♀つきなみ♀日記
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アスファルトの焼ける香りがして、木陰の涼しさを知る。今年初めてビスチェだけで歩く街は、コルク底のミュールの足取りも軽い。
路地を曲がって引き戸を開けた行き付けの古書店には、まだ梅雨の香りが色濃くて、眼鏡越しに私を見ると、ちょっと笑ってまた帳付けに戻るおやじさんのステテコだけに夏がある。
100円均一の棚で「夏への扉」をみつける。ロバート・A・ハインラインのこの小説を読んだのは、ナルニア国物語を振り出しにトールキンの指輪物語からゲド戦記へたどり着き、アシュラ・K・ルグインを経て翻訳物のSFを読み始めた頃だった。何時の間にか失っていたこの本を私はもう一度読んでみた。
1957年に書かれたこの物語は、1970年に始まり30年後の2000年12月から21世紀を舞台とし、そして1970年、2000年へと時間を渡ってゆく。この作品に出会った頃の私は、この時代の流れにはあまり気付かずに、登場するピートという名の猫と、綿密に紡がれた物語に引き込まれた。
振り返ってみれば、私は少し生まれたのは遅いのだが、ほぼこの物語が飛び越える時代を生きてきた。でも、1970年の主人公ダニィは、家事処理ロボットを開発した技術者だし、現実の21世紀の今日も、タイムマシンはまだ発明されてはいない。
思えば、10年ちょっと先の私が、今のような暮らしをしているとは、その頃の私には想像はつかなかった。もっと素敵な大人になるはずだったし<=おい!
ご存知の方も多いと思うし、ネタバレにはならないので書いちゃうと、「夏への扉」という題名は、猫のピートがいつも冬になると、夏に続いている扉を探しはじめるというところから来ていて、この物語自体のモチーフにもなっている。
久しぶりに読み返してみたこの本は、やっぱり私に物語以上の物を与えてくれる。そう言えば、この本の表紙裏にはこう書いてある。
「世のすべての猫好きにこの本を捧げる」
私の「猫好き」に、この本の影響が強かった事も、改めて思い出した今日だった。
って事でまたね!
テキスト庵
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2001年06月19日(火) |
「知ってるつもり@陰陽師」の感想など/「沈黙の春」 |
感想は 「ケッ!」 以上<=おい!(失礼)
あれは「知ってるつもり」じゃなくて「知ったかぶってるつもり」だよね、まったく。夢枕獏さんも岡野玲子さんもスタジオへ来なかったはずだよ。突っ込みたい事は沢山あったんだけど、史実と伝説と創作をぐちゃぐちゃにしているんだよね、典拠も含めて。そして創作さえ、また別の話にしているし。ある意味、現在のTV的であると言えばそうなんだけど。風説と事実と推測と意見をごちゃごちゃで垂れ流すニュース番組と作り方が同じなんだよね、まったく。
偶然なのだけど18日月曜日に、NHKで「夢伝説〜世界の主役たち」で、「未来への伝言“沈黙の春”〜レイチェル・カーソン」が放送されていた。こちらはちょっくら感傷的過ぎるきらいもあったけど、ポイントは押さえていたような気がする。NHKは「NHKスペシャル-それはDDTからはじまった」でもこのテーマを取り上げていたので、調査に力も入っていたようだし。
「沈黙の春」(レイチェル・カーソン著, 青樹 簗一 翻訳 新潮文庫 ISBN: 4102074015 )は1962年にアメリカで出版された。著者の略歴や著作の詳細はレイチェルカーソン日本協会やレイチェル・カーソン関連文献ページでご覧頂くとして、私がこの本に大きな感銘を受けた点は、膨大な裏付けとなるデータや資料の集積と感情的ではない冷静な理論展開、そして美しい表現の両立だった。
彼女は著書の中で危険性を指摘しているDDTについてもヒステリックに使用中止を叫んだりする事は無かった。「絶対安全」を標榜する科学薬品に対して、無謀とも言える大量の空中散布や、害が不明な昆虫の撲滅運動に対して疑問を呈した。
「沈黙の春」に次の一節がある
>「人間だけの世界ではない。動物も植物も一緒に住んでいるのだ」
