ケイケイの映画日記
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監督のロバート・ロドリゲスは、好きな監督です。でも「アリータ・バトルエンジェル」は飛ばしたので、随分とお久しぶりな気がします。ファミリー向けの「スパイキッズ」も楽しかったですが、基本的にはB級テイストの監督さん。今回は、長年ハリウッドのメインを張るベン・アフレックが主演のサスペンス。どうなんでしょうか?と、ワクワク期待して観てきました。うん、主演はA級だけど、楽しめるB級でした(笑)。
数年前、最愛の娘ミニーを誘拐され、今も生死不明の刑事のローク(ベン・アフレック)。哀しみが癒えぬ彼は、カウンセリングを受けながら、毎日を過ごしています。ある日、銀行が襲われるという通報があり、同僚と見張っていると、見覚えのある男(ウィリアム・フィクナー)の姿が、目に留まります。次々と不思議で不信な出来事が起こり、行きがかり上、ロークは占い師のダイアナ(アリシー・ブラガー)を連れて、逃亡する羽目になります。
ストーリーは現実世界だけでは、ありませんでした。ちょっと「インセプション」みたいな感じ?でもSFチックだった「インセプション」と比べて、こちらは超能力ですから、断然話が解り易い!そして軸になるのは、父親だけではなく、母の愛も描かれて、娘への命がけの愛情が貫かれ、結構泣かされます(泣いてないけど)。そこには哲学も科学もなく、一途に子供の自由を守りたい家族の愛なの。これも気に入りました。
一発芸的な「メメント」で名を上げ、いつの間にやら巨匠の仲間入りをしたノーランが、時々高尚な味付けを仕込んでくるのに対して、こちらロドリゲスは、あくまでラテン的賑やかさを振りまき、ちょっと泥臭い。そのロドリゲスにしたら、この作品は、かなり洗練されていると思います。
でも敵役に、普通は三番手くらいのフィクナー、ヒロインはブレイクも半ばで中年になったブラガーと、そこはかとなく漂うB級感が、何故かとても嬉しい(笑)。それで主役がベンだもんね。花形役者だけではなく、監督としての力量も一級品のベン。次代のイーストウッドだと誰しも想起する彼が、大作でもない作品で、力いっぱい演技だけする姿は、何だか清々しいのね。再会した娘とのシーンなんか、こっちまで胸が熱くなっちゃった。
バンバン撃たれちゃうのに、死ななかったローク。あれ?警官だから、防弾チョッキ着てたのか?とか、ブロンドで如何にも白人の母なのに、何故娘はラテン系の顔立ちなの?とか、頭の片隅に残っていたことも、謎解きしてくれます。
まぁ娘の隠れ場所は、あんなところ、すぐ判るだろうと思いますが、その辺のご都合主義は、美人に成長した娘ちゃんに免じて、不問と致そう(笑)。次から次のどんでん返しは、私は全然解りませんでした。なのでとっても面白かったです。ほぉ〜ほぉ〜と、感心しながら観ちゃった。肩の力を抜いて楽しめる、プログラムピクチャーです。
2023年10月23日(月) |
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」 |
長い映画が大嫌いと公言して幾歳月。駄作がほぼないレオの主演、何度も組んで秀作も多いスコッセシが監督(「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が大好き)、おまけに悪役がデ・ニーロなんで、観ない選択なんかあるもんか。と、決死の覚悟で206分観て参りました。あっと言う間、とは言いません。実話が元の大事件なのに、淡々と進む画面に、まるで狐に摘まれた気分。少々冗長だなぁと思いつつ、終盤のセリフに目が覚めました。その意味を体感して貰いたくて、こんな長い時間かけたんだと理解しました。監督はマーティン・スコセッシ。
政府によって、オクラホマに強制的に移住させられた先住民族のオセージ族。しかし、その居住地から石油が出たため、彼らは一気に白人以上の富裕層となります。戦争帰りのアーネスト(レオナルド・ディカプリオ)は、その土地で資産家として暮らす叔父のヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼り、移り住みます。オセージ族の女性モリー(リリー・グラッドストーン)と恋に落ちたアーネストは、彼女と結婚。程なく不可解な殺人事件が多発して、ワシントンから派遣された特別捜査官(FBI)のホワイト(ジェシー・プレモンス)が、捜査に乗り出します。
