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第6章 (4) 秘密の恋
秘密の恋。平凡な暮らしに終始する「普通の人」たちには想像もつかない、人生の別の顔。なかでも、かけはなれた世界に住む相手との恋は、特別に稀有な経験をしているのだという、震えるような幸福感に包まれている。そのような恋は、ひとに知られようと知られまいと、成就された恋とは違った意味で、人生を変えてしまう。
浮いた噂のひとつもなく、地味に老いさらばえた婦人が、かつては美しく、誰にも知られない悲恋のヒロインだったと知るのは、なんとスリリングなことだろう。ことに、若さのさなかにある娘たちにとっては。そんな、「秘密の恋」と呼びたいエピソードが、モードの作品には点在している。遠い過去のできごととして埋もれていた真実が日の目を見る瞬間。そこには現在進行中の不穏さはなく、当事者たちも眠りについたいま、安心して味わえるロマンティックな感傷なのだろう。
いまではモードの人生にも、そういう恋愛事件があったことが知られている。家を離れて教鞭を執っていた20代の頃出会った下宿先の青年、ハーマン・リアード。彼は農夫で、モードは恋の高揚にあっても、彼とは住む世界が違うと「わかって」いた。日記によれば、一時的な感情に振りまわされることをよしとせず、モードはハーマンの求愛をしりぞけ、愛情を感じていなかった当時の婚約者とも別れている。しかも、ハーマンは若くして病死したため、再会の物語もない。
モードが世を去って50年後に(公には)公開された日記に残されたこの恋愛事件のてんまつは、ほかの部分と同じく、写し直した際に、何度か書き直されている。その事件によって、悲恋を経験した作家としての存在感は高まった。やがてマクドナルド牧師と出会って結婚し、家庭を築いたモードにとって、若い頃の恋はどのような意味合いをもっていたのか。その意味合いは、おそらく年齢を重ねるにつれて変化しただろう。20代の頃の思いと60代とでは同じはずもなく、決めつけることもできない。あえて想像するとすれば、作品のなかに入って感じとるしかないのではないだろうか。
もっとも有名な『赤毛のアン』にも、「秘密の恋」が、終幕まぎわに、ちらっと登場する。アンの養い親となったマリラと、アンが最初は敵対し、やがて友となり、生涯のパートナーとなるギルバート・ブライスの父親が、若い頃恋人どうしだった、というマリラのそっけない告白である。アンはこの話を聞いて、マリラにもロマンスがあったのだと、無邪気に喜ぶのだった。
ところで、「秘密の恋」をテーマにしたモードの作品には、青い箱(青い色)、手紙、画家、美しい手、といった道具立てが使われることが多い。モードは自分のきゃしゃで小さな手を気に入っていて、ほめられることも多かったというが、顔や姿をほめられるよりも、気づく人にしかわからない手の美しさを讃えられるほうが、たしかに秘密めいて魅惑的ではある。
短編集『続アンの村の日々』に収録されている、「ありふれた女」。「秘密の恋」をテーマにしながら、力強く生き抜いた、憐憫を拒む女が登場する。主人公のアーシュラは、仕立物をして生計を立てていたが、老後は親類に引き取られ、やっかいものとして永らえた。85歳のアーシュラの臨終の場面から物語は始まる。「とうの昔に死んで、忘れ去られた世代に属している」「木や草みたいな生活」「十年ぶりに外へ出て、アンダーソン家の墓におさまる」(本文より)などと、身内に思われているアーシュラ。なついているのは犬だけだった。
臨終の床で、アーシュラはひとり回想する。彼女の手の美しさを讃えた画家の恋人を。後に肖像画で高名な画伯となる英国人青年ラリーと田舎娘の身分違いの恋。アーシュラは、密かに娘を産むが養女に出し、もとの生活に戻る。まだ若かったアーシュラは、二度と誰をも愛さず、愛された思い出に酔って生きる。「ヨーロッパの何十もの美術館で人々が見ているのは自分の手なのだと」(本文より)。成長した娘の幸せを守るためなら、罪を犯すことすら厭わずに。アーシュラのなかに残ったのは、悔いのない人生を生きたという実感、しかも「ありふれた女」として、他のものには想像もできない人生の秘密を守り、その余韻にひたって得た、甘美な結晶だった。
「秘密の恋」の相手は、たいてい画家である。ヒロインの手の美しさをたたえ、作品のなかに永遠の命を与えるためには、文学や音楽よりも絵画のほうが、「証拠」としての価値も高い。「エミリー・シリーズ」では、テディ・ケントが成功した画家となるが、彼は、手ではなく、エミリーのまなざしを絵に描いている。エミリーを知る人なら誰にでもわかる個性を、テディは誰を描く時も、絵のなかに残したのだ。 ※余談だが、「ありふれた女」では、「アン・シリーズ」本編には登場しないアンとギルバートの孫(アンの末っ子リラの息子)の出征がうわさされ、ウォルター・ブライスという名の孫も登場する。
『アンの友達』に収録されている短編「ロイド老淑女」こと、マーガレット・ロイドも、「秘密の恋」を経験したひとり。マーガレットは、若い日に恋したレスリー・グレーの遺した娘シルヴィアに出会い、貧乏な暮らしをかえりみず、彼女の幸せを見守る。この場合は自分の血をわけた娘ではないが、シルヴィアへの愛情は本物となり、ハッピーエンドを迎える。
