ケイケイの映画日記
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2012年02月27日(月) 「ヤング≒アダルト」

私の大好きなジェイソン・ライトマン監督の作品。彼の作品でダメだったのは「JUNO」のみ。しかしこの作品、脚本が「JUNO」と同じくディアブロ・コディなのよね。評論家の評判は上々と言うのも同じ。一抹の不安を抱えての鑑賞は、これがあなた、悪い方にビンゴ。多分コディとは一生合わない気がするわ。書いてるうちに罵詈雑言になりそうな気がするので、今回はネタバレです。

都会でゴーストライターをしているバツイチ37歳のメイビス(シャーリーズ・セロン)。学生時代は学園のアイドルでした。一時は連続ものの「ヤングアダルト」系小説が売れていたのですが、今は泣かず飛ばす、状況は下降線です。そんな時、学生時代の元カレ・バディ(パトリック・ウィルソン)から、子供が生まれた知らせのメールが来ます。胸がざわつくメイビスは、やもたても堪らず故郷に帰ります。高飛車&勘違い女のメイビスは、幸せの絶頂のバディが、本当は不満がいっぱいで離婚したがっていると思い込み、彼を離婚させて取り戻そうとします。

描写の数々の小技は、相変わらずとても上手いです。乱雑で汚い部屋で目を覚ますメイビスの目元は、疲れとアイラインがだらしなく滲んでいます。前夜、酒に酔って気絶するように眠ってしまったのだな。普段は洗濯もろくすっぽしていないようなスウェット姿で、怠惰でだらしない生活を送っているのが、一目瞭然。なのに男を落とす時は、エステに通い自分でエクステし、適度に隙のある色っぽい服装でゴージャス美女に大変身。確かにこんな人はいそうです。

学生時代の虐めが原因で、身障者になってしまった同級生のマット(パットン・オズワルド)。学生時代は鼻にもかけなかったマットだけには、取り繕いのない自分を晒します。これはバカにしているのが半分、はみ出しものとして、無意識に同類だと認めているのが半分でしょう。マットに近しくなるのも、理解できます。

じゃあ何がいやかと言うと、出てくる人間みんな嫌い。バディは何で元カノにあんなメール送るの?普通するか?アメリカではするの?最後の方でメイビスは20歳の頃、バディの子供を流産したと激白します。いくらなんでも、無神経過ぎないか?搾乳した母乳を解凍していたから、妻のリサ(エリザベス・リーサー)は、仕事復帰しているのでしょう。乳飲み子がいるのに、奥様はバンドの練習だって。「彼女は子供を大変な苦しみから生んでくれたから」だって。そんなもん、結婚したら当たり前の事だろ?感謝と甘やかしは=にあらず。奥様サマサマの腰抜け亭主だよ。

妻のリサも、仕事復帰だけでも大変なのに、子供はバディにあずけて奥様バンドの練習だって。乳飲み子がいるのに、どうして今?ストレスが溜まるてっか?これくらい我慢できないで子育ては出来んぞ。まぁこれは旦那が良しならいいとしても、鬱陶しいメイビスを子供の生誕祝のパーティーに呼べだと?彼女が可哀そうだからだと?あんた何様?第一、メイビスはあんたの亭主を狙っていますオーラが全開だったじゃん。妻の立場に自信があるなら、もっと家庭に根付くべきで傲慢。気がつかないなら妻として鈍感過ぎ。そのうち絶対浮気されるから。

一番わかりやすいのは、昔の自分を忘れられない勘違いで痛い女のメイビスです。しかしこれが痛過ぎて笑えない。私は空気を読むというのは好きじゃないけど、あまりに周囲が見えなさ過ぎです。「ヤングアダルト」系の小説というのは、日本で言うと、ハーレクィーンロマンス系の小説でしょうか?故郷に帰っても親に顔も見せない。親が噂を聞きつけ家に招くと、部屋は昔のまんまで、しばし自分がピークの時に思い出に浸るも、親の健康や現在を労う言葉はなし。あんまりバカ過ぎてもう。40前だよ?親も親で、もう離婚した娘の結婚式の写真なんぞ飾っている。何でこれだけ勘に触る人間ばっかり出てくるのか?

