Why Can't I Be You?...なあぼ

 

 

大地震翌日 - 2011年03月12日(土)


大地震から一夜明け、今日は仕事でした。

電車は、ゆっくりとですが動いていました。
私は昨日、歩いてなんとか帰宅できましたが、同僚は飲食店やネットカフェで過ごしたそうです。
昨日出勤でなかった人たちもいろいろとあったようだし、そのため今日出勤できない人も何人か。
職場は人が少なく、しかも東北や北海道からの伝票が届いていないので、伝票の量も少なかった。
ということで、遅めに始まり、短めの昼休みをとって、13時に終了。

テレビで、被害の様子が少しずつわかってきています。
今は枝野さんが会見をしています。福島の原発……心配です。
「節電」が大切とのこと。私もこれを書き終わったらパソコン落とそうかな。

昨日、私が体験したことを、書いておきます。

私は、会社のあるビルの7階でいつものように仕事していました。
すると地震。最初は小さな揺れだったのが、徐々に大きくなり、体験したことのないようなグラグラとした大きな揺れになり、みんなパニックになり仕事を忘れしゃがみこんでいました。いや、平気で入力続けてる人もいたけど。
この最初の揺れはかなり長かったです。あとでわかりましたが震度は5弱だったそう。私は、ビルの上のほうだからこんなに揺れるのかな、と思ってました。

特に、停電などはなく。そのまま仕事を続けましたが、その後も頻繁に余震が。かなり大きいものもありました。
窓の外を見ると、ビルの外に避難してる人も多かった。しかし7階じゃ無理……本当に危険なら、非常階段から避難するんですけどね。

家や家族が心配になり、連絡とろうとするけど携帯がまったく使えない。
電話もメールもネットもダメ。いざというときに役に立たない! ド○モめ……
こういうときは、テレビやラジオですね。ワンセグを観られる人がいていろいろ教えてくれた。ワンセグいいかも、と初めて思った。

ゆらゆらに酔いそうになりながら、17時前まで仕事。
こんな日に限って仕事が多かった。
会社のラジオで、電車は動いていないと言っていたけど、とりあえず駅には行ってみた。
復旧には相当の時間がかかる、とだけ繰り返されていた。
でも、まさか翌日まで動かないとは思ってなかったんだよね、この時点で。
いつかは動くだろう、ぐらいの認識だった。
できたら、今日中には復旧できない恐れもある、ぐらいのことを言って欲しかったかも。もっと軽く考えてた。

一緒にいた同僚とここで別れ、私は家へ向かって歩くことに。
そのときはまだ空は明るかった。夏みたいなもくもくした雲がでていて、なんだか不気味だった。
いつものように裏道を通ることはなく、なるべく最短の道を選んで歩く。
16号に出て片倉駅近くまで行き、そこからは兵衛川沿いをまっすぐ歩いて八王子みなみ野駅へ。この川沿いは初めて歩きました。
みなみ野へ着いた頃にはほとんど日が暮れてました。
店は普通にやっていたので、ホッとしてとりあえずトイレ。
そして飲み物を買い、外のベンチで持っていたパンにかじりつき少し休憩。
って言っても10分も座ってなかった、寒くて。

さて、そこから相原へ。ここが長い。そして暗そうだな〜と思っていた。
みなみ野のあたりの住宅街はまだいいんですが、それを抜けるとぐっと家が少なくなり、まわりは山。
そしてその家も、なんだか人気がないというか。窓の明かりが少なすぎる。
まだ帰宅できていないのかなぁ? なんて思ってました。
他にも、歩いてる人がいたり、車はけっこう通ってたので、まだよかったけど、ほんとにひとりきりだったら相当寂しかっただろうな。

東京造形大学のそばに、電話ボックスがあった。
家に電話してみたけど、コールはするけど誰も出ない。
なんで? と余計に不安になった。しかし携帯はつながらないし、とにかく家に向かうしかない。

この大学を過ぎたあたりで、本当に真っ暗になってしまった。
とにかく、何も見えない! 頼りは三日月の明かりだけ。それでも、月がでててくれてよかった。
時々通る車の明かりで、なんとか道が見えた。
がんばってそこを通り越し、やっと相原駅が見えてきて少しホッとした。
ただ、まわりの様子を見て、これはもしや停電、ということがわかってきた。
街灯がついてなかったから。八王子は問題なかったのに……

相原駅の中を通って線路の向こうへ渡る。駅の中も、階段には電気がついてなくて暗かった。あれは自家発電的なことだったんでしょうか。
いつも歩く道も真っ暗で怖い。途中で、おばあさんに声をかけられた。
電車動いてますか? と。息子さんのことが心配で外に出てたみたい。
私は停電ですか、と聞きました。昼からずっとですよ、と言ってました。

じゃあ家族は暗がりの中にいるのかな、と思いつつ、やっと帰宅。19時過ぎでした。
家はつぶれていなかった、よかった。そして、家中の懐中電灯を集めてリビングに家族はいました。みんな無事。ストーブも、電気を使わない石油ストーブを、こういうときのために買ってあったんです。
ガスも使えるから、昼間のうちに料理はしてあったみたいで。
ちゃんとごはんを食べることができました。

その後、妹も来て、薄暗がりの中で他にすることもなくしゃべってました。
そして22時ごろ寝たのですが、23時過ぎ、電気が入った!
それでもう一度起きてテレビを観たり、ネットしたりして情報収集。
そうそう、ラジオもあったんだけど、うちって電波が悪いからよく聞こえないんだよね……
とにかく23時までほとんど何の情報もなく過ごすしかなかったです。

夜中も余震が続き、あまり熟睡できず。
でも、朝が来て、明るくなっただけでホッとしましたよ。
あんな真っ暗闇は、初めて体験した。怖かった。

今日は、親戚などの安否を確認してました。
みんな大丈夫そうです。とりあえず安心しました。
しかし被災地の惨状には……言葉もない。
自分にやれそうなことは、やってみます。とりあえず節電します。




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