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第5章 (2) 作家エミリーの伝記−「エミリー・シリーズ」
これまで何度か書いてきたが、「エミリー・シリーズ」でのモードの役割は、エミリーの人生の客観的な語り部であり、自身の創作への想いや道のりを、エミリーの成長に託して語ることでもあった。伝記作家として、分身である主人公に注がれたまなざしがそこにある。
「アン」を音楽でいうメジャーコードとするなら、「エミリー」はマイナーコードに喩えても良いだろう。エミリーの、ことに日記という形でつづられた'書くこと'への運命的な切望は、アンの作風との大きな違いでもある。後に人気作家となったエミリー・B・スターの伝記という形式をとったことで、エミリーという複雑で繊細、ドラマティックな芸術家の内面が余すところなく描かれている。
とにかく他人の評価を基準にして生きようとしても無駄だということである。自分は自分の見解にしたがって生きていくほかない。結局わたしは自分を信じている。人が考えるほどわたしは悪くもないし馬鹿でもない。肺病でもない。それにわたしにはものを書くことができる。
エミリー・B・スター/「エミリーはのぼる」
エミリーの生きた時代設定としては、「エミリーはのぼる」にヒントがある。「王様をおしおきした婦人」のエピソードに、ヴィクトリア女王が2年前に亡くなったという記述があり、このときエミリーは15歳。女王の在位は1837-1901(没年)だから、当時は1903年で、エミリーは1888年生まれということになる。1874年生れのモードより14年後に生まれたという設定なので、モードがよく知っていた時代を背景に書けるということもあり、伝記としての完成度も考慮したのだろう。
エミリーの誕生日については、5月19日(おうし座)であると、亡き父親への手紙で記されている(「可愛いエミリー」より)。(※今回、特別に「モンゴメリのホロスコープ解析」を寄稿していただいた。トップページからご覧下さい)
モード自身の作家歴と、エミリーのそれは、ときに重なる。なかには同じタイトルの作品もあるほどで、モードが初めて投稿し、二度の拒絶を受けた作品は、詩作の「夕べの夢」。モード自身の雑誌への投稿はエミリーより3歳も若く、12歳だったが、エミリーの詩「夕べの夢」は、12歳で初めて他者によって認められた。
以下は、エミリーの記念碑的作品や雑誌などに投稿した数々の作品のなかで、認められ、実績をあげた作品のみのリストである。リストに見られる名誉の歴史と、ここには載せなかった拒絶の苦悩には、作者モードのまなざしが熱いほどに注がれている。光と影の、光の側面だけを見ても、モードの創作への真剣さ、自己満足では終わらない、終わらせられない、生れもった熱意がうかがえる。そして、そういう人間が、どのようにして階段を登り自信を築いてゆくか、周囲とあらがい、どう折り合ってゆくのかも、見えてくるのではないだろうか。
<エミリー・バード・スターの作家歴(24歳まで)> 12歳 ・「夕べの夢」(詩)をカッシディ神父にほめられる。
15歳 ・「梟の笑い」(詩)が「庭園と森林」誌の扉に掲載される。 後日、シュルーズベリー日報に転載。 *報償:2ドル分の園芸品カタログ販売で、ニュームーンの花壇の種を購入。 ・「風のおばさん」(詩)が「婦人の友」に掲載。 *報償:「婦人の友」2冊分の予約券。
・「庭園の夜」(詩)が“三流どころの雑誌社”で掲載。 ジミーさんの庭について書いた「庭の本」(未発表)の各章末に付けられた詩のひとつ。 *報償:雑誌3回分の予約券。
・クリスマス前に5つの採用通知。 何度目かの挑戦で小説として初めて受け入れられた「時の砂粒」を含む。 *報償:3つは購読券、詩の礼金として2ドル、「時の砂粒」には10ドル。
*報償:雑誌に載った詩の謝礼として3ドルの小切手。
