ケイケイの映画日記
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終始、居心地の悪さと不気味さを感じながら、観ていました。でも主要な三人の感情の起伏は、すっと喉を通る作品です。先ず、普通はない経験をした三人は、本来なら自分とは縁遠いはずなのに、内省してしまいます。とにかく「凄い」作品でした。監督・脚本は𠮷田恵輔。最近には珍しく、映画のオリジナル脚本です。
小学生の頃に、禁止された場所での花火のせいで、拓海と龍之介の二人は、アパートの火事を引き起こします。その時に埜本(綾野剛)は、妻の涼子(木南晴夏)と子供を亡くします。この事がきっかけで、親友だった二人は離れ離れに。十数年後、勤務中の拓海(末廣誠也)は、埜本を見かけます。意を決して、きちんと埜本に謝罪する拓海。気持ちよく受け入れ、励ましてくれる埜本に、拓海は自分の「メンター」としてのめり込みます。
いや、気持ち悪いよ埜本。もちろん火傷じゃありません。もっと怒れよ。子供の頃の過失と言えど、拓海のせいで妻子が亡くなっているんだよ?暖かくポジティブな言葉の洪水で拓海を抱擁しますが、どうも胡散臭い。いつ本性を現して、拓海を操るんだろかと、ずっと疑っていましたが、なかなか尻尾を出さない。良い人が加速する様子が、別の意味で訝しい。やっと腑に落ちたのは、亡くなった妻の回想シーンと、自己啓発の本で埋め尽くされた本棚でした。
拓海はリーダーシップを発揮する子供だったのに、事件後引きこもりに。無理もありません。それが埜本に許されると、その器の大きさに、一気に埜本に傾斜する。埜本を自分のメンターと崇め、一言一句メモする有様。そして拓海もポジティブ馬鹿になって、どんどん依存していく。これはこれで危険だと思いました。
龍之介(磯村勇斗)は、アーチェリーのオリンピック候補。事件を乗り越えたというより、罪の意識が希薄に見える事を、拓海に指摘される。観客にもそう見える演出です。しかし彼は、アーチェリーに出会う前は、苛めにあったり自傷行為を繰り返したり、拓海とは違う形で罰を受けていました。それを救ったのがアーチェリー。何度もアーチェリーの極意は「無」だと語る龍之介。それはアーチェリーをする時だけは、事件の事を忘れられるからだと思います。言い換えれば、常に龍之介も、罪の意識に苛まれているのでしょう。
それが中盤、彼らの認識が180度転換する事が起こります。ここからの脚本の追い込みは、物凄かった。
埜本の人格と心の豊かさは頭で作り上げたものです。妻の涼子の回想で、彼女こそが聡明さと豊かな人柄を兼ね備え、夫の埜本を善き言葉で包み、支えていたのが判ります。亡き妻をなぞることで、荒涼たる生活の鎧にしたのかと思うと、心から同情しました。
拓海もしかり。埜本と出合って、謝罪に自分の居場所を見つけるという歪さ。それが、「180度」以降、どう自分の人生を描いて行けばよいのか、解らなくなる。当たり前だよね。埜本の言葉に言霊なんて宿っていなかったんだから。拓海が意味を受け取れるはずもありません。そしてあの土下座。不謹慎ですが、笑ってしまいました。行き過ぎた謝罪は滑稽なんだと痛感しました。
龍之介も、「180度」以降、どうなったか?もう「無」に逃げ込む必要が無くなった彼は、晴れ晴れとした心の代りに、魔が口を開けて待っていました。人間とは不可思議で皮肉なものです。
埜本の妻は、夫を想い、夫に元気になって欲しかったから、善き言葉を与え続けたのでしょう。それは『愛』では、ありませんか?埜本が妻になれなかったのは、彼自身が内省した吐き出した台詞が、理由だと思います。
演者はみーんな熱演・好演ですが、一番は木南晴夏!出番は少ないですが、この作品の菩薩のような包容力と豊かさでした。各種映画祭で、助演女優賞を取って欲しいです。
私が若い頃は、とにかく相手に感謝しろ、自分は下に置け、相手のお陰で今の自分があると思え的な、謙虚・謙遜が、特に女性には要求されていたと思います。そんな割り切れない、心の悲鳴を救ってくれたのが、善き言葉、別の視点を示唆した、数々の啓発本だったと思います。埜本の部屋にあったような。
