ケイケイの映画日記
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2021年02月24日(水) 「ヤクザと家族 The Family」




味わいに欠けるタイトルですが、観終わってみれば、これ以上なく作品を表しているタイトルだと思います。「すばらしき世界」と似通ったテーマの作品で、こちらも力作です。監督は藤井道人。

1999年、両親を亡くしたチンピラの賢治(綾野剛)。暴力団から覚せい剤を奪い半殺しの目に遭いますが、理事人情に厚い昔気質の組長・柴咲(舘ひろし)に救われ、そのまま組員になります。その後柴咲に目をかけて貰い、やくざとして出世していく賢治ですが、柴咲のため殺人を犯し服役。しかし出所して14年、世の中は様変わりしていました。

お話は三つのパートの分かれ、賢治と背景と柴咲との出会い、柴咲と父と息子のような情愛に恵まれ、自分も義理人情を重んじるやくざとして生きる賢治の様子、出所後のやくざであることは、人としての人権を失い、世間との軋轢の連続で有る様子を描いています。

賢治の不遇は覚醒剤中毒の父親や、画面に出てこない母親のせいであるのは明らかです。そして多分賢治は、覚せい剤に手を染めるやくざを憎んでいたはず。それが同じやくざであっても、兄貴分の中村(北村有起哉)の語る「義理人情を重んじ、男を磨く」やくざたちを知ります。柴咲組の人たちは、「侠客」を目指していたのでしょう。

賢治はやくざと言えど、初めて「まとも」な大人を見たのじゃないかしら?子供に置いて、まともな大人の定義はなんでしょうか?三度の健康的な食事を与え、学校に通学させ、清潔・健康に気を配り、きちんとした寝具で充分な睡眠を取れる家に居住させる。これだけだです。簡単なようですが、これを実行するには、子供に愛情と責任なくば出来ません。
柴咲の思いやりに触れ、初めて涙する賢治。今まで如何なる時も、怒り以外の感情の発露がなかった彼です。穏やかに賢治を見つめる柴咲の眼差しに、彼の懐の深さが感じられます。

月日が経ち、賢治の背中には一面の入れ墨。それをスクリーンに映すのは、極道一筋で生きる、賢治の覚悟を表している。柴咲を親父と呼び、縄張りのクラブの用心棒。その店のホステスの由香(尾野真千子)との恋。やくざ同士の抗争。やくざとしての華々しい日々は、恵まれぬ人生を送ってきた賢治の、青春譜を見ているようでした。賢治が刑務所に入った理由は「義理人情を重んじ」だったのでしょう。男を磨く事と自己犠牲は、彼らにはイコールなのですね。

それが一転、出所後は180度違う生活が待っていました。携帯が持てない、通帳が作れない。極道は反社と呼ばれ、足抜けしても五年は堅気と見て貰えない。「すばらしき世界」でも、反社は生活保護を貰えず、子供が幼稚園にも入れないと出てきます。一言で言えば、人権がないのです。私は、世の中にやくざは必要ないと思っているので、これ自体に異論はないのですが、じゃあ五年どう暮らせばいいのか?這い蹲って五年経過して、今はすっかり堅気となったのに、ほんの少し綻んだだけで、坂を転げるように落ちていく様子に、釈然としないものも感じます。

そしてもう一つ疑問が。やくざがしていた「凌ぎ」は、今度は所謂半グレと呼ばれる輩が継いでいる。半グレは「俺たちやくざじゃないんで、警察呼んでも民事不介入ですよ」と言う。そしてそのバックにはやくざが。これじゃ同じことの繰り返しです。

良いやくざと悪いやくざと言うのは、例えが間違っていますが、侠客を目指す良いやくざの落日を、ウェットに悲劇的に描くのは、どうしてなのか?結局はやくざはやくざ。最初からその道に入ってはいけませんよ、と言う事かしら?もちろん半グレもね。