16歳 ・「頭蓋骨と梟」(シュルーズベリー高校2・3年生の文学クラブ)のメンバー入会許可を断る。
・タイムズ誌の依頼で、連載小説「血みどろの心臓」(作者不詳)を4分の1に書き縮める。
・「野ぶどう」(詩)が、シュルーズベリー高校のコンクールで次点に。1位は盗作が受賞(後に判明)。 *1位の報償:パークマンのセット。
・「王様をおしおきした女」(ノンフィクション)が“ニューヨークで相当に名のある雑誌”「ロックス」に受け入れられる。 *報償:40ドルの小切手。残りの5ドルで、例の賞品より豪華なパークマンのセットを購入。
・初めてのファンレターをメキシコからもらう。“マレー一門の誇り”となる。
17歳 ・ニューヨークの雑誌「レディス・オウン」誌編集部のポストを辞退する。 島出身のジャネット・ロイアルの紹介によるもの。
・シュルーズベリー高校卒業と同時にタイムズ誌のための通信を修了。
・「天がけりゆく黄金」(詩の連作)が、「マークウッド」12月号に掲載。独立の1ページで挿し絵入り。
・「A Flow in the Indictment」(創作)が、アメリカの“権威ある”マディソン誌に掲載。 *報償:50ドルの小切手。
・「習慣のおろか者」(創作)がカナダの農村向け雑誌に転載される。 *報償:登場人物が、実在のいとこをモデルにしていると、本人からのクレーム。
・「冗談のねうち」(創作)が、ホーム・ジャーナル誌に載る。 *報償:表紙に名前が載らず、その他に含まれる。
・「乙女時代」誌で“よく知られている人気作家の一人”として名前を扱われる。
18歳 ・ウォレスおじとルースおばへの借金(学費)を返済完了。
・「夢を売る人」(創作)執筆。6週間で書き上げた最初の本。 3度出版社に断られ、嫉妬にかられたディーンに酷評され、自ら焼き捨てる。
20歳 ・「王室の婚約」(マーク・グリーブス作)の最後の章が紛失し、 「アルガス」(シャーロットタウンの日刊新聞)特別号のために代理創作。 *報償:作者からのプロポーズ
23歳 ・原稿料で“のっぽのジョン”のやぶ(近所の美しい林)を購入する。
24歳 ・誕生日に、「14歳の彼女から24歳の彼女へ」(エミリーが未来の自分に書いた手紙)を開封する。
・同時に、ジミーさんが勝手に送った'アメリカでいちばん古いいちばん有力な出版社'、 ワシントンのウェーアハム社から「バラの道徳」の出版採用通知が届く。 (「赤毛のアン」が多くの出版社に拒絶され、ボストンのペイジ社に'だけ'認められた事実を示唆している)
──わたしも努力はしている──しかし言葉の──どんな言葉も──あらゆる言葉も及ばないものがあるように思われる──掴もうとすると逃げてしまう──それでも掴もうとしなかったら得られなかったにちがいないものが、少しばかり手の中に残っている。
エミリー・B・スター/「エミリーはのぼる」
エミリー・シリーズには、作家としてのモードの息遣いがそのまま現れているような箇所も多い。アンを書きあげた日の、モードの感慨がよみがえるような独白も。初めての本を書きあげた歓びは、モードの自伝「険しい道」の記述にも残っている。
微妙な涙が眼にのぼってきた。彼女は本を書いた──何という幸福だろう!この瞬間で、何もかもつぐなわれた。 書きおえた──完全に!それはそこにある──『夢を売る人』──彼女の最初の本だ。たいして偉い本ではない──ただ自分自身のものだ──正真正銘、彼女のものである。 彼女が生命を与えたもの。もし彼女が生命を与えなかったら、決してこの世に存在しないものである。そしてそれはよくできていた。それは自分にわかっていた──いいと感じた。
/「エミリーの求めるもの」
第5章 主人公へのまなざし (1) 子どもたち
もちろん、それは穏当なことではない。しかし私はこれまでも、またこのさきもエミリーが穏当な子どもだと言うつもりはない。穏当な子どものことは本に書かれない。そんな本は退屈でだれも読む気にならないだろうから。
