ケイケイの映画日記
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2025年01月26日(日) 「敵」




77歳の一人暮らしの男性の日常を描いていた作品。鑑賞した日は少々寝不足気味で、淡々とし過ぎて眠くなったらどうしよう?と思っていましたが、これが面白過ぎて、寝る暇一切無し(笑)。モノクロの画面が陰影深く、幻想的な雰囲気を盛り上げています。監督は吉田大八。

77歳の渡辺儀助(長塚京三)は、元フランス文学の大学教授。20年前に妻(黒沢あすか)に先立たれた彼は、古い家に住み、規則正しい生活を送っています。教え子たちの訪問を楽しみに、時々原稿を書いたり講演したりと、日々過ごしている儀助でしたが、ある日パソコンに、「敵が来る」と、メールが来ます。

前半は「 PERFECT DAYS」を思わす、ルーティーンの毎日を丁寧に暮らす独居老人の姿を描きます。特に毎日自炊して、家事も万端行っている事に驚愕。私は20年以上以前ですが、内科のクリニックで受付していました。74歳の大先生(若先生も居た)は、「お爺ちゃんが先に死ぬと、お婆ちゃんはそら生き生きしてな、5年も10年も長生きするけどな、男が残るとあかんな。早くて半年、まぁ2年で死ぬわ」と仰る。時代もあるけど、今もその傾向は強いと思います。

我が家を鑑みても、大先生の言う通りだと思う。そう思うと妻を亡くして20年、詫び寂びのある儀助の暮らしぶりは、何だか癪に障る(笑)。亡き妻はどう思っているのかな?

年金とその他の細々した収入と貯金から、死ぬまでの年月を逆算する儀助。当初は美しく円熟した暮らしに見えましたが、同じ教え子なのに、会話するだけの靖子(瀧内公美)にはディナーを振舞い、椛島(松尾諭)は、何くれとなく用事を手伝い、力仕事までしてくれるのに、お茶だけ。自分に仕事をくれる出世した教え子には、茶菓子とコーヒー。一見同じように接しているように見えますが、差をつけている。なかなか嫌らしい爺さんだわ。心の中が透けて見える小道具の使い方が、絶妙です。

そしてデザイナーの湯島(松尾貴史)と連れ立って行くバーに、フランス語を専攻する大学生の歩美(河井優実)を知ると、彼女目当てに足繫く通うようになります。鼻の下を延しながら、靖子と歩美を行ったり来たりしながら、亡き妻まで思い出す。もう性交渉は遠のいているはずですが、外からは伺い知れぬ煩悩満タンの様子が生臭く、男性の本能を突いているようで、面白いです。

急に妻の古いコートを出してきて、匂いを嗅ぐのは、若い二人と接触して、妻との思い出が蘇ったのでしょう。その内容は多分セックス。幻の妻と、生前叶わなかった、一緒にお風呂に入るシーンが好きです。靖子を想い夢精までするのに、妻はやはり特別なのでしょう。

身嗜み良く清潔感に気を配る儀助。それは、まだ女性を意識しているからだと思う。弛んだ身体を晒しながら儀助がシャワーするシーンが秀逸。高齢男性の老成したダンディズムを、老いた裸体で語らせるなんて、なかな思いつかないです。

しかし、その色気のため、儀助は墓穴を掘る。まんまと金銭を巻き上げられ、老後資金の目減りを切欠に、段々不安が広がって行ったのでしょう。「敵」とは、観る前に予想していた通り、「老化」だと感じます。段々と荒唐無稽になっていく儀助の妄想は、彼のひた隠ししていた、自分の恥部が露になって行きます。「これは夢だから大丈夫」という儀助の台詞もあり、これが認知症なのかどうかは、私には判りません。ただ、儀助が今まで努力して作り上げていた「自分自身」が壊れていく、儀助の恐怖は感じます。壊れていく過程で、あんなに丁寧に作っていた食事が、段々雑になっていくのが印象的でした。

美術が飛び切り上手い!あの古い家、セットが絶妙でした。表情豊かに、儀助の人となりを表現していたと思います。年寄りの生活を最低限守るくらいには手を入れていて、台所や水回りのセットが絶妙でした。コンロは高齢者には危ないガスではなく電気。魚を焼く時はカセットボンベに魚の網焼き。なのに換気扇は古いままなのは、今の様式は家が古くて取り付けられないんだな。キッチンの導線はリアルに生活感が現れている。洗面台は冷たい水しか出ないのに、洗濯機の上には乾燥機があるけれど、ドラム式ではない。それと炊飯器!私も数年前に買い換えて、お米をお水に浸す時間なしに、研いで直ぐ炊ける事にびっくりしましたが、儀助もそうしていました。本当に最小限だけ「今」を取り入れて、彼が丁寧に人に迷惑をかけずに暮らしていた工夫を、美術は繊細に表現していたと思います。