メイビスの痛い描写の最大シーンが、生誕パーティーをぶち壊す場面。上に書いた流産の件をここで持ち出すのは後だしじゃんけん的で今更感があります。ここで学生時代と同じく、自分はみんなの憧れの的だと思い込んでいたのに、実はかわいそうだと情けをかけられていたとやっと知り、落ち込んだメイビスはマットに逃げ込む。

逃げ込んでどうするかと言うと、セックスを迫る。戸惑いながらも学生時代の憧れの君からの誘いに応じるマットと言うのはわかる。だけど彼、身障者なのよ。まともに射精が出来ないと言うセリフもあったのよ。愛もへったくれもなく、今相手してくれるのがマットだけだったから彼を選んだだけ。メイビスの気を落ち着けるためだけのセックスと言う描き方には、私は嫌悪感を感じます。

昔からメイビスの信奉者だったマットの妹から、皆がバカであなたは正しい、今のあなたのままが素敵と言われて、勇気百倍のメイビス。己を美化した小説の独白が流れる中、実際は事故ってポンコツの車で、颯爽と故郷を後にするのでした・・・。えぇぇぇぇ!パーティー台無しにして、親に赤っ恥かかせて(パーティーにいた)、フォローは一切なし?励ましてくれた彼女の「私も都会に連れて行って」はすげなく断り、マットに至っては眠っていたのをいい事に黙って帰る。マットの気持ち、踏み躙りまくり。多少の反省や成長があってもいいんじゃないの?徹頭徹尾それはなし。勘違いの痛い女でこれからもOK!って、どういう事?

これどっかで観たことあるなぁと思い出したのが、トット・ソロンズの「ウェルカム・ドールハウス」のヒロイン、13歳のドーンちゃんです。ドーンちゃんはブスで性格悪く学校でイジメられ、家でも妹に一心に愛を注ぐ両親は、彼女なんかお構いなし。しかしドーンちゃんは負けない。根拠のない自信を元に、無理目の男子に猪突猛進で迫る迫る。何があっても決してあきらめないんだな。この子も相当痛いけど、超のつく根性はとっても爽快でした。この子も反省の色全くなしでしたが、まだ13歳のみにくいアヒルの子ですよ。成長して周りが見えて、白鳥になるかも?と言う期待が希望に感じたんです。

対するメイビスは、元が白鳥で、今ではみにくいアヒルの子。年も37歳。どこをどう見て、「ありのままのあなたでいいのよ」が出てくるの?どこか成長や救いがないと、この手の話はまとまらないと思うんだけどなぁ。ヒョーロンカ諸氏と一般人の感想は乖離しており、パンピーは私のように感じる人も多いみたいです。この乖離はどこからくるのか?

唯一の救いは、セロンの好演。色んな作品、様々な役柄を演じ、常に挑戦する姿は本当に素敵です。今回も好演でした。でも年食った痛いゴージャス美女なら、キャメロン・ディアスなら、もっとユーモラスに思えたんじゃないかと。あの最後も、まぁキャメやんなら仕方ないかと私的には思えます。元々の役者の持つキャラって大事ですよ。セロンは決してカメレオン女優ではないですから。今回は痛々しさが過ぎて、重く感じたのが「痛かった」です。

唯一良かったのは、自分とバディの思い出の曲だと信じていた曲は、妻もそうだったこと。嬉しそうは夫婦のアイコンタクトに悔しさを滲ませるメイビスは切なかったです。しかし挽回しようとしたメイビスは、「昔フェラの時、この曲がかかっていたわよね」ですと。やっぱ私、脚本のコディが一番嫌い!


2012年02月25日(土) 「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

とてもとても美しい作品。時々映画を観ていると、登場人物全ての心が自分に入ってきて、堪らなくなる時があります。この作品がそう。途中から泣きっぱなしで、鑑賞後はカエルのように目が腫れ上がっていました。監督はスティーブン・ダルトリー。

ニューヨークに住むオスカー(トーマス・ホーン)は、9・11のテロで父(トム・ハンクス)を亡くし、今は母(サンドラ・ブロック)と二人暮らし。一年後、悲しみの癒えないオスカーは、ある日父の遺品の中から、ある鍵を見つけます。その鍵はきっと父からのメッセージだと確信した彼は、手ががりとなる「ブラック」の文字は、きっと苗字だろうと推測。ニューヨークに住むブラック氏の家を、全て訪ねようと決心します。そんなオスカーを知った祖母の家に住む言葉を話さない間借り人さん(マックス・フォン・シドー)は、一緒に協力を申し出、二人は共に行動することになります。

途中で「僕は利口だけど少し変わっているんだ。アスベルガー症候群の検査をしたけど、不確定」と、オスカー自ら言わせています。私は精神科クリニックで受付をしているのですが、発達障害・知的障害をわからぬまま大人になり、社会に適応できずに悩み、心因反応を起こして精神科に受診、と言うパターンがすごく多いのです。これは精神科に勤めて始めて知りました。

