ケイケイの映画日記
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「紅」が、あんなにええ歌やったとは・・・。すっかり書くのが遅れちゃいましたけど、これもとっても面白かった!やくざと真面目な中学生の触れ合いがメインのようで、そちらは実はスパイス。思春期前半から後半へと、揺れ動く中学生たちの憂鬱や男女の差などを、飄々と奥深く描いてた、青春ものだと思います。監督は山下敦弘。
合唱部の部長の聡実(齋藤潤)。中学生活最後のコンテストがあるのに、変声期で声変わりしつつある自分の声が、悩ましい。ある日、見知らぬやくざの狂児(綾野剛)から、「カラオケ行こう」と声をかけられ、引っ張っていかれます。もうじき組長(北村一輝)の誕生日なのだが、カラオケ大会で一番下手に歌うと、恥ずかしい刺青が彫られる。なので、それを防ぐべく、聡実にレッスンして欲しいと言います。
勿論断る聡実くんなのですが、気がつけば狂児にいつも拉致られ、カラオケへ。脅しも一切なしで、見事なお手並み。やくざにしたら、真面目な中学生なんて、赤子の手を捻る様なもんやもんね。「聡実く〜ん」と、はんなり呼びかける狂児の様子は、頭は怖いやくざと理解していても、心は油断させてしまうのでしょう。
聡実くんは、もう一つ「映画を観る部」というクラブの特別部員で、合唱部の事や狂児の事、色んな悩みを、モノクロのクラシックの名作映画を観る事で、ヒントを貰っています。この様子がとってもグッと来てね。私も年相応のアイドル映画なんか見向きもせずに、往年の名作がテレビで放送されると(レンタルもサブスクも無い時代)、必死でビデオ撮って観てたもんな。アイドルにキャーキャー騒いでるあんたらとは、ちょっと違うでと、節度は持っているつもりながら、選民意識も持っていました。あの頃の私は、頭でっかちの、理屈っぽい女子であったなと、彼らを観て懐かしく思いました。
この作品は、思春期の男女の成長の差も描かれています。聡実くんの悩みも知らず、練習に熱の入らない彼に、食って掛かる後輩君。その度に副部長の中川(八木美樹)が宥めに入る。「中川、何してんの?」「子守りや」の、他の女子の言葉には大いに笑いました。一つしか年が変わらんのに、子守りってか?(笑)。心が体の成長に追いつかない子。またはその逆。中学生が、一番心身共に不安定であることを、ゆるゆると描きつつ、深く心に残りました。
初対面の狂児の「紅」に、「裏声が気持ち悪い」とバッサリの聡実くん。その他、組のもんの歌にも「声が汚い」「ビブラートが多すぎる」と、また毒舌吐いて、バッサバッサ。物怖じしなさ過ぎですが、ヤクザ相手に自分の意見がしっかり言えるのは、観てい小気味良くて、笑いのポイントも高しです。
思うにね、聡実くんは両親に恵まれているのよな。「おもろないから」と、自分の生まれたての息子に「狂児」と名付ける父親(加藤雅也)と、鶴亀の傘を息子に買う父親(宮崎吐夢)では、同じ酔狂でも質が違う。だって鶴は千年亀は万年じゃ。長寿健康を息子のため、祈ってんのよ。それが「聡い果実」という、若々しくて賢い名前に込められてんのよな。
「狂児」という名を背負って生きるのは、辛い事も多かったはず。家裁にでも掛け合ったら、この場合なら本名の変更は認められるはず。そのままだったのは、母親もそれなりの人だったんでしょう。明らかにおかしい自分の親を怨むでもなく、暗に聡実くんの親を褒める狂児は、やくざながら、人格は高い模様です。
名作のお陰か、ナイスは哲学的言葉が出る映画部の友人君から、「愛は与えるもんらしいで」と聞いた聡実くん。母(坂井真紀)が、鮭の皮だけ剥いで、父にあげるのを観て、目を見張る。私も目を見張る。何故なら私も鮭の皮が好きなので(塩焼きよりムニエルが美味。タラの皮も好き)。でもうちの夫はくれませんよ。そんなもん食うなと言う。私はケンタッキーフライドチキンの骨も大好きなんですが、夫はフライドチキンなら、「お母さん、骨が多いとこ取りや」と必ず選ばせてくれます。それはね、舅もチキンの骨が好きで、バリバリ噛んでたんやって。だから理解の範疇な訳。でも鮭の皮は範疇外。坂井真紀も範疇外だと思いますが、夫にあげるのよね。理解出来なくてもあげる。これこそ愛じゃござませんか?鮭の皮一枚は、ユーモアポイントだけではなく、真実も突いてるのね。
