってしまっているのだ。日本人にいつまで経っても国際交流ができないのも、そもそも「義理」が通用しない外国人に対して手も足も出ないせいも大きい。 「義理」の機能は認める。それは、希薄化しようとする人間関係を常に強固に結びつけようとする手段として有効だからだ。しかし、それはかつての生活空間がごく狭い、運命共同体的なムラ社会において効率的なものであった。行動範囲がこの五十年で飛躍的に拡大し、希薄な人間関係しか結べなくなってしまった日本人間において、「義理」で結びつく人間関係は既に不可能になりつつある。 いい加減で、そういう「フリだけ人生」から脱却する方法を考えていったほうがいいと思うんだけど、どうですかね。御託をグダグダと並べてしまったが、要するに「病人なんて世の中にはゴロゴロしてるんだから、いちいち心配なんてしないでくれ」ということなのである。いや、病人には物理的にできないことはあるのだから、そのことを知っておいてほしいとは思うのだが、それを「苦痛」と思うような脆弱な精神は、持たないでいてほしいのである。 まあ、そういう「義理」に守られ続けてきた人たちにとって、それが難しいことだってこともわかっちゃいるんだけれども。
……とかなんとか考えていたら、友人のグータロウくんから、「心配なんかしてねえけど、目の調子はどうだい?」と電話がかかってきた(^o^)。わかってらっしゃることで。
「オレオレ詐欺」の被害が増えているというニュース。ふと気になって、父に「引っかかってない?」と電話したら、「トシヨリ扱いするな!」と怒鳴られた。いや、トシヨリ以外でも騙されてるけど……と言い訳しようとしたら、「バカや」とヒトコトで切って捨てる。全く、博多の人間のメンタリティとは言え、相変わらずミもフタもないモノイイである。 確かに、詐欺事件の中でも、「オレオレ詐欺」についてあまり同情する気になれないのは、被害者に対して「なんで別人だって気づかないんだよ」という、マヌケさがどうしても先に立ってしまうからだ。実際、ムスコ本人が2階にいるってのに、そのことに気付かないでニセムスコからの電話に引っかかった母親とかもいるんだから、これを「バカ」と言わずに何と言おうか、ってなもんである。犯人の罪を追及するより先に、被害者のバカのほうが笑いの対象になってしまうのだ。 詐欺を働く方も、こんなに「バカばっか」ならば、さほど罪悪感を感じないですむのも当然である。成功率が高くなければ(つまりバカが多くなければ)、こんなにお手軽に「オレオレ詐欺」が「流行」するわきゃない。「バカをバカにして何が悪い」というへリクツがここでも働いているわけだ。 「バカがいなけりゃリコウが目立たん」とは、マーク・トウェインおよび私の父の言葉だが、バカばっか増えてもねえ。世の中ナメてかかる犯罪者を防止することも国民の義務とちゃうか。家に鍵をつけるのと同じくらいに、こういう詐欺に引っかからない、というのは最低限、できなきゃならない能力なんじゃないかねえ。 しげに、「お前は引っかかるなよ」と言ったら、「払う金なんてない」と言われた。ごもっともである(~_~;)。
2003年05月27日(火) すっ飛ばし日記/メジャーかマイナーな男たち 2002年05月27日(月) また仕事休みました。/『コメットさん☆』DVDBOX/『ああっ女神さまっ』24巻(藤島康介) 2001年05月27日(日) 今度の芝居のキーワードは「裸」です/『ヨイコ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか
朝になったら、夕べ、左眼がおかしくなったのは気のせいで、また見えるようになってた、ってんならいいなあと思ってたのだが、やっぱり首吊り縄は2本、ぶら下がって揺れてるのである。 こりゃまた医者に行くしかないなあ、と思って、仕事を半ドンで引けて、行きつけの眼科へ。いつも通り瞳孔を開いて、またかなり丹念に見てもらったのだが、網膜自体は剥離も何も起きてはいないとのこと。そうかあ? 昨日は一瞬、火花が散ったかってくらいに目の前がパパパパパッて「何か起こった」のがわかるくらい、変化があったんだけどなあ。 「でも、右眼と同じで、ヒモみたいなのがぶら下がってて、眼の下のほうに光が反射したみたいになってるんですけど」 「ゴミは確かに浮いてるし、硝子体の後ろの方が剥げてはいますけど、しばらく様子を見ましょう。また一週間後に来てください。もしまた様子が変わったら、すぐに来てください」 様子が変わったときって、「手遅れ」な時とちゃうんかいな。症状がハッキリ出てるのに、何の対応も取れないというのはどうにも落ちつかないんである。
帰宅して、あとはゆっくり休むことにする。しげ、今日は仕事の予定だったのだが、休みを取って、私を「看病」すると言う。別に身動きできなくなったとか、そういうのじゃないから余計なお世話(つーか邪魔)なんだが、「あんたが突然何かに躓いて転んで頭打って死んだらどうすると!?」なんて演技の悪いことを言うのである。「何か」にねえ。確かに部屋の中はちらかっているねえ。しげが食い散らかしたコンビニ弁当のカスがあっちこっちに十数個。 「そんなに言うんだったら、部屋ん中さっさと片付けろ!」 渋々ゴミだけは片付けたが、そのあとすぐにイビキかいて寝こきゃあがったから、やっぱりたいしたモノの役には立っていないのである。身の回りの世話をしたいって言うんなら、せめて洗濯物を干すとか、台所の洗い物をするとか、それくらいはしろよ(-_-;)。
『ゴジラ FINAL WARS』の製作報告記者会見が、昨25日に行われる。 出演者のコメントにはたいして期待できるようなモノはなし。北村龍平監督が「『ゴジラ』独自のルールを変える気はないが、脚本の段階で既に僕の作家性が出ていると思う」と語ってるのは既に不安材料かな。エンタテインメントに「作家性」を打ち出して面白くなるには相当な個性が必要となるんだけれども、この監督にそんなのがあるかねえ? 『JAM FILMS』の一本にしろ、『あずみ』にしろ、『スカイハイ―劇場版』にしろ、そんなに斬新なことをやってるわけじゃないんだけれども、どうも本人だけはすっかり「作家気取り」で、えらくすごいことやってるような気になってるらしいのが何ともねえ。 まあ、抱負と実際の出来は無関係だから、いい方向に転ぶことを期待しましょ。 菊川怜が、「初めて第1作の『ゴジラ』を見たんですけどぉ~、途中で眠っちゃいましたぁ~」とか、「宝田明さんがどこに出てたかわかりませんでした。面影なかったんで」とか、えらくシツレイ千万なことを言ってたが、そういうこと喋っても「許される」キャラなんかね、この人は。神田うのかと思ったぞ。 新怪獣「モンスターX」のデザインは寺田克也氏。何となく「エイリアン+シーボーズ」という雰囲気で、あまり強そうに見えないんだけれども、これもデザイン段階と、実際の映像とではかなりイメージが違ってくるものだから、今の段階であまり不安に思うのもナニだろう。他の登場怪獣は、ガイガン、ラドン、ミニラ、モスラ、アンギラス、カマキラス、クモンガ、マンダ、エビラ、ヘドラ、キングシーサー。素直な印象は「何じゃこりゃ?」である。必ずしも人気怪獣とは言えないものも混じってるなあと思うのは40代以上で、北村監督の世代にはこれが「豪華」に感じられるのだろう。アンギラスは待望久しかったけれども、「次はキングシーサーだ!」ってのは特撮ファンの間では常に「悪い冗談」としてしか語られてこなかったんだがなあ。ベビーゴジラが出た時、確か「ミニラにはしない」ということでムネをなでおろしたものだったけれども、もう一回なで上げなきゃならんのかい。これだから昭和40年以降に生まれた人間の感覚は信用できないのである。 まだまだ隠し玉の怪獣が何体か増えるのかもしれないけれど(どうせキングギドラは追加されるんだろうな)、単純に不安になるのは、今の東宝特撮技術陣に、これだけの怪獣を動かせる技術があるんかいな、ということである。結局いくつかの怪獣はCGでゴマカすとか、『怪獣総進撃』の時のバランみたいに、「いたのに全く戦闘に参加してない」存在になっちゃうんじゃないか。 ともかく、これまでずっとゴジラ映画を見てきて悟ったことは(もう30年前から悟っちゃいるが)、「過剰な期待はしないで、デパートの屋上の怪獣ショーとして見るのが吉」ということである。
2ヶ月前の3月12日、東京都で、当時中学三年で卒業間際だった少年ら10名が、「卒業する前に、これ以上ないと言われるような伝説を作りたかった」という理由から、校内で暴れまわった末に放送室を占拠して、授業を妨害するなどしたとして、現在都立高校1年生になっていた彼らを建造物侵入と威力業務妨害容疑(うち2人は、教師らに暴力をふるって教室のカギを奪い取ろうとした強盗未遂容疑)で逮捕。 校内放送を使って約5分間に渡り、映画『バトルロワイアル』のテーマ曲(そんなんあったっけ? と思ったけど、これ、あの「ジャン!ジャン!ジャンジャンジャンジャン!」っていう、予告編だけで使われてたモーツァルトの『レクイエム』のことだったんだね)を流しながら、「皆さんこれから殺し合いをしましょう」などと暴言を繰り返したとか。 底抜けの阿呆はいるなあ、というだけの事件だけれども、よくわからんのは、事件が起こってから逮捕までに、何でこんなに時間がかかったのかってことである。しかも本人たち、ノウノウと高校に進学してるのだ。これって結局、学校がいったんは事件を「揉み消した」ってことじゃないのかねえ。なんだかんだで不問に付したけれども、どこかから、「なんであいつらがお咎めナシなんだ」という声が上がって、今回の告発につながった……ってとこじゃないんだろうか。事件自体の報道より、そういう「コトナカレ」の学校の体質の方をもちっと強く追及してほしいもんだけどね、学校には。でないと今度は「マスコミと学校に癒着があったんじゃないか」って勘繰られることになっちゃうと思うけどねえ。
2003年05月26日(月) すっ飛ばし日記/宍戸錠な男 2002年05月26日(日) マクド&マクド/『濃爆おたく先生』2巻(徳光康之)/『韃靼タイフーン』4巻(安彦良和)ほか 2001年05月26日(土) 恐怖! ウワバミ女の逆襲(完全版)/『人造人間キカイダーTRIBUTE』
2004年05月25日(火) |
『バナナがすきな人』&また来た首吊り。 |
ふと思い出した話。 結婚した時には10代だったしげも、気がついたら立派な30代のオトナになってしまった。これが普通の大人ではなくて、カタカナのオトナだったり、カッコつきの「大人」だったりするのがちょいと問題ではあるが。 最近、しげはあまり私にくっついて行動したがらなくなった。結婚当初はそれこそ金魚のフンの如く私が出かけるところにはくっ付いて行きたがったし(行けるものなら職場にも)、実際、私が単独行動を取ることがあれば(出張とか、しげとスケジュールが合わなくて一人で映画に行ったという程度のことである)、その様子を根掘り葉掘り聞きだそうとしたものだった。「楽しかった?」と聞くのが決まり文句で、映画に行ったときならともかく、仕事の出張に楽しいも糞もない。そんな風に聞かれても答えようがないのだが、何度そう答えても「楽しかった?」と聞くのである。妻である自分がいない時間を、私が楽しく過ごしていることに嫉妬していると言うか、孤独感、疎外感を感じてしまうのだろう。つまりはコドモなのである。 「いい加減、大人になれよ、おれは浮気する気なんて全くないし、お前と離れてたって、お前のことを忘れてるわけじゃないから」 こう説明するのだが、そのこと自体は理解はしていても、感覚は納得していない。 「全然? 一瞬も忘れてない?」 と突っ込んで来る。 「一瞬もってことじゃないよ。仕事してるときにお前のことばかり考えてたら仕事にならんだろうが」 「ほら、見てん」 何が「ほら、見てん」なんだか。こういう無理難題にもいちいち対応してやるものだから、私のこの10年間の精神的疲労は相当なものだったのだが、しげもトシを取ってきて、そんな自分自身が鬱陶しくなってきた、あるいは体力が続かなくなってきたのだろう、「一人で映画に行ってもいいよ」と随分寛容になってきているのである。 しげはその理由を「自分が30代になって、こんなに疲れやすくなると思ってなかったから」と説明するのだが、これまで私が散々、「トシが違うんだから、お前に付き合える体力はないんだよ」と、それこそ口が酸っぱくなり、喉が枯れ、あるときは徹夜するくらい懸命に説明してきたというのに、しげというやつは自分が実際にそういう「感覚」を経験するまでは、納得することができないのだ。想像力が欠如していると言うか、他人を思いやる心が根本的に欠けているわけで、それが「感覚だけで生きている」と私がしげをこき下ろしてるところなんだけれども、今更反省されても、そのこと自体、ズレてやがるよなあ、としか私には感じられないのである。それに未だにしげが私の目が悪いことを認識してくれないのは、正直、ツライ。平気で「あんたがどれくらい見えんかなんてわかるわけないじゃん!」と言ってくれるのだが、どんなに詳細に説明しても(詳細に説明するからなおのこと)忘れてしまうので、こんなのは自己弁護の言い訳なのである。 しげもあちこちカラダにガタが来始めたのだから、もうちょっと相手の体力とかが慮れるようになってくれりゃあなあ、と思うんだけれども。
そう言えば、しげはよしひと嬢と「ミソジーズ(三十路ーず)」というユニットを組んでいるそうな。で、このユニットには第一規約があって、「トシのことは言わない」(~_~;)。 補足事項は、「20代のやつらが、『私たちももうトシよね』なんて言ってるのを耳にしたら、ギロッと睨む」というもの。 ……でも、20代のころ、やっぱり「もうトシね」とか言ってなかったか? 言ってたよな、たしか。そういう事実は都合よく忘れているんだよね~、結局、若さを僻んでるだけなんだよね~。で、言いたいのだけれども、私はもう四十路に入ってるんである。いくら僻んだって三十路が来れば四十路が来るのはほんとにあっという間なのだ。とっとと覚悟を決めて、も少しおおらかな気持ちになっていくことを考えた方がいいと思うのだが。
仕事を早めに切り上げて、特急つばめに乗って小倉まで。昨日まで私も忘れていたのだが、芝居のチケットを取っていて、公演日が今日だったのである。昨日、しげからメールが入って、「明日はバナナだよ」とか書いてあったので、「何でわざわざバナナを買うことをメールしてくるのかな」と思ったのだが、これは『バナナがすきな人』という芝居のタイトルのことだった。なんか、しげみたいなマヌケやらかしてるな。 場所は「リバーウォーク小倉」内の「北九州芸術劇場中劇場」。 主宰は近藤芳正さんの一人劇団、「劇団♪♪ダンダンブエノ」なんだけれども、毎回豪華ゲストを招いて、継続公演も今回が三回目である。今回のゲストは中井貴一、いしのようこ、温水洋一、粟田麗、酒井敏也、山西惇。コメディはやっぱりキャラクターだよな、と感心するくらい、それぞれの個性が光っていた舞台。温水さんに子役をやらせたり、酒井、山西、近藤の三氏が犬だったり、もう、アイデアがハジけている。実は一番心配していたのが中井貴一だったんだけれども、デビュー当時、とんでもなく大根だったのが信じられないくらいのコメディアンぶり。人は上達するものである。 パンフレットを見ながら、しげが突然、「えっ! 中井貴一って、佐田啓二の息子だったの!?」と驚いていたので、私の方が驚いた。しげとその手の会話は何度もしたことあるような気がするんだがなあ。もっとも、佐田啓二の名前を知っていただけでもしげの年齢を考えると立派なことなんだろうけど。
再び特急で帰り、帰宅したのが11時。 途中、本屋に寄った時に、突然、左眼に閃光が走った。痛みはないが、眼を揺らすと再び視界の下あたりで光が瞬く。 うわ、もしかしたら……と思ったら、やっぱり次の瞬間、血管のようなものがだらりとぶら下がって来て、視界を遮った。一年ちょっと前、右眼に起こった網膜の剥離、どうやら左眼にも来たらしい。 これまでは右眼の前に血管が垂れ下がっていて(医者は血管ではないと言っているが、飛蚊症について書いた本にはハッキリ血管の残骸だって書いてあるぞ)、その先が首吊り縄のように丸く輪になっていて鬱陶しかった。それが、今度は左にも全く同じのが垂れ下がってきて、しかもやっぱり先端が輪っかになってるものだから、なんだか「どちらの輪に首を入れたいですか?」と誘われているみたいである。 前回は検診で網膜の悪化が発見されていたから、早晩“来る”んじゃないかと覚悟はしていたのだが、今回は予告もナシだから、ちょっとショックである。2ヶ月前の眼科の検診じゃ何も言われてなかったんだけどなあ。前のときも最初は剥離に気が付いてなかったし、今通ってるとこ、やっぱり藪なんじゃなかろうか。 まあ、だんだん眼が見えなくなっていくこと自体は先から覚悟していることだから仕方ないことなのだけれども、もしもまた手術ってことになったら、またぞろン万円が一気にふっとぶのである。治りもしねえ治療にそれだけ金かけなきゃなんないってことのほうが、何か納得いかないんだけどねえ。
2003年05月25日(日) すっ飛ばし日記/エロくて見せられない女 2002年05月25日(土) サヨナラを言いたくない人/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(吉岡平・森小太郎)ほか 2001年05月25日(金) ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志)
2004年05月24日(月) |
徒労の木馬。なんつて。……イヤ、つい思いついちゃったので(^_^;)。 |
原稿用紙にして、20枚は書いていただろうか、というコンテンツの原稿が、パソコンがいきなりフリーズして、きれいサッパリ消えてしまった。 ……かなり脱力しちゃったんで、今日は短めに綴る。……気を取り直して、もう一度「同じ文章」を書くのだ。ううう……(+_;)。
今朝、しげは起きられなかったので、職場へはタクシーで。休み明けでそこそこに忙しい一日。トンガリさんは今日も声をかけてもダンマリ。よっぽど仕事のミスを指摘されたことが業腹だったのか……ってこともないだろうな。この人が挨拶一つしないのは、昔からだから。仕事をしてないと言われるのがイヤなのか、トンガリさん、今日は滞ってた仕事を片付けている。いつもこれくらいのペースでやってくれてたのなら、周囲から白い目で見られることもなかっただろうに。
帰りはしげに迎えに来てもらって、晩飯はほか弁で幕の内弁当を買う。料理の材料の買い出しに行く時間がないので、いたし方ないのである。 帰宅して、昨日買った『キューティーハニー』のメイキングDVDを見て驚いたのだが、ただのタヌキ顔だとしか思ってなかった佐藤江梨子が実にハツラツとしていて美しいのである。 そう言えば、昨日庵野監督が、「佐藤江梨子をいかに売るかが最大の目的だ」と忘れ何とか言ってたのを思い出した。昨日まとめた日記では、肝心要のそのことをケロッと書き忘れていたので補足。
あとはまあ、いつも通りネットでニュースとか見てました。北朝鮮から帰国してきた息子さんたちは日本に馴染めるかなあ。今まで信じてきたことが「全てウソだ」って言われることになるんだから、深刻な心身症を起こす危険だってあると思うんだけど。悲劇の危険性も当然想定しているだろうが、それでも前向きに息子さんたちに接していこうとしている蓮池薫さんの笑顔が痛々しく見えてしまう。
2003年05月24日(土) すっ飛ばし日記/穴子に拘る女 2002年05月24日(金) カニの味がわからない/『かしましハウス』7巻(秋月りす)/『焼きたて!! ジャぱん』2巻(橋口たかし) 2001年05月24日(木) 幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか
2004年05月23日(日) |
庵野秀明インタビュー&カンヌ映画祭閉幕! |
昼から、千代町のパピオビールームで練習に参加。 最初に集まっていたのは、しげ、鴉丸嬢、其ノ他くん、今回は演出補佐に回ったお久しぶりのよしひと嬢、それから照明でお手伝いしてくれることになった細川彩乃嬢。だいたいウチのメンバーには芸名のほかにニックネームと言うか、仇名がつけられている場合が多いのだが、細川嬢もちょっとトンデモない名前をつけられてしまっている。とてもここには書けないのだが、付けたのはやっぱりしげである。……いやね、愛称ってものはさ、もうちょっと世間的に認めて頂けるコトバを選んだほうがいいと思うんだけれども(-_-;)。それなのにご本人はあまり怒っているような素振りを見せてはいらっしゃらないのであるが、細川嬢の海よりも広く深い心ばえが察せられることである。 今日はチラシと衣裳案の決定なので、私も何枚か下描きを描いたのだが、全部マンガっぽいということでボツ。写真をコラージュしよう、ということになった。 衣裳案は、鴉丸嬢がステキなイラストをたくさん描いてくる。衣裳もそうだが、キャラクターがともかくかわいい。カトウくんなどは何枚も衣装を替えねばならないのでたくさん描いてもらっているのだが、一枚一枚、全部キャラが違っている。往年の光ゲンジの諸星君っぽいのまであったが、どういうキャラをカトウくんに演じさせたいのであろうか。 あとは劇中に使用する曲のサンプルなどを聞いてもらう。今回ともかく使用曲が多いので、音響は大変なのである。 鴉丸嬢、其ノ他くん、細川嬢の3人は今日は用事があるとかで、3時過ぎに帰る。入れ替わるように、カトウくん、桜雅嬢が来て、しげと二人のシーンなどを試演。よしひと嬢はカトウくんの演技を見るのは初めてなので、楽しんでいる。動きはまだ入っていないので、やはりまだ「芝居」にはなっていないのだが、海苔は前回よりよくなってはいる。ただ、二人ともまだ刮舌が甘いので、ことによるとセリフをかなり手直ししなければならなくなるかもしれない。これも今後の課題である。 今日の段階で打ち合わせられることはこのくらいなので、いつもより早め、5時半過ぎにパピオを出る。決めかねていたエンディングに使う曲も固まったので、少しずつ形ができあがってきている感じである。
