ケイケイの映画日記
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2022年09月25日(日) |
「犬も食わねどチャーリーは笑う」 |
お嫁さんから、「お義母さんの若い頃、岸井ゆきのに似てますよね」と、生後三か月の長男(お嫁さんの夫)を抱っこする私の写真を観て、言われました。あら〜、あんなに可愛かったかしら♪と、元々ゆきのちゃんが好きな事もあり、気を良くした私。それ以降「娘がいたら、あんな感じかしら?」と、益々彼女のファンに。今回大いに妻側に肩入れして観ました。姑世代の私から観ると、まだまだ可愛い夫婦ですが、夫婦関係の核心を突いている部分も随所にあり、なかなか面白く観ました。監督は市井昌秀。
ホームセンターに勤める裕次郎(香取慎吾)と、コールセンターに勤める日和(岸井ゆきの)は、出会って7年、結婚して4年の夫婦。ペットはフクロウのチャーリーです。ある日同僚の若槻(井之脇海)や簑山さん(余貴美子)と、スマホで「旦那デスノート」を観ていた裕次郎は、そこで人気の投稿者チャーリーが、妻の日和である事を確信します。夫婦仲は良いと思っていた裕次郎は大ショックを受けます。
冒頭、休日の朝10時半ごろ、しっかりとした朝食を取る裕次郎が、「昼はキーマカレーがいいなぁ」と宣う。「えっ、ブランチじゃないの?」と答える日和ですが、譲らない裕次郎。こりゃデスノートに書くなと思うと、案の定(笑)。はっ?休みの日の昼に手作りキーマカレーって何なの?11時前に食べ終わって昼ご飯?妻も仕事しているのに?食べたいなら自分で作れよ。帰宅が妻より早いのに、チャーリーに餌もやらず。これも書くなと思っていたら、ビンゴ。夫は無自覚、妻には大問題な事柄を、あれこれ上手く描いています。
旦那デスノートの存在を知った頃は、私がもうその手の日常を、ガシガシ踏み越えていた時点で、わぁーいいなぁ、今の奥さんは、と羨ましかったなぁ。まぁ私も若い頃は、ママ友と「旦那デスノート」的な会話をして、憂さ晴らしをしていましたけどね。脳内にでっかいハンマーを所持してて、何度夫を頭の中で瀕死にしていたことか(!!!)。
私が憂いたのは、昭和に結婚した私と同じ憂鬱を、令和の今でも妻たちが引きずっている事です。システムと言う言葉が、揶揄のようにやたら出てきますが、結婚と言う制度は、法律的には一見平等なシステムですが、これが無事発令されることは、実際はほぼないです。概念としての結婚のシステムは、今も多くの妻には、負担が大きく出来ている。私の時代は、圧倒的でした。それを負担や不満とさえも、思ってはいけないと、押さえつけられていました。昔よりましだとは言え、今の妻たちは、母親世代の私たちを、引きずらなくっていいんだよ(きっぱり)。
結婚式のシーンで、神父さんが「健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、二人で支え合い・・・」と言う誓いの言葉を読み上げますが、これは年季の往った夫婦こそ、身に沁みます。うちの場合は「富める時」以外は経験済です。しかし支えるのは一方的に私。新婚の慌ただしさの疲労で発熱した私を残し、夫は麻雀へ。「四人でやるので、欠けると悪いから」(←実話)。乳飲み子の長男の育児の毎日に、また発熱した私を置いて、ゴルフへ一路の夫。「メンバー欠けると迷惑かけるから」(←実話)。もちろん、子供が病気でも平気で遊びに行き、妻子は常に優先順位最下層。謝罪一つなし。「俺が出掛けよと思うと病気になる。嫌がらせか?」と、捨て台詞を残して出掛ける(←実話)。そのくせ、徒歩15分くらいの自分の実家で、姑が具合が悪いと聞けば、一目散に駆け付ける。姑は一人暮らしではなく、舅がおりーの、義兄夫婦と同居で孫もおりーの、当時は未婚の義妹もおりーの。それでも駆け付ける。自分の家庭は病気の妻が、一人で乳幼児二人をみていても帰ってこないのに!