いつもフレンドリーで保護者のような狂児に対して、段々心を開いていく聡実くん。聡実くんが思春期らしい感情の起伏を見せる時でも、狂児は深追いしません。「お前ら、やっぱりやくざや!」と、組長のパーティーで、強面のオジサンばっかりの中、狂児を想い啖呵を切る聡実くん。ここまで、待って待ってやっと聞ける聡実くんの熱唱は、やっぱりあの曲。思わず目頭が熱くなりました。その後の展開は予想通りでしたが、狂児を思う聡実くんの心に、それでも泣けました。二人のキャラと交流を、丁寧に紡いできたのでね、とにかく感情が盛り上がるシーンで秀逸です。
問題点としては、やくざがこんな良い人でいいのかと。若い子が誤解したら、あかんがなという点ですかね?そのための切った小指や、イカレたシャブ中の登場なんでしょうが、その点を踏まえて、もうちょっと怖く描いてもいいかなと思います。
とにかく齋藤潤くんがいい!賢くてちょっとシニカル、でもやっぱり根は純真な聡実くんを演じて、出色の演技。ビリングトップの綾野剛ですが、この作品は中学生が主役を心得ていて、潤くんを生かす演技に終始していて、とても良かったです。綾野剛は好きでも嫌いでもなかったですが、愛してしまいそうなくらい、良かったです。
思春期前半を卒業して、後半開始の前の、宴のような出来事を、「幻」と表現するなんて、粋やねぇと感心していたら、なんや、あの蛇足のオーラス!。しかし原作コミックで「ファミレス行こ!」という続編があるんですって。次を作る布石かも?続編出るまでに「紅」が歌えるようになろうと誓う、私なのでした(笑)。
2024年01月21日(日) |
「NOCEBO/ノセボ」 |
親愛なる映画友達のプッシュで観て参りました。私がホラー、ミステリー好きというのをご存じで、尚且つ「90分ちょっとです」(長い映画は大嫌い)との魅惑の囁きに、付き合いの長さを感じ、恐悦至極でございました。あまり話題には上っていませんが、期待通りの秀作でした。ロルカン・フィネガン。
子供服のデザイナーとして活躍するクリスティーン(エヴァ・グリーン)。マーケティングの仕事で世界中を回る夫のフェリックス(マーク・ストロング)と、小学生のボブス(ビリー・ガズドン)と、お城のような邸宅に住んでいます。仕事中にある幻影を観てから、原因不明の体調不良に襲われるクリスティーン。8か月が過ぎます。そこへクリスティーンに雇われたと、フィリピン人メイドのダイアナ(チャイ・フォナシエ)が現れます。雇った記憶はなかったクリスティーンですが、民間療法で体調をほぐしてくれるダイアナを、信頼していきます。
甲斐甲斐しくクリスティーンの介護をし、家族の世話をするダイアナ。しかし自室に祭壇を作り、クリスティーンの体調不良の原因を作ったダニを箱にしまいます。普段は優しい笑みを浮かべているのに、時々、刺すような視線をクリスティーンに向ける様子が不穏です。
ダイアナは、とある不可抗力で、魔術師を引き継いでしまったと語ります。その名はオンゴ。その魔術のせいで、人からは嫌われ、貧しかった彼女の親は、娘で金儲けしたと、辛い自分の半生を語ります。そして自分を信じて欲しいと、クリスティーンに伝えます。
時系列がバラバラで、クリスティーンの近しい過去、ダイアナの生い立ちが、今と並行して、少しずつ挿入されます。そこには他者の子供にも優しく、幸せな家庭を築いていたはずのクリスティーンの裏の顔と、魔術を使い、豪勢な暮らしも出来たはずなのに、魔術を封印して、平凡な道を歩んでいたダイアナの様子が描かれます。この少しずつ、が、とても効いている。ジグゾーパズルが少しずつ埋められていくように、二人の女性の真実の顔が浮かび上がる様子がとても秀逸で、脚本の上手さが光ります。