それから、映画を見るために、キャナルシティまで。 と言っても、レイトショーまでには3時間以上あるので、それまで店を回って時間を潰すことにする。 まずは「ラ・ブーン」で食事。しげお気に入りの手巻きオムライスの店で、角煮オムライスとサラダ。オムライスをクレープのように手巻きしているから、歩きながら食べることもできる、というのが売りなわけだが、実際には歩きながら食べると中身を落っことしそうで危ない。座って食べるしかないのだけれど、「手頃感」はあるので、これはいいアイデアだなあと思う。 それからローソンに回って、野村萬斎の『オイデュプス王』のチケットを購入しようとするが、四日間の公演全てが完売。しげも私も、これはぜひともナマで見たかったんだが、諦めるしかない。実はツテを辿って抽選にも参加していたのだが、それも外れていたのである。野村萬斎、やっぱり「旬」なんだなあ。 福家書店にも回るが、こちらは先日めぼしい本はたいてい買っていたので、特に物色するものはなし。しげにせっつかれて、ここは早々に表に出る。
それでもまだ2時間ほど時間があったので、HMVで、芝居で使うCDを探す。私は私で、『キューティーハニー』のキャンペーンやってるよ、としげから聞いていたので、そちらの興味もあって覗いてみることにしたのだが、なんと庵野秀明監督と、武術指導のシンシア・ラスターさんが来福されてインタビューに答えられていた。こういう僥倖もあるものなのだとビックリ。 庵野監督のお話はだいたい以下の通り。 「『キューティーハニー』は『ハニメーション』と言ってはいますが、昔風に言えばスチールアニメーションです。ハニーの佐藤(江梨子)さんにポーズを取ってもらって、それを撮影して、アニメーションと同じ手法で作ったんです。実写をアニメーションの材料に使うわけで、CGよりずっと手間もお金もかかります。でも、CGにはCGにしかできないことをやっていただくだけで、後は全部こちらでやりたいんですね。ミニチュアもいい出来のものがありまして、ほんの一、二秒しか使わないカットのために、このくらい(10センチほど)の高さのハニーの人形を作って来てたんですけれども、あれは本当にいい出来でした。それは持って帰れなかったんですけれども、別のものは記念に持って帰りました。 ともかく、最初の『ハニー』のアニメの雰囲気を残そう、というのは一番気を付けたことで、音楽も昔のオープニングは全く同じテンポで使っています。アレンジは今風ですけれども、倖田(來未)さんにもそう歌ってくれるように頼みました。あとエンディングの『夜霧のハニー』とBGM一曲は使わせてくれ、と申し出まして、これだけは絶対に譲れない条件でした。結果的にあと2曲使って、他の曲も昔のアニメの雰囲気を感じられるものにしました。サントラも構成まで全部自分でやりました。アニメ業界はそこまでやる人、結構いるんです。 音楽は昔のものしか聞かないですね。それも特撮、アニソンばかりで。最近の曲、歌謡曲とか全然知らないんです。昔のもので充分と言うか、昔のものは今でも変わらないと思ってるんです。趣味が広いようで、実はすごく狭いんです。ぼくの音楽は70年代から80年代初頭で止まってますから。今日もここに来るまでにiポットで聞いてたのは『ファイヤーマン』と『ミラーマン』です。 『キューティーハニー』の続編ですか? それはこの映画がヒットするかどうかですね。映画界というのは、掌を返したように、舌の根の乾かないうちに逆のことを言う人たちばかりですから。今は全くそういう話はないんですけれども、ヒットすればどうなるかわかりません。もしかしたら『ハニー』はぼくのライフワークになるかもしれませんね。今はスカパー用にアニメーションの『Re:キューティーハニー』を作ってますが、これは3本とも監督が全部違って、全部違った作品になっています。 『ハニー』はともかく、笑えて、泣ける映画です。始まって5分で三回笑えるところを作ってます。そして映画が終わって外に出たら心が元気になるような、そういう映画作りを目指しましたし、そうなっていると思います。ぜひ見にきてください」
シンシア・ラスター女史は、「サトエリさんは背が高くてて足が長く、私と体形が全く違うので、立ち方、ポーズの取り方、全て一から考えなければならなかった」と苦労を告白。 「スケジュールは本当に短かったんですけれども、現場はともかく庵野ワールドの人たちばかりなんで、朝から晩まで何時間一緒に仕事してもオーケーみたいな、楽しい雰囲気でした。パソコンとかの専門用語が飛び交ってて、何言ってるかわからなかったんですけれども」
インタビュー自体は30分ほどで終わり。 ハニー関連のものはそんなに買うつもりはなかったのだけれども、せっかくだからと食玩とDVDプレミアム映像集を買う。しげが「これも買って」と言うので、CD『及川光博の世界』も(^o^)。 携帯カメラでキャンペーンのタテ看板なんかを写真に撮っていると、同じく隣で写真を撮っていた20代らしい長髪でやや背の低い女の子から、声をかけられる。 「お客さん、少なかったですねえ。庵野さん、まだあまり有名じゃないんでしょうか」 確かに、集まっていたのはせいぜい20名ほどである。「誰のイベントだ」、とちょっと覗いて、すぐに帰っていった客も何人かいた。「世界の庵野秀明」としてはあまりに寂しい。 「宣伝、あまりしてなかったせいじゃないですかねえ。私も、家内からこういうイベントやってるって教えてもらって来たんですよ」 さすがに「オタクの間だけじゃないでしょうか、有名なのは」とは言えないので、そんな風に返事をした。それにしても、中年のオヤジに声をかけてくるとは変わった女の子だなあ、と思っていたら、女の子は、挨拶をしてこう言った。 「私、フランスの『OTAKU』って雑誌の記者なんです」 ……一瞬、絶句しました。なんか、今日は驚かされることばかりだなあ(^_^;)。 「ご存知ですか?」と聞かれたので、「ええ、雑誌やテレビで見たことはあります」と答える。「わざわざ今日は取材ですか」 「ええ、庵野さんのお話も伺えました」 それからちょっと、ここには書けないヒミツのやりとりをして(^o^)、ついでに、『ハニー』のDVDとミッチーのCDを手に持った姿を写真に撮られてしまう。いやもう、ホントにビックリですがね。もしこのホームページ見てる人でフランスに住んでる人がいたら、来月号の『OTAKU』に私の写真がもしかして載るかもしれませんので、送ってくださいな。f(^^;) 「今日はお話聞けて嬉しかったです」と挨拶してHMVを出たが、それにしてもずいぶん気さくな女の子だったけれども、印象は『ダーティ・ペア』のユリって感じだったなあ。「同じオタクなら、声かけてもヘイキ」とでも思ったんだろうか。でも、世の中には女の子に飢えてるアブナイ独身オタクも結構いるから、記者とは言え、声をかける時には気をつけた方がいいなあとは思うけれども。 ……ああ、いや、別に相手の電話番号とか、そんなの聞き出したりはしてないので、妙な期待はしないように(^_^;)。
映画は『レディ・キラーズ』。トム・ハンクス主演、コーエン兄弟監督による往年の名作『マダムと泥棒』のリメイクである。こういうブラック・コメディは大好きなので手放しで誉めたいところだが、ちょっとラストがあっけなく終わった印象はある。キャラクターがいろんな人種に変わったのがオリジナル版との一番の違いだろうか。 帰宅して、しげと『ハガレン』のDVDを見るが、やっぱりしげは途中でイビキをかきだしてしまうのであった(^o^)。
第57回カンヌ映画祭の各部門の受賞者・作品が決定。 ◎パルムドール(最高賞) 『華氏911』マイケル・ムーア監督(アメリカ) ◎グランプリ(審査員特別大賞) 『オールドボーイ』バク・チャヌク監督(韓国) ◎男優賞 柳楽優弥『誰も知らない』(日本) ◎女優賞 マギー・チャン(張曼玉)『クリーン』(香港) ◎監督賞 トニー・ガトリフ監督『エグザイルス』(アルジェリア) ◎脚本賞 アニエス・ジャウィ、ジャンペール・バクリ『ルック・アット・ミー』(フランス) ◎審査員賞 イルマ・P・ホール『レディ・キラーズ』(アメリカ) アピチャポン・ウェラセタクル『トロピカル・マラディ』(タイ)
一部、ムーア監督がパルム・ドールを取ったのは、政治的配慮のせいだ、との批判があったようだが、現物を見てない以上、私には何とも言えない。スタンディング・オベーションが凄かったという話は聞いたから、それだけが原因ではないと思うのだけれども。 日本のマスコミは、早速「史上最年少受賞」ということで、柳楽優弥くんをフィーチャーし始めているが、これも映画を見ていないから、現段階でコメントすることはない。どちらかというと、大騒ぎしているマスコミの人間たちだって、映画を見ずに記事にしてるんじゃないかって気もするが、そういうものなんだろうね。 『イノセンス』はちょっと残念だった。押井監督は今はまだ次のアニメを作るかどうか未定、ということだそうだけれども、できればまた捲土重来を期してほしいものである。
2003年05月23日(金) すっ飛ばし日記/寝ると怒る女 2002年05月23日(木) 風邪さらに悪化/『パワーパフガールズDVD-BOX/バブルス缶』/『何が何だか』(ナンシー関) 2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか
2004年05月22日(土) |
関係者にしか意味が分らない文章ですみません。 |
お昼から、知り合いの劇団の公演があるので、某所まで出かける。何度か日記に書いちゃいるが、ある事情から、芝居の内容とか書くことができない。従って、見た感想とかも内容に触れたような具体的なことは書けない。せっかくの舞台公演なのに、宣伝も充分にできないというのはちょっともったいないと思うので、次回の公演からはそのあたりの「問題点」をクリアーにしてもらいたいものだ。 芝居そのものは、コヤの形状や広さが必ずしもその芝居のそれと合っているとは言い難い面があったので、ちょっと見ていて「苦しそう」であった。役者の演技がかなりコヤの狭さのせいで制約を受けているのである。 例えば、走る演技一つ取ってみても、「ブレーキ」がかかっているのが見ていてハッキリ分かってしまうのだ。ヒロインが、すがろうとする相手を振りほどいて走り去ろうとするときに、「たたら」を踏んでしまっちゃ、それが会場自体に問題があるせいだとわかっちゃいても、ちょっと苦笑してしまう。袖の奥がもっと広ければ、こういう点には気がねすることなく走りこめる。本当ならもっとのびのびと演技できるはずだし、更にはそんなふうに「ブレーキのかかる演技」を強いられる方が、役者の疲労度は高いのである。二時間十分の長丁場、役者がだんだんと疲れて行く様子を見るのはちょっとつらい。 でもこれは劇団の予算的な面での制約もあったのだろうから、同情することであって、文句や批判ではない。こういう会場の問題も、次回から考慮してもらいたいなあという要望のようなものである。 役者さんたちの演技自体は、最初あまり噛み合っているようには見えなかった「間」の取り方が、後半にいくほどよくなっていた。いくつか、そこのセリフは解釈が違うんじゃないかなあ、と思える部分はあったが、出演者がそれぞれのキャラクターを「立てる」ことに成功しているので、さほど引っかかりはしなかった。特に、ワキのヤンキーの兄ちゃんを演じた人が、バカになったりカッコつけしてみたり、実にいい味を出していた。
見終わって、上に書いたようなことを簡単にアンケートに書く。 手伝い人に出張っていたしげや、見に来ていた鴉丸嬢、其ノ他君たちに挨拶をして帰宅。
ここんとこしげと時間が合わないので、買い物に一緒に行くこともできない。夕食は家の近所のラーメン屋で済ます。 ちょうど、北朝鮮での小泉首相の記者会見をテレビでやっていたが、地村さん、蓮池さんとこのご家族5人は日本に帰る、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんと子供たちは本人たちの意志で居残り、前回の訪朝で死んだとされていた拉致被害者については再調査を“これから”行なう、北朝鮮へのコメ支援は25万トン、というまあそんなところかな、という結末。 日本が今ひとつ強く出られてない感は否めず、「腰砕け」の非難がある程度出ることは必至だろう。ただ、事態が後退しているわけでもないところが微妙なところである。再調査を行なって、横田めぐみさんほかの安否が「やっぱり死亡」ということになったら、その報告までもまだ疑い続けることになるのだろうか。ああいう杜撰な国では、そもそも資料そのものに信頼性がない。横田さんのご両親ほか、拉致被害者の家族会のみなさんに安息の日が訪れることは相当遠くなりそうな気がする。
夜、10時を過ぎてしげは帰宅。今日も疲れていたらしく、即寝。そのあと私はDVD『ハガレン』4巻などを見て、寝る。
2003年05月22日(木) すっ飛ばし日記/本な男 2002年05月22日(水) 風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか 2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
2004年05月21日(金) |
『イノセンス』カンヌ上映。 |
今日はしげが知り合いの劇団のお手伝いで一日いない。 解放されたような、ちょっと寂しいような。おっと、「ちょっと」だけじゃ、しげの機嫌が悪くなりそうなので「すごく」と言っとこう、一応(^_^;)。
銀行に寄ったりと私用がいろいろとあったので、仕事を半ドンで終えて、博多駅まで出る。 銀行でお金を卸して、郵便局で振り込み。これは七月にある『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』のチケットを買うため。コメディ作家、レイ・クーニーの代表作、『パパ・アイ・ラヴ・ユー』の改題(というか、原題に戻したもの)、再演。キャストは上川隆也・羽田美智子・濱田マリ・綾田俊樹。舞台役者としてはどんなものなのかよく知らないが、ともかくクーニーの芝居をいっぺんこの目で見てみたかったというのが動機である。……考えてみたら、ニール・サイモンだって、台本で読むかテレビで見てるばかりで、ナマの舞台を見たことってないのである。仮にも芝居の台本書いてる人間が年に10本程度しか芝居を見にいってないってのは恥ずかしい限りなのだが、先立つものと相談したら、これが精一杯なのである。
そのあとキャナルシティまで歩いていって、AMCで今日が最終日の『フォーチュン・クッキー』を見る。2週間で打ち切りというのはちょっと早い気がするが、オリジナルの『フリーキー・フライデー』は輸入すらされなかった(テレビ放映のみ)から、見られただけまだマシか。客は私の他にカップルがひと組だけ。なんだか二人きりの空間を邪魔したみたいでちょっと心苦しい。映画は母と娘の入れ替わりものだが、オリジナル版よりずっと脚本が練られていて、現代的になっているのがミソ。
もう一本、夜、映画を見る予定なので、本屋を2、3軒、回ったりして時間をつぶす。 紀伊國屋で予約しておいたDVDを購入。買おう買おうと思ってなかなか手が出ないでいた講談社の「ミステリーランド」シリーズをまとめて買う。有栖川有栖、小野不由美、島田荘司、高田崇史、竹本健治、西澤保彦、森博嗣といった当代第1線のミステリ作家達が、少年向けにミステリーを執筆していくもの。まさに江戸川乱歩の少年探偵シリーズ再び、という企画で、青少年の活字離れ云々に対して、出版社が具体的な対応策を考えている嬉しい例である。……できれば角川あたりが、昔の文庫版ジュブナイルシリーズを復活させてくれたらもっと嬉しいんだけどねえ。
夜、シネ・リーブル博多駅で5周年記念「怪奇幻想文学秘宝館」シリーズの最終回『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』を見る。前に見てるやつではあるが、こういうサベツ問題にひっかかってるせいで、ビデオソフト化が見込めない映画は、上映の機会があるたびに見ておきたいのである。「知ってる人は知ってる」映画だから、100人ほどしか入らない会場が満席どころかパイプ椅子の増設に立見まで出る大盛況。私と同じく、必ずしも初見の人ばかりではないのだろう、随所にある爆笑シーンにも、場内、それほど笑いは起こらない。 私はといえば、確かに最初見た時にはその驚きの「作り」に呆気に取られたのだが、二度目となるとかえって石井監督の乱歩に対する思いの方が胸を打って、とても笑って見てなどいられない。つか、また泣いてるし。なんだかもう、涙腺がゆるみっぱなしなのである。
映画が終わって、バスがもうなくなっていたので、しげに連絡を入れて迎えに来てもらう。一日歩きっぱなしで、さすがに家まで1時間半かけて歩いて帰る気にはならなかった。しげも一日お手伝いで疲れ切っていたのだろう。 「『理由』を見て寝る」と言って、DVDをかけて見始めたのだが、数分もしないうちにイビキをかき始めた。昨日一昨日もこんな調子だったし、しげが『理由』を見られるのはいつの日になるのだろうか。 今日買ってきたDVD『丹下左膳余話 百万両の壷』と『キル・ビルvol.1』を続けて見る。『百万両』は、GHQによってカットされていた立ち回りのシーン20秒が復活した、今のところの最長版。見てみりゃ分かるが、なんでこの程度のシーンがカットされたのかわけが解らない。ともかく「刀を抜いたらダメ」ってことだったんだろう、としか言いようがない。この程度の描写を残酷だと認定し、またこういうのを見せなければ日本人を善導できるなんて思いこんで占領政策を行なってきたアメリカという国がいかに小児的で歪んだ国か。けどアメリカ国内でそれを批判してるのがマイケル・ムーアのようなまたコドモだっていうのが、なんかもう、ナントカとナントカの絡み合いみたいで、ウンザリなんである。
昨日、カンヌ映画祭で、押井守監督の『イノセンス』がコンペティション上映。でも日本のテレビ局はキムタクがどうのばかり報道してて、こっちの方には見向きもしてないなあ(そちらはそちらで、彼にばかりスポットが浴びていて、出演している映画『2046』の紹介もおざなりだ。どんな筋で、誰が監督で、共演者は誰か、あなたはご存知ですか?)。……タランティーノ審査委員長、世間の評判に流されないで、しっかりたのんまっせ。 読売新聞が『イノセンス』について、「近未来の日本を舞台にしたSFアニメで、この日の上映には、押井守監督も出席。上映終了とともに立ち上がった観客から大きな拍手を送られ、『理解してもらえるか不安だったが、かなりいい反応でほっとしている』と笑顔で語った」と紹介しているけれども、どの程度のものだったんだろうか。カンヌの審査は必ずしもスタンディング・オベーションには左右されないけれども、「大きな拍手」と「拍手鳴り止まず」とではニュアンスがかなり違うからなあ。 情報があまりに少ないので、カンヌ映画祭の公式ページまで覗いてみたが(ネットの一番ありがたいことは、海外の情報まで即座に散策できることである)、ありましたありました。作品解説と、押井監督のインタビュー記事が。 一応、全文を紹介するけれども、全部を翻訳するのはしんどいので、押井監督のインタビュー部分だけに留めます。
> Competition: "Innocence" by Mamoru Oshii In addition to Shrek 2 that screened early in the Festival, the second animated feature in competition is presented today, Innocence by Mamoru Oshii. The Japanese director spent nine years making this follow-up to his cult hit Ghost in the Shell. The characters are the same but the political tone has given way to a philosophical one, a hymn to life. Furthermore, the technical rendering is much more formal, mixing 2D, 3D and computer graphics.
