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2002年12月17日(火) ガラスの風景。ひたすら歩く。

今日は、初の宝塚観劇。

私はいつも、舞台やミュージカルを見に行く場合、作品そのものが目的であったが、今回は、ある役者をただ生で見たいという目的であったので、もしかしたら期待外れになるかもしれないけどそれは仕方がないと、当初はそんな覚悟をして行ったのである。

座席は2階席の前方であったが、座席自体が舞台により近い構造になっていたので(MBS劇場のように)、舞台が遠いという感覚はなく、不満はなかった。また、ほぼ右端だったので、役者さんが真下に現れた時は、本当に間近に感じた。

前半は「ガラスの風景」。最初に主役(香寿たつき)が登場した瞬間は思わず体が震えた。ああ、本物が居るんだと密かに感激を覚えた。お芝居だが全体を通してみると、面白い場面もあれば、退屈な場面もあった。大変失礼ながら目を閉じて聞いていただけという場面もあった。香寿たつきが出てきたらすぐ目を開ける!というようなくり返しが何度もあった。それでもやはり素晴らしいといえるのは、歌だ。香寿たつきの、その歌声と表現力というのは秀逸したものがあり、本当に、体全体に響いてくる。技術だけでない、生命そのものの声、響きを感じた。
「ピアノは指だけで弾くものではない」と私はかつて教えられたが、音楽は全て同様だ。歌も、喉だけで歌うものではないということを改めて実感したわけである。

「進む道はその人の希望、選ぶ道はその人の運命」、「ただひたすら歩く。たとえそれがガラスの風景だとしても」最も強く印象に残った歌だ。その力強さを込めた歌には心を打たれた。涙が出た。香寿たつきの演技にしか、目も耳も向いていなかったので、途中からストーリーを追うことなど忘れていた。推理モノだったのだけれど、犯人が誰だったのか、結局分からずじまい。

後半はレビューアラベスクとう、歌とダンスのみの舞台だったけれど、お芝居がよく分からない私にはこちらのほうが最初から最後まで楽しめたと思う。本当に、次々変わる場面に歌とダンスの連続で、見るのに忙しくなるくらいだった。だけどどのシーンをとっても、見る者を退屈させない、そして視覚的な美というのを最大限に表現し、追求されていて、さすがに宝塚というのは、見せるための芸術なのだと思わせる。中盤、殺風景な舞台に3人が踊る場面があったが、後で聞くところによると、白の衣装と黒の衣装を着ていたのがそれぞれ鳩の役であるそうだ。それを追いかけるような一人の男性。記憶に強く残る光景だった。男性役はもちろん香寿たつきで、黒い鳩が安蘭けいだと分かったけれど、もう一人は分からなかった。

宝塚に関しては、ほかにベルばらしか知っているものがない上、今回の出演者も、主役以外ほとんど知らない状態での観劇であった。数十秒間目を凝らして、やっと役者の表情が分かるくらいの目の悪さだが、それでも現れた時や、立ってるだけの姿を見てすぐに認識できたのが安蘭けいなのである。歌い始めて、やっぱり本人だと確認。何だろう、やはり華があるとはああいうことなのだろうか、遠くから見ていても、「安蘭けいだ!」とわかる。目に見えない光というか。次のトップなのだろうか。

なんだか、あっという間に時間は過ぎていったが、舞台の終盤には、感動で胸が溢れていた。サヨナラ公演では恒例の、羽を付けた、きらびやかな姿の香寿が現れ、これが最後だとあの歌声を心一杯に受け止め、拍手を惜しみなく送った。幕が降りるその瞬間まで。もっとその姿を見ていたかったけれど最後の最後には涙でぼやけて良く見えなかった。ただ、感動をありがとうと言いたい。

こんなにも心を打たれ、感性を刺激され、陶酔できる人物にまた一人出会うことができたことは、本当に良かったと思う。




2002年12月12日(木) 午後(2)

愛するものはいっぱいあるけど

恋する人は...


2002年12月09日(月) Du....!

上手くやろうと思うな


2002年12月02日(月) 午後

惑わせないでほしいと、君には強く思うのだけれど、

私の方こそ惑わされてはいけないと思う。


川村 |MAIL