親の適切な対応が大事なのですが、残念ながら気づくケースは少なく、発症当時の様子を記するカルテを読むと、今はこんなに大人しく善良な子が・・・と、びっくりするほど過剰な反応や行動を見せています。今の彼らが本当の姿なのでしょう、どれだけ辛かったかと胸が痛むこともしばしばです。

オスカーも人付き合いが苦手、自分の感情の表現が不器用で、大人に対しても無礼だったり不可解な態度を取るものの、感受性は繊細でとても利口な子です。扱いが難しい我が子を、父は否定することなく、自分も楽しみながら接します。興味のあることは、一見無駄に見えても真剣に付き合う。それを優しく見守る母。うちの患者さんたちの幼い頃から比べたら、とても恵まれているなと思いました。

大好きだった父を亡くした後、哀しみから大好きだった母も遠い存在に感じる彼。彼の母への愛情表現の不器用さを観ると、今の時代は「不器用」は肯定される表現ですが、本人にとっては、とても辛いことなのだと感じるのです。

彼の特性から考えたら、それこそ清水の舞台から飛び降りる気の鍵穴探し。最初訪ねたアビー・ブラック(ヴィオラ・デイビス)のシーンから、涙が止まりません。オスカーだけではなく、アビーの苦しみも私の心に入ってくる。もちろんデービスの好演あっての事ですが、これは以降、袖すり合うくらいの一会でも、オスカーが今まで知らなかった世界、または感じたことのない様々な感情を抱くのだと言う意味だと思いました。

その様子の描き方は、私の予想通りなのですが、間借り人さんと共に行動するようになってから、オスカー独りの時より俄然ユーモラスで楽しくなります。人に合わせる煩わしさも描きながら、でも協力しながらの道行は、独りより二人の方が断然豊かな時を重ねるのです。間借り人さんは、初登場シーンからその背景は予想できました。そして賢いオスカーも、観客と同じく確信するのです。

オスカーの探し当てた鍵穴は、彼の期待するものではありませんでした。落胆が激しく興奮するオスカー。しかしこれまで見守っていただけと思われた母は、彼に秘密を明かすのです。そう言えば、どこに行ってもオスカーは歓迎されていて、門前払いもあるはずなのにと、私は不思議だったのです。見守るとは、「ありえないほど近く」その人に寄り添っても、そのことを悟られず信じる事なのだと、痛感しました。

トーマス・ホーンは、アメリカのクイズ番組で抜群の正解率を誇っていたのを、製作陣が目をつけたのだとか。難しい役で、長いセリフ、感情の起伏が激しいアスペルガーの特性を、演技が初めての子が、よくここまで表現出来たなと感嘆します。この設定で、純粋さや賢さを浮き上がらせるのは、本当に難しいと思いますが、演技派のキャストを向こうに回して、一歩も引けを取らず堂々の主演でした。

ハンクス、サンドラもすごく良かったですが、やはり出色はシドー。私はこの人を初めて観たのが、劇場初公開時の「エクソシスト」のメリン神父だったので、すっかりお爺さんの今でも、全く違和感がないのです。老いて益々、枯れたのではなく年齢に合う豊かさと知性を感じさせる彼は、オスカーと同じく繊細で不器用、そしてお茶目な愛すべき間借り人さんを、余裕を持って演じています。27日発表のアカデミー賞の助演男優賞は、クリストファー・プラマーが下馬評では優位ですが、私はシドーに取って欲しいなぁ。間借り人さんは、オスカーに近づきすぎて、彼と一緒に傷ついてしまったんですね。

「ものすごくうるさい」世界での体験を通じて、人と接触するのが苦手だった彼は成長し、心身ともに接する事ができるようになります。特に自ら母の膝枕を求めた時は、本当に良かったなと、思い出して書いている今も、涙が出ます。父の残した鍵は、結果的には息子託したメッセージとなったのですね。その他、数々挿入されるエピソード全てが滋味深く心に残りました。

9・11だけではなく日本でも3・11があり、世界中の様々なところで災害以外でも、オスカーの哀しみを抱える人々がいます。それは私であり、あなたのはず。イギリス人のダルトリー監督が、敬意を持ってアメリカの9・11のその後を描いた意味は、そこにあるのではないかと思います。この作品から勇気を貰って、乗り越えていければいいな、と思います。