同じく、アン・シリーズに数えられる『アンをめぐる人々』収録の短編「茶色の手帳」。こちらも、画家の登場する「秘密の恋もの」である。ミス・エミリーという未婚の老婦人に好かれていたアン・シャーリーは、彼女の死後、思わぬ遺品を受け取ることになる。アンなら「わかってくれる」と信じて、ミス・エミリーが託したものは、古いトランクのなかに隠された、若い日の日記。そこには、18歳の陽気で美しいエミリーが、ポール・オズボーンという若い画家と出会ったいきさつ、身分ちがいのために身を引いた悲しみがつづられていた。
「画家と手」で思い出すのが、『マリゴールドの魔法』に登場するクレメンタイン。マリゴールドの父、リアンダーの最初の妻で、生まれた娘とともに死んだ薄幸の美女。国際的に有名な画家が「えぞ松屋敷」を訪れた際、その手を絶賛したというエピソードがある。家には「百合のクレメンタイン」と題された肖像写真が残っていて、マリゴールドの母は、姑から、クレメンタインを引き合いに出して意地悪されるのだった。死んだ人には勝てない、とは、後妻に入るときの注意としてよくいわれることだが、これは洋の東西を問わないらしい。
モードの体験を最も多く盛り込んだといわれる『ストーリー・ガール』には、「青い箱」と「秘密の恋」が別々に登場するという意味でも興味深い。ストーリー・ガールたちの生活のなかにある「レイチェル・ウォードの青い長持ち」とは、モードの父のいとこ、エリーザ・モンゴメリの箱のことで、パーク・コーナーのキャンベル叔父の家の台所に置いてあった、と自伝『険しい道』に書かれている。
青い箱といえば、「パット・シリーズ」のジュディばあやも、故郷の思い出の詰まった青い箱を持っている。アイルランドの親類をたずねて旅に出ることになったジュディは、青い箱の鍵を、最も信頼するパットに預けるほどである。ジュディの場合は恋愛とは関係なさそうだが、しかし、その箱の中身について、私たち読者はくわしくは知らされていない。とはいえ、彼女の人生に私たちの知らない何があったかは、誰にもわからないのだから、空想する自由はあるというもの。
さて、『ストーリー・ガール』に話を戻そう。レイチェル・ウォードの箱というのは、台所の隅に置いてある、古い大きな青色の長持ちである。50年前、遠い親類のレイチェルがモントリオールから一冬を過ごしに来た。春には村の青年と結婚することになったが、式の当日、新郎は逃げてしまう。レイチェルは衣装やお祝いの品をすべてこの長持ちに詰め、鍵をもってモントリオールへ帰った。ある日、75歳まで独り身を通したレイチェルの死と、禁断の箱の開封を指示する手紙が届く。そして子どもたちは、ついにわくわくする箱の中身を知るのだった。が、そこにはとりたてて謎もなく、美しい傷んだ衣類や手紙は、遺言どおり燃やされてしまう。
「想像するより、知ってしまうほうがいいわ。」 と、フェリシティーが言った。 「あら、違うわ、違うわよ。」ストーリー・ガールがさっと言い返した。「物事を知ると、知ってることに引きずられてしまうの。でも夢見ている間押えつけるものは、何一つないのよ。」
/『ストーリー・ガール』(下)
『ストーリー・ガール』では「秘密の恋」が大きな位置を占めている。「ぶきっちょさん」ことジャスパー・デイルとアリスのファンタスティックな恋は、他の恋のエピソードとは毛色がちがう。こちらは、男性側からの「秘密の恋」が主に描かれ、しかもハッピーエンドを迎える。ただし、当時は誰にもふたりが結婚する理由がわからない。女性に興味のない世捨て人と思われていた40近い知的な農夫ジャスパーと、教師として村にやってきた若い娘、アリスの結婚は、衝撃的で、謎だらけだったのだ。
感受性豊かなストーリー・ガールだけが、そこに隠された真実をふたりから聞いていたのだが、この話には言葉にすることのできない微妙さがあるからと、仲間たちにも語らない。このエピソードの真実は、なんと40年後に、この物語の語り部であるベバリーが、彼女にジャスパーの死を知らせたとき、ストーリー・ガールがお話の形にして送って来て明らかになった、という形をとっている。秘密の恋には、美しく常識をはなれた夢と現実の交錯する物語そのものと、なによりも時間が─想いを育て、熟成させる手が─必要だったのだろう。
モードの作家としての半生を象徴しているヒロイン、エミリー・スターは、8歳ではじめて「ひらめき」の陶酔感覚を知る。彼女は、早春のくぼ地で出会った、そこだけ眼のさめるような小さな緑の葉のことを、ずっと忘れずにおぼえていた。誰も他の者の目にはとまらなかったはずのその小さな鮮やかな葉のことを、毎年春になると思い出し、「あの不思議なひとときをふたたびあらたにする」(/『エミリーはのぼる』より)と書いている。 幼いころから培ってきた発想や行動には生涯つづくパターンがあるとすれば、エミリーがこのように「はじめてのひらめき」を春がくるたび記憶に浮かびあがらせ、想いを新たにしていることは、少なくても、エミリーを書いた当時、50歳前後のころの、モードの心境を映していると考えられるのではないだろうか。モードは抜群の記憶力とは別の次元で、その恋の陶酔を忘れまいとしていたのかもしれない。できごとよりも、感覚を思い出しながら。人生を悲観するためではなく、若い日、心をゆさぶった恋を、芸術的なインスピレーションに昇華していくために。それらはやがて、作品のなかの欠かせないエピソードとなって、新たな生命を得ていったのだろう。
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