L・M・モンゴメリ/「エミリーはのぼる」
世のなかには早熟な子どもたちが存在する。他の子どもたちよりずっと早く文字と言葉を自覚もなしに覚え、大人になるまでの数年間を、晩成型の人々の想像する以上に老成した内面を抱えて成長する。早熟さは、モードの描いた主人公たちの子ども時代の、大きな内的発達の特徴といえるだろう。エミリーは穏当な子ではなかったとモードは書いているが、早熟だったことは疑いない。そして、家庭的には、ほとんどの主人公が孤児か片親の境遇にあった。孤独は意識するしないに関わらず、早熟をうながすのかもしれない。
グリーンゲイブルズに'手ちがいからもらわれてきた'ばかりの、11歳の赤毛の孤児アン・シャーリーが繰りだす摩訶不思議な言葉の魅力。あまりに大人びていて子どもらしくないといわれることもあるが、晩成型のタイプから見たら、そうなのかもしれない。大人になれば同じラインに立って、それまでの成長の速さの個人差ということで片が付くのではないだろうか。私もどちらかといえば早熟だったので、当時、つまり11歳の頃から、同じ歳のアンの話しぶりが子どもらしくないと思ったことはなかった。ほとんどすべての人を魅了してしまうおしゃべりの才能には惹かれたけれど。
アン、エミリー、ジェーン。モードが主人公に選んだ子どもたちはみな、早熟で感受性が豊か、そして一般的な意味で恵まれた家庭を持っているわけではない。自分の子ども時代を終生記憶し、その豊かな泉からも小説の題材を汲み取っていたモードは、孤児を主人公にした作品を多く描いた。アンは登場する最初から孤児としてのアイデンティティーをしっかり持っているし、孤児でない赤毛のアンなど存在できない。
モードは、普通に両親がそろっている家庭を想像だけでは描ききれないと思っていたのだろうか。結婚後も、やはり孤児にこだわっている。モード自身が、わずか2歳で母を亡くし、その後父が西部の開拓者を夢見て家を去った後、祖父母に預けられ、世間的には孤児になったためである。大家族に恵まれている銀の森のパットでさえ、母は病気で生活の場にはほとんど姿を現さない。
かといって、モードの母の死のように、ものごころついた頃から与えられていた境遇は、他人が思うほど不幸ではないことが多い。もともと持っていないのだから、持っていた幸せを失うのとは大きな違いがある。現実でそうあったように、いつも、幼い主人公を支える別の誰かしらがいるのである。母を失うという悲劇を、モードが主人公に置き換えて物語のクライマックスにすることはなかった。しかし彼女の父はそうではなく、多感な時期にモードのもとを去り、新しい家族を持ち、離れたまま若くして西部の土となった。育ての親マシュウを突然の死によって失った少女時代のアンの苦しみには、父のヒューを突然亡くした(訃報を手紙で知ったと26歳の日記に記されている)モード自身のいたみが描きこまれている。
最もモードの内面をあらわしているとされるヒロインのエミリーも同様に、11歳で理解ある父に死なれ、孤児になってしまう。これはアンがグリーンゲイブルズに来たのと同じ歳である。エミリーの母は彼女を産むときに亡くなっているが、これも誕生後すぐに両親を亡くしたアン、2歳で母を亡くしたモードと共通している。
観察力の鋭さも、早熟の側面といえるだろう。子どもであってもそれは手加減のないエックス線となってあらわれ、真実を突く。ましてや子どもには親をはじめとする身近な大人たちの本音や愛情の有無が、あえて口にはしないまでも容赦なく見えてしまうものである。ものごころついたころから作家になろうと決意していた子どもなら、なおのこと観察力は鋭い。次のエミリーの洞察は、モードの経験を反映したものと思われる。
エミリーは自分が出会った人について、長い間どっちつかずでいることはなかった。二,三分のうちに、彼女はいつでも、その人が好きかきらいか、それとも無関心なのかを知った。