2012年02月19日(日) 「犬の首輪とコロッケと」

全然ノーマークの作品でした。監督は吉本の長原成樹。関西ローカルでは有名人ですが、それ以外では知名度は低いでしょうか?成樹の子供の頃からデビュー当時までの実話が元の作品です。実は彼は在日韓国人で、うちの息子たちの中学の先輩でして、生粋の生野区育ち、年齢も同年代と私と共通項の多い人です。公開10日ほど経って知り、これは是非とも見なくっちゃと、終映間近の14日に無事鑑賞。場面の切り替えが悪かったり、舌足らずや尻切れトンボの描写も多いですが、暴力や貧困をメインに押し出し、芸人らしくギャグやユーもがたっぷり織り込まれる中、タイトルの「犬の首輪」と「コロッケ」の意味は充分伝わり、監督の熱い心意気が伝わる、秀作や佳作ではなく、力作でした。

大阪の生野区育ちのセイキ(鎌苅健太)は、幼い頃から悪ガキで札付きの在日の不良少年です。子供の頃お母ちゃんは亡くなり、塗装業を営むお父ちゃん(山口智光)と、優しく大人しいお兄ちゃん(波岡一喜)の三人暮らしですが、素行の悪さがたたって、とうとう少年院に入ることに。一年後出院した彼を、友人が日本人のOLミチコさん(ちすん)を紹介します。在日であること、少年院帰りである事など意に介さず、包み込むような愛情をセイキに注ぐミチコさん。セイキは彼女に報いるため、真面目な大人になろうと、決心します。

生野区というのは特殊な地域で、人口の1/4が在日韓国人・朝鮮人です。それでも細かく地区によって違いがあり、私が育った東大阪よりの地区では、当時小学校の40人クラスで5人ほど、ど真ん中に位置する地区では、今でもクラスの9割方が在日と言う地区もあります(もちろん大阪市立の学校ですよ)。なので温度差はかなりあり、この作品で描かれた子供同士の日本人VS在日の「抗争」など見たことはありません。私は中学から地域を離れ女子校に行ったため、益々その手の事情には疎くなり、へ〜、こんな事があったのかとびっくり。いやいや同胞の事も、知らない事はまだまだ多いようで。

数は力と言う論理はここでもあり。以前生野区でも在日が一番多く住む地区で商売をしている人から、「私は韓国人が嫌いじゃないねん。生野の韓国人は態度がでかいから嫌いやねん。藤井寺の韓国人は、もっと大人しい。」と言われた事があります。あっち向いててもこっち向いても在日なら、小さくなる必要がないですからね。言った人は無意識だったでしょうが、私はその言葉に、あんたら在日は、小さくなって生きとったらええねん、と言う意味合いを嗅ぎとります。でも嗅ぎとっただけ。それで食ってかかることもないし、まぁそんなもんやろと聞き流しました。いちいち腹立ててたら身が持ちませんから。私は優秀ではなかったけれど、品行方正で真面目(いやほんまに)な在日の女子生徒、かたやセイキは筋金入りの地域で名だたる不良少年。それが全く同じ在日としてのアイデンティティーを持って生きてきた事を、この作品で知り、感激するのです。

幼馴染のトシが事故で亡くなったのは、職場の差別が一因でした。葬儀の際に、在日系の差別を訴える若い人の団体から、いっしょに訴えようと誘われますが、セイキは「別によろしいわ」と拒みます。そんなしょうもない事で、俺の親友は死んだんやない、と言いたいのです。私も被差別対象者として、声高に差別を訴えるのは大嫌いです。私の父親は、日本人と対等に仕事をしようと思ったら、日本人が百万なら、韓国人は三百万持たないといけないと常々言っていました。それやったら三百万持つ人間になったらええねん。それだけの事です。いやなら、帰化したら済むやん。それが私が子供の頃、大人たちが「韓国人の根性みせたれ!」と口々に言っていた意味だと、私は思います。

ミチコさんの父親から、「朝鮮人で少年院帰りの君とミチコとでは・・・」と言われると、「僕、朝鮮人ちゃいます、韓国人です」と答えるセイキ。日本の人には、当時よりましでしょうが、未だに一緒くたの「在日」なのでしょうね。確かに北朝鮮系の人とは分かり合える部分もありますが、思想の全く違う国であり、どちらに属するのか、私たちには重大な事です。私もこの場面なら、同じことを言うでしょう。