そんなこんなで私も年を取り、段々と感謝ばっかりしてきて、私は何もしていなかったのか?いや違うだろう。感謝はするけど、一番頑張ったのは私だよ。感謝以上に、今の境涯を作ってきたのは自分だと、自信を持とうと思いました。謙虚ではありたいが、見苦しい謙遜は止めようと思いました。その頃からです。年下の人たちから、相談事を受けるようになったのは。
そして必ず「大丈夫!」と、言っていました。自分がどう見えるかではなく、相手を励ましたいので、そう言っています。それなりにあり谷あり、谷の方が多い人生でしたが、私は今それなりに、穏やかに暮らしているもの。凡人の私ですが、その時その時、これが最善だと思う方向に頑張った結果が今だから。それが根拠です。だから「あなたも大丈夫」なんです。
埜本の身の上に起こった事の悲惨さに、誰も「大丈夫」とは言えなかったんですね。憎いはずの相手から言われた「大丈夫」が、埜本の心を一気に解放した様子に、自分を重ねました。私の「大丈夫」は、年輪が刻まれているから、言霊が宿っているんだな(笑)。
ラストは、どん底であったろう自分から抜け出した龍之介と、事件に翻弄されて自分を見失い、別の自分を作り上げた拓海と、明暗を分けました。うーん、怖いよ(笑)。拓海の目を覚まさせるのは、龍之介だと思います。被害者たちに、「申し訳ありませんでした。深く反省しています」と言う割には、上っ面だった龍之介。それが拓海がくれた年賀状を返さなかった事を、「悪かったな」と一言だけ謝った時は、心の底からの詫びが感じられました。だから、今回は逃げないよ。
もう一度観たら、また新しい視点が出てくるように思います。私的に傑作だと思います。

あー、面白かった!ミラジョボの「バイオ」は一作くらい観たかな?理屈やドラマを削ぎ落し、息つく暇のない、イケイケドンドンの血まみれホラーでした。好みは断然こっちです。監督はザック・クレッガー。ゲームを知らない人も楽しめるよ。
医療関係の荷物を専門に配達するブライアン(オースティン・エイブラムス)。この配達で今日は終わりと思っていた病院で、高額の配達料を提示され仕事を引き受けます。しかしこの荷物が引き金となって、ブライアンの悲惨な夜が始まります。
ゲームの「バイオハザード」はやった事がありません。そんな私でも、ブライアン=自分と、映画の中で容易に重ねられます。ここでアイテムが手に入ったんだな、ここで敵が来るな、そして錠前のつるべ打ち(笑)。ここはゲームに則って映像化しているのかな?なので、早く逃げろ!とか、そこは助けちゃいかん!とか、だいたい解るのね。あぁそれなのにブライアン君・・・(笑)。
もちろん「バイオ」なんですから、感染者=敵は、撃って撃って撃ちまくる。もれなく内臓も肉片も出血も大サービスです。私はその辺は耐性があるので、大丈夫ですが、苦手な方は止めた方がいいかな。見せ方は斬新さより、先達の名作をリスペクトする、王道的な描き方です。しかし屋上から降ってくるあれは何事?ゲームもそうなの?あれは怖いぞ。
そして私が感心したのは、随所にユーモアをぶっこんで来る事。もう何回笑ったか。ミラジョボ版は笑った記憶はないです。とにかく間合いが抜群で、一呼吸早くても遅くてもダメなプロットで、絶妙に笑いを取りに来ます。いやー、監督センスいいわー。大出血の惨劇の中、笑いを取るのは本来難しいはず。その塩梅が良いので、息も尽かせぬ展開の中、一瞬だけ一息つけます。そう、一瞬だけな(笑)。
私が一番気に入ったのはブライアン君のキャラです。当初は頼りなさ満開で、彼女の妊娠も相手任せ。でも愛しているのは解るのです。最初の事故もバックレる事も出来たのに(バックレるとイーストウッドになる)、ちゃんと誠意を見せる(仇となるが)。心ならずも、「人殺し」となってしまった事に逡巡し、ラスト近くは、この惨劇を通り抜けた事で、何が一番大切かを悟るという成長まで見せる。
あぁ、それなのにあの仕打ち・・・。大昔、「Dの食卓」をやっていて、「そんな!親を撃つなんて!」と迷っているうちに、父親に食べられてしまった苦い過去を思い出しました(その次は当然雪辱)。続編するのか?それならブライアン君の応援団として、また観なくっちゃ!その前にクレッガー監督の前作「WEAPONS」を観たいと思います。
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