ケイケイの映画日記
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2019年01月20日(日) 「蜘蛛の巣を払う女」



大好きな大好きなリスベットが帰ってきた!私はスウェーデン版が好きですが、フィンチャー版の方の出来も良く、続編をずっと待っていました。今回フィンチャーは製作に回り、リスベットも普段は気品溢れるクレア・フォイに交代。原作では4作目にあたるそうで、今回リスベットの生い立ちや背景も明かされます。私は今回もとっても楽しみました。監督はフェデ・アルバデス。

続編の予定があると聞いてはいましたが、金銭的に難しかったのでしょう。今作は原作の四作目に当たるそうで、それが配役に表れてはいました。結果としては、私はクレア・フォイのリスベットは、健闘していたと思います。ただし、前作やスウェーデン版が好きな人には、ちょっと趣が違うかも。

リスベットが天才ハッカーの設定は同じです。なのでITを駆使した二転三転するスピーディーな展開に関しては、違和感はありません、でもそれが行き過ぎて、今回は少々その辺のアクションに似通った展開になっています。リスベットのキャラも、ノオミ版やルーニー版の、パンク色の強烈だったメイクや出で立ちから、鼻ピアスと皮のジャンプスーツくらいで、反社会的なムードは薄め。そして展開も、「グロリア」や「ミッション・インポッシブル」を彷彿させる展開もあり、その辺に戸惑うシリーズファンもいるかも?

それでも私がこの作品が好きなのは、感情の機微が出にくく、一匹狼で孤高と言うより、寄るな触るな、人に非ず的ムードを放っていたリスベット。それが今回、非情な生い立ちが描かれ、どうしてそうなったのかの説明がつきました。なので、少々マイルドになり、感情の発露のある今回の彼女は、子供を助ける事で自分の過去も蘇り、残り香のような人間味を取り戻したんだなと感じます。大人になったんだよ。

原題は「THE woman IN THE SPIDER'S WEB」ではなく「THE GIRL IN THE SPIDER'S WEB」。でも私は深い哀しみを背負った少女が、成長して乗り越えた、強い祈りを感じる邦題の方が好きです。過去が描かれた事で、私はもっとリスベットが好きになりました。

原作はこの後も続くようで、リスベットファンとしては、是非映画化して欲しい。このシリーズを初めて観る方には、普通にアクション要素の強いミステリーとして楽しめます。


2019年01月09日(水) 「こんな夜更けにバナナかよ」




年明け一発目がこれとは、もう素晴らしい!長年の私のぼんやりとしたボランティアに対する思考が、鮮明に解説されて、本当に感激しています。監督は前田哲。

筋ジストロフィーの鹿野(大泉洋)。12歳で発症し、二十歳までしか生きれてないと言われていた彼は、今34歳。22歳の時から24時間のボランティを募り、一人暮らしをしています。恋人の田中(三浦春馬)が、鹿野のボランティアに時間が割かれるのが嫌な美咲(高畑充希)は、様子を覘きに鹿野の家に立ち寄ったのが運の付き。鹿野に気に入られた美咲は、いつの間にかボランティアに組み込まれてしまいます。当初は傍若無人に振舞う鹿野に怒る美咲でしたが、しかしそれは、美咲の人生観を再生させる第一波だったのです。

今から30年前、上の息子たちが幼稚園に行っている間、チマチマ内職などしながらの昼下がり、私は好んで教育テレビを観ていました。その時間帯は主に福祉が多く、その時もドキュメントを観ていました。軽度知的障害と身体障害の女性が、24時間のボランティをに支えられ、自活しているアメリカのドキュメントで、ボランティアリーダーの人が、「これ程幾多の障害を抱えても、立派に一人暮らしが出来る。その事を学ばせて貰って、私は彼女に感謝している」。

その直後新聞で、協会の理事であった故・牟田悌三が、「ボランティアとは学習です。学習と言う観点から鑑みて、無償と言うのは当然です」と答えるインタビューを読みます。前者はわかったようなわからないような。でも偽善ではなく、これは正直な感想なのだと言うのはわかりました。牟田悌三の方は、胸にストンと落ち、以降これが私のボランティアに対する基本の認識となります。

鹿野が家を出たのは、両親、取り分け母親を自由にしたかったのじゃないかな?こんな体に産んでしまった自分が悪いと、息子に人生の全てを捧げたいたはずの母。その呪縛から開放してあげたかったのと、自分を産んだ事を肯定して欲しかったのだと感じました。それは、鹿野の生を肯定する事になるからです。だって産んだ事が悪いのなら、生まれて来たことも否定されるわけでしょう?

鹿野は自分の要求には妥協しない。一見傍若無人にボランティを振り回しているように見える。美咲が逆差別だと感じるのも無理はないのです。しかし、当初自分独りでボランティを募った時の苦労話し、排泄で粗相した時の鹿野の恥じらいを見て、美咲は段々鹿野を理解していきます。

彼はいつでも真剣勝負。普通の人ならすぐ出来る事が、彼にはいつも目標です。カラオケに行く、旅行に行く。今の目標は英検二級に合格して、アメリカに行く事。その希望があるから、彼は何度も何度も死の淵に立ちながら、蘇るのです。日々接するボランティは、鹿野のファイトに触発され、己の人生を見つめ、自分だってと勇気を貰い、正直な自分の気持ちを見つけて、進んでいくのです。何て素晴らしい!

そして鹿野の退院パーティーの時、ボランティアリーダーの高村(萩原聖人)は、「鹿野おめでとう!そしてありがとう!」と、音頭を取ります。あぁー!と、稲妻に打たれるちょっと手前くらい、衝撃を受けた私。そうなんだ、これがボランティア側の感謝なんだ。最初の一歩を踏み出すと言う勇気を貰えた感謝。

鹿野は常々「ボランティアと俺は対等」と言います。これは人としての権利や尊厳もあるでしょうが、一番の意味は、この感謝なのだと思います。一見我がまま邦題のように見える鹿野ですが、ボランティアがいなければ生きていけない事を、一番知っているのは彼なのです。心の中には、ボランティアに対しての感謝でいっぱいなのですね。お互いが感謝し、支えあい、なくてはならない存在になる。これはどんな人間関係にも、当てはまる事です。

よく障碍者に優しい環境は、健常者にも優しいはずと言われますが、それは社会的な設備や制度だけではなく、人としての有り方にも通じるんじゃないかと思います。

こんな風に書いていると、すごくお堅いお話かと思うでしょ?それがそれが、劇中笑ってばかりですよ。それは鹿野がいつも明るく希望を捨てないから。死の淵にいてもあきらめない。観客はそれを見て声をあげて笑い声をあげて泣き、感動する。これぞ人生じゃないですか。

あぁ本当に観て良かった!こんなに心が鮮明に晴れるなんて、なかなかないもの。あんまり嬉しくて夕食を取りながら、夫に上記の事を語りまくると、夫から「そんな事覚えていて、ずっと気にしてて、今嬉しそうに話して、お母さん偉いな」と褒められちゃった。偉いかな?(笑)。でも褒められたら嬉しいよね。それもこの作品のお陰です。

私が好きだった台詞は、美咲がとある「大嘘」を付いた事を鹿野に話すと「それ、好きな人の気を引く為についたんでしょ?だったら本当にすれば?」です。なるほど!と感じ入りました。鹿野は相手をその気にさせる天才でした。その人たらしぶりの見事さ、とくとご覧あれ。


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