当初はホワイトの役がレオで、犯人捜しのミステリー調の予定だったとか。それをレオが、今回のような事件の闇に重点を置いた内容に変更を申し出たんだとか。彼の人種差別に対しての、意識の高さが伺えます。因みに今回の事件の捜査を指令したのは、あのJ・エドガー・フーヴァー。映画の「J・エドガー」でレオが演じていましたね。
オセージ族の金満家ぶりがすごい。インディアンと呼ばれる人々にこんな史実があったとは知らなかったので、面食らいました。服装や生活様式も白人に寄せて、いやそれ以上です。しかし受益権と呼ばれる権利やお金の出し入れは、多くは白人に管理されていたようで、オセージ族の純血である人、そうでない人では、受けとる金額に違いもありました。
既に数十人オセージ族が殺されているのに、警察は捜査しない。多くはお金目当てでオセージ族と結婚した白人の夫が、妻たちを殺しているのです。しかし、危機感は募らせるものの、次々と白人と結婚していくオセージの女性たち。
これ、男女逆なら解り易い。権力のある男性が、金に物を言わせて女性は選り取り見取り。その逆バージョンと思えばいいのでしょう。同じ境遇の女性たちが、次々死んでいくのに、どうして?そこには愛があるからというより、お金が今までインディアンだと差別されていた女性たちを解放、それが高じて傲慢にしたのじゃないかしら?お金って怖い。
牧場経営のヘイルは、オセージの人々にとても友好的。集会などにも顔を出し、文化や教養の面で、オセージの人々の後押しもする。レオはヘイルの差し金であっても、本当に妻であるモリーを愛している。二人からは表面的な親睦とは、感じません。悪意と親睦・愛情は、共存出来るはずがないのに。あまりにまったり展開するので、ブラックコメディを見せられている気分でした。
そこに終盤に出て来た白人のセリフ。「インディアンの命は犬の命より軽い」。あぁー。この言葉で、全て腑に落ちました。オセージの人々は、白人から人間扱いされていないのです。愛玩されるペットのようで、その実ペット以下の扱い。命も勝手に出来ると思われている。良心の呵責に苛まれる様子もなく、これが当時の白人としての「正しさ」なのでしょう。
この言葉で思い出したのが、「ハーツ&マインド」に出てきた、「黄色人種の命は、白人の命より軽い」です。人種の坩堝のアメリカで、脈々と受け継がれる差別。「人間ではない」。ヘイトスピーチや暴力を受ける、それよりもっと恐ろしいと思いませんか?「福田村事件」で描かれた貧しさから来る差別とは、根本が違うと感じました。
聡明なモリーは、自分も殺されようとしている事を、知っていました。甘んじて受けていたのは、夫の良心に賭けていたのじゃないかな?命懸けで夫を愛していたのか?それだけではないと思います。この頭の軽い夫は、薬の中身は妻の糖尿病の特効薬のインスリンだとは信じていない。「一瓶全部注射しろ」と言われているのに、妻には半分だけ打って、半分は自分が飲む。それでも戦う事も助ける事も出来ないのです。
モリーはアーネストの「顔が好き」で、伴侶として選びました。他の女性たちと似たり寄ったりの理由です。でも共に家庭を育み、アーネストの性格を熟知しているから、自分の身体を使い、この事件の解決の突破口にしたかったのじゃないかな?彼女は賭けに勝ちました。でも試合に勝って、勝負に負けたんだよ。アーネストの良心を目覚めさせたのは、妻の存在ではありませんでした。モリーは家族としてだけではなく、夫としても、アーネストを愛したかったはずだと、彼女の瞳から窺える、深い哀しみから感じました。
人を食ったような趣向で(面白かった。スコセッシも出てくる)、後日談が語られますが、えぇ!と、罪の軽さにまたびっくり。FBIが出てこようが、命は犬より少し重くなった程度で、白人よりずっとずっと軽かったんだね。