簡単に要約すると、「『攻殻機動隊』の続編だけれども、内容はより哲学的になっていて、2D、3D、コンピューター・グラフィックスが混じってる」ってとこですかね。ここはただの作品解説。
> It is the year 2032 and the line between humans and machines has been blurred almost beyond distinction. Humans have forgotten that they are human and those that are left coexist with cyborgs (human spirits inhabiting entirely mechanized bodies). Batou is one of them. His body is artificial: the only remnants left of his humanity are traces of his brain ・and the memories of a woman called The Major. He is investigating a murder case involving malfunctioning androids that went berserk.
ストーリー紹介。 「人間は自分たちが人間であったことを忘れてしまっていた」というあたりが、欧米人にはどんな風に受け止められるか、というのが気になるね。アシモフの『アンドリュー(なんたらかんた)』(『バイセンテニエルマン』)も結局『ピノキオ』だったし、人間とロボットとの確執を描いても、結局は「人間様が上」な感覚から欧米人は脱却できないのである。人間が人間であろうとすることなんて、夢を見ているようなものだって発想で一貫して映画を作ってきた押井監督の思想は、結構反発を食らうような心配もあるのだけれど。 ……今まで注意してなかったけど、バトーの綴りって、“Batou”だったんだね。もしかして漢字で「馬頭」って当てるのか? しかし「草薙」に「馬頭」と来ると、どうしても諸星大二郎の『暗黒神話』を連想しちゃうねえ。そのあたりのアナロジーについてはあまり深く考えたことはなかったんだけれども、士郎正宗はそういう「遊び」も想定してたんだろうか。
> Mamoru Oshii on his intentions: "This movie does not hold the view that the world revolves around the human race. Instead it concludes that all forms of life ・humans, animals and robots ・are equal. In this day and age when everything is uncertain, we should all think about what to value in life and how to coexist with others." 訳:製作意図について 押井守「この映画は、世界は人類を中心に回ってるという見方で作られてはいません。むしろ生命の形は人間も動物もロボットも同じだと結論付けています。今日、あらゆるものが不確かな時代にあって、ぼくらはみんな、命の価値がなんであるのか、どうやって他者と共存していくのかを考えなきゃならないんです」
これもまた実にストレートな発言で、欧米人の神経をかなり逆撫でしたんじゃないかと思うけれど、ブーイングとか失笑はなかったのだろうか(^_^;)。でもまあ、科学的にも生命と非生命との境界線は曖昧であったりするし(それは「生」と「死」の間に厳密な境界線がないことも意味している)、仮に「精神」あるいは「思考」が非生命体に対する生命の優位性を証明するものだという考えに基づいたとしても、オソロシイくらいに単純な思考しかできない人間も世の中には掃いて捨てるほどいるから、あまり威張らないほうがいいような気もするのである。 なんにせよ、「クローン禁止」とか言ってる時点で、欧米人はこれ以上ないくらいに「思いあがって」「思考停止」してしまっているんである。で、そいつらと「共存」しなきゃならないのが日本の頭の痛いところなんだよなあ。まったく、「馬鹿には勝てん」のだ。 なんにせよ、こういう挑戦的な発言をカマシてくれるあたり、押井監督、パルムドールが取れるかどうかなんて気にしてないみたいだなあ(内心はどうか知らんが)。 > Press Conference: "Innocence" For the official presentation of the competition animated feature Innocence, Japanese director/writer Mamoru Oshii, composer Kenji Kawai and producer Mitsuhisa Ishikawa answered questions from the press. Highlights.
記者会見の様子。 公式サイトには、中央にヒゲ面長髪の押井監督、向かって右にやはりヒゲ面の石川光久プロデューサー、左隣にパッキンの川井憲次さんが座っていらした。掲載されていたのは押井監督のコメントだけだったけれども、あとのお二人がどんなことを喋ったかも気になるところである。
> Mamoru Oshii on the origins of the film: "When Production I.G first proposed the project to me, I thought about it for two weeks. I didn't make Innocence as a sequel to Ghost in the Shell. In fact I had a dozen ideas, linked to my views on life, my philosophy, that I wanted to include in this film. [...] I attacked Innocence as a technical challenge; I wanted to go beyond typical animation limits, answer personal questions and at the same time appeal to filmgoers."
訳:映画の成り立ちについて 押井守「プロダクションI.G.が、最初、ぼくのところに企画を持ってきた時に、二週間考えました。『イノセンス』を『攻殻機動隊』の続編として作るのはやめようと。実際にぼくは、ぼくの人生観や哲学、この映画に込めたかったことに関連した12のアイデアを思いついてました。……ぼくは『イノセンス』で技術的な面で挑戦をしましたが、それは型通りのアニメーションの限界を越えて、自分個人の疑問にも答えて、同時に映画ファン達にも訴えたかったことです」
よくネットでは前作『攻殻機動隊』を見ていないと分らない、という批評が横行していたけれども、そりゃあ、草薙素子がどういう存在であるのかとか、1作目を見ていれば「わかる」のだけれども、だからと言って、『イノセンス』を見ただけではわけが分らない、ということにはならない。それを言い出すなら、欧米の文化を知らない我々には海外の映画は「一切分からない」し、東京の人間には大阪人や九州人の感覚が「絶対に理解不能」だし、個人の考えていることは他人には「ほんのひとカケラも見当がつかない」のである。もちろん、そういう次元での「理解不徹底」は常に存在していることは確かなのだけれども、それを持ち出していい場合と、不必要な場合とがある。 「1作目を見ていないと『理解不能である』」という言い方は、映画について語ること自体を拒絶している。1作目を見ていないからこそ、「何かが伝わる」こともあるのだ。こういうモノイイをする人というのは、たいてい情報に振り回されているだけか、知的スノビズムに陥っているだけだから、あまり相手にしないほうが無難なのである。……『エヴァンゲリオン』のブームの時に、やたらいたタイプの痛いオタクさんですがな(^_^;)。
> Mamoru Oshii on his narrative intentions: “for Innocence, I had a bigger budget than for Ghost in the Shell. I also had more time to prepare it. Yet despite the economic leeway, abundant details and orientations, it was still important to tell an intimate story. [...] Personally, I adore the quotes in the film. It was a real pleasure for me. The budget and work that went into it contributed to the high quality of imagery. The images had to be up to par, as rich as the visuals.”
訳:「『イノセンス』では、『攻殻機動隊』の時よりもずっと大きな予算が組まれました。準備のための時間もたっぷりありました。けれど、経済的な余裕があるにも関わらず、ディテールや方向付けが膨大になったのは、物語の本質を語るにはそれがやはり重要だったからです。……個人的にぼくは、映画に引用を持ちこむことが大好きです。それがぼくにとっての一番の楽しみなんですね。それに費やした予算と仕事は、映像をハイ・クォリティなものにすることに寄与しています。イメージは基準に達するものでなければならなかったし、映像も同様です」
> Mamoru Oshii on Godard: “This desire to include quotes by other authors came from Godard. The text is very important for a film, that I learned from him. It gives a certain richness to cinema because the visual is not all there is. Thanks to Godard, the spectator can concoct his own interpretation. [...] The image associated to the text corresponds to a unifying act that aims at renewing cinema, that lets it take on new dimensions.”
訳:「やたら他の作家さんの引用をしたがるのは、ゴダールの手法です。お手本となるものは映画にはたいへん大事で、ぼくは彼からそのことを学びました。映像がそこに介在していないからこそ、映画にある豊かさが生まれます。ゴダールのおかげで、観客は自分自身の解釈を模索できるんです。……映画を活性化させたくて、新しい表現を切り開こうとする試みを統一的にやろうとすると、お手本によってイメージを作りあげることは、ちょうど具合がいいんですね」
> Mamoru Oshii on animation: "I think that Hollywood is relying more and more on 3D imaging like that of Shrek. The strength behind Japanese animation is based in the designers' pencil. Even if he mixes 2D, 3D, and computer graphics, the foundation is still 2D. Only doing 3D does not interest me." 訳:「ハリウッドは『シュレック』のようにますます3D映像に依存していくと思います。日本のアニメーションを支えている強さというのは、アニメーターたちのエンピツに基盤があるんです。たとえ2Dや3D、コンピューターグラフィックスが混在していても、そのおおもとはまだ2Dなんです。3D映像を作ることだけはぼくには興味がありません」
『シュレック2』なんぞと比較されてたまるか、ってな感じにも聞こえちゃうなあ(^_^;)。 日本で喋ってたことと内容的に重なってる部分も多いので、今更な部分もあるけれども、どこへ行っても押井守が押井守であることは嬉しいことだ。
2003年05月21日(水) すっ飛ばし日記/モンティ・パイソンな女 2002年05月21日(火) ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか 2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか
2004年05月20日(木) |
職場に14時間もいたくないわい(ーー;)。 |
しげは今日と明日、知り合いのお芝居のお手伝い。わけあって、宣伝ができないことはこないだも書いたが(だから劇団のホームページのほうでも、芝居のタイトルとか詳しいことは絶対書いちゃダメだよ、みんな)、バイトも合間にあるわけで、寝る間も殆どない状態である。だもんで、とても職場への送り迎えを頼める状態ではない。 仕方なく今朝はバスで職場へ。始発に乗っても8時にしか到着しないのだが、今日は出勤は遅出で構わないので(普段は7時半出勤である)、ゆっくりと職場へ。
今日もまたいろいろ事件はあったのだが、何しろ残業が9時すぎまで、帰宅は10時近くになっちまったので、詳しく書いてたら、時間がかかって寝る時間がなくなってしまう(^_^;)。簡単にヒトコトでまとめちゃうと、「今日のトンガリさんは、誰がどんなに声をかけても、一切口を開かず、返事をしませんでした」。 ……いいよなあ、こんなんでも給料もらえるんだから。
帰りはバスが殆どなかったので、同僚に車で家の近所にまで送ってもらう。帰宅して10時過ぎ、しげから電話がある。「すぐ帰るから、一緒に買い物にいこうよ」ということだったのでずっと待っていたのだが、午前1時を回っても全然帰ってこない。痺れを切らせて連絡を入れたら、バイト先に寄って、そこで仕事を手伝っていたと言う。……予定が変わったんなら、なんで連絡を入れないか。事故にでも会ったかと私が心配するような事態をコイツは全く想定していないのだ。 腹を立てて、DVD『飢餓海峡』(内田吐夢監督版)見ながら寝る。
ここのところまた好きな人たちが立て続けに亡くなっているけれども、先月の鷺沢萠さんのときほどのショックではないのは、高見沢潤子さんにしろ三橋達也さんにしろ金田一春彦さんにしろ、充分御高齢で、大往生だよなあ、と諦めがつくからでもある。もちろんもっともっと、百歳過ぎるまで長生きして活躍してほしかったという欲はあるのだけれども(きんさんぎんさんかい)。 俳優のトニー・ランドール氏が、17日、長期入院していたニューヨーク市内の大学病院で死去。享年84。昨年、心臓のバイパス手術を受けた後に肺炎を患って入院治療を続けていたが、3日前に容体が急変し、就寝中に死去したと言う。 ニール・サイモン原作のテレビ、『おかしなカップル』は比較的新しいドラマなので(と言っても1970~75年だが)、覚えている人も多いだろう。お互い女房に愛想をつかされた男どうしが同居して巻き起こすドタバタ騒動。もとになった映画『おかしな二人』ではジャック・レモン(フェリックス)とウォルター・マッソー(オスカー)が演じたこのコンビを、テレビシリーズ版では、トニー・ランドールとジャック・クラッグマン(『十二人の怒れる男』!)が演じていた。 トニー・ランドールの声を吹替えていたのは、小松政夫さん(後に近石真介さんに代わる)。小松さんはこの番組が再放送されたとき、解説にゲスト出演して、「(フェリックスは)おかまじゃないんだけれどもおかまっぽいところがおもしろかったんだよねえ」と仰っていた。でも時代が時代だけにまだハッキリとは出せなかったけれども、ニール・サイモンがゲイのカップルを念頭において脚本を書いていたのはまず間違いない。それぞれに別居している女房がいる、というのは、もちろんカモフラージュだ。 フェリックスは、口から先に生まれたようなお喋りで、つまらない世間話が大好き、やたら細かいところに気がつく神経質なところはあるけれども、根は優しい世話女房タイプ。短気でガンコなオスカーが癇癪を起こすたびにヒステリーで応酬するが、なんだかんだあって結局は仲直り、というのが基本コンセプトだった。男と女ならばごく普通のホームコメディになるところを男二人でやったところがミソだったわけである。映画版も名作だったが、個人的にはランドール&クラッグマンのコンビのほうが好みだった。映画は一発勝負だから背景設定の説明に手間取るところがあるが、シリーズの強みは二回目以降の説明が一切必要なく、すぐにドラマに入っていける点にある。そのおかげで、二人の丁々発止は、実にテンポよく展開されていた。それにこういう「女房」役には、ランドールのような細身の方が似合うのである。 トニー・ランドールはメイキャップの名人でもあって、それがいかんなく発揮されたのが『ラオ博士の七つの顔』だったが、もう一つ、日本未公開でまだ見たことがないランドールの主演作が、アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』である。なんと細身のランドールが口ひげを生やし、名探偵エルキュール・ポアロを演じているのである。原作のイメージとはほど遠く、もしかしたらミス・キャストなのかもしれないが、実際に見られるものなら見てみたいものなのである。どこかで輸入してもらえないものかなあ。
2003年05月20日(火) すっ飛ばし日記/親を崇める子供たち 2002年05月20日(月) もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか 2001年05月20日(日) 念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生Ⅰ』ほか
2004年05月19日(水) |
鬱陶しい雨の日の、鬱陶しい話。 |
今日も終日雨。散歩というか、運動療法ができないので困る。いや、ホント、運動しないとテキメンに体重が増えちゃうのよ。
昨日、私にヘコまされてシュンとしていたトンガリさんだが、あれくらいでメゲるような御仁では元よりない。その程度ですむなら、私ももっと気がラクになってるんである(-_-;)。 上司がどうしてもトンガリさんに直接確認しなければならない要件が、2、3件あったので、まあ、呼ばれるだろうとは思っていたけれども、「付き添い」で(^_^;)、一緒に会いに行く。 予想はしていたが、上司に対してはトンガリさん、毛の先ほどの遠慮もせず、ケンもホロロである。愛想がないどころの話ではない。最初から「何しに来やがったコイツは」という目つきで上司を見るだけならともかく、上司が口を開いて二言三言、言ったかと思うと、「そんなことは私のする仕事じゃありません」と、何のかんのとヘリクツをこねて仕事を回避しようとするのだ。 まあ、そうなるだろうということはこちらも予測していたから、簡単には逃げられないように、理論武装はしてきている。けれど、ただ単に理屈でヘコましても、昨日のようにヒステリーを起こされるだけである。「これはつまりこういうことなんですよねえ?」とあくまでトンガリさんに質問を繰り返し、トンガリさん自身が自分で自分のクビを締めて行くように誘導して行く。結局トンガリさん、自縄自縛に陥って、渋々、「会議を通していたただけるのなら」と言って納得する。でもその会議にアンタが出ようとせんのだろうが、と喉の先まで怒声が出かかったが、そこでまたこじれると話が進展しないので、ニコニコ作り笑いで「よろしくお願いします」と頭を下げて辞去する。 あとで何人かの同僚から「ご苦労様です」と労われたが、こういうやりがいのない苦労は、ホントはご免被りたいのだ。
