躰の関係は、それはそれでいいものなんだろうけど、そればかりでは 仕方がない。どうせやる事は同じなのに、それが特別に思えるという 現象は何故に起こるのか??では私が肉体を卑下しているかと言ったら そうでもないけど、それよりやはり心の占める割合が多いように思う。 誰かを特別に気に入るのは、ある程度の愛着と心の中身によるのだと 思う。躰はその次か。…躰の関係はとても便利だからね。プラトニック だけでは到底グロ過ぎて語り合えないほどのお話も、たしかにとりあえず 抱き合っていれば解消するということもある。それほど躰の関係は、 頭を使わずにうまく付き合っていけるための手段としては優れている。
かといって、本当に心だけで、それが躰と全く別の存在になったとしたら、 多分人は誰とも付き合っていけないのだろうとも思う。それほど、 プラトニックラブはキツイと思うよ。精神的な世界はそんなに甘く単純 じゃないから。躰が感じる一時的な悦楽は、生きていく為の麻薬的な 快楽であって、これがあるから人は生きていけるし、動物的で即物的な 面も維持していけてるのだと思う。そう思うと怖いね。どの辺りまでが 人間で、どこからが動物なのかというあたり。
心も躰も、適度なバランスが必要なのだと思う。
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