デ・ニーロは、最後まで全然怖くありません。だって悪意がないのだから。そこが一番怖いのですけどね。怖く感じさせちゃダメな役柄なので、やはり好演でした。レオは今回全然カッコ良くないです。顔だけの男で、思慮が浅く知恵も足らない、でも悪党でもなく、妻子を思う気持ちは真実です。なのに、悪事に手を染めることに、全く逡巡がありません。その曖昧さが、すごく上手くてね。またオスカー候補なるかな?リリー・グラッドストーンは、思慮深く教養があり、頭も回る、聡明なモリーを演じて、出色。静かで慎み深い様子からの深い哀しみが、私の胸にも沁み込んできました。彼女はオスカー候補になると思います。ジェシー・プレモンスは、脇役ながら、着々とキャリアを積み、今回もそれなりの大きな役で、偉くなったなぁと感慨深かったです。
面白いかと言えば微妙ですが、観る価値は充分です。サスペンス仕立てにした方が集客力はあったでしょうが、敢えてハリウッドの大監督と大スターが、別の視点から描いた事に、深い意義があると思います。知らなかった史実で、私的には大変勉強になりました。見聞が広がったかな?長いので、二週目から一回上映の劇場も出てきているので、ご覧になるなら、お早めに。
いやー、想像と全然違ったけど、とても面白かったです。タイトルの春画と同じく、大らかで可笑しみに溢れたエロティシズムが漂う作品。私は大好きです。監督は塩田明彦。
春画先生こと芳賀(内野聖陽)は、いきつけのカフェでウェイトレスをしている弓子(北香那)に、春画の勉強をしてみないか?と声をかけます。変わり者で有名な芳賀に警戒しながらも、春画に興味を惹かれた弓子は、芳賀に弟子入り。風雅さと人間臭さが共存した春画の世界に、どんどんのめり込む弓子。そして芳賀にも惹かれていきます。芳賀の編集者の辻村(柄本佑)と共に、春画研究の旅に出た三人は、そこで芳賀の亡くなった妻の伊都(安達祐実)の姉、一葉(安達祐実・二役)と出会います。
先ずは春画の解説から。なるほど、こういう風に鑑賞するのね。勉強になりました。でも私の予想では、もっともっと春画が出てきて、その勉強を通じて、弓子が官能的で素敵なレディになるお話しなのかと予想していたら、まぁそこは半分当たっていました。
弓子に惹かれながら、亡くなった伊都が忘れられない芳賀。妻亡き後、女断ちしている彼は、何と辻村に弓子を抱かせて、その喘ぎ声を芳賀にライブ配信。口惜しさとスケベ心で身悶えしているんでしょうね(笑)。面倒臭い男だな。マゾっ気があるんだと思いましたが、これは軽いジョブでありました。
生と性に纏わる人生の詫び寂びを語る芳賀の姿は、教養豊かで高潔な人柄が香る。だか騙されちゃいけない。これは人としての芳賀であって、男としての芳賀ではないのよね。このお話は、ソウルメイトたる妻を亡くした男が、値千金の若い女性を見つけて、一つ一つ階段を上るように自分好みになって貰うお話しなのでした。
いやーでもねー、そんなの直接対峙すりゃいいよね、こんなまだるっこしい事しなくても。多分「人」としての自分には自信があっても、「男」としての自分には、自信がないのだね。誰よりも春画に造詣が深くとも、現実では男女の機微に上手く立ち回れないなんて、世の中には良くある事です。それと、自分の性癖に、自分で怖気づいてしまうのでしょうね。変態の哀しみだなぁ。
勝ち気で愛らしく、一途な弓子。抱いてくれない芳賀に、自分が学生時代に若気の至りで、半年で離婚した話をします。自分との関係を重く考えないでと添えながら。子供のいないバツイチ女性は、結婚という呪縛から、開放されるのだなぁと感じ入りました。年の差はあっても、没(ボツ)イチの芳賀とバツイチの弓子は、男女としては対等なのだと思いました。
この作品、このバツイチ宣言の他も、気の利いた演出が盛沢山。辻村はTバックのブリーフ姿がとても印象的で、何故にTバック?と、とても謎でした。それは芳賀が辻村に当て馬役を依頼した事に通じていたのだと判った時、思わずクスクス。一葉出現で、嫉妬に身を焦がす弓子を表現するのは、朝日に透けた、真っ白なシーツ越しからの、バックショットの全裸の雄たけび。清廉なエロティシズムが香ります。セックスが媒介しても、男女の友情を築ける弓子と辻村の関係も、清々しいです。