ボブスは学校で虐められており、両親は仕事で忙しい。どこにも居場所がないのです。母であるクリスティーンは、娘の自分に向けられる毒舌は、その苛立ちだからなのに、そんな娘が疎ましい。しかしダイアナは、少しの交流で、ボブスの悩みを見抜きます。それは魔術師だからではなく、ボブスを見守る気持ちがあったからでしょう。そこにこの二人の、母としての素地や素養が、現れていると思いました。
母親の体調の悪さに心配し、言葉をかける娘に、「あっちへ行って!」と、冷たく告げるクリスティーン。親の不調は子供の心を不安にさせるものです。親なら、子供を不安にさせる事に、申し訳なさを感じるはずなのに。自分の感情を優先させるクリスティーンの冷酷な姿に、違和感と嫌悪感を持ちましたが、ショッキングなラストの展開で、それは当然だったんだと感じます。
明かされる真実。ここでも描かれる「黄色人種の命は、白人より軽い」。日本人が「名誉白人」扱いされるのは、皮肉でしかないのだなと、痛感しました。そして、とても居た堪れない気持ちになりました。平凡な幸せを夢見たダイアナが、再び封印していた魔術を使った気持ちは、当然だと思います。
日本が少しずつ沈滞化し、今まで考えられなかった出稼ぎ労働に、海外へ出ている人も多いと聞きます。そんな今だからこそ、東南アジアから就労ビザで日本で働く人たちの気持ちが、理解出来るのでは?国力が落ち、経済力が落ちた今だからこそ、人としての、正しい理性や感情が取り戻さなければいけないのだと、この秀逸なスリラーを観て、痛感しています。
これもとっても良かった!フィンランドに住む不運な中年男女が、自分には悲劇、でも他人から観ると喜劇みたいな、とぼけた味わいで描かれます。人を食ったようユーモアに始終クスクスしながら、じんわりと彼らの厳しい人生が伝わってくるのです。でも最後まで観ると、「希望」という言葉が、この作品には一番相応しいと感じました。監督はアキ・カウリスマキ。
フィンランドのヘルシンキ。スーパー勤めのアンサ(アルマ・ポウスティ)は、賞味期限切れで、廃棄になる食品を持ち帰っている事がバレて、スーパーをクビに。慰めてくれる同僚と行ったカラオケバーに居た、現場作業員のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)と知り合います。
アンサがクビになるのは、業務規約違反なので、心情的には同情しますが、仕方ない気がします。私はそれより、「こんな事(同僚を売って)までして出世したいか」と、密告した同僚をアンサが詰った事が気になりました。厳ついですが、意地の悪そうな人でもない。きっと妻子がいるのでしょう。貧しさが蔓延し、みんな貧しさから抜け出したいのだと感じました。
タコ部屋みたいな部屋で、同僚と暮らすホラッパ。孤独が彼を蝕んでいるのでしょう、アルコール依存です。風変わりなれど気の良い同僚が彼を心配してくれます。縁あってデートする二人。「また会える?」と尋ねるホラッパに、電話番号をメモして渡す時、ホラッパの頬にキスするアンサ。いいなぁ、ほっぺにチュー。くちづけより、私はほっぺにチューが好き。「PERFECT DAYS」のリサのチューは、お礼のキス。アンサのキスは、親密になる前のディスタンス。身持ちの堅い彼女を表していると思いました。
しかしここからが、すれ違いのつるべ打ちなのです。紆余曲折して巡り会えても、拗れる二人。この辺で、あぁメロドラマだったのねと、気付きました。
アンサはスーパーをクビになってすぐ、皿洗いの仕事を見つけ、この職場が無くなると、さっさと工場勤めを見つけてきます。この工場が腕力体力が必要で、多分男性の仕事です。ここにアンサに生きる事に対しての、芯の強さが現れている。