しかしこの言葉は、甘ったるいヒューマニズムだけから発せられた言葉ではない。この本の大きな柱となる考え方として、自然の「生態系」は「自然の摂理」による「食物連鎖」によって「生命濃縮」がはたらいている事が捉えてらえている。この「連鎖」と「濃縮」により今の言葉で言う「環境汚染」が徐々に進むことを看破し警告している。ざっぱに言えば「生命の連鎖が毒の連鎖に変わる」ということなんだよね。
>「この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、互いに力を >及ぼし合いながら、生命の歴史を織り成してきた。といっても、たいてい環境の >方が、植物、動物の習性をつくりあげてきた。
人が環境を作るという逆転が、ある意味20世紀の高度文明を形成した訳なんだけどそこで忘れてしまった物を、レイチェル・カーソンは人々に思い出せようとした。
「生命への畏敬の念」
これはアルベルト・シュヴァイツアーの哲学とも言える考え方で、彼女はその言葉を引用した「沈黙の春」を彼に謹呈する。
そんな彼女に浴びせられた批判の数々は「生命への畏敬」とも「事実」とも関わりないものがほとんどで、ネガティブキャンペーンで有名な物は「レイチェル・カーソンは昆虫に地球を売り渡す」という物は、フィルムも現存している。
当時の大統領ジョン・F・ケネディーの指示により調査が開始され事実関係の資料が蓄積される中で、化学薬品へ対する連邦政府の政策は大きく舵を転換する。そしてその政策は徐々に世界へ波及してゆく事となる。
DDTの発見者ミュラ一はその功績によって1948年にノーベル賞を授与されている。但し、その当時の化学でその毒性を予測する事は困難であり、画期的農薬として世界は喝采を送った。しかし、現在に至っては有毒性の高い物質として認知され、研究者たちによる人間の健康に対する調査・検討が行われている。
「真実に忠実なれ」これは全ての研究者のみではなく、人に与えられた命題かもしれない。
ちょうど今年はセンス・オブ・ワンダー」の映画化そして上映も行われるのでもし未読の方はレイチェル・カーソンの著作を、お手に取って見られれば如何だろうか。
って事でまたね!
テキスト庵
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2001年06月17日(日) |
「陰陽師第10巻発売」「知ってるつもり放送」記念(?)清明さまふたたび |
4月5日は二十四節季の清明でしたね。以上<=しつこいよ!
それはともかく、陰陽師@夢枕獏&岡野玲子さん版第10巻も発売され、そして「今日の知ってるつもり」で安倍清明さまが取り上げられるんで、どんな内容か楽しみなんだよね、ワクワク。
コミックスの「陰陽師」はかなりの前提知識を要求される。NHKの吾朗ちゃん版は、一般視聴者にそんな事は要求出来ないんで、登場人物の設定だけを借りたまったく別物になっちゃった訳なんで、これを見て原作やコミックを買った方は結構困惑してるような気もするよね。平安時代の香りはほとんど無かったし、原作の底辺を流れる、「霊」の存在はまったく無いし。
「尊卑分脈」によれば、実像の安倍清明は「天文博士」であった。じゃ、天文博士ってのはなんじゃろって言うと、勿論今の天文学とは違っていて「天に誌された文字を読む」事を本源とする。五行説をはじめとするこの知識は、大陸から順次伝わってはいたのだけど、推古天皇10(602)年、百済から観勒が、歴本、天文、地理、方術、遁甲の書を献じたのがその後の日本の陰陽道の基となった。下って、天平7(735)年、手塚治虫さんの火の鳥(鳳凰編)にも出て来る、吉備真備が遣唐使から帰朝する際に「大唐陰陽書」を持って帰って、これが日本の陰陽道、暦道、天文道の基本となった。
天文博士は清明の時代には、「陰陽寮」に所属していて、その上は「中務省(なかつかさ)」で、この役所は詔勅の文案を作成したり、上奏を受けたりするのが仕事で、陰陽寮は言わば「天下国家を占う」役所だったんだよね。ちなみに定説ではないけど、師匠は賀茂保憲でその実子、光栄は清明と同時代の「暦学博士」となる。そのお父さんの賀茂忠行が清明の師匠というのは、年代的にちょっとなさそうなんだよね。今昔物語集ではそうなっているんだけど。
