私は「愛」と言う安易な言葉が好きではない。
何故か?…それは。何故なのかは自分でも良く解らないのだが、 とにかくその単語があまり好きではないのだ。多分、メディアの 影響が強いような気はする。
「愛している」という言葉の意味など、まるで実感しないのが当然な 小、中学生の頃は、「好き」という言葉が嫌いだった。
その、異様に爽やかさを演出する語感の内側に、異様なほどの、 独占欲にも似たエゴイズムを感じるのが、とにかく我慢出来なかった。 今は「好き」という言葉を純粋な気もちで、そのエゴを含んだ純粋な欲として 使う事ができるから、「好き」はとても好きな言葉なんだけど、
「愛している」は、未だに難しい。
この言葉は、…私の中では、世の中で死ぬほど軽薄な使われ方をしている 悲しい言葉だから。だから私は、それを好きな人に使いたくないんだと思う。
映画の中、ドラマの中、小説の中、どこでも、陳腐な男女が軽薄に使う。 ただの「台詞」に見えるのが我慢出来ない。…愛って、そんなふうにメディアが 軽く扱うほど、陳腐な言葉では、本当は決してないんだと思う。
愛って、素敵なだけで、心地よいだけで、綺麗なものだけで出来てない。 貪欲なだけでも、哀しみだけでも、グロイだけでも、それだけでもない。 純粋な欲望だけでも無い。じゃあ、お前は一体なんなんだよ?と、思う。
愛なんて気持ちが内側にある時、私はどんな言葉も、その対象に向ける事が 出来ない。愛という気持ちが胸に奮えている時、言葉は何の役にも立たない。 だから、その対象に「愛しています」と口に出した瞬間に、それが嘘になる 気がして、…口に出して聞かせた瞬間に、その気持ちが「作為」に汚される 気がして、怖いと思う。
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