Onry Me
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2002年08月07日(水) |
映画『海辺の家』を観て愛について考えてみた |
今日、映画『海辺の家』を観てきました。
 
主人公を襲った突然のガン告知。 下された診断は余命3ヶ月。 「3ヶ月で何が残せるだろう・・・」 死を目前にした男が出した決断はドラッグに 溺れ反抗する息子と共に家を建てること。
自分の物と誇れる何かを お前に残してやりたかった。 命の限り家を建てよう。 まだ、抱きしめる腕があるうちに・・・。
 
「海辺の家」は恐らく私が今までの人生で観た 映画の中で1、2を争う程の感動作だったような 気がします。 今まで感動したっていう言葉を余りにも 軽々しく使ってました。 ってくらいこの映画は素敵な映画だった。
私はこの映画を観てる間中、恥ずかしい話し、 涙がボロボロ、ボロボロと出て止まらなく なってしまいました。 映画館のような他人が大勢居るような場所で こんなにも泣いたのは後にも先にもこれが 初めてでした。
なんでここまで泣けたのかを考えてみると、 それはやはり私も父をガンで亡くしたからだと思う。 ガンの告知から亡くなるまで、私の父は余命2ヶ月。 なんだか、この映画のストーリーと私の過去の 思い出が余りに似ていた為、この映画を観てる うちに私自身の想いが映画の世界とオーバーラップ していき、気が付いたらどっぷりとこの作品の世界 に意識が浸かっていました。

ドラッグに手を染め反抗期でどーしようもない息子の 姿は、私自身、どーしようもない親不孝な息子って点 では少なからず似ていた。 だから、映画の中の息子の父親に対して素直になれない もどかしさにも似た気持ちが痛いほど良く解った。

映画の中で家を建てる親子の姿と、 生前、建物の補修工事をする父と それを手伝う私の姿も似ていた。

死期が近づき病室でうつろな表情をしていた ジョージの姿と、うつろな表情で病室の天井 を見つめていた寂しげな父の姿も似ていた。
父はどんな気持ちで死んでいったんだろう? 苦しかったんだろうか? 怖かったんだろうか? やり残したことが沢山あって 悔しかったんだろうか?
・・・今でもたまにそんな事を考える事がある。
この映画での父親は当初、息子には一切 自分がガンであることを告げてはいなかった。 当然、息子は父親がガンであることを一切知らない。 でもだからこそ観ている私にとっては余計に この父親の言葉の一言一言は胸に迫るものがあった。
「何かを息子に伝えたい」
死を覚悟してる父親の言葉の一言一言は とてつもなく私にとって重かった。
死んだ自分の父親の事を考えながら 映画を観てたから、なおさら涙が 止まらなかった。 映画の中の父親のセリフの一言、 一言の重みが私の心を揺さぶった。
この映画で最後に父と子は家作りを通じて 心を交わすことが出来たけど、私は最後まで 父と心から素直に会話を交わす事が出来なかった。 それが今でも心残りでならない。
家族ってなんだろう? 生きるってなんだろう? 幸せってなんだろう?
家を壊して建て直すことは 人生をやり直す事の象徴・・・。
幸せとはかけがえのない 家族がいること・・・。
生きることとはこの世に 生きた証を残すこと・・・。
この映画は私にいろんなことを気付かせてくれた。 もしかしたら私が10代だったり、まだ父親が 生きていたとするならば、ここまで感動したり 泣けなかったかもしれない。
いろいろと辛い事を経験したからこそ、 ここまで、この映画が私の心に響いたのかもしれない。 父の死以来、心の中にくすぶっていた後悔の念や想い。 そういったものが、今回この映画と出会って、 少しだけ解けたような気がしました。
この映画は決して悲しいだけの映画ではなくって、 途中、笑える箇所も沢山あって、ほのぼのと幸せな 気分にしてくれます。 「観終った後、清清しい感動が残る映画」 海辺の家を一言で語れって言われたら こんな言葉がぴったりなような気がします。 是非とも、この素敵な映画を1人でも多くの人に 劇場で観てもらいたいなぁなんて思ってます。 (アイ・アム・サムなんかより 100倍感動する映画だよ!!) ↑なんかよりって・・・失礼すぎ!!(笑)
追伸: 映画が終わり、エンディングのスタッフロールが流れる中、 靴紐を結ぶふりをして、下を向き涙と鼻水を拭き映画館を 後にしました(笑)
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