ラストに巡り会う若い二人の男女は、共にやくざの父を知りません。似た生い立ちの者同士、心を許し合い語り合って欲しいと言う、二人を導いた人の願いかも知れません。

この子たちの母親は、「まともな」大人です。なので、この子たちは道を踏み外さないと思いたいです。暴力と哀愁に満ちた賢治の一生は、この子たちを救うためだったのかもしれません。




2021年02月14日(日) 「素晴らしき世界」




実に二か月半ぶりの劇場鑑賞。まだ大阪は緊急事態宣言が解けていませんが、劇場復帰作は、この作品と決めていました。冒頭少し、入れ墨姿の主人公がMRIに入る姿を見て、入れ墨はMRIはご法度じゃなかったかな?と思い、親愛なるお医者様の映画友達にお尋ねしました。下書きだけの入れ墨は、持病があるのを強調するため、MRIを撮るのに不自然ではないための演出かと思っていました。お返事は「中途半端な状態で逃げ出すやくざは、たくさんいる。詳細はわかりません」でした。そのお返事で、とても素晴らしい作品だとは思っているけど、喉に刺さった小骨が取れないような、咀嚼にもどかしさを感じていた私でしたが、一瞬にして、主人公の全容が私の目の前に現れました。監督は西川美和。いつも感心したり唸ったりする監督ですが、この作品は、心の動かされ方が全然違う。西川作品で、一番好きな作品です。

60前の元やくざの三上(役所広司)。前科10犯の彼は13年の殺人の刑期を満了し、旭川刑務所を出所。東京に住む身元引受人の弁護士・庄司(橋爪功)の元に向かいます。ケースワーカーの井口(北村有起哉)の指導の下、生活保護を受けながら、今度こそ堅気になろうと、就活に励む日々。それと並行して、三上は自分を捨てた母親を探そうと、テレビに自分自身の人生を記した「身分帳」を送ります。ディレクターの吉澤(長澤まさみ)の目に留まった身分帳は、小説家志望のAD津乃田(仲野太賀)の元へ届けられます。

三上の描き方が秀逸。数々のプロットで、どんな男か良く解るのです。刑務所長に反省しているか?と尋ねられ、「はい、反省しています。あんな奴(被害者)を殺したために、13年も刑務所に入っていたんですから」や、言い争いになった相手に、「俺はどこそこの組と仲間内じゃ!」と威嚇。、堅気になると誓いつつ、やっている事は本当に半端で、頭軽いのかと?唖然としました。

刑期は満了以前に出所する受刑者が多いはずで、満了はおろか、中で問題を起こし長くなったとは言語道断の三上。自分で正義感で突っ走り、半グレを半殺しのように痛めつける様は、まるで狂犬のようです。一本気で未熟。粗暴であるが、愛嬌も持ち合わせている。それは10代前半からグレて、人生の半分はムショ暮らしから来たもので、理性と社会性が備わらなかったためだと思いました。

庄司は「身元引受人は、僕の趣味みたいなもんだ。僕の事は気にせず暮らしてくれたらいい」と伝え、ケースワーカーの井口は、当初冷徹に見えるものの、身の回りの事をきちんと整えられる三上を褒め、長所を生かして就活しようと指導します。この二人は似ている。多分二人とも、親身になって世話していたのに、「相手」に、何度も裏切られてきたのでしょう。反省して学んだのが、感情移入せず、見守る立場を忘れないと言う事なのでしょう。堕ちてしまった人を引き上げる困難を、感じます。

そしてびっくりしたのは、庄司夫人(梶芽衣子)。殺人犯をすき焼きで持て成すのです。私なら、怖くて家に上げられません。思うにこの人は、夫以上に三上のような人の更生に力を貸すのが好きなのでしょう。夫を立てるのではなく、盛り立てるかな?素敵な老婦人です。

