ケイケイの映画日記
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2014年08月27日(水) |
「いのちのコール〜 ミセスインガを知っていますか?〜」 |
今年三月に亡くなった南木顕生氏(HN:なんきんさん)の脚本作品。彼とはmixiを通じてお付き合いがあり、帰阪された折のオフ会でもお目にかかっています。会ったのは一度ですが、何度もネット上でやり取りしていたし、夜中に彼が書いた映画についての文章を読むのを楽しみにしていた私は、訃報には大ショックでした。この作品は、確か昨年完成していたはずで、公開を心待ちにしていました。まさか亡くなってから観られるなんて。日頃は毒舌で辛辣に他人様の作品を貶した彼ですが、今作はベタなセリフやオーソドックスな展開に、おいおい、いつもと言っている事と違うやんけと苦笑しつつ、でもお涙頂戴ではない生への渇望を感じさせる、熱のこもった作品に仕上がっています。監督は蛯原やすゆき。
教師のたまき(安田美紗子)は、婚約者の婚約者の高志(山口賢貴)との結婚も決まり、新たな生活に胸を膨らませていました。そんな折、彼女が子宮頸がんに侵され、手術することに。それから二年後。25年続いたラジオ番組の最終回、インガと名乗る女性から電話がかかってきます。DJを務めているマユミ(室井滋)は長年の勘から、彼女が自殺を決意していると見抜き、最終回のプログラムそっちのけで、インガを救おうと必死になります。
まず目を見張ったのは、劇中子宮頸がんについて、詳しく観客に説かれていた事です。誤った風評は正し、術後のQOLにも触れ、子宮が亡くなった事での様々な女性として妻としての葛藤、支える側の夫や親族の苦悩まで、きちんと織り込んでありました。
リンパ節を取ってしまった事での足のむくみや排尿障害など、当事者でなければ知りえない情報まで盛り込んでいるのは、感心しました。若い女性ですので、子宮を取ってしまってからの喪失感、子供を産めない事への罪悪感。被害者意識と夫への加害者意識めいた複雑な葛藤なども盛り込まれていて、見応えがあります。が・・・。
う〜ん、実は過去の回想として、高志の気持ちを描くのですが、脚本や演出は良いのですが、演じる二人がどうも。演技が稚拙で、なんだか再現フィルムを見ている気分になります。そしてセリフで全部気持ちを語る(笑)。ここは出来れば高志の独白以外の手法で伝えて欲しかったです。難病を描く時、どうしても患者にばかり焦点が当てたれますが、尺のそれほど長い作品でもないのに、せっかく何故若夫婦が病気によって、ダメになって行ったかも盛り込まれていたのに、少し気がそがれて残念でした。
とは言え、きちんと夫の気持ちが盛り込まれていたのは良かったです。とてもリアルで同情も納得も出来ました。特に夫婦生活で妻の誘いに応じられない夫の不甲斐なさも、避けて通らず描いていて立派です。NHKの朝の番組で、がん患者の性についてがテーマの日、亡くなった妻の体が心配で、妻の求めに応じなかったことを後悔する夫の談話がありました。その時ゲストの六角精次が、「その時はご主人、男として、えいや!と、奥さんを受け止めるべきでしたね。」と語っていましたが、その通り。病人となり満足に夫の世話も出来ない申し訳なさ、子供を産めない辛さ。そんな女としての喪失感を埋めるのは、パートナーの愛情しかありません。私も子宮筋腫で子宮を取っていますが、その後の夫婦生活は何ら問題ありません。
他に気になったのは、子宮頸がんにかかる女性は、性に奔放な人がなると言う風評も正したかったはずなのに、たまきは高志と初めて会った日に結ばれます。これは余計なシーンだと思う。多分飼い猫のインガが初めて会った高志に懐くシーンを強調したかったのだろうけど、啓蒙したい事とちぐはぐです。この辺は直接本人に言いたかったな(笑)。
実は楽しみにしていた事が。生前なんきんさんから、劇中でインガを励ます病を克服したリスナー役の名前に、私のHN「ケイケイ」を使ったと聞いていたのです。演じて下さったのは風祭ゆきさん。こんな綺麗な素敵な人に演じていただいて、光栄でした。ケイケイさん登場シーンでは、思わず涙が出たりして。