思い出すと涙が出ちゃうわ。こんなの氷山の一角です。あぁ、また脳内にハンマーが。何が言いたいかと言うと、妊娠・育児の時の夫の蛮行は、妻は絶対に忘れない。昨日の事のように覚えていると言う事です(私は他も全部覚えている)。
ある事で、日和も裕次郎に許せない思いがあります。この夫婦はセックスレスなのですが、それは多分、その事に起因している。冒頭で裕次郎は筋トレに励んでいるのは、セレトニンを分泌して、セックスが無くとも平気にはると、嘯いていましたが・・・違ーう!やる事は筋トレじゃなくて、夫婦で向かい合う事です。
向かい合うのを避けているのは、日和も同じ。ここは私は同性なので、日和の気持ちが良く解る。離婚、とまでは思っていないので、家庭に波風立てたくないのです。だから「旦那デスノート」で、憂さ晴らしなんです。日和も言ってたなぁ。「ここで書いているから、夫の前でニコニコしてられるんだよ!」と。
すごく腹が立ったのは、ナチュラルに日和の仕事を下に観ている事。これはうちも一緒です。時間と月収とか、関係ある?仕事は仕事だよ。どうして妻の仕事は片手間で、自分の仕事は偉いんだろう?尊重出来ないのだろう?うちの夫も、言っていました(取り敢えず過去形)。「今日は雨なので、仕事は休め」。当時自転車通勤だった私を、大事にしている「つもり」なんです。ピント外れまくりでしょ?正解は、「気をつけて、仕事頑張っておいで」です。夫婦とも、かける言葉は一緒のはず。裕次郎も似たようなピント外れな言葉をかけて、日和は怒ります。
浮気もせず毎日仕事に行って、何の文句があるのか!と、うちの夫はよく言っていましたが、令和の裕次郎は、言葉にこそ出しませんが、親世代の男と同じ価値観なのよ。不倫もせず毎日仕事?それが偉いのか?当たり前じゃないの?こちとら、それに加えて家事育児(この夫婦は子供無し)、近所付き合い親戚付き合い、夫のご機嫌取りです。自分の機嫌くらい、自分で取れよ。その驕りがある間は、夫婦の溝は埋められません。
プロットでは、結婚を強調したいがため、LGBTの話をねじ込んでいて、これは要らないと思いました。出版社の編集者の日和への固執も、最後は余計。出版業界の悲哀なんか、必要ないです。これらの為に、作品が冗長になり、締まりに欠けました。反対に浅田美代子の姑の描き方は、もう少し掘り下げても良かったです。夫婦の悩みに、両家の親が絡むと、ロクな事はないんだぞ。
紆余曲折を経て、妻に向きあっていなかった自分を顧み、涙ながらに今後は向き合う事を誓う裕次郎。実はね、私はここで感動したの。男が夫婦の悩みで泣いたっていいんだよ。泣くほど堪えて、泣くほど悩んだって事ですよね?美しい涙ですよ。妻だってね、未熟な夫を泣かせてこそ、一人前なんだよ。なーんてね。
思い出の共有、互いに向き合う事、支え合う事。夫婦には何が大切かを表現したラストは、二人の体格の凸凹さを上手く使って、クスリと微笑みました。うちは去年一年、発狂しまくる私を見て、鈍い夫は、ようやくこれは夫婦の危機なのだと悟ったようです。遅いよ!小出し多出し、今までいっぱい出していただろうが!結婚40年目にして、ようやく妻に向かい合っています。今悶々としてる奥さんは、この作品を夫婦で観て、一緒に考えて下さいね。
8月末に観ました。感染者数も落ち着いてきて、さぁこれから映画館も再開!と勇んで観た作品。でもその直後に、左足の薬指を骨折して気落ちしてしまい、すっかり書くのが遅れました。作品は上々の出来で、老いたゲイの美容師の黄昏を、ゴージャスでお茶目に描き、人生の終着駅まで、哀歓たっぷりに突っ走ります。監督はトッド・スティーブンス。
元人気美容師でゲイのパット(ウド・キアー)。今は生活保護を受け、老人ホームで暮らしています。ある日昔の顧客だった富豪のリタ(リンダ・エヴァンス)の顧問弁護士が、パットを訪ねてきます。「リタが亡くなった。彼女の遺言で、死化粧はあなたにして欲しいと書いてある」と言います。かつてリタとはある理由から確執のあったパットは、長年仕事をしていない事を理由に、一度は断ります。しかし昔の写真を取り出した彼は、考えを改め、リタの元へと急ぎます。
