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2002年02月10日(日) 父の三回忌を経て思うこと。

2002年2月10日。
今日は父の三回忌。

父が亡くなって丸2年。

無知な私は2年目に三回忌をやる事自体、
最近まで知らなかった。

・・・そんな常識的なことも知らないほど、
私は今までの人生において身内の死を
経験してこなかった。

空気があり水が当然の如くあるように、
食べる物があり、帰る家があるのが
当たり前だったあの頃。

当然のように父がいて母がいて姉がいて私がいた。

それが2年前までの私にとっての
ごくごく普通の日常だった。

その状況を私は水や空気が当たり前のように
手に入るのと同じように当然だと思いこんでいた。

・・・でも、現実は違ってた。

そんな、当たり前の日常生活を送る
私の前に突如出現した父の死という非日常。

今まで当たり前だと思っていたことが
当たり前でなくなることに対する混乱と恐怖。

父がガンで入院してから、亡くなるまでの
2ヶ月間の出来事は、今でも鮮明に私の
記憶の中に深く、深く、刻まれている。


父がお腹を抱えて苦しんでいた時の事・・・。

父がガン告知を受けた後、私に心配を
させないようにと、わざと明るく私に
語りかけた時の父の表情・・・。

気力を失い、ベットの上で、
うつろな表情で天井を見続ける父の顔・・・。

お見舞いから帰る私を
寂しげに見送る父の視線・・・。


私が父と交わした最後の言葉・・・。

「・・・明日は、もう少し早く来てくれよ」
寂しげに言う父に対して私は、
「うん。なるべく早く来るから」
と、一言だけ言いました。

・・・ただそれだけだった
父と私の最後の会話。

昏睡状態に陥って、ただ寝ているだけに
なってしまった父の寝顔・・・。

・・・父の死の瞬間。
泣き崩れていた母と姉。

その後、死に化粧をされて別人のように
なってしまった父の顔・・・。

姉と2人。
寝ずに線香をあげ続けた時の事・・・。

亡くなった後も、しばらくは温かかった
父の体からは、いつしか温もりが消えていて、
父は固く冷たい蝋人形のようになっていた。

出棺前、花に囲まれて
穏やかに眠る父の寝顔・・・。

・・・全ての記憶を今でも鮮明に思い出す。
それは忘れようと思っても私の脳裏に
焼きついて離れない。

2年前の出来事は今まで父がいることが
当たり前だと思ってた私にとって、
余りにも日常とかけ離れた非日常だった。

・・・ただ、
今ではもう、父がいない事の方が
当たり前になりつつあり、それが
とても悲しくもあり、寂しくもある。

私は父を亡くしてからの2年間。
一生懸命生きて来たのだろうか?

・・・ふと、考えることがある。

無念な想いを残して死んだ父の分まで
一生懸命生きてこれたのだろうか?

私はこの2年間で少しは大人になれたのだろうか?
私はこの2年間で少しは男らしくなれたのだろうか?
私はこの2年間で少しは父に近づけたのだろうか?