/「可愛いエミリー」
ところで、第一作のアンを読んでいると、最重要人物のアン・シャーリーも、名乗るまでは単に「子ども」とか「少女」と形容されているのに気づく。マシュウがアンを駅まで迎えにいき、馬車での楽しいドライブと一方的なおしゃべりを終えて帰り着いたグリーンゲイブルズで、マリラに名を問われて初めて応えるのが、「あたしをコルデリアと呼んでくださらない?」という名セリフ。これによって未知の少女への期待はこれ以上ないほどに高まる。以後は名無しの子どもではなく「アン」になる。映像になると最初からアンの姿が見えているので違いがわからないが、巧みな使い分けである。
その後ずいぶんたって、「アンの愛情」では、大人になったアンが、両親の住んでいた家の場所を知り、訪ねるエピソードが登場する。当時を覚えている住人から、若かった両親の賛辞に満ちた思い出を聞き、20年前の遺品の手紙を手にしたアンは、これからはもう孤児ではないと親友に語っている。
モード自身はどんな外見の子どもだったのか。いくつかの写真を、伝記などに見ることができる。「わたしの赤毛のアン」(キャサリン・M・アンドロニク著)によると、髪は子どもの頃金色で、成長するにつれて深い茶色に。ひざまでの長さがあった。幼いときの病気によって金髪から濃い色に変わってしまったヒロイン、パットを思い出す。もっとも、アンも赤毛から金褐色と周囲も認める美しい髪に変化していったのだったが。モードは大人になってからの身長が165cmだったというから、子どもの頃も小柄でやせていたのだろう。写真で見ると秀でた額の利発な表情が印象的だ。これがあの、エミリーが不本意に撮られ、ナンシー大おばに渡ってしまう写真のエピソードとなった"顔中が額のような醜い"肖像だとしたら、そんなに悪くはないのだが。
モンゴメリ家の遺伝で、彼女の瞳はときどき瞳孔が大きくなり、青や灰というより黒くなったという。瞳の黒い部分が大きくなるというのは、独特の魅力的な印象を与えるので、中世には意図的に薬品を飲んだ貴婦人もいたのだそうだ。小さな手はいちばんの気に入りで、きらいなのは口の形と歯。耳はエミリーそっくりな妖精じみた形で、同じく小刻みに動かせた。モードの外見は、アンというよりもエミリーに酷似していると思われる。
さて、結婚して念願の母親となったモードの描いた子どもたちは、結婚前の作品で描かれた少女時代のアンにはなかったような幼さの感じられる会話が各所に見られる。こうした会話は、実際に主婦であり作家であり、牧師夫人であった多忙なモードと幼い息子たちの間で交わされたこともあるのだろう。
「母さん、背中がぞくぞくっと冷たくなるようなおやすみのお話をしてくれる?そしてそのあとぼくが眠ってしまうまでそばにいてくれる?」 「いいとも、いいとも。それよりほか母さんってものはなんのためにあると思う、坊や?」
/息子ウォルターとアンの会話/「炉辺荘のアン」
11歳のエミリーが父を亡くしマレー家のニュー・ムーン農場へ引き取られることが家族会議で決定した後、初対面のいとこのジミーに甘える場面は、読むたびに頬をゆるませる子どもらしさがある。早熟なヒロインたちのなかでも芸術面でもっとも感受性の強いエミリーに、モードは「子ども」としての特性をきちんと与えている。もう11歳になっているのだから、孤児として果敢に生きてきたアンならば、こんなことはいわないだろうが、エミリーには必要な甘えだったのではないだろうか。
「ジミーさん、ニュー・ムーンでお菓子を作ったら、あたしに丼をはだけさせて、 屑を食べさせてくれるかしら?」 「ローラはさしてくれるよ──エリザベスは駄目だね」 いとこのジミーは真顔で言った。 「それから足が冷えたら暖炉で暖めさせてくれる?寝る前にお菓子くれる?」
/「可愛いエミリー」
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