ウド・キアーが、とんでもなくチャーミング!現在は没落の身もなんのその、威風堂々、卑屈さもなく、介護士にも毒舌で切り返し、全く媚びを売りません。そんなパットが何故確執のあった、リタの申し出を考え直したか?過去の写真を見返し、全盛時の自分の思いでの中には、常にリタの存在があったのを思い出したのだと感じました。
パットは威風堂々ではありますが、全然凛とはしておらず(笑)。リタの死化粧のための化粧品のお金がなく、弁護士に前金を頼むも、雀の涙くらいしか貰えない。「恵んでやった」的態度が気に入らず、入ったカフェで全額チップに使ってしまい、化粧品は万引きで調達。えぇぇぇ!(笑)。
しかし行く先々で、人様から好意を受けて、何とかなってしまう。施しではなく、人徳に見えちゃうんだな。それが端的に表れたのが、洋品店の女性店主との再会です。たった一度、奮発して高値の花だったパットに、カットをして貰った彼女との事を、パットは思い出しました。それも会話の細部まで。感激する女店主。どれだけ真摯に真心を込めて、相手に接していたかと言う証しです。彼の行動を観ていると、それは客だったからではなく、誰にでも分け隔てなくです。そして弱者により優しく、でした。
この作品は、一人の老人の過去を追いながら、それがゲイの歴史も描いている点が秀逸です。事実婚だったパートナーの死因はエイズ。当時不治の病のように言われ、ゲイ男性たちが迫害された記憶があります。パットが転落していった一因も、そこにあります。パットの客をさらっていった一番弟子が、「私が奪ったのでは、無いわ。あなたが捨てたのを、拾ったの」と、パットに告げます。そう言えば、劇中セリフで出てくる「ハミルカット」の考案者、須賀勇介氏の死因も、エイズだと言われていましたっけ。
パートナーのお墓標を抱き、涙にくれるパットの姿に、思わず貰い泣きしました。私は夫が死んでも、墓参りで絶対あんなに泣かないわ(笑)。人生も二人の間柄も、一番充実していてる時に、パートナーは亡くなったんでしょうね。子供を持てなかった二人だから、尚の事、「世界中であなただけ」だったのでしょう。
しかし、今は男性同士でも養子を迎える事が出来、公衆トイレで相手を探さずとも、スマホで相手を探せるのです。居場所のなかったゲイ仲間が作ったショーパブも閉店。そんな解放された現実を目の当たりにして、感慨深いパット。パット達が世間に自分を偽らず、頑張った成果が表れているのに、何だか一抹の寂しさを感じます。その物寂しさこそ、老いではないか?自分も初老となり、パットの憂いのある横顔に、自分の気持ちを重ねてしまいます。
女性は担当の美容師さんとは、長い年月付き合いを重ねると、客以上親友未満の間柄になるものです。私も子育ての時は、一分一秒でも時間を短縮したくて、回転の早い大型の美容院へ通っていました。いつも担当が違うと言う事は、いつでも一見さんと変わらない。子供も手を離れたので、変わろうかと思っている時に、知人が自分のお店を開くと言う。以来彼女のお店に通い、もう15年弱くらいでしょうか?腕も人柄も信頼しているので、日常のあれこれ、仕事や家庭の善き話も愚痴も、聞いて貰っています。
綺麗になって、癒されて。なので私はリタの気持ちがすごく解る。パットと確執を残したまま、あの世に行きたくなかったのですね。
スワンソングとは、アーティストの最後の作品、と言う意味だそう。人生の有終の美は、きっとパットとリタと、お互いがチョイスしたものでしょう。二人の心を、真に繋いだであろうリタの孫が、パットの靴に微笑んだラストも、湿っぽくなく、とっても素敵。素敵な人生賛歌でした。
実はワタクシ、地味にウドのファンです。あれは遠い遠い昔、「悪魔のはらわた」公開当時、スチール写真を見て、まぁなんて素敵な人なんでしょ!と、ときめいたのが最初。当時中学生でしたが、耽美的と言う言葉の意味は解っていなかったと思いますが、この美貌が比類なきものだとは、感じたんでしょうね。偉いぞ、当時の私(笑)。
面影は…あるよね!その後、美貌を生かす道より怪優道まっしぐらのウド、きっと主役としては、これが「スワンソング」だろうなぁ。ウド・キアー無くしては、この味わい深さは、出せなかったと思います。
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