長塚京三がとにかく素敵。インテリで人格者とされた内面に隠された、生臭さや煩悩の表現が秀逸。哀愁だけではなく滑稽さもあり、幾つになっても人間は老い切れはしないんだなと感じ、それもまた良しと感じました。モノクロ画面に照らされた女性3人は、艶やかでとても美しい。黒沢あすかは、鮮烈な役柄が多いですが、幻の妻に、可愛い良妻だったんだと感じ、彼女が好きな私は、嬉しかったです。滝内公美も素敵な俳優さんですが、美しさは今まで観た中で、この作品が群を抜いていました。

老人を描くと、孤独や哀愁に黄昏、または円熟を描く作品が多いですが、それらは掘り下げず、恥多き部分も満タンに描きながら、ユーモアと洗練さに満ちた作品です。場内ほぼ満員で、若い人もたくさん。出来れば身に詰まされない、若い人に感想が聞きたい作品です。




2025年01月19日(日) 「サンセット・サンライズ」




延び延びになっていた映画館での一作目は、大好きな岸善幸監督作です。直前まで脚本がクドカンとは知らず、確か舞台の東北出身だったなと、期待値高めで観ました。コロナ禍、地方の過疎化問題、都会からの移住者問題、そして震災。これだけ詰め込んだのに、繊細に心配りの出来た仕上がりに、とても感服。心に残るシーンが随所にあり、とても感激しました。素敵な作品です。

時は2020年のコロナ禍の始まり。大手企業に勤める西尾晋作(菅田将暉)は、仕事がリモートワーク中心となるのを切欠に、転居を考えます。そこへ宮城県の三陸の宇田濱に4LDKにして、月6万の格安物件を発見。家主の百香(井上真央)は、役場の空家問題担当者で、漁師の父親、章男(中村雅俊)との二人暮らしで、何かと晋作の生活の面を支えます。釣りが大好きな晋作は、神出鬼没にあちこちのスポットに出現。しかし、様々な境遇の土地の人々は、必ずしも晋作を歓迎してくれはしません。

東京から来た晋作に、汚い物に接するかのように、消毒スプレーかけまくる百香に、あー、そんなだったねぇと、何だか感慨深い。ソーシャルディスタンスとか、検温とか、二週間の隔離とか、あったあった。「人じゃないから、魚は接触OK」と、釣りに出かけてしまう晋作にクスクス。以降、素直で健康的、屈託なく宇田濱の人々に接する晋作に、画面も宇田濱の人々も、引っ張られて行きます。

百香と章男は、血の繋がった親子ではなく、実は舅と嫁。夫(息子)、子供たち(孫)、妻(姑)を、震災で亡くした二人。晋作の家は、親から独立して住むため、夫婦が建てた引っ越し前の家でした。同じように、子供と連れ合いを亡くした二人。そしてそれぞれ血の繋がりもある。どんなにお互いの存在に慰められたろうと思います。それが本当の父娘に見える理由だと思う。

晋作の存在が、百香に思いを寄せるケン(竹原ピストル)やタケ(三宅健)たちに波紋を呼び、同僚の仁美(池脇千鶴)や近所の爺さん(ビートきよし)らからは、あれこれ詮索され、疲弊する百香。都会では考えられない、プライバシーの無さ。そこには、まだまだ夫や子供たちの死から、立ち直れぬ彼女がいます。奇しくも今年は阪神大震災から30年。当時大阪で激しい揺れを体験した私にも、当時の怖さは鮮明です。百香にとって、たった9年。忘れられるものでは、ありません。

一人暮らしの隣のシゲ(白川和子)と仲良くなる晋作。他の住人と違い、色眼鏡で晋平を見る事もなく、自分の人生も晋作に語ります。何故話してくれるのか?
と問う晋作に、来年はいないからだと答えるシゲ。夫を見送り、息子三人は都会に居を構え、今はなかなか会う事も無い。人生とは出会いと別れを繰り返すものと、誰にも依存せず生活を送る彼女は、達観しているのでしょう。東京者の晋作と仲良くなるのは、偶然ではなく必然だったのかも。