「君の怖い顔、私だけに見せて欲しい」と言えるのに、弓子を抱けない芳賀は、女性には初心なのでしょうね。こんな面倒臭い男に、辻村も一葉も協力しちゃって、これこそ人徳のなせる業かも。お互いが身も心も尽くしてこそ、本物の性が得られると、女性には初心で変態の芳賀が教えてくれます。生には性=愛が必要なんだと、教えてくれる作品。
2023年10月10日(火) |
「イコライザー THE FINAL」 |
あ〜、面白かった!シリーズも三作目となる今作、ずっと観ている人には、サスペンスなのに、安心感が先に立つ内容です。今時目珍しくなった、正々堂々の勧善懲悪がこんなに似合う人は、デンゼル以外にいませんて。監督はこのシリーズを全て担当している、アントワン・フークワ。
シチリアで例の如く、悪漢と死闘を繰り広げた元CIAのマッコール(デンゼル・ワシントン)。しかし、不意を突かれ、負傷してしまいます。瀕死のところを担ぎ込まれた医師の元、順調に回復するマッコール。アマルフィ沿いの、のどかで穏やかな善き人ばかりが住む街を、気に入るマッコール。余生をこの街で過ごしたいと思い始めた頃、マフィアの兄弟が、街の人々に残虐の限りを尽くすのを見たマッコールは、人々を助けるため立ち上がります。
もうほとんど「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」の世界ですよ。冒頭二人の男に銃口を突き付けられたマッコールですが、ハラハラなんか全然しません。だって勝つんだもん絶対(笑)。だから、さぁやるぞやるぞと、ドキドキワクワクする訳です。R15なのは、血みどろで人がたくさん殺されるからですね。でもね、相手が救いようのないワルなんでね、人殺しが善行に見えちゃう。これもこのシリーズの特徴です。
私が今回すごーく楽しみにしていたのは、ダコタ・ファニングの共演。「マイ・ボディーガード」でデンゼルの「相手役」として共演したのは、もう19年も前なんですね。すっかり大人になって〜。今回の役はCIAの職員エマ・コリンズ。直接相対するシーンもたくさんあって、堪能しました。妹のエルも素敵なんですが、私はダコタが好き。私的にジョディ・フォスターの後継者は彼女だと思っていますが、エルに比べて地味な立ち位置は、何故なんだろう?美貌を売りにしない、キリッとしたCIAの職員ぶりは颯爽としており、甘さのないクレバーな雰囲気もとても良かった。もし「羊たちの沈黙」がリメイクされるなら、私はクラリス・スターリングはダコタで観たいです。
アクションは御年68歳のデンゼルを慮ってか、動きが少ないが特徴です。クレバーな作戦の立て方、一発で仕留める殺し方など、見せ方の工夫がマッコールの殺人美学のように感じて、銃撃戦やカーアクションにも、私は引けを取らないと思います。
もう一つ、このシリーズの特徴は、セリフが知的で気が利いている事。オジサマを超えて、オジイサマのマッコールと医師の二人の食事の風景なんて、地味そのものですよ、普通は。しかし年輪を重ねた人格者同士の会話は余裕を感じさせ、芳醇な香りがしました。年齢を経ると、華やかさが段々失われ、寂しくなっていきますが、そうか、年齢を味方につけて、芳醇になればいいんだと、何だか嬉しくなりました。修行よね。
マフィアの極悪非道ぶりと、善良な街の人々との対比が、きっちり善悪の区別をつける中、風光明媚な街並みと、マッコールと街の人々との暖かな交流がくっきり浮かぶ展開が、本当に素敵です。
上記全部、デンゼルだから説得力があるわけで。演技力も大切ですが、このシリーズは、デンゼルの人格が大いに作品に貢献していると思います。大味なアクションばかりで食傷気味な方にこそ観て欲しい、品格ある引き締まったアクション映画です。
以前の勤め先の西成が舞台なので、とても楽しみにしていました。ところどころ、違うなぁとか、説明不足に感じるところがありますが、相変わらずの安藤サクラの名演技が、不満を払拭してくれた感があります。監督は原田真人。