そしてタイトルの首輪とは、なんと外国人登録証の事。バイクで違反したセイキに警官(今田耕司)が免許証を提出させますが、韓国人だと知ると、和やかな態度を一変。外国人登録の提出を求めます。私たちには、携帯の義務があるのですが、普段は忘れていることが多いのです。忘れたと答えるセイキに、「あれはお前らには犬の首輪といっしょや」と言われ、激怒したセイキは警官をフルボッコ。今はそんな失礼な事を言う警官は減っているでしょうが、当時はこんな侮辱が平気でまかり通っていたわけ。警察にしょっぴかれたセイキを、今度はお父ちゃんがフルボッコ。しかし無事帰宅を許された息子に、お父ちゃんは微笑みながら、「セキ(訛っていて、セイキと言えない)をどついてもええのんは、お父ちゃんだけや」とつぶやくのです。謂れのない侮辱に反抗した息子を理解しているのですね。しかし暴力は悪い事。でも侮辱した奴らに息子がどつかれるくらいなら、自分がどつこうと言う事です。この辺は短い描写ながら、とても上手く心情が伝わります。犬の首輪=外国人登録=在日の象徴と言う意味だったのか・・・と、何だか胸が詰まりました。

ミチコさんはとても素敵な女性で、母のいないセイキを、豊かな母性愛で包み、決して彼を否定しません。「ミチコさん」「セイキくん」と呼び合う二人は、きっとミチコさんが年上なのでしょう。何故こんな素敵な女性が、欠陥だらけのセイキをこよなく愛してくれたのか、その理由が描かれず、この辺は物足りません。しかし自分を「昔ダサいと思っていた、真面目な大人になる」と、更生へ導いてくれた彼女への、監督の溢れ出る感謝が画面いっぱいに広がっていて、とても感激しました。多分美化もあるでしょう。しかし監督が未だ独身(のはず)なのは、あんな結末の悲恋だったからなのかと、ここでも胸が熱くなります。

コロッケは、母のいないセイキの家の「家庭の味」でした。お父ちゃんが嬉しい時悲しい時辛い時、セイキに食べさせた出来合いのコロッケが、彼に家族の感謝と生きる希望を与えてくれたことも、ちゃんと感じさせてくれます。

お兄ちゃんはセイキと正反対の温厚な男子で、傍若無人にセイキが振る舞えたのも、長男がしっかりしていたからでしょう。ミチコさん同様、お兄ちゃんの心情も描いて欲しかったですね。他にもセイキのライバル役で良い味を出していた日本人のヤマト(中村昌也)の心模様は出せていますが、もう少し背景を描けば、何故彼が破天荒だけど情に熱い韓国人気質に憧れに似た感情を抱いたのか、解りやすかったと思います。ニューお母ちゃん(後妻)に骨抜きになるお父ちゃんの描写も、相手はどんな素性か、経緯だったのかを、あんなコント風にではなくきちんと描きべきです。時間が90分足らずの作品で、もう15分長ければ、描けていたでしょう。この辺が足りていれば、力作から秀作に格上げ出来たはずです。

変な大阪弁を話されてはいやだから、の理由で、ネイティブ大阪人をキャスティングしての演技人も、全く違和感なくとても良かったです。特にぐっさんのお父ちゃんは出色。今田やサブローの出演は、友情出演でしょうが、出すなら吉本新喜劇の人の方が良かったかも。少し浮いて感じました。他には生野の風景ですが、ちょこちょこ現在が映っていたのはミステイク。「ビス千代」は当時は千代市場でしたよ。桃谷のコリアタウンも、当時は猪飼の朝鮮市場と呼ばれており、あんなこじゃれた門はなかったです。

しかし、初監督作でこれだけ描ければ充分及第点です。監督が心を砕いて描いたそうな、「親に感謝」と「前を向いて生きる」と言うメッセージはとても伝わりました。こんな暴力少年が、一度も父親には手を上げず、殴られっぱなしになっていた事に、注目して欲しいと思います。差別や貧困も、腕っ節と涙と笑いで吹っ飛ばしてきたセイキが、人に笑われるのではなく、笑かす仕事として、お笑い芸人を続けていこうと決意しているようなラストも、後味が良いです。

セイキ監督、観る前は映画になってないやろうと予想していました。失礼しました、すごく良かったです。検索しても、まともな素人レビューはないので、もしかして、私が初めての素人の感想かもしれません。DVD化されるなら、一人でも多くの人の目に留まって欲しいと願いながら書きました。次作も必ず観るので、よしもとにお金出してもらって下さいね。監督、才能ありまっせ!決して上手く作ったとは言えませんが、私には少し距離感のある北朝鮮系の在日を描いた「パッチギ!」より、もっともっと共感出来る作品でした。


