heute
DiaryINDEXpastwill


2004年10月26日(火) ふきげん(Little bit)

朝から雨で、電車は遅れるわ、遅刻するは、会社に着いてまもなく、他部署に応援に回されるわ。苦手上司には愚痴を言われる始末。笑ってる時間もありませんでした。

お昼はファーストキッチン。ここのBGMは、いつ行っても大抵同じだ。数日前から、桜井のカバー曲が流れている。桜井はとても歌が上手いとは思っていませんでしたし、今もその考えは変わりません。それはあくまで正当な歌唱力を基準にしているわけですが。それでも、ここまで多くの人の心をつかみ、私までもが、「嫌だ」とか「腹が立つ」なんて言いながらも聞くことをやめられないでいるのには理由があるはずだと気付いていた。声がイイとか、音程が正確だとか、そいういうのじゃない。

表現力なのか。桜井のそれは、もう物凄いものだ。

技術だけではないこと。指だけで弾くものではないと、ピアノに触れる数年の間に、気付いていたはずなのに。


2004年10月11日(月) Someday

極度の腹痛で、午前中はほとんど寝ていた。こんな風にどこかでまとめて寝ていると、平日の多少なりとも無理なスケジュールを組んでいることが無意味に思えますね。いや、まとめて寝る時間も、自己管理の上で実は必須なのか。夕方に、ふらりと外出。混雑しているユニクロに寄るが何も買わず。紀伊国屋で、Voiceと久しぶりにVOGUEを購入。

リセット?しかし、今はまだその時ではない。風の冷たい東海岸へ一人向かい、心に残された日々の軌跡を正確に再びたどり、思い起こすことなどとても今はできない。それがいずれ必要なことは知っている。今ならできる、と信じることができた時、何の迷いもなくこの場所を発つことはできるだろう。いつかその時を迎えるためにもやはり今を精一杯生きていたい。


2004年10月10日(日) Simple

本気で何かを手に入れたいのなら、それなりに大きな犠牲を払うことは必然であろう。あなたがそうしているように。しかし、生きているうえで大切なものまで―それはなかなか見つからない時がある―失いつつあるのではないかと、一度立ち止まってみることも同時に伴う義務ではないだろうか?あるいは、その犠牲を払うことにより得るものが、自分や必要とする人々にどれだけの、いかなる影響を与えるのか、という事も。そんなことをあれこれ考えて悩んでも、すべて独りよがりだ。しかし、すべては自身の判断。

ただ、類まれな才能をもった一部のいわゆる”アーティスト”はそれに限らない。この種類の人々は、自分の我は最後まで通し、一方でその才能で人を惹き付ける術をもつ。強烈な自信から、一度でも味方につけた人間は自分が突き放すことはあっても、逆はありえないことを知っている。孤立無援という言葉を知らない。人間関係は、所詮スパイス、データのようなもの。必要によって選り抜き、使い分け。犠牲を払っているようで、実際は当面必要なものだけを見分け、それに意識を集中させているだけのこと。中途半端がきらいなのだ。シンプルで実に合理的だ。

結局どちらがいいのか、分からないが人にはその人にあった生き方がある。そして思うに、本当に必要なものは必死で繋ぎとめたり探したりしなくても、自ずと付いて来るもののように思う。

包帯を巻いてあげられないのなら、
むやみに人の傷にふれてはならない。

(『続・氷点』三浦綾子)


川村 |MAIL