ここんとこ、特にトンガリさんの切れっぷりが激しいので、ついに支社長に内情を直訴する。というよりは、支社長だって状況は知ってるはずなのに、どうしてこうも仕事サボリまくりのトンガリさんを放置しておくのか、不思議で仕方がなかったので、ちょいとカマをかけてみたのだ。 支社長、「いや、その件はいろんな人から聞いてるんだけどね」と、やっぱり実情は知ってることをポロリと漏らす。けれど、「それについては本人とよく相談しておくから」と、どうも歯切れの悪い返事。なんだかねえ、邪推したくはないんだけど、支社長、トンガリさんにウラで弱み握られてるんじゃないかという気がしてならない。
昨年上演された“ミュージカル”『そして誰もいなくなった』が、再演の運びとか。しかも今度は福岡公演もある! まだ来年2月の話なので、全く鬼が笑っちゃうのだが、ことによると東京まで行かなきゃならないかと覚悟しかけていたので、こちらで見られるというのは嬉しい。来年まではなんとしても生きていなきゃなあ。 キャストは殆ど前回公演と変わらないが、うえだ“服部半平”峻さんが新キャストでミスター・ロジャース役で出演されるようだ。これも楽しみである。 公式サイトは以下の通り。
http://www.soshite.jp/
国語学者の金田一春彦先生が、本日、クモ膜下出血のため死去。享年91。 ブンガクブ出身で、多分一般の人たちに比べればそのご著書に触れる機会も多かったと思われる身にしてみれば、金田一先生はどうしても「先生」という敬称をつけて呼ぶことしかできない。 保守的なのが普通の言語学者の中にあって、「言葉は時代とともに変遷する」ことをより肯定的に捉え、「ら抜き言葉」も「可能の助動詞」として許容していた。実は夏目漱石にも「ら抜き言葉」があることを指摘されていたのも金田一先生の著書で知った。私は必ずしもその主張に諸手を挙げて賛同を示したいとは思わなかったが(「ら抜き言葉」は便利ではあっても必要なわけではないと思うからである)、金田一先生の柔軟な思考には尊敬の念を抱いていた。 金田一先生に関して、私が好きなエピソードが二つある。 一つは「石川啄木」に関するエピソードで、ご承知の通り春彦先生の御父君、金田一京助氏は啄木の親友だった。しかし放埓な啄木は遊蕩に金を使い果たしては京助氏のところに借金を申しこみにやって来る。これを京助氏は同郷のよしみで絶対に拒まない。けれどあまりに遠慮のない啄木の借金ぶりに、幼少のころの春彦先生は、てっきり自分の父親の方が「取り立てられている」と勘違いしていたそうだ。こんな御父君の優しい人柄が、そのまま春彦先生の人柄にも伝わっているように思う。 もう一つ、春彦先生の優しさを表すエピソードが、あの「金田一耕助」の生みの親である横溝正史にまつわる話である。やはり御父君からその探偵の名前を勝手に拝借していたことをずっと気に病んでいた正史氏は、京助氏の生前、機会はあったにもかかわらず、一度も京助氏と会おうとしなかった。そのことを聞いた春彦先生は、人伝に正史氏に「いえ、あなたのご著書のおかげで、私の名前がちゃんと“キンダイチ”と呼んでいただけるようになりましたから」と感謝したというのである。 実はこのエピソードは御父君の京助氏のものだ、という説もあるのだが(何しろ、正史自身がエッセイで「京助」説と「春彦」説の両方を披露しているのである)、どちらでもかまわないように思う。金田一耕助の飄々とした人物造形には、親子揃って、金田一先生の人柄もいささかは影響しているように思うから。 数年前、機会があって、金田一先生にもお会いできるはずだったが、既に体調を崩されて叶わなかった。返す返すも残念でならない。
2003年05月19日(月) すっ飛ばし日記/あるものが見えない女 2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか 2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)
2004年05月18日(火) |
トンガリさん、更にトンガる! ……とほほ(T.T)。 |
しげ、夕べは(というより今朝は)、帰宅がえらく遅かったらしい。 朝、いつものように車で職場まで送ってもらおうと思っていたのだが、「薬が効いててヤバイ」と言うので、タクシーで行くことにする。 ところが、拾ったタクシーの運ちゃんが、エライけばいおばちゃんであった。髪はトグロウンコのように盛り上がって簪が2、3本、グサグサ刺さっている。耳からはキンキラキンのリングが二重になってぶら下がって、車がカーブするたびにチャリンチャリン音を立てている。それはともかく、たまらなかったのは、車の中に充満していた安香水のツンと来る匂いだった。今時のタクシーの運ちゃんは、客のことを気遣って、男だって煙草を吸わなくなっているというのに、密閉空間でこんなにキッツイ香水をつけるとはいったいどういう了見なのか。会社はこんなの何の問題もないと考えているのか。それともこのおばちゃん、異様にワキガが臭いので、それをゴマカすために香水つけてるのか。 でも、運転そのものは普通だった。
昨日、トンガリさんをかなりトンガラせちゃったので、今日はどうなることかと思っていたが、いろいろと「暗躍」されていたようである。 同僚の一人が私を急に呼びとめて、「トンガリさんのことですけれども」(←もちろん、実際にこんな呼び方はしていないのだが、便宜上、「トンガリさん」のままで通す)と声をかけてきた。 「トンガリさんがどうしましたか?」 「先ほど、私に声をかけてきまして、××の件について、『自分が正しい』ことを証明してくれ、と仰るんですよ」 「それで、どう御返事されたんですか?」 「証明するも何も、××の件については、私は全く知らないことですから」 そうなのである。昨日もトンガリさんは、この同僚のことを挙げて、「自分が正しい」ことを主張していたのだが、この方は××の件には一切関わっていないので、何を証明することもできないことは最初からわかっていたのだ。 しかも昨日、トンガリさんはこの同僚の名前が思いだせなくて、「ほら、○○部のあの人」なんて言い方をしていたのである。同僚の名前も思い出せなくなっているくらい脳がイカレてきているのに、どうして自分が絶対正しいと断言できるのだろう。いや、イカレてるから思いこめるのか。 ともかく、何の関係のない人まで巻き添えにするようでは、さすがにこのまま放置しておくというわけにはいかない。本人が「間違っている」ことを何としても認識してもらわなければならない。意を決して、資料をかき集めて、トンガリさんに談判に行く。まあそれから書き記したくもない丁々発止のやりとりがありはしたのだが、そこんとこはもう書くのもツライから省く。 私の説得に不満そうな表情のトンガリさんではあったが、今日、散々「味方」を探してあちこち走り回って、誰も自分の相手をしてくれないことを実感したのだろう。「私が正しいはずなのに」と愚痴を呟きながらも、最後には資料の訂正を渋々認めた。 けれど、これでトンガリさんが懲りたとは思えない。これまでにも自分のミスを他人のせいだと濡れ衣を着せてきたことは多々あるのだ。どうせ今回の件もじきに自分の中で脳内変換して、都合よく事実を捻じ曲げて記憶するのに決まっている。似たような諍いはこれまでもあったし、多分これからも続くのであろう。 ……家族がいないらしいからなあ。病院に連れてってくれる人も身近にいないわけだ。できれば自分から自分の異常に気がついて、病院に行ってくれると助かるんだけれども。
帰りはしげが迎えに来てくれる。まあ、朝送れなかったお詫びみたいなもんだけれども。 しげは職場のメニューを元になにやらパソコンで作らなければならないものがあるといことで、仕事を持ち返っている。その間、私はパソコンが使えないので、DVD‐Rの整理など。晩飯はもう書いても仕方がないが、やっぱりうどんである。一応ちょっとだけ違うことを書けば、上に乗せたのは、コロッケではなくてメンチカツだった。たいした差はないか。 テレビで漫然と『ぴったんこカンカン』を見ていたが、ゲストは泉ピン子。この人も妙に持ち上げられるようになる前は好きだったんだがなあ。橋田ドラマに出るようになってから、転落していったと思う。 若いころの方がやっぱりずっと芝居も上手かったし、美人だったよなあ、と思うのである。「美人」ってのは人柄なんだからね。
カンヌ国際映画祭で初上映されたマイケル・ムーア監督の新作映画『華氏911』に、あの三馬鹿のイラク人質事件の映像が使われていたとか。例の、脅迫に使われたナイフを突きつけられ脅されているテープである。 ところが、どういう文脈で使われていたのか、その肝心なことをニュースは説明してくれていない。だからこの事実を知らされても「ふーん」としか言いようがない。「何のためのニュースなのか」よく分からないのである。 単純に「三馬鹿の映像が使われたことが珍しい」というだけの意味なのか、そうでなければもうちょっと具体的に説明があつて然るべきである。この、「ともかく三馬鹿」な報道の仕方はいい加減でやめないかな。批判するなら批判するで、報道する方にもちゃんとした「文脈」が必要だと思うんだけれどもねえ。
気がつくのが遅れたのだが、評論家小林秀雄の妹さんで、『のらくろ』のマンガ家田河水泡の奥さん、高見沢潤子さんが、12日、老衰のため、横浜の老人ホームで亡くなられていた。享年99。小林秀雄も田河水泡も、わりと長生きな方だったが、99歳で老衰というのは充分人生をまっとうなされたのだろう。お兄さんやご主人について書かれた随筆くらいしか読んだことはないが、このお三方の悠揚たる人柄が伝わってくる、優しい味わいのものであった。戦時中、『のらくろ』が時勢に合わぬとの理由で(戦争マンガなのに)連載が打ち切られた時の田河さんの落胆ぶりを書く時も、同情を誘うような筆致ではなく淡々と書いていらっしゃった。こういう文が書ける人が随分少なくなったものだと思う。
2003年05月18日(日) すっ飛ばし日記/やっぱリ肉食う女 2002年05月18日(土) 世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか 2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)
2004年05月17日(月) |
トンガリさん、切れる! |
さて、またまたトンガリさんの話である。 予想通り、会議にはやっぱり出席しなかったんだけれど、「病院に行く」と言って出勤したと思ったら、二時間もしないうちにさっさと帰ってしまったのである。でも、会議がある日ばかり通院しまくってるのはどういうわけなんかいな。 いなきゃいないで、口出ししなけりゃいいのだが、帰りしなに私を呼びとめて、上司の仕事の不備をいろいろとあげつらうのである。そんなん聞きたくもないのだが、喋り出したらもう止まらない。 「この件につきましては、私が申し上げることじゃないのですけれども、誰かにお伝えしておきませんと、いつまで経っても放置しておいてはいけませんでしょう?」 もちろん、その仕事は、この人が拒否しているので仕方なく上司が引き受けているのである。二つも三つも仕事を抱えこまされていたら、そりゃ滞ることもあろうってもんだし、もともと他人の仕事なんだから後回しにされてしまうのも仕方がない面がある。それをまあ、よくこんな好き勝手な言い草ができるものだ。自分が正しいと思いこんでる人間はどこまでもこの調子である。 でも、脳がどうかしてる人間だから、何か言ったところで何かがどうにかなるわけでもない。それでも言われっぱなしなのはどうにも業腹なので、かねてから気になっていた(でも言ったって改善してはもらえないだろうなと思っていた)トンガリさんのある仕事についての「思い違い」について、「そう言えば、あれは○○さんのミスですよねえ?」と、つい言ってしまった。 ……あああ、なんで私は自分から地雷を踏みたがるかなあ(T∇T)。 もちろんその後のトンガリさんのヒステリーをなだめるのに、ちょっと手間がかかってしまったのである。 「私は間違ってません! 私はちゃんとやってます! 絶対です! ちゃんと○○さんも○○さんも証人です!(もちろん全くこの件には無関係な人で、トンガリさんの妄想である)」 あまり口にはしたくなかったが、もう言っちゃうぞ。誰かこの人、病院に連れてって(T.T)。
俳優の三橋達也氏が15日、急性心筋梗塞のため死去。享年80。 特撮ファンには『ガス人間第一号』での主演、岡本刑事役や、『奇巌城の冒険』(原作は『走れメロス』!)の王役が一番親しみを覚える役柄だろうか。 ミステリファンにとっては土曜ワイド劇場の「十津川警部」シリーズ、ということになるのだろうが、この10年ほどは殆ど引退状態だった。最後の作品あたりは老残ぶりがかなり目立っていたから、仕方がなかったのだろうけれど。渡瀬恒彦の十津川警部と比べると、かなり飄々とした印象で、私は三橋さんの方がヒイキだった。 三橋さんは実はもう一人、ある名探偵を演じている。『大東京四谷怪談』での墨野朧人であるが、まだ『仮面よ、さらば』発表前であったにも関わらず、その謎の人物の正体に気付いていた人たちは、「三橋達也じゃミスキャストだろう」とみんな口を合わせて言っていた。原作シリーズをお読みになればご理解いただけようが、もっとキザったらしい人が演じないと、朧人のキャラには合わないのである。けれど、近○正○に演じさせたら、一発で正体バレちゃうから、これもまた致し方なかったと思う。 アクション映画ファンには何といっても『国際秘密警察』シリーズ。このときの三橋さんは、ともかくスタイルのよさが目立っていた。すっくと立つとそれだけで相当な美男子なのだが、キリリとして見せても、どこか照れたように斜に構えるところがあって、独特のエロキューションのセリフ回しとともに、何となくすっとぼけた味わいを醸し出していた。いわゆる「フラがある」というやつだろう。何しろ戦争ものに出演しても、三橋さんの出演シーンだけはほのぼのしてしまうことが多かったくらいなのだ。ウディ・アレンが『鍵の鍵』を“What’sup Tiger Lily?”に改作したのも、三橋さんのそんな持ち味のファンだったからだ、と思いたい。 もちろんそういう「軽み」のある人だったから、悲劇的な役どころだとより一層、その無念さ、切なさが見る者の胸を打っていた。黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』や、岡本喜八の『遊撃戦』もそうだったし、何と言っても、あの市川崑監督・夏目漱石原作の『こころ』のK(映画では「梶」)は三橋さんなのである。未見の方は、ビデオででもぜひ御覧頂きたい。夏目漱石の代表作で、何度か映像化されてはいるが、決定版は紛れもなく三橋さんのそれである。 「善人」が絵になる三橋さんだったから、『天国と地獄』での“悪役”ぶりは特に際立っていた。私の三橋達也ベスト・アクトを選ぶとなると、やはりこれになる。 80年代以降、映画からやや離れていたが、ここ数年は、『忘れられぬ人々』『Dolls』『CASSERN』と重要かつ印象的な役に恵まれた。昨年、御夫人の安西郷子さんに先立たれ、後を追うようなご逝去だった。今頃はご夫人をサカナに、ずっと引き立ててもらっていた三船敏郎さんと、酒を酌み交わしているかもしれない。
平成16年度(第28回)講談社漫画賞が、以下のように決定。 【児童部門】『ウルトラ忍法帖』シリーズ(御童カズヒコ/掲載誌「コミックボンボン」講談社) 【少年部門】『遮那王―義経―』(沢田ひろふみ/掲載誌「月刊少年マガジン」講談社) 【少女部門】『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子/掲載誌「Kiss」講談社刊) 【一般部門】『バジリスク ~甲賀忍法帖~』(山田風太郎・原作/せがわまさき・漫画/掲載誌「ヤングマガジンアッパーズ」講談社刊) 上の二つは読んだことないけど、下の二つはバンザイしたいくらいに嬉しい結果である。『のだめ』は時間経過が現実のそれと一致しているので、早晩終わっちゃうことが予測されるし、『バジリスク』は原作つきだから、これも予め長さは決められている。受賞するチャンスはまさに今しかなかったわけで、嬉しいのとと同時にホッとしてもいる。 それにしても、小学館漫画賞は結構他社のマンガに賞を与えることが多いのに、講談社は身内ボメが多い。せっかくの賞の価値が落ちちゃうから、一つくらいは他社の作品入れてやりゃいいのに、と毎回思うんだけれども。
2003年05月17日(土) すっ飛ばし日記/時計だけ見る女 2002年05月17日(金) 追悼、柳家小さん/映画『モンスターズ・インク』/『カスミ伝△』2巻(唐沢なをき)ほか 2001年05月17日(木) 少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか
2004年05月16日(日) |
「替え歌」の方しか知らないってこと、あるよな。 |
ミーティングがあるので、「朝7時に起こせ」(←命令口調)と、しげに頼まれていたので、夕べは徹夜して朝まで起きてようかと思っていたのだが、疲れて11時には寝てしまった。けれど、目覚ましを仕掛けていたわけでもないのに6時にちゃんと目が覚める。考えてみたら、7時間は寝ているので自然に目が覚めるのも当たり前なのてある。しげのように14、5時間も平気で寝ていられるという方が異常なのだ。 しげを起こして外に叩き出したあと、パソコンでコンテンツの記事を書きながら、朝のテレビを見るともなしに見る。『デカ』も『剣』も、最近どうもイマイチ燃えない。 『題名のない音楽会21』が始まって、突然モンティパイソンの「ランバージャック・ソング」のメロディーが流れてきたので、「えええっ!?」と思って画面を見ると、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の“手を取り合って”をデュエットしているのだった。……そう言えば、これが「原曲」だったよなあ(^_^;)。どうも先にパロディやら替え歌を知ってしまうと、原曲を聞いてもそちらのイメージの方が先に立ってしまって、笑ったりして申し訳ない限りなのである。 似たような例で言えば、私は、ベートーベンの『歓喜の歌』を聞くたびに、「しーごとおさめだ、しょーがつちーかいー♪」という「きつねどん兵衛」のフレーズが浮かんできて困る。これもかなり古いCMソングになっちゃって、若い人は知らないだろうけど。 しげもこないだ、なんかそういう例を言ってた気がしたが、忘れた。 みなさんも、そういう例ってありませんか?
『レジェンズ』は、引きに引いたディーノがようやく登場。でも、どうももう一つ魅力に欠ける印象。もうキザで金持ちでってキャラ、散々見てるからなあ。でもディーノとマックがなんとなくアヤシそうな関係になりそうなのはまさかこんな子供向けアニメにまで「ボーイズ」の影響が……?(^_^;) しかし、ディーノが出りゃ、少しは展開が変わるかと思ったけど、そうでもなかったんで、正直拍子抜けしてるんである。ゲームものだし、マンガはジャンプ系だし、人気はあるんだろうなあ、これ。まあまあ面白いんだけど、だからと言ってのめりこむほどにはなれない。私は「ちょっと買ってる」程度の大地丙太郎監督、一部にはやっぱりカリスマ的人気があるようだけれど、ギャグの甘さと、やっぱりつい「お涙」に流れるドラマの弱さ、ファンは気にならないんだろうか(『今、そこにいる僕』あたりを想定してます)。多分、40代の人間にはアマアマでそんなにハマれないと思うんだけれど、どの世代までなら「許容」されてるんかなあ。 もっとも、本気で『レジェンズ』を出来が悪いと思ってるわけではない。いや、子供には充分楽しいアニメだと思う。ただ、昨日の「アニメグランプリ」でも感じたことだけど、私にとってはもう「食い飽きてる」ものでも、若い人にとっては「初めて」なんだから、新鮮、と感じるのも仕方がないよなあ、ということなんである。それが「悪い」と言いたいわけではない。 しかし、たとえ同じような、似たようなアニメが延々と作られようと、それはやっぱり我々の世代が享受して来たアニメとは似て非なるものになっているはずだ。その価値がわからないのは、アタマが固くなっている証拠なのである。かと言って、40代の中年オヤジに別に「ボーイズ」とかに共感しろと言われたって、それはちょっとムリな話なんで、「溝」は「溝」として若い人にはガンコな年寄りの存在も許してはもらいたいのである。 ……誰ぞも言うとった。 「たとえ毎日が、限りなく同心円に近い軌跡を辿ろうとも、全体としてはやはり新たな地平を目指すはず。先のことは誰にもわからぬ」 さて、誰のセリフでしょう?