2012年02月12日(日) 「ドラゴン・タトゥーの女」

う〜ん・・・。私の好きなスウェーデンの「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」のハリウッド版リメイクで、監督が現在ノリノリのデヴィット・フィンチャーなので、とっても期待していました。でも収穫は薄かったなぁ。手堅くまとめてはいるのですが、ただそれだけの印象です。

スウェーデンの社会派雑誌「ミレニアム」に勤めるジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ」は、大物実業家の不正告発の記事を、名誉毀損で訴えられて、社会的地位を失いかけています。そんな彼に大財閥のヴァンゲルグループの会長ヘンリック(クリストファー・プラマー)は、40年前殺された姪のハリエットの事件の真犯人を捜索するよう依頼します。複雑な事件に、手がかかると思った彼は、自分の身辺を調査したリスベット(ルーニー・マーラ)を助手として迎えいれます。

オープニングは出色です。予告編で御馴染みになった「移民の歌」が流れる中、黒くドロドロした液体で描く画面は、鬱蒼として複雑に絡み合うこの作品の世界観を、見事に表現していて秀逸でした。これは期待出来ると踏んだのですが。

最初はサクサク、猛スピードでハリエット事件までたどり着きます。ちょっとダイジェストを観ているようですが、スウェーデンの耳慣れない名前が覚えづらいのは米国人も一緒なのでしょう、これは正解だと思いました。

以降はほとんど元作と同じ。まとめ方は上手いのですが、内容がペラい。元作の原題は「女を嫌う男たち」。スウェーデンの社会問題である、女性への暴力や人権蹂躪が、サスペンスな展開の奥のテーマでした。その事に屈せず挑んだ象徴が、リスベットであったわけです。




しかしアメリカ版はこの辺りがとっても希薄。例えば、とある人物にリスベットは報復しますが、元作では本当に胸のすく思いがしました。そこには復讐や異常者の行動と言う意味合いはなく、立場や男女の差ではなく、人間としてあんたと私は対等なんだよと、強烈に感じさせたからです。元作のリスベットを演じたのはノオミ・ラパス(画像上)。西欧人としてはとても小柄で華奢。作中、ブスだ発育不全だ、挙句の果ては娼婦になっても誰も買わない、などど失礼極まりない言葉が、あちこちで吐かれていました。でも彼女は何事にも屈しない。頭脳明晰で運動神経にたけた、とても自由で強い優秀な女性です。孤高の気高さの中に見せる痛々しさも謎となり、すっかり彼女に魅せられたもんです。普通なら保護されるような背景を持つ女性が、インテリ男性(ミカエル)を守った事に、同性として私は感激したんですよ。こんなヒロイン観たことなかったから。

対する今回のリスベットは、背景の挿入もわずかで、自ら異常者だと相手を恫喝する。それは本心ではなく、脅迫めいた意味合いであることはわかりますが、リスベット・サランデルは、そんな姑息な真似をしなくったって、卑怯な奴らには互角で戦えます。報復相手に、「あの日の事が気になっていた」と語らせる、一片の情を見せる演出も不要です。益々リスベットの行動が行き過ぎに思えちゃう。ミカエルに心寄せる描写も、あれでは説明不足。優秀ではあるけど、本当に心が壊れて歪になった女性に感じるのです。それは私の愛するリスベットじゃないんだなぁ。リスベットはとても尖った女性ですが、それは彼女が自分を知っているからこその行動で、決して欠陥のある女性ではありません。ルーニーは、とても頑張って演じていたと思います。監督の意図するリスベット像は、ルーニー版なのでしょう。

ダニエルのミカエルは良かったです。カッコ良く腕の立つ役柄の多い彼が(なんたってジェームズ・ボンドだしな)、誠実でインテリながら、女性に守られるひ弱い男性を演じて大丈夫か?と危惧していました。でも今回は公私とものパートナーであるエリカ(ロビン・ライト)との不倫関係を強調しており、離婚した妻との間の娘も登場、そしてリスベットの恋心も全面に出しており、彼くらい色男でなくちゃ、納得できませんて。

普通の猟奇的な謎解きサスペンスでした。フィンチャーらしさは、暗く意味ありげな孤島の様子を映す映像美には感じましたが、それ以外は、いつもの背後からひたひた押し寄せる心理的な怖さは、今回はありませんでした。ラストは元作と違います。そして押し花の謎は今回スルーでしたが、あれは意図的?次につなげる気がないなら、これは痛恨のミスです。フィンチャーがそんなヘマ、するわけないか。とにかく元作にあった虐げられた女性の叫びを感じなかったのと、リスベットの解釈の違いが、私の不満の元です。外国作品をリメイクすると、こういう部分は描かれにくですね。