赤い風船や凧についてエピソードのからめ方も上手く印象的でした。大騒動のラジオ局内の様子など、生放送の分刻みの臨場感も上手く出ており、深刻な内容を辛気臭くしない工夫も、随所に盛り込まれています。
傑作ではないかも知れないけど、充分に小品佳作と言える作品で、悪口言わずに済んで、本当に良かった(笑)。だってなんきんさんが亡くなったとして、きちんと観て感想書くのが、友達でしょ?変な持ち上げ方はしたくありません。
私は実際に子宮頸がんの早期発見で手術して、子供を産んだ人を知っています。その人も真面目なきちんとした生活を送っている「普通」の人です。公的な機関で末永く上映されて、多くの方に観て欲しい作品だと思いました。
クレジットで「脚本・南木顕生」と出た時は、堪らず涙ぐんでしまいました。一度しか会った事がないのに、人の縁って不思議なものですね。さよなら、なんきんさん。遺作の「ニート・オブ・ザ・デット」が観られる日を、気長に待ってますね。
2014年08月23日(土) |
「めぐり逢わせのお弁当」 |
現代のインドの大都市ムンバイを舞台に、心満たされぬ若妻と初老男性の往復書簡を、しっとりと描く秀作。個人的には若妻よりも、初老男性の気持ちが手に取るようにわかり、自分でも少々びっくり。インド映画ですが、歌も踊りもなく、静かな作品です。監督はリテーシュ・バトラー。
幼い女子のいる主婦イラ(ニムラト・カウル)。夫とは隙間風が吹き始め、何とか修復したいと願っています。手始めにお弁当に手紙を添えて、心を込めて作ろうと決心するイラ。しかしそのお弁当が、宅配の手違いで、妻を亡くし役所を早期退職する初老男性サージャン(イルファン・カーン)の元に届きます。戸惑うサージャンですが、やがてそれは間違って届けられたと知ります。そこから二人の手紙の交換が始まります。
インドは自家製のお弁当を配達するシステムが発達していて、ハーバードも研究に来て・・・と、宅配人が「ご配達なんぞ、ない!」と断言しますが、見ていてどーも、かなり怪しい気が(笑)。しかし600万個に一個しかないご配達が縁で、二人の交換が始まったのですから、人生とは乙なものです。
イラ、サージャン二方の心の寂寥感の描写が秀逸。イラが夫の浮気に気付く場面など、主婦ならではで、「夢売るふたり」の松たか子を彷彿させます。エラの夫は仕事はきちんとする人で、生活の面は心配なさそう。妻の手料理の味もわからず、愛されている実感もないのに、じっと我慢している彼女は、昔の日本女性のようです。妻を愛しながらも小バカにした態度を取る「マダム・イン・ニューヨーク」の夫、そして生活の安定は保障しながら、妻を無視した生活を送るエラの夫など、インドの主婦は尊重されない自分の立場に苛まれているのがわかります。
洗濯物の匂いを嗅いで、洗濯するもの、干せばまだせずに済むものなど仕訳するエラは、丁寧に家事をこなす立派な主婦です。何故だかわかる?水道代や洗剤の節約になるし、洗濯機の摩擦から服の生地の痛みを防ぐため(私はまるでやっちゃいない。とにかく洗濯機に放り込む)。丁寧なお弁当作りしかり。見ているだけで、香辛料の芳しい香りがしてきそうでした。しかしその主婦としての誠実さは、誰も褒めてくれない。
サージャンは、元から偏屈な人だったのでしょうか?私は妻を亡くした後の無聊な生活が、彼をそうさせたと思います。店の宅配のお弁当やレトルト食品を独りで食べる日々。眺めるともなく、家族団欒の隣家の楽しい食事風景を見るサージャンの姿に、孤独がくっきり浮かびます。対するエラの夫は、妻の手料理をスマホ片手に食べるだけ。当たり前のように享受する日常に、感謝はありません。人生はままなりませんね。
孤独を託つ二人には、それぞれ「応援団」がいます。エラには上の階の夫を介護するおばさんで、そのけたたましくも温かい言葉の数々が、エラにはオアシスになっているのがわかります。対するサージャンにも、人懐こいのを越して、お節介気味の彼の後任者がいます。子供のいないサージャン、孤児だった後任者。段々と慕い慕われる様子は微笑ましいです。サージャンは彼を通じて、自分にない、未知なるものを受け入れる準備が出来たのかも?