対するホラッパ。どこへ行ってもアルコールでクビに。親兄弟がアルコールで身を滅ぼしたのを観ているアンサは、アルコールを絶たないと付き合えないと、彼に告げます。じゃあ、サヨナラだ!と捨て台詞を吐くホラッパ。弱い人だから依存症になるのか、依存症だから弱いのか。
アンサもホラッパも、生活苦が滲み出ていますが、元はなかなかの美男美女。人生を諦めるほどの年齢でもなく、人恋しいのではなく、人肌が恋しいのじゃないかなぁ。心を温めるのは友愛でも親愛いいでしょうが、人肌を温めるには、親密な関係じゃないとね。もちろん男女でも同性でも。二人が切れそうな縁を、必死に思い留まったのは、私はアンサのホラッパへの、頬のキスだったように思えます。妙齢の男女にしたら、とても純情です。生活苦でも、心は荒まなかったんですね。
ラジオからはウクライナの戦況の様子が常に流れてきます。当初はダイヤル式の電話、クラシックな映画館等、えっ、いったい何時の時代ですか?と感じる観客を、現実に戻すツールなのかと思っていました。でも終盤に近付くと、どんなに貧しくても、ここは戦場ではない。死ぬことはないのだと、静かに伝えてくれているのだと、解釈しました。
紆余曲折というより、奇想天外な道行を経て、添う事になった二人。松葉杖姿が、あんなに希望に満ちて見えた事はありません。たった90分弱で、すっかりカウリスマキの虜になりました。
2024年01月08日(月) |
「 PERFECT DAYS」 |
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
今年の最初の作品です。本当は「ノセボ」が本年一発目のつもりでしたが時間が合わず、それほど期待は高くなかったこちらが幕開けに。これが何と素晴らしい!初老男性のルーティンの毎日が、津々と心に滋養を注いでくれました。監督はヴィム・ベンダース。役所広司のカンヌ映画祭主演男優賞受賞作。彼の素晴らしい演技も見どころです。
公共トイレの清掃員の平山(役所広司)。下町の古いアパートに住む初老男性です。チャラくていい加減なれど、愛嬌のあるタカシ(柄本時生)とコンビを組んでいます。ある日、毎日規則正しく生活をしている平山の元に、妹(麻生祐未)の娘である姪のニコ(中野有紗)が、母親と喧嘩して家出してきます。
清掃員を主役にするのはいいけど、何でトイレ?と観る前は思っていましたが、観て納得。東京の公共トイレは、清潔なだけではなく、その場に応じて遊び心があり、とても楽しい!外国人に日本のトイレの評判が高いとよく耳にしますが、それをとても実感出来ます。
観る前は、平山は孤高で少々偏屈な人なのかと想像していましたが、予想×。タカシは変人とも称しますが、それも違う。朝起きると雑草に丁寧にキリを吹きかけ、口髭の手入れから始まります。夜明けに家を出る時は、必ず微笑んで空を見上げ、朝食代りの缶コーヒーを購入。それも苦いブラックではなく、甘いカフェオレなのもご愛嬌。ルー・リードやパティ・スミス、その他のカセットデープを日代りにチョイスしながら、仕事場までドライブ。丁寧で生真面目な仕事ぶりは、彼の人柄と、仕事への遣り甲斐と誇りをも感じます。
雑草を育てるのは、凄く共感しました。私は分譲マンションの管理員で、マンション内の一部に砂利を引いている個所があって、そこに種が飛んできて、雑草が生えます。それが見事な花を咲かせたり、立派な枝ぶりになる事があるのね。この仕事をする前は、雑草は雑草であって、こんなに綺麗に花を咲かせるなんて、思ってもいませんでした。人目につかない場所なのを良い事に、草むしりの時は、実は選別しているのです、私。館内を巡回中の時、おぉ、いいねいいねと、育っているのを見るのは、私の小さな楽しみです。平山はプラス、そこに自分を重ねているように思うのです。
仕事が終われば馴染みの銭湯へ。駅構内の居酒屋で、大将の威勢の良い「お帰り!」の掛け声と共に、チューハイが出てくる。会話こそないけれど、常連さんたちへ、愛想良く笑顔を向ける平山。お昼のサンドイッチを食す境内でも、いつも隣合わすOLさんにも、会話はないけど笑顔を向けて挨拶。