清明の伝説は多々あるけど、最も有名なのは関白・藤原道長邸で献上された瓜に、蛇が封じ込めてられてるのを見抜いた話か、広沢の遍照時へ寛朝僧正という僧を尋ねた際、若い公達に「式神を使って人を殺したりも出来るのか」と問われて、草の葉を投げかけて、蛙を潰しちゃった話かもしれない。
瓜の話は「古今著聞集」(1254年成立)に載っている。登場人物は有名人ばっかりなんだけど、道長が関白になった時には清明は死んでいるし、源義家に至っては道長没後14年して生まれている。蛙の話は「今昔物語集」(1120 年以後の成立)所載だけど、勿論これは説話の先駆を為す物で、様々な話に著名な名前を借りて来ている事が知られている。早い話が、どちらもほとんど清明さんの事跡とは直接の関係は無いんだよね。
清明の名が現在まで伝わるもう一つの大きな鍵は、「三国相伝陰陽管轄内伝【ホキ】・金鳥玉兎集 」(【】内は該当漢字表記不能)にある。これは「続群書類従」の雑部に「【ホキ】内伝」として所蔵されていて、原本の作者は「天文司郎安倍博士吉備後胤清明朝臣撰」となっている。
この本は陰陽家の虎の巻っていうか、ネタ本とも言えるもので、現在の「暦本」へも伝わっている。「日本版五行&暦&易歴のバイブル」と例えてもあながち的外れじゃないくらいの物だ。しかしこの本は南北朝から室町時代に成った事はほぼ定説となっていて、少なくても清明が著した物でない事だけは間違いない。
逆に言えば、室町期において最も有名であった陰陽師は清明であったとも言える訳で、作者か編者は自分の名前をあえて伏せても、「安倍清明」の名前を冠する事で内容の権威付けを行ったとも思われる。(付記:この本の作者は5巻中1-2巻と3巻以下は別人で、室町時代に一部としてまとめられたとの説が有力)
説教節「信太妻」では、清明の父は安倍保名となり、浄瑠璃の「保名物語」「芦屋道満大内鑑」と共に、信太の森の狐である母との子であると市井の人々へは伝わってゆく。これは鎌倉期の説話集「古事談」にある清明が花山天皇の頭痛を治した話とも関連付けられている。
蝉丸について書いた内容と一部重複しちゃうんだけど、実在した人物が伝説化する過程に私は強く惹かれる。
恋しくば尋ね来てみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉
母である狐はこの歌を置いて、少年清明のもとを去る。そして尋ねあてた母から水晶の玉を与えられ、それに耳をあて鳥獣の声を解する処から、天才陰陽師清明の歩みは始まってゆく。
もちろんそれはフィクションなんだけど、民衆の胸に生きる清明像はそこを基点に広がり、今また夢枕獏&岡野玲子版陰陽師で新たなイメージを与えられた。
吾朗ちゃん@NHK版を見たぐらいじゃ、本物の清明さんはきっとちっとも驚いたりはしないんだろうなぁ、なんて思いながら、今日の番組の感想はまた後日。
ってことでまたね!
テキスト庵
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2001年06月06日(水) |
残して置く事にした。 |
一昨日も昨日も私は日記を書いた。書いては読み返し、読み返しては書いたのだけれど、結局WEBにアップはできなかった。
ほんの一部だけをメールでお送りし、返信でそれが事実であること知りその事を飲み込んだ。
でも少しだけWEB上に残しておく事にする。
貴方の思考とテクストが好きでした。ご縁は淡かったけど。 六月はメール強化だと拝読して、楽しみにしていたのに。 僅かだけど、私だけに頂けたテクストは大切にします。
安らかに。
2001/06/25追記 トラブルと言うか、問題はあったようですが 御生存は確認されたようです。よかった。
テキスト庵
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2001年06月04日(月) |
追記っす。/龍成様に叱られて、落ち込む私。 |
えーと、素敵な先輩龍成様に一部ご返信頂けたので、そのご返信<=白山羊さんと黒山羊さんか?