考えてみたけど、自分自身では分からない。
この2年間で、少しは成長した気もするし、
全く成長してない気もする。

・・・いくら考えても答えは出ないけど、
少しでも尊敬する父に近づく為に今後も
一生懸命生きていきたいと思う。


私は未だに父に線香をあまりあげていない。

仏壇の前に立つと、どうしても、
あの頃の記憶が蘇ってきてどうし
ようもなく嫌な気分になる。

そのことに関して心の底から
父には申し訳なく思う。
・・・親不孝な息子だけど、
どうか許して欲しい。

でも、毎日のように父の事は
心の中で想ってる。

父を忘れた事など1日もない。
それは2年経った今でも変わらない。

父がいなくなってから、悩み事を話せる
相談相手が誰一人いなくなってしまった。

母や姉や義理の兄や友達には話せない、
父にしか相談出来ないことが沢山あった。

男同士だから話せること。
親子だからこそ話せることが
父と私の間には沢山あった。

そんな私に対して父はいつも答えを
用意してくれていた。
父のアドバイスはいつも的確で
悩んでいる私を勇気付けてくれた。

頼りがいのある父を私は尊敬していた。

でも、もう父はいない。
今後、悩み事は私1人で解決
し、答えを自分自身で導き
出さなければならない。

もう、誰も頼る事は出来そうもない。


「また~。すぐ泣く!!」
「泣くなよ~!!」
「おっ?また泣いてるのか!!」
・・・生前、
父が私に良く言っていた言葉。

勿論、実際に私が泣いてるわけではない。

私が日常生活の中で父に対し
「無理だ」とか「そんなこと出来ない」
など、泣き言を言うと必ず父は私に対し
冗談混じりに、こう言った。

父は弱音を吐くことを何よりも嫌った。
父自身、いつでも前向きに明るく生きていた。

私もそんな父を見習いたいと思う。

・・・難しいかも知れないが私も父のように、
常に泣き言を言わず、他人に対して思いやり
をもって生きていきたいと思う。

・・・でも、
たまには、ネット上で弱音を吐くことが
あるかも知れない。

私にとって、誰にも自分を知られていない
ネット上だけは弱い自分をさらけ出せる場
になってるような気がする。

決して日常生活では弱音は吐かないから、
たまにネット上で弱音を吐くことだけは
大目に見て欲しい。

・・・果たして、こんな私を
父は許してくれるだろうか?


私は子供の頃から人一倍、感受性が強かった。
それは今でも変わらない。
人前では明るく振舞っていても1人になると
思いつめたり悩んでる事がある。

父を亡くしたことによる寂しさは
月日と共に和らいでいく筈なのに、
・・・今でも父のことが頭から離れない。

あの頃の記憶が心の片隅でくすぶり続け、
事あるごとに顔を出す。

父が亡くなった後、私は姉や母の前では
平然と強い自分を演じていた。

長男だから私が強くなければと、
必死で強い自分を演じていた。

でも、実際は誰よりも私自身が一番、
父を亡くしたことがショックだった。

父の仕事を手伝ったり、一緒にいろいろと
行動していた分・・・、
父の夢を理解していた分・・・、
姉や母より確実にショックは大きかった。

未だに父の事が脳裏から離れないのは
やはり私が感受性が強いからなのかも
知れない。


明日からまた、私達家族の父のいないことが
当然になった日常が始まる。

父がいなくなってから2年。

ゆっくりと。
・・・だけど、
確実に時は流れてる。

姉には次男が生まれ
今現在、3人目を妊娠している。

保険の仕事で毎日遅くまで働いている母。
2人の子供の子育てで忙しい姉。

皆、それぞれが忙しい毎日を送っている。

私自身も、母や姉に負けぬよう、
また1年、頑張って生きていこうと思う。

・・・でもなにか、どうしようもない悩み事が
あった時は1人でこっそり、お墓に行って父に
愚痴を聞いてもらう事があるかも知れません。

その時は、大好きなお酒でも
買って持って行ってあげるので
「泣き言を言うな!」なんて
言わないで大目に見て欲しい。

もし天国という場所が本当にあるのなら・・・、
父がそこにいるのなら・・・、
どうか、私たちの事を空の上からずっと、
見守っていて欲しいと思います。

「家族がいつまでも健康でいられますように」
それが私の唯一の願いです。







今日、父にお経を唱えてくれた住職が
「人の死には全て意味がある」
とおっしゃっていました。

法事の後、家族で父の墓参りに行ってきました。
凍える程冷たい水で墓を洗い、その後、線香を
つける為、落ち葉を集めて火をつけました。
それはとても温かく冷えきった私の体に
心地良かった。

帰り道。
途中で立ち寄った和食レストランで食べた
食事は、とても美味しかった。

既に夕方の六時近くだったというのに
車の中からは綺麗な夕日が見えていた。
日が長くなり春が間近までやってきている
事を実感すると共に、何故か私はとても
穏やかで晴れやかな気持ちになってました。

「人の死には全て意味がある」

住職がおっしゃっていたように、
本当に父の死が私にとって意味があるもの
だったのだとしたら、私は父の死によって
自分自身が今を生きてるんだって事を、
より一層実感出来るようになったのかも
しれません。

限りある命を精一杯生きる事の大切を
父の死から学んだような気がします。


いろんなことに感動できて・・・、
いろんな発見が新鮮で・・・、
いろんな出会いが嬉しくて・・・、、
父がいなくなったのは寂しいけど
以前に比べて毎日がとても充実して
楽しいものになりました。

だから、今の私はとても幸せです。


パンチョ |MAIL

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