西成で特殊詐欺の受け子のリーダー(通称三塁コーチ)をしているネリ(安藤サクラ)。高城(生瀬勝久)の下で働いています。ある日血の繋がらない弟ジョー(山田涼介)が刑務所から出所。面倒をみるネリですが、ヤクザとトラブルを起こし、二人は警察も含め、幾重にも追われる立場となります。
冒頭、特殊詐欺の鮮やかな手口の裏側が描かれます。ただ、私は韓国映画で同じ特殊詐欺を描いた「声 影なき犯罪者」を観ており、綿密に張り巡らされた”嘘”の扱い方は、「声」の方に軍配が。そのため、そこそこ上手いの感想ですが、初めてこの手の作品を観る人なら、見入ってしまうと思います。
ネリの役割の三塁コーチは、受け子と行動を共にし、先を察知して誘導するという物。これは初見で、この描写で、ネリの頭脳明晰さや、底辺の人々への情け深い人柄も感じ取れます。
気になったのは、指定場所は難波のロイヤルクラシック辺りのはずが、「あべチカ」の入り口が見えたり、淀屋橋の中央公会堂が映っていた事。地理的に謎で、移動するなら、セリフに入れないと。この辺は雑に感じました。
街も今の西成ではないな。アジトのような、こじゃれたビリヤード場兼カフェもないな。老いた受け子たちが住んでいるボロアパートも、今では生活保護者向けの、小綺麗なアパートになっています。ドヤも同じく。ロケは西成ではなく滋賀県だそうで、ここは世間に想像される西成を描いているのでしょう。上り立つ匂いは違いますが、まぁいいかな?
受け子の人たちが、極道、インテリ、ボクサー等、多彩な「成れの果て感」が出ていたのは、良かったです。西成に流れ着いた人が、「西成に沈む」と表現された事がありました。底辺だけではない、哀愁と共に、どんな境涯でも生きていく、逞しさも感じさせ、良かったです。。
前半の軽妙な背景の見せ方に比べて、ジョーが出て来てからの展開は、トーンダウン。娑婆に出て来たばっかりなのに、ちっとも改心していない様子のジョーは、自分はサイコパスと言いますが、多分違う。きちんと躾て貰える生い立ちではなかったのでしょう。賭博に手を出し借金。強盗に入ったりと、手をつけられない子ですが、憎めぬ愛嬌もあります。この辺は山田涼介が好演していました。
不満は、何故そうなったか?という点を、掘り下げずにさらっと流している事。ネリと高城には秘密があり、二方愛憎に満ちた想いがある。「お前には俺の跡を継がせるよう、上に伝えるつもりや」は、高城の本当の立ち位置を知れば、ネリの賢さに目を付けた以上に、高城の愛を感じるのですが、では何故ネリとネリの母を窮地に追いやったのか?その辺がセリフにもない。私はネリの母が多情だったのかと想像しましたが、う〜ん。
執拗にネリを追いかける胡屋(渕上泰史)なる投資家の存在も謎。女を凌辱する性癖を持つサディストですが、あれだけ美女に囲まれながら、何故ネリだけに執着するのか?歪でも愛があるとか、または「夕方のおともだち」ではないですが、究極に肌が合うとか、何かあるよね?それが全く無いのでなー、うん。タダの胡散臭い金持ちの変態に見えてしまうのよ。今まで女を冷酷に棄てたことはあっても、自分から逃げた女はいなかったから、かな?どっちにしろ、ゴミカスですが(笑)
追いつ追われつの展開に、フェイントや謎解きを挟みながら、この辺の展開は澱みがなく、面白く観られます。
でも面白く観られた一番の要因は、出演者の個性や存在感が際立っていたから。安藤サクラは、ここ数作母親役が続いていましたが、今回も年上の受け子や弟の「母」として、何と慈悲深く滋味深い事よ。やさぐれようが、犯罪に手を染めようが、どんな時も「身内」となった人々への情けを忘れない姿は、軽々と血縁を凌駕しています。それは苦渋に満ちた生い立ちからの、彼女の信念なのでしょう。安藤サクラ、山田涼介共々、大阪弁が上手くて感激!ほぼ完璧でした。
飄々として憎々しく、冷血な高城を演じた生瀬勝久も良かったし、展開の鍵を握る曼荼羅(宇崎竜童)の重厚な存在感も出色です。
クライムサスペンスとしては珍しい、ラストは馳走感と爽快感に包まれていました。先の読めない意外性の多い展開も気が利いています。上記私が引っ掛かった事がクリアされていたら、傑作サスペンスだったかなぁと、ちと残念です。
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