>コミュニティという名前を冠した一種の派閥抗争での発言制限、つまりコアな読 >者を多く獲得することによって発言権が得られるということが言いたいのかな。
違いまんねん、鶴は千年、亀屋万年堂はナポナで長島でんがな、ってぐらい違いますね。やっぱ自由が丘は王貞治さんでなくちゃ(根拠無し)。と申しますか、言葉が拙くて、真意をお伝えできず申し訳ありませんでした。
いずれにしても、お時間を取って御言及頂いた事を感謝致します。
コアな読者様は勿論ほしいなぁとは思うけど、それは支持者でもなければ、ファンクラブでもない。個人サイトは管理者を中心に盲目的な追従者一色になる事もあるけど、それはそれで否定はしない。ただ、誤認や暴論にも喝采を送るファンに囲まれた管理者になりたいとは思わない。
訪れてくださる読者に、出来るだけの真摯な対応を行いたいとは思うし、発言と言うか書くことに責任を持つことで読んでいただける方を大切にしたい。
そもそも日記才人内で派閥を作るってどういう事か良く判らない。全員にフラットに日記発表の場が与えられているのが、日記サイトの素晴らしいところだと思うし、それをチョイスして拝読できる事がなにより嬉しい。
日記サイトは、様々な専門分野をお持ちの方が登録されていらして、私の拙い記述に示唆を与えて頂ける事も多いし、誤認のご指摘をメールや日記でご指摘頂ける事も多いし、関連文献やサイトをご紹介頂ける事も非常に多いしありがたい。
私はこの部分を「日記才人のコミュニティ」だと思っている。「文責」について緊張感を持って登録できるリンク集としても、私はとても魅力を感じている。
私が、他のリンク集に対して日記サイトが優れていると思う理由として、「競争的優位性」と表現させて頂いた。
ご理解の一助となる事を期待しながら2000年5月9日付けの日記に書かせていただいた内容を再掲させて頂きます。
(以下再掲分) 私見としての優位性要因を列挙すると
1.事業を目的にしないサイトである。 2.管理者が恣意的な行動を行わず中立性を維持している。 3.投票権獲得後投票という独自性が保たれる。 4.プライバシーを保護しつつ、投票権情報を一部公開するので、 不正な投票行動が相互監視出来る事から、公正さが維持されている。 5.アクセス数と投票数が必ずしも一致しないユニークさを留保している。 6.アクティブな投票者が、日記作者である比率が高いので、読み手としての質 が期待される。 7.日記という共通性を持ちながら、作者層が広範で知的好奇心を満足させる。 8.長期にわたり運営されているため、リンク集としてだけではなくコミュニティ ーとしての機能も獲得している。
って挙げ出すと切りがない。 よく対比されるReadMe!さんはIPユニーク制となって方向軸が若干変ってきている気がするが、コミュニテー部分は非常に希薄だ。私見だが、広義では読み物かも知れないが「人気サイトランキング」の方向が強まっている気がする。
参加者同士の軋轢っつうか揉め事に関しても、一般のWEB上での騒ぎに比べれば正直呑気なもんだと思うし、そこでも日記猿人さんの懐の深さに甘えている印象が強い。
確かに、これだけ登録日記が増えてしまうと、新規登録者の日記が新たに注目される可能性が低い部分はあるが、そこには「一行コメント」というシステム、そしてランダムジャンプや参加者から発生した「空メール」によって補完されているし、それをシステムでバックアップする「日記検索」も再強化されている。
色々な意味で「日記猿人」はユニークでしかも魅力的なシステムだ。検索エンジンに登録しまくって、義理掲示板書にいそしんでやっと得られる一日20−30ヒットくらいのサイトが、一旦日記猿人さんで認知されると、100を超えるサイトになる。ただ、それは、興味が「好」ではなくて「嫌」でも現れる数字である事に気付かない事も多い。
良く見掛ける、「馴れ合い」と言うのも、それは一つの選択だと思う。サイトの運営と言うか方向性の問題に過ぎない気がする。これはまったくの私見だけれど、日記登録者だけに向けたサイトはありなのだけれど、その比率があまり高まると、読者としての日記猿人利用者は減少してしまう危惧は持つ。贅沢言えば、そのへんのバランスも良いのがいっぱいあると嬉しいんだけど。そして、初めて日記猿人さんを「日記リンク」として興味を持って訪れた読む力を持つ人が、「にゃるほど」って思うようなテクストに票がいっぱい入ってるといいなぁって。
独自の読者を獲得しつつ、その読者をも日記猿人に、そして他の参加日記へ誘導できる力を持つ登録日記が、今以上に増えて欲しいなぁって思ったりする。
競い合うのは、サイトの内容やテクストや個性であって、投票数や評価は結果としてあるものだし、色々な出会いを喜び、その場所を提供して頂いていることに感謝する方が先だと思うんだけどなぁ。
(以上引用)
長文失礼致しました。現在の「日記才人」様とは合わない部分もありますが、あえて全文掲載させて頂きました。
PS:6/3付け(下記)の日記で「インプレッションD」と表記さて頂いた企画は 「D-Recommend」でした。訂正の上お詫び申し上げます。申し訳ありません。
以下6月3日の日記です。
がははは<=なに?