スーパーの店長の松本(六角精児)は、テレビに出るかもしれないと、浅はかに喜ぶ三上に、食い物にされているのじゃないか?と助言。短気に怒り狂って、また威嚇する三上。冷静で親身な対応に本当に感激しました。

津乃田も、当初は仕事としての対象だった三上の、あらゆる多面性を見せつけられ、小説家として興味が増大したのだと思います。しかし根底にあるのは、何故三上はこのような人生を送ってきたのか?三上と接する時間の深さが、興味より愛情が上回ったからだと思います。

なかなか決まらぬ仕事に焦燥する三上は、同輩のやくざ下稲葉(白竜)の元へ身を寄せます。歓待する下稲葉ですが、彼の妻(キムラ緑子)から、今のやくざ稼業の世知辛さを聞き、やるせない思いにかられます。

周囲の人が、決して三上に振り回されず、自分の立ち位置で見守る事様子は、本当に温かい。そのまなざしは監督が三上を見つめる眼差しだと思いました。しかし、三上を支える人々以外の堅気の世界は、やくざの世界とはまた違うストレスが充満しています。そして辛辣に、三上を責め立てるのです。

入れ墨の解釈を聞くまで、私は三上は「普通のやくざ」であったと思っていました。しかし、あの下書きだけの入れ墨は、彼は普通以下の三下やくざだと語っているのです。ポスターやチラシで、その姿を映しているのは、下書きだけを見せたかったから。三上は言葉や暴力で相手を威嚇しても、片肌は脱ぎませんでした。彼の「恥部」なのでしょう。

三上の様子から、痛みから逃げ出す事は考え難い。多分墨を入れるお金がなかったのです。そう思うと、あれもこれも合点が行くのです。組長の名前を出しても、そこの組員ではなく、懲役前はどこの組にも属していなかったのは、年が行き居場所がなかったから。下稲葉の組に、足を引きずる老やくざが、お情けで居ましたが、その老人も下書きだけの入れ墨でした。彼を映すのは、やくざに戻れば、それが三上の行く末だから。理解していないのは、三上だけです。

陰湿に知的障碍者を虐める輩に、手出ししなかったのは、庄司夫人の「怒っても一旦深呼吸して。そして私たちの顔を思い出して」と言う助言からです。しかし二度目に我慢したのは、「あの子、昔やくざの組に居たんだって。あれでね〜。どうせ鉄砲玉だったんでしょうよ」と言う言葉に、それは自分だと、やっと悟ったのでしょう。今の今まで、彼は自分を「普通のやくざ」だと思っていたと思います。否定していたのではなく、自覚がなかったと、私は思います。

そして三度目の泣き笑いは、知的障害の彼と同病相憐れむ切なさ、初めて己の値打ちを知る辛さ、それと同時の安堵。入り交じった複雑な笑顔を浮かべる三上。自分の人生が根底から覆る事です。勇気のいる事で、私は立派だと思います。その時はまだ十分に考察出来ていなかったものの、私はこのシーンで号泣しました。多分頭の解釈の前に、心が動いたからだと思います。それ程役所広司の演技は素晴らしかった。

他に感じ入ったのは、老いた二人の妻です。庄司夫人の心尽くしや助言の数々は、若い娘なら三上の心に響かなったと思います。下稲葉夫人しかり。役に立つはずもないのに、今までの三上なら、男が立たないと抗争に入っていったはず。彼女だから止めたのでしょう。堅気の賢夫人とやくざの姐さん。各々の世界で酸いも甘いも観てきた人の、醸し出す温かさ。私もこんな女性たちになりたいと、心から憧れました。

私がこの作品を緊急事態宣言が解けなくても観たかったのは、原作が佐木隆三だったから。私は「復讐するは我にあり」が大好きです。「復讐〜」は、当時当代一の名優緒形拳が主演でした。この作品も、現在の当代一の名優役所広司の主演。この作品も、長く語り継がれる作品であるよう、熱望します。娑婆の人々に、津乃田の慟哭が届きますように。


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