ここんとこ、コンテンツの更新がなかなか進まなかったが、ちょっと頑張って、見た映画を三つ程書く。たいした内容でもないのに、よう長々と書いてるなあ、と呆れてる方もいらっしゃるだろうが、たいした内容じゃないからこそ、プレッシャーもなく書けるのである。 実はこう見えても(ネットだから姿は見えないけど)、私は、プレッシャーには人一倍ヨワイ。いい文章を書こうとか、面白く書こうとか、妙なイロケを出すと、テキメンに書けなくなってしまう。 だから私の場合、芝居の台本を書くのが一番苦しい。一行書いちゃ、「ああ、こんな魂のこもってない台詞じゃ、客は引く」と頭を抱えては消し、昨日書いたギャグが一日経つと凄くつまらなく感じられて落ち込み、気がつくと、衣裳棚からトレンチコートを取り出し、襟を立てて寒風吹き荒ぶ街中をフラフラと彷徨い、ふと停車場のベルの音に誘われて列車に乗りこみ、あてどもなく、ただひたすら北へと向かうのだ。そのとき、私の頬は涙に濡れている。ウソです。 それはそれとして、今んとこ、読んだ本、マンガ、見たアニメ、殆ど書けない状態が続いているが、日記にも何度も書いてる通り、本職の方がクソ忙しいのが理由なので、週に一つ二つの更新しかできなくてもカンベンして頂きたいのである。……明日も会議があるんだけど、どうせトンガリさんは出ないのだろうな。でもきっと会議の内容についてあとからブチブチブチブチと難癖をつけてくるに決まっているのだ。ああ、想像しただけでケイレンが……(T∇T)。
しげの帰りは午後9時過ぎ。 練習がえらく充実していたらしく、「台本1ページくらいしかやらなかったけど、進んだよ!」と言う。役者がノッてるからと言って、それが客から「見られるもの」になってるかどうかはわからないが、少なくとも「ノッてない」芝居よりはよくなってることは間違いなかろう。 こないだ練習を見たあとで、私がしげに、「鴉丸さんのこのへんのセリフは、もうちょっとこんなふうにすればいいんだがなあ」と言ってた部分があるのだが、特にしげがそのことを持ち出したわけでもなく、今日の練習で鴉丸嬢はセリフを「そんなふうに」変えたそうである。役者としての「カン」が働いている、ということなのだろう。やるじゃん。 プレッシャーがかからない程度に、期待したい。
2003年05月16日(金) すっ飛ばし日記/魔界な男たち 2002年05月16日(木) で・じゃ・ぶぅ/DVD『アードマン・コレクション』 2001年05月16日(水) 鳥頭の女/『文鳥様と私』2巻(今市子)
2004年05月15日(土) |
遅れ馳せながら今年の「アニメグランプリ」。 |
今日もまた雨。 朝から映画に行く約束をしていたのに、鬱陶しいったらない。けれど別の日に延期するとまたしげと時間が合わなくなるし、今日の映画は事前に前売券を買っておいたので、今更中止は出来ないのである。なのに、朝起きてみると、しげが目の下にクマを作って、ゼイゼイ荒い息を吐いている。いったいどうしたんだと聞いてみると、また緊張して眠れず、一晩徹夜してしまったのだという。 「薬飲んだら眠り過ぎちゃうし」 って、それで眠れなかったら意味ないじゃん。つくづく自分のコントロールが出来ないやつである。 フラフラのしげを連れてくわけにはいかないので、夕方まで寝かしとくことにする。 その間、本を読んだり、私も映画中に居眠りせぬように昼寝。 夕方4時、しげを起こして天神まで出かける。映画が始まるのは6時だとしげから聞いていたので、いつも通り、現地に早めに着くようにした。上映の1時間半も前というのはいくらなんでも早すぎる気がするが、超せっかちの焦りんぼであるしげは、これくらい早くないと安心できないのである。 ところが、親不幸通りに着いて、目的地のシネテリエ天神で時間を確かめてみると、映画の始まりは6時半からであった。 ……さすがに2時間も早く出ることはなかったよなあ。しげに時間の確認をさせたら、これだから(-_-;)。
時間潰しのために、アニメイトに寄る。たまにしか来ないが、来たら来たで欲しいグッズが結構出てるものだ。垂涎垂涎。けど給料日前だから財布からはヨダレも出ない。 前回来たときより格段に増えてるのは『鋼の錬金術師』グッズ。いきなりワゴンにコーナーができていて、バッジやらハンコやらクリアファイルやらの定番もの、そこだけでも収まりきれずに別の棚にもはみ出している。驚いたのはエドワード・エルリックのあの真っ赤なコートのコスプレ用衣装を売ってたこと。なんと38000円もする。 「スゲエな、こんなん着たがるやついるんかな」と笑っていたが、しげが突然「これ欲しい!」と言い出した。 「欲しいって……いつどこで着るんだよ」 「外で着ないと意味ないやん」 「着て歩けるか? これ」 「そりゃ、知り合いには見せられないけど」 「……知り合いじゃなきゃ見せられないだろう、さすがに」 もちろん財布にそんな金は入ってないので買いはしなかったのだが、売りきれない限り、近々ソイツをしげに買わされそうな気配である。……って、ホントかよ(@_@;)。
まだ時間が余っていたので、モスバーガーに寄って、アニメイトで買った『アニメージュ』6月号を立ち読み。昨年のアニメグランプリは、予想通り『ハガレン』が6部門制覇。『ガンダムSEED』をふっ飛ばしてのベストワンは実に嬉しい。そう言えばその昔、『ガンダムW』を『エヴァンゲリオン』が蹴飛ばしてくれた時も喚起の声を上げたっけ。 一応、ベストテンを上げておくと以下の通り。 1,鋼の錬金術師…………………4545票 2,機動戦士ガンダムSEED……2745票 3,ゲットバッカーズ奪還屋…….. 627票 4,最遊記RELOAD……………… 297票 5,宇宙のステルヴィア…………… 276票 6,犬夜叉…………………………… 261票 7,D.C.ダ・カーポ………………… 198票 8,テニスの王子様………………… 192票 9,PEACE MAKER 鐵…… 183票 10,NARUTO…………………… 179票 票数を見る限り、人気はハガレンとシードに二極分布していて、あとは、順位はさほど関係がない感じだ。 『アニメージュ』の購買層は今でも中高生の女子が多いのだろう。そういう子たちと四十男の私との趣味が一致するはずもないし、一致してもそれはそれで困ってしまうのだが、アニメファンの「浸透と拡散」は年々広がる一方だなあと痛感する。3位以下の作品は、正直言ってチラッと見たことはあるけれども、脚本、作画、演出ともにたいして秀でたところがあるとも思えず、続けて見ようという気が殆ど起きなかったものだ。もちろん私の見た回がたまたまそうだっただけで、シリーズ全体だと面白かったのかもしれないが、これだけ数多くの作品が上映されていると、全てを追っかけて見る気になれるものではない。『ハガレン』のポジションが私と十代の女の子とで一致したというのは、さて、どう判断したらいいものか。 ちなみに、私が昨年のアニメでベストテンを作ればこんな感じになる。 1,クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード 2,鋼の錬金術師 3,東京ゴッドファーザーズ 4,攻殻機動隊SAC 5,茄子 アンダルシアの夏 6,プリンセスチュチュ 7、THE ビッグオー〔第2期〕 8,キノの旅 9,GUNSLINGERGIRL 10,京極夏彦 巷説百物語 次点 魁! クロマティ高校 シリーズものは最低でも10話以上を見て入るものを挙げた。 『鉄腕アトム』とか、あれだけ熱心に見てたのに、ベストテンに入れる気になれなかった。よかったのは最初の数話だけ、全シリーズ通して見ると、余りに愚作が多すぎた。 『ジャングルはいつもハレのちグウ デラックスュ』や『カレイドスター』、『花田少年史』『GADGARD』『キングゲイナー』あたりは、7位~10位あたりと入れ替えても差し支えない出来のものばかりである。 福岡で放映されなかったので見られなかった作品も多いので、昨年は不作だったなんて言うつもりはない。『R.O.D』や『ドッコイダー』は見てみたかった。『冬の日』などはDVDを買おうかどうか迷ったが、気が付いたら店頭から消えていた。買っときゃよかったと後悔している。 しかし、私が好んで見た作品って、『アニメージュ』読者にとってはベスト30にも入らないものばかりだ。アニメは基本的に若い人のものだと思うので、私の趣味はもう完全に傍流になってしまっているのである。やっぱりオタクだなんて、おこがましくて言えないやなあ。
映画は『ロスト・イン・トランスレーション』。 シネテリエ天神はビルの地下にある80人ほどしか入らない小さな映画館なので、初日で休日ということもあってか、ほぼ満席。客層も老若男女、外人さんもいて実にバラエティーに富んでいること。ここんとこ、客層の偏った映画ばかり見ていた気がするから、何となく安心してしまう。映画はたいしたケレンもないが、実に淡々と「異邦人の孤独」を描いていて好ましい。お客さんも概ね満足して帰っていく様子。毀誉褒貶激しい映画も、悪態つきながら帰る客を見ていると面白くはあるのだけれど、毎回殺伐とした雰囲気を味わいたくもないから、こういう映画を間に挟むと随分ホッとするのである。 映画館の外はまだ雨がかなり強く降っている。車を停めた駐車場まで一区画ほど歩かなければならなかったが、その間はしげと相合傘である。でも、しげに握らせた傘がやたら揺れて私の後頭部を打撃するので、あまりロマンチックなムードにはならないのだった。
2003年05月15日(木) すっ飛ばし日記/ベストテンな本 2002年05月15日(水) 目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか 2001年05月15日(火) 本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強)
2004年05月14日(金) |
内憂外患、振り回されてますよ(T∇T)。 |
今日も週明けの準備のために残業。24時間のうち、半分以上職場に詰めてる日の方が普通になってきてるけど、こんなんじゃマトモな家庭生活が営めるわきゃないのである。 その残業の原因となっているトンガリさんであるが、今日もまた以前愚痴ってた苦情をクドクドとしゃべり続けている。いつも通りやたらセンテンスが長い上に目的語がケツラクしまくってるもので何が言いたいのか翻訳するのに時間がかかるのだが、そんな努力をしているうちに、だんだんどうしていちいちこの人の言葉を理解してやらなけりゃならないのだろうか、という気になって来る。どうせピント外れで手前勝手な苦情ばかりなんだから。だいたい仕事こちらに押しつけといて、その仕事ぶりに文句つけるってなあどういう了見なんだ。 新しく転属、入社してきた人に対してもイヤミを言うわつっけんどんな態度を取るわ、ここんとこわがままのし放題なのである。トンガリさんに対する不満や苦情はどんどん増えるばかり、もはやこの人のことをよく言う人は皆無になりつつあるのだが、それでも堂々としていられるあたり、この人、意外とブットイ神経してるんじゃなかろか。
シネ・リーブル博多駅では今、5周年企画として、「猟奇幻想文学秘宝館」をレイトショー上映している。今日は丸山明宏主演版の『黒蜥蜴』の最終日だったので、それを見に行くつもりだった。 ところが、帰り道、バスに乗りこんだところで、しげからメールが来ていることに気付いて開いてみると、「電話が使えないよ?」とある。何のことやら、と折り返し電話をしてみると、「昼頃、ベルが鳴ったかと思ったら、電話が通じなくなった」と言うのである。 「電話だけじゃなくて、ネットもつながらんと」 「どっか、コード足に引っ掛けるとかしたんじゃないのか?」 「それはないよ。だってパソコンから離れたところにいたもん」 「故障なら、なんでNTTに連絡しなかったんだよ」 「だって、ネットがつながらないことなんてよくあるし、もう1回立ち上げたらつながることもあるから」 「でも電話がつながらないのは故障だろう。前にもこんなことあっただろうが、なんで電話1本かけるくらいのことしないんだよ。今からでもすぐかけろ」 「もう仕事に出てるからできないよ」 仕方なく、帰りながら携帯からNTTに連絡を取ってみると、確かにどこかで接続が途絶しているらしい。しかし、実際にどこがどうなっているかは現場に行ってみないと分らないし、今日はもう夜も遅くて対処ができないと言う。 映画に行くことは諦めて、帰宅した。電話本体に故障があるなら私だってどうにも対処のしようがないのだが、ともかく現物を確認してみるしかないのである。 帰宅して、電話の受話器を取ってみる。確かに、ウンともスンとも言わない。モデムを確認してみたが、異常はない。これは本格的に故障なのだろうか。修理するとなるといったいいくらかかるんだろうか。不安に駆られながら、ふと、パソコンの周辺を見てみたら。 思わず目が丸くなった。 電源のコンセントが外れていたのだ。 一瞬、私の目の迷いかと思ったのだ。あれだけ、「どこかコードが抜けてんじゃないのか」としげに念を押して、「それはない」と断言されたのである。まさか、“コンセントが抜けてた”だけ……? 恐る恐る、コンセントをつないでみた。 電話は通じた。ネットも開いた。 結論。しげは糞馬鹿である。いや、わかってたことではあるけれども、ほんの一瞬でもしげの言葉を信じた私はもっと馬鹿だった。こんなことならしげの言葉など無視して、映画に行ってりゃよかった。昔見た映画だから、「見逃した」と思うほどに悔しくはないのが救いではあったが。 帰宅したしげに「コンセントが抜けてただけだったぞ!」と怒ったら、「あれ! 真っ先にコンセントは見たのに!」と言い訳をする。 「だから、いつもの通り、『見た』けど『見えてなかった』んだろ!?」 「じゃあ、いつの間にかコードが抜けたんだ」 「勝手にコードが抜けるか! おまえしかいなかったんだから、おまえがコードを引っ掛けたことに気がつかなかったのに決まってるだろうが! それで自信たっぷりに『自分じゃない』なんて言い訳するな!」 失敗したなら失敗したで仕方がないから、せめて「ゴメン」のヒトコトくらい言ってもいいのに、それが言えずに言い訳してごまかそうとするところがしげの腐ってる証拠なのである。ああ、内でも外でもどうしてこう私の回りには脳の膿んでるやつばっかりなのか。 来月の給料は渡さないからそう思え。
しげのバイト先で、新しく「野菜ジュース」がセットにつくことになったそうなのだが、これが店員さんには頗る評判が悪い。 どうやら、味がどうの、と言うよりも、そのジュースに「野菜の戦士」なんて名前がついてることが問題らしい。ちょっとネーミングセンスに問題があるとか考えなかったのか、大○製薬。 ジュースは2種類あるのだけれど、しげはその色からそれぞれ「赤い戦士」「黄色い戦士」と呼んでいる。なんだか昔武田鉄矢が宣伝していた某うどんの名前みたいだが、しげのボケはその程度では治まらなかった。 「二つ混ぜて、ミドリの戦士にして飲むんだ♪」 ……マジでコケそうになりましたよ、私ゃ(-_-;)。 「……おまえ、今、なんつった?」 「え? 赤と黄色で緑……」 「赤と黄色を混ぜても緑にゃならんわっ!」 「えっ、ホント!?」 コイツには小学生並の知識もないのか(-_-;)。 「じゃあ、赤と黄色を混ぜたら何色になると!?」 「朱色か橙だっ!」 「はあー。」 感心するなよ、こんなことで。
『CASSHERN』の興行収入が20億円に達する勢いだとか。5月13日までの上映期間延長が決まっただけでなく、アメリカを含む世界各国で公開される可能性も出ているということである。アメちゃんは複雑なドラマは苦手だろうから、こういう真っ直ぐなメッセージ映画はそれなりにウケるんちゃうかな。 都内ではイマイチ動員数が伸び悩んでいる『キル・ビルVol.2』と上映館を差し換えているところもあるとか。『キル・ビル』の方も気に入っている私としては、それはそれで複雑な心境ではあるのだが、「ウタダ夫」というだけではこれだけの動員は不可能だろう。やっぱりみんな、あの映画に「感動」しているのである。 コンテンツにも書いた通り、「つまらなくはないが説教臭い」「もう少し刈り込んだら」というのが私の『CASSHERN』に対する感想である。けど、それにメゲない人もいるということであれば、あの映画の時間の長さも押しつけがましさも、あまり気にしない人が結構多いということになる。というか、「説教してもらうのを喜ぶ」感覚が若い観客の中には厳然としてあるんじゃないだろうか。 つまりはそれは人間の「強制的な強権に対して付き従う」性向を利用していることになり、『CASSHERN』が打ち出しているファシズムや戦争に対する反発とは裏腹のものになってしまっていると思うんだけど、そのあたりを気にした指摘があまり見当たらないのはどういうわけなんだろう。
2003年05月14日(水) すっ飛ばし日記/モテる男の心中 2002年05月14日(火) 2001年アニメグランプリ/『ななか6/17』7巻(八神健)ほか 2001年05月14日(月) 今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』
2004年05月13日(木) |
そう言えば梅雨なんだわ。 |
午前中はずっと雨。 おかげで蒸し暑くて、イマイチ仕事に熱中できず。トンガリさんの代行だから、もともと乗り気はしてないんだが。それでも何とか午前中に形をつけたら、殆ど誰の手も借りずにやったからだろうか、上司たちが揃って「ご苦労さまでした」「ありがとうございました」とお礼の言葉をかけてくれる。 ……ってもよう、もともとトンガリさんの仕事なんだから、上司としては、トンガリさんにいかに仕事をさせたらいいか考える方がスジなんじゃねえの? もちろんスジなんか通らない相手だから、徒労に終わることは眼に見えちゃいるけど、それでもやんなきゃなんないのが「仕事」ってもんだろうによう。 今日は更に私の作成した書類がトンガリさんに「不備がある」って言われて突っ返されちゃいました。確かに不備はあったんだけど、だからその書類も本来トンガリさんが作んなきゃなんない書類を私が代行して作ったんだって事実、ちゃんと認識してる?