テレビもパソコンも無い家では、夜は読書で過ごす。休日はコインランドリーで洗濯。写真屋で趣味のカメラのフィルムを現像して貰い、新しいフィルムと交換。古本屋で文庫本を購入し、その後、これも馴染みのスナックへ。平山とママ(石川さゆり)が、お互い憎からず思っているのも解ります。もう最高じゃないですか?何の変哲もない日々から、心豊かに充実した毎日が感じ取れるのです。
何がびっくりって、この初老のおじさんの、平凡なルーティーンの毎日が、観ていて実に興味深く楽しくて、全く飽きないのです。まず一口にルーティーンと言っても、少しずつ変化やアクシデントあり、全く同じ日はなかった事。私自身、刺激や変化は好まず、出来れば同じ日々を繰り返す方が好きです。(退屈でも全くOK)そう思うと毎日過ごす平凡な日々が、何と愛しく尊いのだろうかと、感じ入りました。
平山は、超寡黙なのに、どこでも絶妙な距離感を保ちながら、人々に好かれています。身だしなみが良く、行儀の良い所作。他者への穏やかな気遣いが自然と出来るところなど、、育ちの良さと教養が浮かびます。そして、タカシの想い人のリサ(アオイヤマダ)から、ほっぺにチューされて、思い出し笑いなんかして、なかなかお茶目なんだなぁ。適度に抜けていたり少々隙もある。人格者だと判るのに、構えなくても良い人です。ちょび髭のせいか、少しチャップリンを思い起こしました。この地味で少しユーモラスな日常を映すだけで、平山が愛すべき好人物であると理解させる脚本と演出に、本当に感激しました。
ニコはミドルティーンでしょうか?家出先に、何年振りかに会う伯父を選んだのは、昔から平山を慕っていたのでしょう。安全な血縁者を選ぶことに、無鉄砲さのない、賢い子だとも思います。闖入者にもルーティーンを壊さず、柔軟に対応する平山。物事を受け止める度量があるのでしょう。
しかし、娘を迎えに来た妹との再会は、何事もさざ波として受け止めていた平山に、大きな感情のうねりを齎します。運転手付きの車で迎えに来た妹の言葉から、元は平山も裕福な出だと判ります。皮肉めいて「こんな家に住んでいるのね」と苦笑いする妹ですが、娘を預かってくれたお礼に、平山の好物を差し出します。お金なら、決して受け取らない兄だと解かっているのでしょう。施設に入っている父に会いに来て欲しいと告げ、「兄さん、本当にトイレ掃除の仕事をしているの?」と問いかける顔からは、侮蔑ではなく、無念さが滲むのです。私の兄は、もっと優秀な人なのに、という気持ちなのでしょう。
妹と姪を抱きしめ、見送った後、男泣きに泣く平山。初めて見せる感情の昂りです。平山に何があったかは、描かれません。想像するに、裕福な気位の高い家庭では、平山の純粋な感性や感受性を受け止めて貰えず、家を飛び出してしまったのかな?その過程で、父親に傷つけられたように想像しました。平山の涙は、父の、家族の期待に応えられなかった、己の不甲斐無さに対してだったのでは?と感じると、私にも胸に迫るものがありました。縺れた紐の原因が、自分にあると顧みる事は、なかなか出来る事ではありません。
ママの元夫(三浦友和)との会話は、人生の終盤に差し掛からねば解らない含蓄があり、ここも心に染み入ります。説明のつかない自分の感情は、老いては無理に答えを出そうとはせず、自分の感情に従っても良いのだと思いました。
ラストの、涙を堪えて笑おうとする車中の平山に、堪らず私も涙しました。毎朝の空を見上げての笑顔は、彼なりの「火打石」だったんでしょう。「パーフェクトな日々」は、平山が自分を見失わず、生きる事に誠実に向き合って、作り上げた日々なんですね。どんな境涯でも、人生の豊かさは自分で見つけ、自分で育むのだと、教えてくれる作品です。登場人物皆が、祝福されますようにと、祈らずにいられません。
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