from master's room
 
2001年06月21日(木) 死について
 
今日、2人の人の死を知りました。
一人は大学の先生。亡くなられたのは去年の夏だったそうですが。学部通信みたいなのが来ててそこに書いてあった。41歳。特別親交があったわけじゃないけど(っていうかワタシ大学にはほとんど執着がない)、よく憶えてる先生だし、就職してから仕事のことでだけど何回か電話したこともあった。詳しく書いてなかったけどどうやら過労でのようだ。なんか切ないなぁ。サイトも運営されてたのでさっき見にいったら・・・ページ無くなってた・・・(沈)。
で、その記事を読んでたら電話が鳴って、出てみると実家の母親からで、小学校の時の同級生の子が亡くなったという話だった。半年位前に、結婚するってんでちょっとドックに行ってみたら子宮ガンが見つかって、もう既に余命何ヵ月って事態だったらしい。それでも婚約者と相談してちゃんと結婚はして、それで亡くなったそうだ。なんかドラマみたい・・・なんつったら不謹慎だが。
つい先日にも中高での同級生が亡くなったってのを聞いたとこだし・・・。

若くして死ぬのってどんななのかな。ワタシ、なんか知らんけど小さい頃からずっと自分は30代位で死ぬって思い込んでるのだ。今もだけど。「死」というものが常に頭から離れなくて、未来のこととか思うときには同時にいつも死ぬこともセットで考えてしまって、そのせいか人一倍死ぬことを恐れてるところが自分にはあると思う。今もバインのアルバムとかツアーとかすごい楽しみだけど、それと同時に「その前に自分は死なないだろうか」ってマジで不安になるのだわ(苦笑)。
将来に希望がある状態で死に直面するのってどんなに辛いだろうね。実はまだ今みたいにバインに熱中してない頃、一昨年の秋頃、ごくごく身近な人が死んだも同然状態になって(←植物人間だ。現在も継続中)めちゃめちゃショック受けてちょうどそれまで夢中になってたトライセラへの熱も引いてしまった頃、突然死ぬのが怖くなくなったのだ。「今死んでもそんなに嫌じゃないや」って。今はもう絶対死ぬのは嫌なんだけど。つまり人生を楽しめてるんでしょう。それって幸せなことだと思うんだけど、同時に辛くもあるんだな。死の恐怖がもれなく付いてくるから。結局どっちに転んでも心休まる人生は送れない訳だ。損な性分だな(トホホ)。

 
 
 
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