今作単体で観た方は、解りやすいし、それほど問題はないかも。両方観た方は、巷の風聞では元作に軍配が上がっています。


2012年02月08日(水) 「ペントハウス」




アメリカでは大人気のコメディアン、ベン・スティラーですが、日本ではイマイチ人気がありません。私は結構好きなんだけどなぁ。いつもは小学生の悪ガキが、そのまま大人になったような役柄が多いスティラーですが、今回は男気溢れる漢な役柄で、なかなかの男前っぷりです。作品の出来は平凡ですけど、そういう意味では観て損はないかも?監督はブレッド・ラトナー。

マンハッタンの一等地に建つ超高級マンション”ザ・タワー”。その最上階に住む富豪のショウ(アラン・アルダ)が、金融詐欺でFBIに逮捕されます。マンションの敏腕マネージャーで部下の人望もあるジョシュ(ベン・スティラー)は、スタッフの年金の運用をショウに任せていたたため、その金も損失してしまいます。憤懣やるかたないジョシュは、スタッフのお金を奪い戻すべく、ショウの部屋に隠された大金を、素人ばかり集めて強奪しようとします。セキュリティの完璧な”ザ・タワー”、果たしてジョシュは大金を手に手にすることが出来るのか?

画像を見てのお解りのように、キャストはとっても豪華。泥棒軍団はエディ・マーフィーにケーシー・アフレックス、マイケル・ペーニャにマシュー・ブロデリク。この他女性陣は、FBIの捜査官にテア・レオーニ、メイドにガボレイ・シディベ。この人たちを使いたい!が脚本より先に来ていたんでしょう、後付の理由でお話が動きますが、それぞれいい味出してたんで、不問です。この作品はマーフィーの企画だそうですが、相変わらずの軽口叩きまくりで元気なのを確認し、なんか嬉しい。

私はこんな億ション、入った事もないので知らなかったのですが、分譲でも、高級ホテルのようなサービスがついてんのね。白人専用みたいなセリフが出てきましたが、働く人は黒人にヒスパニック、アジア系と多国籍軍。その辺は企画がマーフィーと言うのが伺えます。

その市井の人々であるスタッフのため、ジョシュは大奮闘。いつものお下品な悪ふざけはどこへやら、トム・クルーズばりに走ったり宙吊りになったりで、大活躍。のんびりぬるい展開も、後半へ向かうに従って、本格的アクションとなり、それなりにハラハラしながら楽しめます。素人のドタバタさが、返って健気に見えるんだなぁ。

ジョシュが強奪を決意したのは、定年間近のドアマンが、ショウに貯金全額を預けていたため無一文になり、自殺を図った事がきっかけです。知らぬ顔で保釈金を出し、権力者に嘆願し、無罪目前のショウ。観ている庶民の私たちも憤慨しますよね?権力者の横暴に泣き寝入りは、大なり小なり庶民なら経験があるもんです。それをジョシュが代弁してやっつけてくれるんですから、気分は痛快にして爽快。素人軍団だけではなく、弱者のはずのスタッフも一丸となって頑張ったと言うのが、後味も良くさせています。

もっと笑えるコメディかと思っていたけど、ユーモア溢れる犯罪映画と言うべきかな?DVDでもいいかと思いますが、スティラーが好きなあなた!ラストの颯爽とした男前の彼の笑顔、含蓄があるので是非観てください。私はあれだけでも元が取れました。


2012年02月04日(土) 「J・エドガー」

面白かった!最初は全然期待していませんでした。当方FBIの話なんぞ、あんまり興味ないし、第一知識が乏しい。あのエリオット・ネスを、デ・パルマの「アンタッチャブル」を観るまで、FBIのビッグネームだと信じておったくらいですから。イーストウッドが監督しているし、しゃ〜ないなぁ〜くらいの気持ちでしたが、これがあなた、通俗的(←この場合良い意味)でわかり易い人間ドラマでした。アメリカの社会史のお勉強にもなります。

初代FBI長官J・エドガー・フ−ヴァー(レオナルド・ディカプリオ)の生涯を描いています。人生の終盤に差し掛かったでフーパーは口述で自分の伝記を作らせています。その時の回想と現在が交互に挿入される構成です。