しげは今日は、昼仕事。夜はゆっくりできるので、一緒に買い物。 帰りにマクドナルドでてりたまバーガーを買って、これが今日の晩御飯。どこかに遊びに行ってもいいなあと思ったけれど、しげも私も金欠病なのでそれは断念したのだった。いや、まだ『ロスト・イン・トランスレーション』見に行かなきゃならないからね、今ムダ遣いはできないのよ。
しげがずっとパソコンを使っているので、ネットの散策もできず。仕方がないので、録画したままラベルも書かずに放っといてたDVD‐Rを整理する。 まだじっくり見てない映画やアニメも多いんだけど、こうしょっちゅう残業が多いんじゃ、見る時間自体、なかなか捻出できないのである。ああ、涙(T.T)。……残業した次の日は、その分早く帰ってもいいとかいう恩情措置は取ってくれないものかな。 先日録画しておいた宮部みゆき×大林宣彦の『理由』をしげが見たがっていたので、DVDの山の中から探し出す。しげと一緒に見ようと思っていたので、これも未見のままだった。テレビ本体の方は乗りかかった船で私がDVDの中身を確認するのに使っていたので、しげはプレステ2の方を使って見ようとした。けれど、機種がどうやら合わないらしくて、いっかな再生できない。しげ、「見れ~ん(TロT)」と泣いているが、そんなこと言われたって私だってどうしようもない。けどおかしいなあ、こないだ何かを録画した時はちゃんと再生できたんだが。DVDによっても再生できるものとできないものがあるのかもしれない。 しげは別に大林宣彦ファンというわけではないのだが、昨今の日本映画の監督が、あまりにヒドイやつが多いので、必然的に大林宣彦の映画に注目しなきゃならなくなっているのである。とは言え、大林宣彦だって、「巨匠」なんて呼ぶ人もいるけれども、そこまで誉めちぎるのもどうかな、という気がしてしまう。なんたって、『瞳の中の訪問者』とか『ねらわれた学園』とかいう“怪作”があるものなあ。けれど私もしげも、山中恒原作の『転校生』や『さびしんぼう』、赤川次郎原作の『ふたり』や『三毛猫ホームズの推理』なんて大傑作があるものだから、どうしても大林宣彦映画には惹きつけられてしまうのである。ああ、あと小林信彦はケチョンケチョンに貶してたけど、誰がなんと言おうが『金田一耕助の冒険』は傑作です(^o^)。『キル・ビル』誉めるんなら、アレも誉めなきゃウソってもんじゃない? 『理由』はまだ私も見てないのだが、大林さんが妙な「イロケ」さえ出さなきゃ、結構いいものにゃなってるだろうと思う。宮部さんも今まで金子修介とか森田芳光とか、ロクな監督に映画化してもらってないから、今度の『理由』が傑作とまでは言わないまでも、「見られるもの」になってくれてればいいと思うのである。
アニマックスで『美鳥の日々』、第1話を見る。主人公の右手が女の子になっちゃうという、すっげぇヤラしい設定をムリヤリ少年マンガのフォーマットにぶちこんだトンデモないマンガなんだけれど、作画が田中比呂人さんなものだから、アクションとかエラいイイんでやんの。見たいアニメがあまり福岡まで流れてきてないし、とりあえず、これくらいは来週も続けて見ることにするかな。
続けてWOWOWで『つかこうへいダブルス2003 幕末純情伝』。映画版では牧瀬里穂が沖田総司をやってたやつだな。「沖田総司は女だった!」という発想は、『風光る!』にも影響を与えてるんかな。 つかさんの舞台は相変わらずエネルギッシュで、見ていて決してつまんなくはないのだけれども、現代の衣裳のままで幕末のドラマをやるというのは、どうなんだか。新機軸、と言ってあげてもいいんだけれども、「現代人に幕末人は演じられないから」って後ろ向きな発想でそうしてるんじゃないかと、どうしても皮肉っぽい目で見てしまいそうになるのである。 広末涼子は熱演してはいるんだけれども、この人の天然っぽい雰囲気は、どんなに一生懸命に演技してもどこか手抜きっぽく見えてしまうので(本人はそんな気はないのだろうが)、絶叫とアクションが命のつかこうへいの芝居には合わないんじゃないかという気がしてならない。特に汗まみれの筧利夫と並ぶと、どうしたって「負けてしまっている」のだ。ああ、こんな時、内田有紀がいればなあ。『飛龍伝』のときの内田有紀は本当によかったんだ。躍動するパッション! 日本語になっちゃいないが、そんな感じだ。あれくらいの体当たり演技じゃないと、筧利夫には太刀打ちできないと思うんだけど、引退しちゃったからなあ。返す返すもああいう逸材を独占しやがったジュン君にはイシをこつけ(=投げ付け)たくなるのである。 広末ファンには悪いが、彼女が引退しても私はあまり惜しいとは思いません。私にとっての広末涼子は、『20世紀ノスタルジア』で始まって、それで終わっているのである。
2003年05月13日(火) すっ飛ばし日記/リズムな男の死 2002年05月13日(月) アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか 2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス
2004年05月12日(水) |
アニメなどニュースあれこれ。『キル・ビル vol.2』も見たよ。 |
クソ忙しい日々が続いて、ニュースチェックを怠ってるうちに、やたらと「ウッソ~ッ!てな出来事が世間ではいろいろと起こってたのである。どこぞの党首の辞任? いや、政治には三面記事的な野次馬興味しか持ってないから。
まずは『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』映画化とか。もちろん監督はトミノ御大なんだけど、いやまあ黒歴史として封印してたはずの『Z』をまた今ごろ持ってくるというのは、いったいどうしちゃったんだかねえ。だいたいどこの誰がそんなニーズを出したのか。トミノさんの脳内人格か。 まさか、これって、続けて『ZZ』も連続して映画化とか、サンライズはそんなこと企んでるんじゃないだろね? 『ガンダム』だけで21世紀も持たせようって腹なのか? あるいは安彦さんに『Zガンダム The Origin』を描かせるための伏線とか……いやまあどうせ「描き残したことがあった」とか、つまんない理由なんだろうけど。ファーストガンダム世代はどうしたって「いや、もうテレビシリーズ(あるいはギリギリ劇場版)で『ガンダム』は完結してるから」と思っちゃうからなあ。
「何を今さら」という「続編」なら、やっぱり前作でキレイに完結してるのに、なぜか『2』が作られちゃう『トップをねらえ!』。 スタッフは、原作・制作:GAINAX、原案&監督:鶴巻和哉、脚本:榎戸洋司、キャラクターデザイン:貞本義行、バスタ-マシンデザイン:いづなよしつね、メカニックデザイン:石垣純哉・コヤマシゲト、フューチャービジュアル:okama、音楽:田中公平、企画監修:庵野秀明。 第1話スタッフは、絵コンテ:樋口真嗣、演出:大塚雅彦、作画監督:貞本義行&柴田由香、それ以降の絵コンテも、第2話:幾原邦彦、第3話:平松禎史、第4話:庵野秀明が担当するガイナックス創立20周年記念作品。まあ、スタッフだけは確かに総力戦に近いねえ。でも前作の実質的な脚本家である山賀博之さんの名前がないのはどうしてかな? キャストは、主人公・ノノに福井裕佳梨、お姉さま・ラルクに坂本真綾、ライバル・チコに沢城みゆき。すごく売れセンな人を使って「萌え」を狙ってるわけでもなく、かと言って超ベテランなわけでもなく、ちょっと「ビミョー」な感じなのがいかにもガイナックスらしいか。 これも、誰が望んで立ちあがった企画だかわかんないあたり、期待していいんだか悪いんだか、それこそ「ビミョー」。でも前作はともかく大好きだったから、DVDが出たら買うとは思うけど。
もう一つ、特撮系では、実相寺昭雄監督の新作が製作決定。江戸川乱歩シリーズ第三弾だけれど、なんと題材は『鏡地獄』。原作に名探偵明智小五郎は登場しないが、映画では脚色が加えられて探偵モノとして映像化。けれど演じるのは前作までの嶋田久作に代わって、浅野忠信。……これもどんな出来になるかちょっと見当つかんね。 映画は『鏡地獄』を含んだ4人の監督作によるオムニバス形式で、総タイトルは『乱歩地獄』となる模様。その内容は以下の通り。 (1)「火星の運河」(竹内スグル監督、主演・浅野忠信) 男(浅野)は暗黒の森を歩きつづけている。やがて現れた沼で、ふと自分の体を見ると、恋人とそっくりな雪のように白い女の肉体となっていた。 (2)「鏡地獄」(実相寺昭雄監督、主演・成宮寛貴) 昭和24年ごろの鎌倉が舞台。女たちが次々と変死をする事件が発生。捜査を進める明智(浅野)は、事件の陰に美青年・透(成宮)の存在があることに気づく。透がかかわった女は必ず、彼の虜(とりこ)になっていた。 (3)「芋虫」(佐藤寿保監督、主演・松田龍平) 屋根裏に潜む平井太郎(松田)は戦争で両手両足を失い胴体だけになった須永中尉(大森南朋)とその妻(岡元夕紀子)の生活をのぞいている。愛と残虐性が混在した、その生活の行方は? (4)「蟲」(カネコアツシ監督、主演・浅野忠信) 征木(浅野)は異様なほど内気な男。親の遺産で、土蔵の薄暗い部屋でひっそりと過ごしていた。あるとき、少年時代にあこがれた女と再会し、ストーカー行為を続ける。やがて、女を完全に自分のものにしようと思い立つが……。 乱歩のこれまでにあまり映像化されたことのない短編に着目したのは慧眼だと思うが、ストーリーラインを見る限りではちょっと脚色が過ぎるようにも思う。『鏡地獄』って、もっと「引きこもり」なヤツの話なんで、だからこそ乱歩らしいんだけど、ムリヤリエロに持っていこうとしてないかな?
ほかにも、『鋼の錬金術師』が米カートゥーン・ネットワークでの放映が決定とか、『Xメン3』にハル・ベリーが出るのを渋ってるとか(つか、二つ返事で出演を許諾したの、ジーン・グレイ役のファムケ・ヤンセンだけだって。作れるのかよ、ホントに)、『マトリックス』のラリー・ウォシャウスキー監督が性転換してリンダ・ウォシャウスキーになったとか、どうコメントすりゃいいんだかってニュースも目白押しである。世の中、落ちついた日々というものはないものなのかねえ。
で、やっぱりこういうニュースに紛れて、やりきれない訃報も続いている。 『プリンセスチュチュ』の主題歌などで知られるシンガーソングライター、女性デュオ「メロキュア」のメンバーの岡崎律子さんが、5日に敗血症性ショックのため死去していたことが今日になって判明。享年44。早すぎるよ、いくらなんでも。あんなに澄んだ声で、切ない感情を聞く者一人一人の心に直接語りかけて、かと言って決して悲しみに堕することなく優しく歌っていた人を、私はそうは知らない。哀しいというよりも悔しい。もしも神がいるのなら、彼女のその声に嫉妬して、地上から取り上げたのだとしか思えない。神はやっぱり非情で残酷だ。 『チュチュ』の主題歌の『Morning Grace』と『私の愛は小さいけれど』は本当に好きで、男声で歌うのはまわりの顰蹙を買うとわかっていても、カラオケで何度か歌った。でもこれからはもう歌えない。歌う気になれない。……グータロウくん、君が今借りてる『チュチュ』のDVDの声の人、もう、二度と聞けないんだよ。最後まで心して見るように。 岡崎さんの、その魂の安からんことを。
昨日の夜、日記を書いたあと寝付かれずにテレビを点けたら、ちょうど新作『鉄人28号』の第五回をやっていた。……『鉄人』のリメイクっていうより、ありゃ、今川泰宏監督の『ジャイアント・ロボ』のリメイクだねえ。絵柄自体は旧作のレトロな雰囲気出してるけど、鉄人がオックスに踏まれて眼が日野日出志みたいになったり、不乱拳博士と、モンスターが実は親子で……なんて辛気臭い展開は横山光輝じゃないよ、手塚治虫だよ。そんな話にするなら何も昔の絵柄に拘る必要はないよ。原作通りにやるつもりなら、もったいぶった演出は避けてもっとストレートにやって欲しいもんだ。
今日は、仕事が終わって(早く帰るつもりが、やっぱりトンガリさんが仕事をほっぽらかしてさっさと帰ってくれたせいで、残業しなきゃならなくなった)、しげと待ち合わせ、キャナルシティAMCでやっと『キル・ビルvol.2』を見る。 たいていの客がVol.1でタランティーノの「やり口」には慣れてしまっているのだろう、謎の中国人導師が出て来てもあまり驚いたり引いたりしている雰囲気はない。けど、レディースデイで女性が多い中、映画が終わって回りを見渡すと、満足げな顔をしている客は1作目同様、殆ど見かけない。「まあこんなもんか」とか「C級以下」なんて声も聞こえて来る。こういうデタラメ映画(断じてバカ映画ではない)の面白さってのは、普通に映画を見たいと思ってる人にはやっぱり異質過ぎるんだろうなあ。もちろん私もしげもこういうのこそ「大好き」なんである。世界観がまるで不統一なのだって、『ストリートファイター』とかのゲームに慣れてりゃ今さら目くじら立てんでもいいと思うんだけどね。
帰宅してしげに焼肉を食わせてやる。 最初は牛丼にしてやろうと思っていたのだが、そうしげに言うと、「牛丼は卵かけたりして軟弱だから嫌い。焼肉は焼肉だけがいいの!」だと。 言う通りに普通の焼肉にしてやりはしたけど、「卵とじ」って軟弱なんですか? よくわかりません。(―∇―;)
2003年05月12日(月) すっ飛ばし日記/帰らない男 2002年05月12日(日) 懐かしき人々の狂乱 2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)
2004年05月11日(火) |
ホントに午前様になっちゃったよ(-_-;)。 |
……ウチに帰りついたの、1時だよ。 11時まで残業で、バスはもうなくなってるから、歩いて山越えて来て1時間半、あんまり腹が減ってたんで、しげの店に寄ってメシ食ってたらこの時間だ。 今日やったあの仕事もこの仕事もね、全部トンガリさんの代理仕事なんだよね。こんなムダな仕事さえしなけりゃ、自分の本来の仕事だけ片付けて、さっさと定時に帰れているのだ。なのにご本人ときたら、平気な顔して定時に帰ってくれてやがんだもんなあ。……キレるぞ、オレ。(⌒―⌒メ)ピクピク。 えいくそ、明日は残業なんてゼッタイせずに、映画に行くぞ。 もう日記書いてる時間なんてねえや。今日はこれでもう寝る。さいなら。
2003年05月11日(日) すっ飛ばし日記/ギャグで怖がる女 2002年05月11日(土) つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか 2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)
2004年05月10日(月) |
いそがしいそがし。&ゴールデンウィーク映画興行成績。 |
抱えこんでた仕事のシメキリが一気にずどーんと来た。 いやもう、忙しいの忙しくないのってないっスよ(★o☆)、また焦ってたらいきなりパソコンがフリーズして強制終了、打ち込んでたデータが「ほや~ん」と消えるし。マジで「ひいいいいい!」って楳図悲鳴上げたよ(T∇T)。 アレが終わったらコレ、コレが終わったらソレと次から次へと仕事が舞い込んで来るものだから、ひと息つくヒマすらない。いつもの運動する時間も取れないし、トイレに行く時間すら惜しい。ちょうどベンピで助かった。 昼休み返上で働いても仕事は片付かず、結局、夜8時過ぎまで残業。それでも明日に持ち越した仕事がアレとコレと残っていて、まず確実に明日も居残り決定なのだ。……つか、本気で明日までに片付けないと、水曜日はしげと映画に行こうと約束してるので、明後日も居残りなんて事態にはゼッタイしたくないんである。ああ、トンガリさんの代理仕事さえなけりゃあねえ。 そのトンガリさんは今日も休み。欠勤の理由はこちらにまで全然伝わって来てないので、既に「入院したんじゃないか」とウワサが立っている。もちろん何科かは言わずもがな。口さがないけど、コレがみんなの願望になっちゃってるところが人間社会のコワイところである。私もあまりチックが目立つようになっちゃうと、そういう眼で見られるようになるよなあ……って、トンガリさんが来てないと、どんなに忙しくてもチック起こらないんだよっ! まあ、それはそれとして、人の仕事まで引き受けてるせいで、本気でクソ忙しい毎日が続いてるんだけれども、オソロシイことに、ウチの職場で一番仕事ラクしてるのは、なんと私なのである。 昨年病気して入院した関係で、閑職に回してもらえたのだが(降格も減給もされてないので。あくまで職場の恩情である)、それでもこれだけ忙しくなる。当然ほかの同僚はもっと忙しくて、9時10時居残りどころか、寝泊りして仕事片付けてる方もズラッといる。8時に帰れるなんて、幸せなほうだから、あまり文句言ってちゃいられないのよね。 ぶっ草臥れて足取りもフラフラ、夜目の利かぬ目で、道路のデッパリに躓いてしまう。テブってた時なら、そのまま転んでケガしてたとこだろうが、以前よりかなり体重が落ちているので、よろけただけで済んだ。やっぱりデブは諸悪の根源である。 帰宅してメシを作る元気もないので、マクドナルドでてりたまバーガーを買って、バスの中でぱくつきながら帰る。これでまたデブりそうだが、たまにはコッテリしたものが食いたくなるのだ。帰りつくのはどう考えても10時前、しげはとうに仕事に出かけているだろう。今朝がた、ゴミ捨ての日だから一緒に捨てに行こうと約束していたのだが、それもどうやら無理っぽい。携帯からメールを打って、「ゴミ捨てどうする?」と聞いてみたら、何と「いくつか捨てたよ」とすぐさまの返事。 あの、家事嫌いのしげが! と思ってビックラこいたのだけれど、メールの文面、よく見ると、「あんたの捨てる分は残してるから」。……ええ、ええ、捨てましたとも。大袋が四つも残ってたから。
先週、ゴールデンウィークの映画の興行成績トップテン、他を制したのは公開2週目の『ホーンテッド・マンション』だったとか。私は、ああ、そういうのもあったか、ってなもんで殆ど失念していたのだが、考えてみたら、これが今年の洋画では唯一の「ファミリー映画」なんである。ヒットするのは当たり前って感じか。 2位は『名探偵コナン 銀翼の奇術師』、3位は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』と続く。もちろん大ヒットと言っていいのだけれども、どちらも昨年よりはやや成績が落ちてはいるようだ。そろそろ腐女子たち、子供たちのファン離れが進行し始めているのだろうか。これが映画評論家の批評となると、両者の評価は雲泥の差で、『コナン』はもう完全無視、『クレしん』は『キネ旬』では大絶賛、なんとあのアニメ嫌いの北川れい子ですら誉めている。みんな、作中の西部劇ネタについて、「もっとマニアックに」みたいなことを書いてるんだから、もう全然子供向けアニメだなんて思ってないのである。ええこっちゃ。 4位は何と『CASSHERN』。公開2週目でさらに観客動員を延ばし、既に興行収入は十億を突破しそうだとか。上位3本がファミリー映画であることを考えると、普通の映画ファンに一番支持されたのがこれだってことになる。ウタダの力も当然作用してるのだろうけれど、口コミが追い風になっていなければ動員が増えることはそうそうない。若い人たちはやっぱり『CASHEERN』を支持しているのだ。……確かにああいうストレートな映画のほうが「どんな映画だった?」と聞かれて、「感動したよ! 戦争の悲しみがビシバシ伝わってきてさ!」とかなんとかアピールしやすいのも分かるんだけれども。「寺尾聰の自然にマッドな演技、よかったねえ」なんて言ってる私やしげの感覚は、普通に感動したい人にとってはピンと来ないものなんだろうなあ。
ここんとこ、『白い巨塔』や『砂の器』など、名作のリメイクドラマのヒットが目立つが、今度は森村誠一の『人間の証明』がフジテレビ系で連続ドラマ化(7月8日より、木曜午後10時)されることが決定。主役の棟居弘一良を演じるのは竹之内豊。私はこの人の演技をマトモに見たことがないので、今の段階では何とも感想の述べようがない。けれど、時代を現代に移すとなれば、現在33歳の彼が演じる棟居が、幼少時にどういう形で八杉恭子やケン・シュフタンと関わったのか、相当原作を改変しなきゃ、辻褄が合わなくなるだろう。 原作ではシュフタンは進駐軍として日本に来て、棟居や恭子と関わったって設定だったんだけれども、さすがに戦後のころまでは時代を遡れまい(10年くらい前の石黒賢主演のドラマ版では、ムリヤリ遡らせて、ピーター・フォークにシュフタンを演じさせてたけど、やはり無理が目立った)。竹之内豊の実年齢を考えれば、そもそもの事件の始まりを1980年ごろに設定しなければならなくなる。そのころに「あの手の事件」が起きたってことにするとなると、舞台はまさかオキ……。うわあ、もしそうだったら、すげえヤバいドラマになりそうだぞ。果たして保守的なテレビ局にそれだけの度胸があるかどうか。
2003年05月10日(土) すっ飛ばし日記/イラストな女 2002年05月10日(金) 人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか 2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)
2004年05月09日(日) |
クレーマーの話、続き。 |
昨日、しげの店に文句の電話をしてきたクレーマー、今のところ、何のリアクションもして来てはいないらしい。一日経って何もなければ、多分もう忘れちゃって構わないと思うのだが、しげはまだ「クレームが本社に行ったら記録に残るしなあ」と気に病んでいる。日頃は大事なことだってケロッと忘れてしまうくせに、こういうときに限って気弱になっていつまでもウジウジと悩んでいるのだから、いつもの傍若無人でエラそうな態度はどこへ行っちゃったのだろうと首を傾げるばかりだ。