金儲けのチャンスとばかり、ズカズカと慇懃無礼に宇田濱の町に乗り込む晋作の会社の社長の大津(小日向文世)。あの香典の厚さは、札束で人の頬を張るみたい。しかし、大手企業と地方の町役場という水と油のコラボは、あちこち軋轢を生みながら、少しずつ進み始めます。こういう光景を見ると、地方の活性化は、都会の企業には命題なんだと思う。儲けを度外視するのは、恵んでいるようで、その土地の人に失礼です。如何に儲けを生むか、その土地が活性化するか考えてこそ、企業だと思う。そう思うと、あんな美味しいそうなお刺身に手付かずだった社長の事も、許してあげようってもんです。

これら、たくさんの出来事を強弱つけてコミカルに笑わせ、または哀愁を帯びて胸に染み入って描く様子が秀逸。クドカンの脚本はいつもおふざけが過ぎる箇所がありますが、監督の腕なんでしょうか、ドタバタも寸止めで終わらせています。

私が一番心に残ったのは、自分は震災なんかどうでもいい、ただこの土地が好きなだけだ。自分はこの土地に何をすればいいのか、解らないと吐露する晋平に語り掛けた、ケンの言葉です。「見てくれるだけでいい。自分たちはいつも東京を見て育ってきた。でも東京の人は東北の事なんて気にもしていなかっただろう。それが震災になって、様々な所から、何かしたいと東北を気にかけてくれた。素直に嬉しかった」と告げたセリフです。

私は近畿地方では、まず真っ先に名前が上がる大阪、それも一番便利な市内に生まれ育ち、今も居住。「東京も」見て育ちました。「を」と「も」が、これ程人の境涯を分かつのかと、ケンの台詞で思い知りました。私も東北や北陸の人へ、何をすればいいのか、解らない。でもかの土地の食材や工芸品が目に付くと、積極的に買っていました。正に貧者の一灯だけど、原作者の楡周平もクドカンも岸善幸も、東北の人。それでいいんだよと言って貰ったようで、込み上げるものがありました。

愛嬌たっぷり天真爛漫、そして優秀さもチラつかせる晋作を、元気いっぱい演じた菅田将暉が好感度大です。私はこういう彼が好きです。如才なく家族とも同僚とも付き合う晋作ですが、どこか息苦しさを感じているのも解ります。宇田濱にご縁があったのも、これまた偶然ではなく、必然だったのでしょう。

聡明さの中に陰を隠したマドンナを演じる井上真央も秀逸。こんなに綺麗だったんだと、びっくり。地味な装いの中に、百香の内面の美しさと憂いも充分表現出来ていたと思います。それと特訓したんでしょうね、魚の捌き方が素晴らしい!なめろうなんて、一瞬に作ってましたよ。子供たちの声の入ったカセットを一人聞きながら涙する百香。彼女にとって、この涙は、生涯必要な涙なんだと思う。
びっくりしたのは、池脇千鶴。何?太った?中年太り?老けて別人みたいだったよ。お節介な中年女役で、相手の心にドスドス踏み込む様子には、イライラ。という事は、相変わらずお芝居は上手なのよね。あれは役作りと思いたい。どれくらいインパクトかと言うと、超古い例えで申し訳ないですが、「細腕繫盛記」で、綺麗なお姉さんだと思っていた富士真奈美が、「加代、おみゃーの好きには、さえねえずら!」と、瓶底メガネでいびり役で出て来た時と同じくらい、衝撃でした。

他には白川和子が印象深い。あの広い家を、丁寧に手を入れて、たくさんの食器も捨てられないのは、いつ息子たち家族が泊まりに来ても良いようになのです。私も年に数度、息子家族や息子たちが集まるので、食器が捨てられないのです。外食してもいいのにね、しんどいしんどいと言いながら、狭いキッチンで作っちゃう。懐かしいだろう、好きなおかずを食べさせたいんです。あの家には、たった一人で暮らしても、家族を想うシゲの暖かい心が詰まっているのです。それを息子たちが理解してくれた様子にも、涙しました。

家とは、人の心が宿るものなんだと、この作品を観て、改めて思いました。

さて、お互い思い合っていた晋作と百香はどうなったか?亡くなった夫や子供を忘れられない、忘れたくない百香にとって、「結婚」は禁句。これがウルトラCの秘策がありました。他人同士の三人が、きちんと親族として認められる方法です。この策にOKするなんて、章男父さんも進歩的だよ。大らかな晋作なら、百香の気持ちを尊重してくれるはずです。

私は海鮮が大好きなんで、画面に度々出てくる、当地のお料理の数々が、実に美味しそうなんです。もう涎ものでね、絶対に東北に行くぞ!と誓いました。これでいいんですよね、監督?まごころのこもった、素敵な作品です。




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