私が感銘を受けたのは、美しく若いエラには、自分は年を取り過ぎていると卑下し、彼女に別れを告げようとしたサージャンが、自分よりもっと年長の老人の手を見て下した決断です。初老は老人じゃない。中年も老人じゃないのだと、目から鱗でした。老いがひたひたと忍び寄っても、まだ老いるのには早いのだと、自分自身を顧みて目が覚める思いがしました。
岸恵子が70代の女性の性愛を描く「わりなき恋」を書いた動機が、「70代と言えば、黄昏て達観した人ばっかりが出てくる。でも長寿の時代#間違って”100歳まで生きたら、私には”まだ70の若い頃”があったのに、と悔やむより、その年代を謳歌する小説を書きたかった」と書いてあるのを読んだ時と、同じ気分になりました(今読んでいるけど、小説自体はそんなに面白くない)。
エラの出した決断は、父親が亡くなった事が踏ん切りだと思いました。夫に経済的に頼らなければ生きていけない、そんな女性を取り巻くインドの事情も垣間見られます。観る者に委ねるラストですが、私はハッピーエンドだと思いたい。だって1/600万でしょ?絶対深い縁があるはずだから。世の中から尊重されない、定年間近の初老男性と専業主婦の淡い恋心は、瑞々しく心打たれるものでした。決して人生の落伍者が、傷を舐め合う恋ではないと思います。
2014年08月13日(水) |
「マダム・イン・ニューヨーク」 |
皆様お久しぶりです。実は6年ぶりに就活しておりました。一か月ちょい頑張って、希望の仕事をゲット。心の平穏を取り戻して選んだ作品がこれ。もうこれでもか?の「主婦あるある」のオンパレードを描きながらも、古風でお洒落、そして女性だけではなく、普遍的な人間としての誇りも描いて、とってもとっても素晴らしい作品。監督はガウリ・シンディ。
インドに住む貞淑な専業主婦のシャシ(シュリデヴィ)。夫と二人の子供の世話に明け暮れる彼女の楽しみは、インドのお菓子ラドゥを作る事。彼女のラドゥは評判、口コミで仕事として注文を受けています。しかし家族で唯一英語を話せない事を、夫だけではなく思春期の娘にまでバカにされ、家族を愛しながらも、敬意と尊重のない日々に憂いを感じています。そんなある日、ニューヨークに住むシャシの姉から、姪の結婚式の手伝いに来て欲しいと電話が来ます。初めて海外に出ることに怯むシャシですが、結局行くことに。しかし英語が喋れない事で屈辱を味わった彼女は、一念発起し、英語学校に通う事にします。
シャシの家庭はインドでは裕福な恵まれた部類でしょう。しかし夫は美しく家族を愛する「だけ」の妻で充分で、妻に人としての成長など必要ないと言わんばかり。ホワイトカラーのエリートっぽい夫は、しかし娘の教育には熱心です。この矛盾。この夫は決して悪人ではなく、妻を愛しているのもわかります。夫は多分インド社会のスタンダードなのでしょう。
賢母である母を侮辱し暴言吐き放題の娘。甘えているのでしょうが、観ていて横っ面を張り倒してやりたいわ。これは父親を通じて母を観ているのでしょう。そしてシャシも、娘が学び成長している姿を観るから、今の自分を顧みて空しくなるのでは?「勉強なら教えられる。でも思いやりの心は、どうすれば教えられるの?」」と、苦悩する彼女に、思わず貰い泣きしてしまいました。
ニューヨークで英語を学ぶ様子が、生き生きとして素晴らしい。本来学ぶと言う事は、心に活力を与え自分に自信をつける事なのだと、シャシだけではなく、他の人種の坩堝であるクラスメートを観て感じます。
いい味だしている英語学校の先生は、実はゲイ。その事で囃し立てる生徒たちを諌めるシャシ。傷つく心は、誰もいっしょだと。主婦である、女性であると言うだけで、家族に尽くしても感謝されることのない日々に鬱屈を抱える彼女だからこそ、人の心の痛みがわかり、平等・対等である事に敏感なのでしょう。
主婦が変化したり成長したいと思うと、必ず魔が入るもの。それは実は家族が多いのです。遊びでもないのに、それでも母親か!妻か!と叱責を受けなくても、自らその機会を放棄し、家庭を選ぶ女性の気持ちを、世の家族は知っているんでしょうか?
シャシも自分に一番大切なのは家族と、諦めようとするのを応援したのは、下の姪でした。姪は生まれも育ちもニューヨーク。インドより女性が解放された土地で育った姪は、シャシに「叔母さんはラドゥを作るためだけに生まれたんじゃないわ。もっと他の特性がある」と、シャシを陰から支えようとする姿が清々しい。女同士はこうあるべきです。姪の思考は、働く母親を支えた、フェミニストの亡き父親から学んでいるのでしょう。シャシの娘とは対照的で、環境や親の思考が如何に大切か、物語っています。
シャシを演じるシュリデヴィは、撮影当時50歳だそうですが、ウッソ〜の美しさ。何でも人気絶頂の時に結婚出産のため引退し、この作品が15年ぶりの復帰だとか。若い頃は踊りも名手だったそうで、この作品でもインド映画らしく、唐突に歌や踊りが入るのですが、違和感なく往年の姿も披露しています。
こんなに美しく上品で健気な奥様、ほっとかれる筈もなく、彼女に恋する男性も出てきます。はてさてシャシの心模様は?どういう展開になるのか?私はシャシもフランス人のローランには、心惹かれていたと思うなぁ。この展開も彼女の魅力5割増しで、欧米や日本の映画とは一味違いました。
予告編でもチラッと出てくるシャシのスピーチは圧巻。英語で長年結婚生活を送ってきた妻の気持ちをきちんと伝え、姪へ幸せな結婚生活を示唆する内容でした。心から彼女に敬意を表したくなります。映画でたくさんのヒロインを観てきましたが、五本の指には入る素敵なヒロインでした。
主婦経験のある人ならば、シャシの姿のどこかに、必ず過去・現在の自分を発見するはず。そして必ずや未来の自分に期待したくなるはずです。シャシが飛行機で隣り合わせた、飄々としたユーモラスな知的な老紳士は、シャシに「初めては人生で一度だけ。初めてを楽しみなさい」と言いました。そうなんですよねー。この歳になっても未経験の事だらけ。私もシャシを見習って、残りの人生尻込みせずに、飛び出していきたいです。
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