私も仕事関係でいろんなクレームを受けることがあるのだが、クレームを付ける人間というのは、本当に神経質で、「こんなことで文句言われても」と言いたくなるくらい些細でどうでもいいじゃん、と言いたくなる点にやたら拘るものだ。それこそちょっとした言葉遣い、顔つき、姿勢、そんなものにまで難癖を付けられる。「弁解の言葉もありません」と言って謝ると、「弁解する気がないんだな!」と切れる。「いえそんなことは」と言うと、「言い訳するのか!」とまた切れる。このへんはまだマシな方で、「なんだその分厚いメガネは! 人を馬鹿にしてるのか!」と言われた時にはどうすりゃいいのよ、と悩んだ。眼が悪いのはもともとなので、どうしようもないんだが。 要するに何を言おうが切れる人間は切れるのである。初めから「クレームのためのクレーム」をつけることが目的なんじゃないかとしか思えないのだが、取り引きがデカイ場合は何と難癖をつけられようが、ただひたすら、頭を下げたまま、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。こちらに落ち度があるなしは全く関係がないのだから、理不尽だと思うことすら許されない。そういう客がたまにならばともかくも、やたら掃いて捨てるほどいるのだから、ウチの業種、ストレスの度合いはかなり高いんじゃないかと思われる。実際「務まりません」とやめてく人間のなんと多いことか。 それでも血気盛んな若い人は、そういう理不尽な客に食ってかかったりしていくことがよくある。気持ちは分かるが、それで肝心の取り引きがうまく行かなくなったら。個人の責任ではすまない。理想を訴えるのは決して間違っちゃいないが、間違ってないからと言って、結果が悪く出てしまっては、損するのはこちらなのだ。そのあたりのリクツが、若い人にはなかなかわかってもらえない。だもんで、結局若い人のフォローというか、尻拭いをさせられることが近年とみに多くなってきているのだけれど、それだけ私がトシを取ったってことなのだろうね。 実際、あまりにそういう経験が多くなると、「怒る」という感覚事態がマヒしてくるのである。どんなクレームが来ても、それに対するマニュアルが脳内にできあがってしまっていて、「仰せごもっとも」で流してしまうようになる。少しは気概というものがないのか、と誰ぞから叱られそうだが、何だか最近は感情自体がどんどん希薄になっていくようで、これで果たしていいもんかな、という懸念も確かになくもない。実際、チックがこうしょっちゅう起こるということは、心のどこかに「ひずみ」が生まれてきているのだ。 実際、私は例のトンガリさんに対しても、「困って」はいるけれども「怒って」はいない。これまでにも、ちょっとここでは書けないくらいトンデモナイ人に迷惑を被ったことは多々ある。実はトンガリさんはまだ「軽い」方なので、「これくらいは苦労のうちには入らないなあ」なんて感じているのである。それが既に、「感覚がマヒしている」ということになるのだろう。……やっぱ「負け組」かなあ、オレ(T∇T)。
こないだからずっとしげは「『デカレンジャー』が見たい」、と言っているのだが、いつも朝寝坊をしているので、見られたためしがない。今日も「『デカ』やってるぞ」と声をかけたのだが、「今、マンガマージャンやってるから」と寝惚けて起きてこない。なんだその「マンガマージャン」ってのは。寝言で答えたのだが、2冊のマンガを揃えるとポンになるのだそうな。えらく面積を取りそうなゲームだけれど、楽しいのかそれは(-_-;)。 『レジェンズ』が始まるころにようやく起きてくるが、「これ、結構面白いよ」と誘ったのだが、あまりいい反応はせず。こういうややはしゃぎ過ぎに見える作品はイマイチしげの趣味に合わないようだ。
しげが練習に出かけた昼どきは午睡を貪る。 夕方、ハカセより呼び出しの連絡あり。ここんとこずっと練習に顔を出そうと思いながら寝過ごすことが多かったので、イブニングコールを頼んでおいたのである。ところがこういうときに限って、ちゃんとその前に目覚めているのだ。全く、自分のからだが当てにならんことだ。 運動も兼ねているので、歩いて千代町のパピオBルームまで。今日の出席者は、桜雅嬢、穂稀嬢(ハカセ)、カトウくん、鴉丸嬢、其ノ他くん、しげ。キャストは全員揃っているので、セリフを少し聞かせてもらうが、もちろんまだまだノリも悪く、芝居にはなっていない。けれど実際にナマで聞かせてもらうと、ここはセリフがムダ、ここはツッコミが必要、というのがよく分かる。できるだけ丹念に練習に顔を出して、うるさくならない程度に口を出した方がよさそうだ。来週からできるだけ昼寝はしないようにしよう(^_^;)。 帰りに入れ替わりで練習に来たラクーンドッグさんから、今度客演する芝居のチケットを売ってもらう。いろいろご協力を頂いていることもあり、この芝居もぜひ宣伝して差し上げたいのだが、ちょっとできかねる事情があるのでここでは紹介しません。ラクーンさん、理由はおわかりだと思いますが、ごめんなさい。 帰り道もずっと歩き。ちょうど1時間くらいで帰り付くので、散歩の時間としては適度。でもこれだけ運動しても、そのあとでメシを食えば確実に体重は増えるのだ。全くどうしてそこまで脂肪を溜めたがるかな、オレのからだ(-_-;)。
2003年05月09日(金) すっ飛ばし日記/すれ違いな二人 2002年05月09日(木) 明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか 2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)
2004年05月08日(土) |
またまたクレーマーの話。 |
しげの帰りはいつものごとく午前様。というかもう朝の4時である。 早めに目がさめたので、今日は少しばかりしげと会話ができる。けれどどうもしげの機嫌があまりよくない。どうしたのかと思っていたら、「昨日、あんたウチの店に来たやろ?」と聞く。 昨夜、映画の帰りにしげの働いてる店に寄ったことを言っているのだが、それがいったいどうしたのかと聞き返してみると、「○○さんの態度って、失礼だった?」と聞き返して来る(○○さんというのはしげの同僚で、夕べはホールで接客の仕事をしていた)。 私には別にそんな記憶はなかったので、「別に?」と答えたが、しげはやはり浮かぬ顔である。どうも遠回しなモノイイで、何かがあったのかどうか、よくわからない。もう少し詳しく言ってくれ、と頼むと、重い口を開いて、「さっき、クレームの電話があったと」と言う。 何でも、その○○さんの接客態度が気に入らなかったお客から、電話があり、「責任者を出せ!」とエラい剣幕だったらしい。その時間の責任者はしげだったので、「私です」と答えて応対していたのだが、ともかく何を言って謝っても相手は聞く耳を持たないのだと言う。「申し訳ありません」と言えば「謝ればいいと思ってるだろう」、「上の者に伝えます」と言えば「そうすりゃ自分の責任を回避できるだろう」とか、しげが何か口を開くたびに相手は激昂し、ついには「本社に訴えるからな!」と捨て台詞を残されて一方的に電話を切られてしまったとか。 「酔っ払ってたんじゃないのか?」 「かもしれないけど、本社に報告されてクビになったらどうしよう」 「ないよ、そんなの」 しげがどうも落ちつかないのは、いったい何で文句を言われているのか、納得がいかないということなのだった。仮にこれが原因で仕事を辞めなければならなくなるとしたら、自分に落ち度があるわけでもないのに、こんな理不尽なことはない、と言う。 確かに、しげの話を聞く限り、しげに何か落ち度のようなものがあるとは思えない。だいたいしげ自身、問題の当事者ではないのだ。しげが「理不尽だ」と主張するのももっともである。 そのお客さんが何に腹を立てたのかは分からないが、それも多分そうたいしたことではないのではないか。虫の居所が悪くてヤツアタリしたとか、そんなところだろう。この手のクレーマーはたいていは相手をペコペコ謝らせたらそれで気が済んで、それ以上は絡んでこないものだから、そう大変な事態に発展することはないと思うよ、と慰めておく。 客商売をやっていれば、どうしたってその手の理不尽なクレーマーには必ず出会う。会社の方だって、それくらいのことは承知の上だろうから、仮にクレームが本社まで伝わっても、それまでのしげの勤務成績から考えて、本社がしげの首を切ることはあるまいと思われる。しげは確かに大雑把で乱雑で失敗も多いが、カネの絡んだ仕事に関して手抜きはしない(エラい信用の仕方であるな)。多分、本社の方もそれくらいのことは把握してるだろうと思う。 それに万年人手不足の状況で、この程度のことでクビは切られやしないって。
今日は一日、仕事で出張。いろいろ会議に出るのだけれども、結構ギスギスした方々がいらっしゃるので、正直言ってツラかった(T∇T)。こんなケツロン出してていいの? という疑問もないわけではないのだが、さっきのクレーマーではないが、「自分が正しい」と思いこんでる人を相手にして何か文句を付けても事態は紛糾して悪化するばかりである。「こうしたほうがいいと思うんだがなあ」というアイデアは、たいていの場合、相手のプライドを傷つけ、逆切れさせる結末になる。自我肥大を起こしてる人間というのは、別にこちらが相手を見下しているわけでもないのにこちらの一挙手一投足に難癖を付けて、勝手に「馬鹿にされている」と思いこんでくれるから、厄介この上ないのだ。 同僚からも「あんたは自己主張をしなさ過ぎるんじゃないか、いいアイデアがあればもっと出せば」、とか言われはするのだが、それで逆恨みされて足を引っ張られるような事態になれば、元も子もない。適当に相手を立てて、相手の気がつかないところで状態が悪化することをなんとかフォローするくらいのところが関の山なんである。……でもそうしてたらそうしてたで「あいつは仕事してない」とか陰口叩かれることになってしまうから、これもまた面倒臭くて仕方がないのだ。 ……そう考えると、今、私の仕事上の評価が上がってきているのは、トンガリさんのおかげかなあ、とも思ってしまう。なにしろあの人が仕事をしないものだから、反作用的に彼女の仕事をフォローしている私の仕事ぶりが評価されているのである。皮肉な結果だが、私ゃトンガリさんに感謝せにゃならんのだろうか。 ……んなこたないって(-_-;)。
2003年05月08日(木) ある終焉③ 2002年05月08日(水) ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか 2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)
2004年05月07日(金) |
このへんで三馬鹿事件もおしまい。 |
昨日に引き続き、全く休みのない一日。昨日よりも更に残業してあの仕事この仕事と片っ端から片付けていったのだが、例のトンガリさん、今日はまた連絡ナシの欠勤(総務には連絡入れてるんだろうから、「無断欠勤」扱いじゃないようだが)、途端に昨日まで続いていた顔面の痙攣が収まる。だからクリアー過ぎるって(~_~;)。
これからまた忙しい日々が続くので、もう映画を見に行く時間も取れにくくなる。けれど見たい映画は、今年は本気で山ほどあるのである。その中には、しげも興味を持っていて一緒に見たいもの、しげは興味がなくて私はぜひとも見たいもの、の二種類があるのだが、後者はこれまで泣く泣く諦める場合が多かった。なにしろ一人で映画を見に行くと、しげが「浮気しに行くんじゃないか」とヤキモチを焼くのである。だから何度も書いてるけど、仮に私が浮気したとしたら、そのことも隠さずに日記に書くって。陰でイヤラシイことしといて平然と日記に嘘八百を並べたてられるような厚顔無知なマネはわしゃようせんわ。けれど最近はようやく私を信頼してくれるようになったのか、やっぱ浮気できる甲斐性なんてないわコイツと見切ってくれたのか、「一人で映画に行ってもいいよ」と言ってくれるようになった。だもんで、しげが「最初は興味あったけど、なんか見る気なくした」と言ってた、『真珠の耳飾りの少女』を、キャナルシティまで見に行くことにする。 残業していたおかげで、着いて間もなく映画が始まった。主演のスカーレット・ヨハンソン、決してフェルメールの描いた少女に似てはいないのだが、撮影当時17歳とは思えぬ演技力で映画の中にぐいぐいと引きこんでくれる。『ノース』でデビューしたってプロフィールに書いてあったけど、どこに出てたっけ。
映画を見終えて、当然「アシ」がないので、歩いて家まで帰る。途中、しげの店に寄って食事。仕事中なのでしげは営業スマイルである。まあやっぱりこれだけ長く一緒にのたくっていると(考えてみたら、出会ってもう、15年だよ)、たとえ微笑みであっても作り笑いは好きになれない。日頃の仏頂面の方がしげらしくて安心するのである。
イラクの人質事件の一人、高遠菜穂子さんが、弁護士を通じて「国民の皆さまへ多大なるご心配をお掛けし、心よりおわび申し上げます」とするコメントを発表。 先日の会見を欠席した高遠さんだが、自分たちが何をやったのかサッパリ自覚をしていない今井、郡山両氏に比べて、高遠さんの態度はひたすら恭順である。ああ、最初からこの態度でいたら、世論もああまで沸騰することはなかったろうになあ。 確かにこの三人、見事なくらいに三馬鹿ではあったが、だからと言って批判はともかく、中傷を受けていいはずはないのだ。世間じゃ「批判」「批評」と、「中傷」「悪口」の区別もつかないやつらがゴマンといて、事件発覚以来いいエモノを見つけたとばかりに襲いかかり、家族や本人たちにイヤガラセをしまくっていたが、たとえ一人とは言え、納得のいく形で謝ったのだから、もうここらで矛先を引っ込めた方がリコウというものだろう。残りの二馬鹿はもうほっとけ。でなきゃ、「三馬鹿以上の馬鹿」の烙印、押されることになるぞ。
2003年05月07日(水) ある終焉② 2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」 2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか
2004年05月06日(木) |
アメリカの真っ直ぐくん。 |
『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア監督の新作ドキュメンタリー映画『華氏911』が、ブッシュ政権を厳しく批判する内容のために、配給元のミラマックスの親会社であるウォルト・ディズニー社から全米配給を拒否されたとか。 ディズニー社は「今回の新作は政治、宗教的に中立なディズニー社にそぐわないし、配給しない旨は1年前から伝えてあった」と主張している。どうもこの答弁で腑に落ちないのは2点あって、そもそもこの監督に映画撮らせりゃ、「政治的なもの」になると分かりきっているだろうに、なぜ製作自体を許したのか、ということだ。「まさかウチの下でまで政治映画は撮るまい」という甘い判断だったのか。お家騒動の喧しいディズニーのことだから、ゴタゴタの間になぜか企画が通ってしまった、というアホな事態も考えられなくもないが。 もう一つはもちろん、「1年前に配給拒否の通達はしていた」というディズニー社の主張と、「こないだ通達されたばかり」というムーア監督の主張が食い違っている点である。よくわからないが、この映画の製作費はミラマックスから出ているのではないのか。ディズニーは「配給しない」と一年も前に決めていた映画の製作費をミラマックスが出し続けていることをずっと看過していたというのか。なんだかディズニー社の主張の方が私にはウソっぽく聞こえるのだが、向こうの映画製作のシステムがどうなっているかはよく知らないので、断定はしにくい。もっとも、この問題は今になって表面化したことではあっても、製作当初から波瀾を呼ぶことが予想された作品になることだけは間違いなかったようである。 ムーア監督は「ディズニーは多数のテーマパークを有するフロリダ州の知事をブッシュ大統領の弟が務めているため、この映画を配給することにより減税措置が取り消されることを恐れたのではないか」と分析しているとのことだが、そこまで「政治的」に判断するのはいささか自己宣伝が過ぎているようであまり好ましく感じられない。概してこの監督のパフォーマンスは一人悦に入っている感が強くて、マジメに見ていくとどうも居心地の悪さというか、苦虫を噛み潰したような気分にさせられることも多いのである。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』でもムーア監督はKマートに銃弾を売らないように車椅子の被害者を連れて行ったり、チャールトン・ヘストンの自宅に銃で死んだ少女の写真をワザと置いていったりしている。映画造りのための演出として、これを一概に間違いだとは言えないだろう。銃に対するムーア監督の怒りは確かにこちらに伝わってはくるからだ。しかし同時に伝わってくるのは、監督の、例のイラクの人質にも通じるような純粋さと正義感の押し付け、反論を一切許さないように見える意固地さ、そしてそれらを全て含んだ「自己宣伝臭さ」である。そんなヨコシマな気持ちは自分にはない、とムーア監督は主張するかもしれないし、実際その通りなのかもしれないが、問題はそれが正しいか正しくないかではなく、「そう見える」ということなのである。たとえムーア監督ならずとも、こういう反銃社会や反戦といったテーマの映画は、殆どが「演出過剰」に陥り、ある作品は鬱陶しく、ある作品は滑稽にしか見えなくなることが多い。最近の例では『CASSHERN』がそうだったね。「何かを伝えよう」というメッセージ性そのものが、どうしても説教臭くなり、映像表現においては「何も伝えられない」どころか「反発」さえ生む「枷」となってしまうのだ。 恐らく「間違っている」ものがいるとすれば、観客である我々のほうなのだろう。洋の東西を問わず、我々のメンタリティ、我々の他人を受け入れるキャパシティは、快楽至上主義的な風潮の中で、恐ろしく狭くなってしまっている。ムーア監督のパフォーマンスを笑って看過できないほどにである。しかし現実はそうなのだ。そのキャパの狭い、卑小な人間たちに対して、それでも「通じる」言葉を、表現を模索しなければ、たとえそれが映画という娯楽を媒体としたものであっても「政治」は語れないのである。ムーア監督が完全に失念しているのは、「話せばわかる」人間などこの世にはほんのわずかもいないという事実、監督が思っているほど大衆はリコウではないし、リコウになろうとも思っちゃいないという事実を認識しなければ、「政治はやれない」ということなのである。 ……まあ、私がこの日記で政治についてあまり触れたがらないのも、私ゃリコウじゃないんで、自分の意見を「伝える」言葉も受け取るキャパも持ち合わせていないからってことなんですが(^_^;)。 でもねー、もう一つ囁かれている「ムーア監督がこの騒ぎを起こしたのは、カンヌ国際映画祭のコンペ部門にも出品されているこの『華氏911』に注目を集めさせる意図があった」というウワサなんだけど、さすがにこれはウソであってほしいよなあ。「純粋真っ直ぐくん」は鬱陶しいけど憎めまではしないが、そこまで行けばこりゃオウム真理教と同じく、ただの詐欺師だからだ。
休みがあまり続くと仕事がいつまで経っても始まらないんじゃないかと錯覚するのだが(そんなのお前だけだ)、うっかり休むことなくちゃんと出勤。 車で職場までしげに送ってもらったのだが、入口の付近でちょうど例のトンガリさんと行き逢う。車の中からさりげなく指を差して、「あれが例のトンガリさんだよ」としげに示すと、しげ、大声で「ああ、あれが!」と叫ぶ。……ちょっと声が大きすぎて、いくら車の中だとは言え、本人に聞こえやしないかとビクッとしたが、本人は気付いたようすはない。しげが「会ったら挨拶して仲良くすると?」と聞くので、「挨拶くらいするよ」と答える。頼むからトンガリさんにまで嫉妬するのはやめてくれ。Y(>_<、)Y 車から降りて、トンガリさんに「おはようございます」と挨拶する。会釈はするが、言葉は返してこない。でも私に対しては会釈をするだけマシなのだ。なんたって、ほかの同僚に対しては一切無視なんだから。あああ、またまぶたのあたりにケイレンが(+_;)。
休みボケで仕事がうまく行かないのじゃないかと危惧していたのだが、そんな心配をしてられるヒマがないほど忙しいのであった。なんたって、連休のせいで実質的に一週間分の仕事が滞っているのである。……いやさ、国民の休日だから仕方ないんだけど、こんなに長いこと連休にしなくてもいいんじゃないか。せいぜい三連休で充分だって。 ひと休みするヒマもなく、残業して、帰りはもうバスを乗り継ぐ元気もないくらいぶっくたびれていたので、タクシーを拾って帰る。風呂に入りながら大塚英志の著書などを読む。夭折したマンガ家かがみ♪あきらについての記述は、私もファンだっだけに涙無しには読めない。そのあとDVD『悪魔のような女』を見始めたが、15分もしないうちに疲れて眠ってしまった。
2003年05月06日(火) ある終焉① 2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか 2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)
2004年05月05日(水) |
躁なんだか何なんだか。 |