しかし敬愛してやまない、龍成様に叱られちゃって意気消沈だよまったく。「?」がお気に召さなかったようだけど、原文が「?」を多用していたので、トレースしたことに気付いて頂けないとは残念至極、五国漫遊は水戸黄門。やっぱ片思いなんですね。いやん。
それより、楽しみにしていた「インプレッションD」の日記読みまだなんだけど、いいかげんに読んでほしいなぁ、もうすぐ順番だったのに<=いつの話しだ?それに「マヌケ」ってひどいなぁ。週末まで治療中の前歯が無いので歯抜けじゃあるけど。
一言、真面目に書くけど、とこりさんと私を一緒にしないでちょ。私は龍成さんのおっしゃる通りの人間で、ご推察の通りの意図が文間から見えるなら、それは私の不徳の致すところだけど、とこりさんの文を読む限り、彼女はそうとは思えない。再度過去日記や今回の日記を熟読して頂きたいと思う。
私は日記才人の競争的優位性の一つは、コミュニティを形成する事によって、明らかに誤った記述や、誤報は指摘されたり、反論が行われるので、あまりいい加減な内容を公開出来ない事にあるのではないかと思う。これは前にも書いた。
龍成さんが例示するネット全体の構図には同意するけれど、「ヤクザの事務所」は極論すぎて、ちょっと心情的に納得行かないんだよね、申し訳ないけど。
言及頂いたので、簡単に反応など。
って事で、またね。
でも「きゃー」とか「がはははh」は止めろよ。本人と面と向って言えるのならいいけど。なんちゃって。
PS 下条せんせも、吉田神道に対する私の指摘に回答してほしいなぁ。今回みたいなしょうもない事に首突っ込んでる暇があるなら。
テキスト庵
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私が言いたかったのは、「黒い虫」が何であるのかキチンと理解してから、文章を書かれては如何かと言うことです。その上でのご意見であれば、互いに誤謬に気付く事も可能ですし、有益な知識の交換も可能だと思いました。
誤解や思い込みで、真理から離れた論旨の展開は、誤解の拡大や対象からの反発しか引き起こさないのではないかとの危惧が中心であったのですが、とこりさんや私に対するご回答があの文章であるとは、非常に残念です。
こう書くと、「あれは別件だ」とおっしゃられそうですが、少なくても私はそう感じましたし、引用させて頂いた日記を即刻削除された行動にも、疑問を持ちます。
「御意見」をご自身のサイトで表明されるのは、当然自由ですが、否定的なニュアンスで御記述になられる場合は、特にその対象に対して真摯な理解をなさる事、あるいは理解する努力をなさる事は、最低の礼儀であると私は考えます。ましてや、それを特定の個人ではなく一般論や集合名詞として括られる場合は。
ご不快であれば、平にお詫び申し上げます。
また殴り書きになってしまった、昨日の記述を多くの方に曝したことをお詫びすると共に、貴重なお時間を頂いた皆様に心より御礼申し上げます。
PS 絶対的な価値観が危険なのではなく、真理や事実を無視する独善的な価値観が危険なのです。
テキスト庵
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2001年06月02日(土) |
メンタルシックへの偏見>rozannaさんへ |
うーー、我慢できない。うんこしてこよ<=おい!
じゃなくって、いくらなんでも、たらこは明太の方が好きでも、ちょっと誤解と偏見が多すぎるので、文章を公開させて頂きます。
そもそも「精神疾患」は読んで字の如く「病気」なんですよ。この根本認識を如何お持ちなんでしょうか?
大前提として、「精神疾患」と「rozannaさんに絡む人々」の同一性、及びその根拠を明白にしていただきたいと思います。
>しかし「病気なんだから仕方ないよね」と見逃そうとすればするほど、それを楯 >にしてますます増長する(その都会のカラス並みのずうずうしさがあれば、何処 >でも生きていけるんじゃないの?本当は)。
性格と精神疾患を混同していらっしゃるのでしょうか?
>大体現世に適応できないならばそれを認めてそれ相応に生きていけばいいのに、 >それをする勇気も持てなくて、薬の力によって無理矢理すがりついてることを広 >く知らしめているその姿は、まるで高層階窓枠に手をかけてぶら下がって
>「今から死ぬわよー!ほんとに死んじゃうわよー!ねーいいのー?」
>と金切り声で叫んでいる自殺願望者のようで、はっきり言って馬鹿げている上に >相当醜い。
現世への対応と、精神疾患も関係無いと思いますが、何を根拠にこういう認識をWEB上に公開されているのでしょう?
ご存知かとは思いますが、精神疾患に対しての過去の偏見から抜け出し、労災認定も常態として行われる現状をどのように認識されていらっしゃるのでしょうか?ましてや、「薬」と連呼される対象は主に「躁鬱病」を指しておられるようですが、この病気に対して、いかなる知識をお持ちなのでしょうか?
厚生労働省のサイトをはじめ、www上にはrozannaさんがお持ちのような、誤解や偏見を啓蒙するサイトがあります。是非一読の上、再度ご考案ください。その上での意見の御開陳であれば、それはそれでrozannaさんのご高察として、また対論を述べさせて頂きたいと思います。
テキスト庵
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