1919年、司法局に勤務していたフーヴァーは、若くして初代FBIの長官に任命されます。その後の数々の事件やエピソードを通じて、フーヴァーの人格や人生を浮き彫りにしています。事件の数々なんですが、リンドバーグの赤ちゃんの誘拐事件、レッドパージ、ルーズベルトのスキャンダル、キング牧師のノーベル平和賞についてなど。捜査されるギャングの方は、有名なアル・カポネやデリンジャー、政治家はケネディ家やニクソン他、「アメリカ史」として少しは知っていたり記憶にある人が出てきます。それらのエピソードが虚実綯交ぜで描かれ、これが上手く出来た再現ドラマのようで、興味津々で観られました。

フーパーについては全く名前も知りませんでした。。指紋を元にした捜査や犯行現場の確保、プロファイリングなど、現代的な捜査の元を築いたのも彼でした。しかし強引で独裁的、差別主義者で逮捕のためには手段を選びません。そして野心家で自己顕示欲が非常に強く、当時の政治家や時の大統領まで、当時禁止されていた盗聴を使い、自分の利益のため脅迫までします。

もう人格的にはケチョンケチョン。良いとこなて、まるでありません。しかし不思議と嫌悪感が湧かないのです。もちろん愛すべき人とか、憎めない人なのではなく、観ていて彼に対して理解と同情が湧いてきます。それはフーヴァーのプライバシーにも焦点を当てているからでしょう。

溺愛される母(ジュディ・デンチ)から、「あなたはアメリカで一番の人になるのよ」と、洗脳気味に言われた事への強迫観念。「一番じゃないとダメ!」なのですね。そして重大な個性として同性愛者だったことです。私は全然知らなかったので、生涯公私共フーヴァーのパートナーとなるトルソン(アーミー・ハマー)登場シーンが、あまりにテカテカで、お花や星が降り注いでいるかの印象を持ったので、?????だったのですが、のちに仕事の片腕となるようフーヴァーが要請した際のトルソンの返答が、「お願いがある。ずっと昼食か夕食を共にしてくれ」と言うシーンで確信。いやすっごいですね御大、これくらいでわからせるなんて。

母の呪縛、当時は許されない性癖に、フーヴァー自身ものすごく葛藤があったと思います。特にゲイであることをひた隠しにするため、超タカ派の愛国者で、人から見上げられる存在で有り続けることで、その心を相殺していたのだと思います。実際はどうか知りませんが、偽装結婚を考えていたり、一度もクラウドに愛の言葉を言えなかったりで、彼らの間柄はプラトニックだと映画では思わせます。その辺がまた、切なくってね〜さすが御大。それ以外でも女装癖もあったと噂されるフーヴァーを表現する場面が、これがまた泣けるのです。さすが(以下省略)。こういうイーストウッドの「趣味的部分」の陰影が、堅くなりがちな社会派作品を、柔らかく娯楽色豊かに見せていたと思いました。

フーヴァーは母とクラウド以外に、秘書として終生彼に忠実だったヘレン(ナオミ・ワッツ)がいます。フーヴァーを影のように支える姿は、クラウド以上に「夫婦」でした。自分は信じられる人間がいない、と嘆き続けてきたフーヴァーですが、母、クラウド、ヘレンと、人生で三人もいたとは、私は恵まれた人だと思います。痛々しい孤独の中にいる彼だけを描いていたら、彼への理解も生まれ難かったと思います。

現在は当時と比べたら、アメリカも日本も信じられないくらい自由でリベラル、個人が尊重されています。しかし、アメリカの右翼化が懸念される中、もう一度近代史をおさらいしてみましょう、的な意味合いで作られたのかな?と、個人的には思いました。そこにフーヴァーの公的な功績も描き、理解出来るように描いたのは、監督の公平な視線だったと感じました。

レオは相変わらず上手いです。本当に安定しています。「グレート・ギャツビー」のリメイクが楽しみです(私的にはキャリー・マリガン嬢の相手役には?)。ハマーは純情可憐な雰囲気が素敵でした(褒めてます)。クラシック映画、いけそうですね。デンチおばさんは相変わらず怖くて上手いし、ワッツは上手く存在感を消しながら、返って存在の大きさを浮き彫りにさせると言う高等演技で、やっぱり安定感抜群でした。

職場のお若い常勤さんに、子供の頃新聞やニュースで初めて知った現在のアメリカ大統領は誰だったか?と尋ねたら、「クリントンですね」とのお答えに、まぁついこの前じゃございませんか?と、ワタクシ苦笑い。お若い方には馴染みのないお話でしょうから、少し下調べして観ても良いかも?ちなみに私は小学生の頃でニクソンです。この作品でもちらっと名前が出てきます。お若い方は下調べしてから。そうでない方は、何も知らなくても充分楽しめますので、安心してご覧下さい。


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