連休最後の日。 昨日に引き続いて、百道まで『幻の巨匠』シリーズを見に行くか、キャナルシティで何か映画を見ようかと考えていたのだが、連休明けで明日の仕事がかなり立て込むことを思い出して、中止する。 正直な話、東京行ったり、ここんとこずっと芝居や映画三昧で神経がかなりハイになっている。自分でもヤバいなあ、と感じるのは、ともかく気分が楽しくて楽しくて仕方がなく、からだはかなり疲れているはずなのに、気分は妙な高揚感に包まれていて、知らず知らずのうちにニコニコ笑っていたりするのだ。こういう精神状態のままで、休憩ナシにいきなり仕事を始めようものなら、切り替えがうまく行かずに、急転直下、鬱になる危険性も大だ。実際、随分以前のことではあるが、そんな感じになって職場で立ってられなくなったこともあるので、ちょっと心のコントロールを取っておいたほうがいいかなと判断したのだ。 昨日までの日記も、くだくだと書かずにちゃっちゃと片付ける。コンテンツもあえて更新せず。あとは風呂に入ったり、漫然と本を読んだりの一日。 けれどどういうわけだが、一冊、二冊と本を読めば読むほどに、最初何を読んだのか思い出せなくなる。一日の最後に読んだのが『るくるく』の3巻で、それまで文庫本だか雑誌だかを数冊、マンガは5、6冊だか読んだ記憶はあるのだが、トコロテン式にどんどん忘れているのである。ああ、これはかなり心が疲れているのだなあ、と思い、また風呂に入る。 そんなに風呂に出たり入ったりを繰り返していたら、体重が一気に落ちた。 上京する前は確か体重は77キロであったのだが、東京で飲み食いしたために、帰宅して測った時には79キロまで増えていた。それが、風呂上がりに測るといきなり76キロである。確かに昨日、カレーライスくらいしか食っちゃいないが、普通、一日で3キロも落ちるか。やっぱりからだのバランスも狂っているのであろう。出かけなくて良かった。 テレビでニュースの類を見るのもやめる。何か考え出すと、ドツボにハマりそうだからだ。 これならアタマ使わんですむだろう、と、CSで『トリック2』の連続放送を見ていると、もうここ十年以上も悩み続けている「ミステリーって、結局なに?」という、考え始めたらキリがない命題についてツラツラ考え始めてしまった。アタマやすまらんがな。 テレビシリーズのラストで、ちょうど日暮里の駅が出てきたので、「ああ、ついこの間まで、ここにいたんだよなあ」と思って見ていたら、急に涙が出て止まらなくなった。マジでヤバいぞ、おれ。で、また風呂に入る(^_^;)。 風呂から上がった途端に気が抜けて、そのまま落ちた。次に目がさめたのはしげが夜中に仕事から帰ってきた時だが、さて、それが何時でどんな会話をしたかこれももう覚えていない。あまり楽しいことばかりしていると反動がスゴイ。人生は八割くらい、平凡でつまらなくて、飽き飽きするような日常が続いたほうが、精神衛生上はよいのだろう。
2003年05月05日(月) 東京の空の下④/映画『ボイス』ほか 2002年05月05日(日) トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか 2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館
2004年05月04日(火) |
巨匠たちの幻の映画……12時間連続映画三昧。 |
朝から百道の福岡市総合図書館まで出かけていって、まる一日「巨匠たちの幻の映画~東京国立近代美術館フィルムセンター・コレクション~」を見る。しげを誘ったのだが、昨日の疲れが残っているので、今日はゆっくり休むとのことだった。 どんたくにお客を取られているのか、福岡タワーの周辺、休日なのに人かげ自体が少ない。図書館のビデオセンターは映画館というより劇場の作りで、舞台上、スクリーンまでに奥行きがある。けれどだからと言って画面が小さい、という印象はないので、映画上映施設としてはそう悪くはない。今時、椅子が固いのが少々難だけれど。 ラインナップは清水宏監督のメロドラマ『泣き濡れた春の女よ』、五所平之助監督の『新雪』『五重塔』、木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る 白黒版』。いずれもフィルムは失われていたと思われていたものが最近になって発見されたもので、日本映画ファンならば垂涎のラインナップである。 こういう古い作品を若い人にも見てもらいたい、ということで催されているのだろうが、如何せん、客席はご老人ばかりである。それはそれで仕方がないのだが、せめて大学の映画研究サークルの連中が2、3人は来ているとか、そういう状態があればよかったのだが。ともかく若い人の大半が「古い作品」というだけで映画を敬遠してしまうのが哀しくてたまらない。『キネマ旬報』でいつぞや立川志らくさんが「若い女の子に『東京物語』を見せたらボロボロ泣いた」という話が載っていたが、若い人から感受性が全く失われてしまっているわけではないのだ。ちょっとしたきっかけさえあれば、若い人だって古い映画を見るし、文学もSFもミステリーも読むのである。オトナに若い人のためにそういう機会を与える余裕がなくなってしまっていることが、文化果つる国となっている一番の原因なのだろうなあと溜め息をつく。 今日見た4本の中では、『五重塔』が圧倒的に面白い。幸田露伴原作の小品だが、花柳章太郎、柳永二郎の二人の大工の折衝が、震えるような緊迫感でもって描かれている。これがずっとロシアで眠っていたのだから、これまで生きててよかったとつくづく思う。
四本見終わって博多駅まで戻ってきたのが午後8時。 それからしげと待ち合わせて、今度はキャナルシティAMCで『ゴッド・ディーバ』を見る。しげ、昼寝るつもりがついついパソコンなどで時間を潰してしまったとか。だったら一緒に映画見に来ればよかったのに。 映画はうーん、結局「ホルス」って何がしたかったんだ? と頭の上に疑問符がピコピコと飛び交っている。原作もよう知らんし、これはなかなか批評のしようがなくて、今からちょっと困っているのであった。
さすがに一日5本の映画のハシゴはつらく、そのまま熟睡。夢も多分見ず。
2003年05月04日(日) 東京の空の下③ 2002年05月04日(土) 日記書きの一日/アニメ『アタックNO.1』/『低俗霊DAYDREAM』3巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか 2001年05月04日(金) ウナセラディ東京/江戸東京たてもの園/『ヒカルの碁』12巻(小畑健)
東京旅行も今日で終わり。いつも思うことだけれども、やっぱりあっと言う間だったねえ。 帰りは新幹線なので、朝方から東京駅まで出る。出発は昼過ぎなので、それまではグータロウくんのご家族と、大丸で開催中の「ゴジラ50年展」を見る。「スターウォーズ」展だの、こういうところばかりを回っていたら、いかに「私オタクじゃないですよ」、と言い張っても通らないなあと苦笑しながら、しげに円谷英二の写真の前で写真を撮ってもらう。どこでも撮影オーケーというのが嬉しい。 そのあとレストランで食事。しげも野菜を食べないが、グータロウくんの娘さんも野菜が嫌いなのだそうな。「野菜、たべられないの?」と聞くと、「ニンジンもトマトも食べられるよ!」とムキになっていたので、「ピーマンは?」と聞いたら、途端に黙り込む。どうも弱点を突いてしまったらしい(^_^;)。 地下街で晩飯用に駅弁を買って、グータロウくんたちとお別れ。 新幹線「のぞみ」に乗り込んで、マンガを2、3冊読み始めた途端に睡魔に襲われて、乗ってる間は殆ど寝ていた。昨年に比べたら元気になってかなり動きまわれるようになったと思ってはいたが、やはり疲れが溜まっていたのだろう。 福岡にはほぼ七時に到着。どんたく初日の余韻が残っているせいか、駅の中は時間が遅いのにかなりごった返している。外を見ると雨で、真っ暗。何となく裏がなしい気分に襲われながら家路を辿るのであった。
2003年05月03日(土) 東京の空の下②/舞台『シティボーイズ・ミックスpresents/NOTA 恙無き限界ワルツ』 2002年05月03日(金) ジンクス再び/『ジャングルはいつもハレのちグゥ』9巻(金田一蓮十郎)ほか 2001年05月03日(木) 東京行進曲/舞台『ラ・ハッスルきのこショー』ほか
2004年05月02日(日) |
東京の夜は更けて(3)/『スター・ウォーズ』展とシティボーイズ |
もうちゃっちゃと短く書かないと、とても日記がおっつかないので、物足りない方もおられましょうが、急いで書きます。 朝はグータロウくんに案内されて、国立科学博物館まで『スター・ウォーズ サイエンスアンドアート』展を見に行く。ジャバ・ザ・ハットの原型が明らかに『フラッシュ・ゴードン』のミン皇帝風なのを見て、宮崎駿が「『スター・ウォーズ』は白人至上主義がチラついてて嫌いだ」と言っていたのを思い出す。それは確かにその通りだし、私も『スター・ウォーズ』シリーズをそれほど面白くない、と感じていることは事実なのだけれども、民族間の差別意識というものは簡単に乗り越えられるようなものではないし、そこを糾弾してばかりいてもお互い意固地になるばかりである。「映画としてどうか」と尋ねられれば「つまんないよ」と答えるしかないのだが、C-3POとR2‐D2の凸凹コンビのやりとりの楽しさやナタリー・ポートマンの美しさまで否定するつもりはない。 しげは初めて「C-3PO」と「R2‐D2」を「シー・スリーピオ」「アートゥ・ディートゥ」と読むことを知ったとか。周知のことだと思っていても、意外と知らずにいることもあるという落し穴の典型であるか。
そのあと、こども図書館を回って、その偉容に感嘆。 ちょうどいい時間潰しになって、天王洲アイルまで移動、シティボーイズ・ミックス『ダメな人の前をメザシを持って移動中』を観劇。一昨々年あたりをピークに、ちょっと元気がなくなりつつあったシティボーイズのライブだったが、今年はかなり持ちなおしている。レポールはかなりあるけれども、最初から最後まで笑いの渦。「ホレーシオ」のスケッチなどは抱腹絶倒であった。
水上バスで浅草まで戻って、「ぱいち」でビーフシチューを突つく。昔ながらの洋食屋さんの味、と言えばいいだろうか、今まで食べたビーフシチューの中でも飛びきりの美味さに舌鼓を打つ。知る人ぞ知る店、ということだそうだが、近所にこういう店があったら、毎日でも通いたくなりそうだ。 グータロウくんちに帰るなり、しげは眠くなってすぐに横になる。私とグータロウくんは、ちょうどCSでやっていた『妖怪人間ベム』を見ながら、これってこんなにキッチュだったかなあ、と驚く。東京に来てまで見るアニメじゃないとは思うが。
2003年05月02日(金) 東京の空の下① 2002年05月02日(木) 私は病院に行くかしら/『COMAGOMA コマゴマ』2巻(森下裕美)ほか 2001年05月02日(水) 行って来ます。/『20世紀少年』5巻(浦沢直樹)ほか
2004年05月01日(土) |
東京の夜は更けて(2)/小鹿番さんの死去と、またまたテンパる妻。 |
俳優の小鹿番氏が、4月29日、急性腎不全のため死去。享年71。 ついこの間、『放浪記』で菊田一夫を演じていた番さんを見たばかりだった。20年前に見たときにはまだ「作り」の部分があったものが、先日の舞台では実に自然に、菊田一夫本人といった風情を漂わせていて、年を取ってもなお演技が上達していくその素晴らしさに魅せられた。「至芸」とはこういう演技を見て称するべきものなのである。 朝食の席で新聞を読みながら、グータロウくんが、「小鹿番が死んだって聞いて、悲しむのは俺たちの世代が最後だろうなあ」と嘆息する。さて、それも怪しいものだ、と私は更に悲観的になる。いくら全国を回り、上演回数が記録を打ち立てていても、『放浪記』や『ラ・マンチャの男』の舞台を見た人間は、日本人の人口の数%に過ぎまい。「小鹿番」の名前を今回初めて聞いた、という人も多かろう。 悲しいことに、番さんのような浅草出身で舞台を中心に活躍し、テレビにはあまり出ない役者さんの評価というものは“最近では”どうしても低くなる(全く出ていないわけではないのだが、ちょっとしたゲスト、という役が多いので、その真価はわかりにくい)。しかし一度でもその舞台を見れば、「こんな凄い人がいたのか!」と唸ることは間違いないのだ。なのに、テレビしか見ない、という人間が、それがさも当然といった態度で何の興味もなげに「小鹿番? 誰、それ?」なんてほざいているのを見ていると、こめかみの血管が切れそうになる。そんなヤカラには、そもそも役者や演技を批評すること自体、不可能なのだ。シロウトならともかくも、「批評家」と名乗る人間までそんな自分の「不勉強」を恥とも何とも思っていない発言をしばしばしてしまうのは、いったいどういうことなのだろうか。 ナンシー関が、時代観察者としての目は持っていても、ドラマや役者の演技を批評する目をついに持ちえなかったのはそういうことである。おい、世の中のエセヒョーロンカどもよ、喜劇を語りたいんだったら、年間、舞台の100本くらい見とけよ。せめてテレビ中継だけでも。 しげを無理やり『放浪記』に連れて行って見せていてよかったと思う。今後、誰か別の役者さんが菊田一夫役を引き受けたとしても、番さん以上の演技は絶対に望めまい。これまで一度も『放浪記』を見たことがなかった、と仰る方は、人生で最も素晴らしい瞬間の一つを経験する機会を永遠に失ったのである。それくらいの人が亡くなったのだという“事実”くらいは、番さんに興味がない人であっても知っておいてほしいのである。 森光子さんの悲しみはいかばかりだろう。
テレビのニュースで、昨日行なわれたイラク人質事件の今井、郡山両氏の記者会見の中継を見る。のっけから「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べても「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」とかの謝罪のコトバはなし。予測された展開ではあるが、要するに「我々は悪くない」の一点張りである。 何が問題とされているか、について、本人も含めて周囲が全くわかっていないなあと呆れかえったのが、「自己責任論」についての郡山氏の次の発言。「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」。 あの、そのあんたが言うね、「リスクを背負っている」ということが「自己責任」ということなんであってさ、だからみんな、「イラクに行きたきゃどうぞご勝手に」と止める気もないし、「死のうが生きようが勝手じゃん」と突っ放してんだけどねえ。だから誰もあんたの言ってること否定してないよ? 仮に死んで帰ってきてたとしても「自己責任だからしょうがないよ」って、君らの功績認めてあげるよ? あんたらの言ってることって、それを望んでるとしか思えないんだけど、国民の感情と利害は一致してるよねえ? それを家族が「助けて助けて」「自衛隊撤退」と訴えたから「なんでそんなん助けにゃならんの」って話になったんだってば。 その家族は会見場の隅で「ウチの息子たちはなんて素晴らしいのだろう」って顔で見てるし、本人たちの顔はもう完全にイッちゃってるし、こりゃ、既知外はもうどこまでいっても既知外のままだわなあ。
今日の第一目的は当ホームページの第2回オフ会。 少し早めに待合場所の日暮里駅に着いたので、しげとグータロウ君と連れ立って、谷中の墓地を回る。ここは夏目漱石の『こころ』の舞台になっていることでも有名で、もちろん当時のままというわけではないだろうが、広さとかなんとなくな感じを味わってみたくて前から散策してみたかったのである。 実際に歩いてみると、舗装された道路などは当然、明治の代にはなかったものだろうが、ちょっとした脇に離れた石畳の路などや、生い茂った木々の間で苔むしている墓石などに往時の面影を見出すことは充分可能であった。 幸田露伴の『五重塔』のモデルとなった塔のあとはまだ残っているが、昭和32年に放火によって消失して以来、五十年近い月日が経っているというのに、未だに再建されてはいない。礎の跡はそぞろ寂しいが、案内板に「設計図は残っており、再建は可能である」と未練ありげに書かれているのがますます物悲しい感興をそそる。 徳川慶喜公の墓は、すっかり観光地になっていて、ただっぴろい庭園の中に鉄柵があって、その柵越しに墓が覗けるようになっている。いくつも墓石が並んでいるので、さてどれが慶喜公なのやらと、キョロキョロしてたら、通りがかった地元のお爺さんと思しい方が、「回りのは側室や息子の墓だよ」と教えてくれ、コピーの図面までくれた。こういう人と触れ合えるのも旅の醍醐味である。
オフ会の参加者は、グータロウ君、鍋屋さん、ヨナさん、あやめさん、しげに私の6人。鍋屋さんは足を骨折していて、松葉杖をついての賛歌。全くありがたいことである。 会場は以前も来たことのある日暮里の怪しいトルコ料理店、続いてやっぱりのカラオケ。詳細はコンテンツの方にレポートを書くのでそちらに譲りたい。楽しい数時間を過ごして、もうちょっといろいろみなさんとお話ししていたかった、と名残惜しがりつつお別れ。もう一つ心残りは、ヨナさんにしげの腰を見て貰えたらと思っていたのだが、会場がちと狭かったので、断念したこと。急な会場変更があったので致し方なかったのだが、これでまた次の機会に上京してオフ会、という目標が立てられると思えばガックリするほどのことはないかと気を取りなおす。 みなさんと別れたあと、新宿へ移動。劇団「うわのそら」公演『水の中のホームベース』を見る。唐沢俊一さんが監修されているということで飛び込みで見に行ったのだが、話の骨子の基本は小劇場の伝統と言ってもいい『ゴドーを待ちながら』である。つまりは第三舞台の流れであって、これに三谷幸喜味をふりかけた、という印象で、悪くはないが「唐沢俊一」の名前を期待して見るとちょっと拍子抜けはするかな、という出来。恐らく唐沢さんの監修は「ギャグ監修」のあたりだろう。「不幸自慢」のギャグ部分などはモンティ・パイソンそのまんまであった。これも詳しくはコンテンツに批評を書く予定。 私は概ね満足していたのだが、しげは終始仏頂面で、一度たりとも笑わない。「つまんなくはないけど、嫌い」とニベもない。地元劇団として見ると悪くはないが、プロの芝居だと思って見ると腹が立つ、ということのようだ。けれど、怒りながらもしげ、「でも自分たちが演じてもあんなにうまくできないんだ」と言って落ちこみ、うなだれている。確かに、会話の間の取り方、畳みかけるようなテンポ、その演劇的センスは、ウチのセンスのない役者たちと比べれば雲泥の差である。でもだからって、落ちこまれてもなあ、そこで発奮してやる気出さなきゃ芝居やる意味なんてないじゃん。他人と関わることを拒否している自分を肯定してちゃ、芝居がうまくなることだってありえないんだから、そりゃ自業自得ってものなんである。
グータロウ君ちに帰ったのは、9時過ぎ。 腹をすかしたしげは、早速コンビニで買って来たおにぎりをぱくついている。 私は昼間、いささか食べすぎているので晩は抜くことにする。グータロウくんが「大変だなあ」と気を使ってくれるのだが、もともと食欲はたいしてある方ではない。会席の類で目の前にモノがあって、それになかなか手がつけられていないと、もったいなくて気分が落ち着かなくなり、つい「俺が食べてやるしかないか」と食べてしまうのである。誰もお前にそんなこと頼んでない、と突っ込まれそうだが、「もったいないおばけ」に取り憑かれているオジサンはこういうものなので、普段はあまり宴会に誘ったりしないようにお願いします。「(^^; ) 今日の芝居のことなどお喋りしているうちに、またしげと口論になる。 しげが「街中で大声を出したり、人の通行の邪魔をするな」と私を非難したのがきっかけだったのだが、「大声を出した」というのは、トルコ料理屋からカラオケに移動する途中で、しげが「陽射しが強いのでサングラスを買いたい」と言い出して、我々をあちこち引っ張りまわそうとしたので怒ったのである。普段ならともかく、今回は鍋屋さんが松葉杖なのだ。自分が今どういう状況に置かれているのかなんで気がつかないのか。「人の通行を邪魔した」というのは、芝居の帰りにグータロウ君と連絡を取った時、携帯の電波状況が悪いので、ウロウロしたことを言っているのである。人のいないところに行こうとしても、東京はどこだって人は多い。誰かの通行は結果的に邪魔することになってしまうので、こんなのはまさに難癖である。 つまりはまたまたしげは「いっぱいいっぱい」になっていて、非常識な言動を繰り返しているのだ。全く、人んちに来てまで口喧嘩なんてしたくないんだが、話の流れでそうなっちゃったのでどうにもならないのである。グータロウくんも一緒にいろいろとなだめてくれはするのだが、結局、しげの気が落ち着くまでかなり時間がかかってしまった。こんなにしてもらっても、明日になったらしげは今日反省したことをケロッと忘れて同じことを繰り返してしまうのだ。しげみたいに何でも忘れられて、罪悪感に一切とらわれずにすむ人生が送れたら、どんなに気がラクなことだろうか。
2003年05月01日(木) メモ日記/淡白なメールの夜。 2002年05月01日(水) 疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか 2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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