Onry Me
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2001年09月09日(日) |
神様なんて信じません。私は人を信じます。 |
昨日の夜、高校時代の友人と会って焼肉を食べてきた。
彼と会うのは1年ぶり位だろうか・・・ 先週、彼から久しぶりに会わないかとの 電話があったのがきっかけだった。
しかし本当はあまり彼には会いたくなかった。
その理由は以前、この日記にも何度か書いた ことがあるのだが、この彼は宗教(創●学会) の熱心な信者だからだ。 選挙の度に公●党に入れてくれと、しつこく 電話してくるのが、この彼なのだ。
1年振りに急に電話してきて会いたいと言う所を みると、間違えなく宗教がらみの話であろうこと は火を見るより明らかだった。
・・・高校時代、私と彼は仲が良かった。 同じバレーボール部に所属し、夏合宿では辛い練習 に耐え一緒に寝起きを共にし同じ釜の飯を食べたり と、苦楽を共にしたかけがいのない無い仲間だった。
今でも、私は人間的に彼の事は嫌いではない。 むしろ、宗教関係の話さえ出なければ私達は 昔話を笑いながら話せる良い友なのだ。
・・・だから、今回も彼と会うことにした。
・・・しかし、案の定、彼と会って話しを するうちに遠まわしながらも宗教の勧誘 と思われる話題が出てきた。
彼曰く、今度バーベQパーティがあるから、 一緒に参加しないかとの事だった。 どうやら、創●学会の仲間内でのパーティ らしかった。
私はその彼の誘いを丁重に断った。 その日はどっちみち仕事があるので行け ないのだが仕事が無くても行く気など、 最初からなかった。
私は普段、友人からの頼まれごとには 出来るだけ協力するようにしている。 だが、宗教関係とお金の貸し借りに関 してだけは、冷たいようだが一切協力 しないことにしているのだ。
この二つに関しては、下手をすれば友情 が壊れるどころか後々、取り返しのつか ない事になる場合があるからだ。
特に宗教に関しては、オ●ムや統●教会、 法の●三法行・・・、 信じたが為に本人のみならず、家族まで をも巻き込んで悲惨で不幸な目に合った 人々を見て解るとおり、安易に信じるべ きではないと私は思っている。 (創●学会はそんなことはないと思うが・・・)
彼が宗教に走った理由を彼から、聞くことが出来た。 彼は以前、死ぬ程の重い病気を煩い長期入院 をしたのだが奇跡的に助かり、それ以降、 彼は両親が創●学会の信者だったこともあり、 一気に宗教活動に目覚めてしまったのだそうだ。
・・・宗教に救いを求めること。 それ自体は人それぞれ個人の自由であり、 別にかまわないと思う。
実際、長い歴史の中で宗教は多くの人々の 苦しみや悲しみを救ってきたし、宗教の教 えや神という存在が無ければ人間は本能の 赴くままに野蛮な行為を繰り返すだけの存 在になってしまっていた筈です。
そういった意味では宗教の果たしてきた 役割は大きいのは事実だと思う。
ただ、宗教は諸刃の剣だと思う。 宗教は確かに苦しみや悩みを抱えている 人々を救う。 しかし、一方で、宗教は人々の純粋な想いを 食いものにしてよりいっそうの苦しみと絶望 へと落としいれる場合もある。
私は宗教を一切信じない。 私は「信じるものは救われる」的宗教が 大嫌いなのだ。
・・・私が宗教を嫌いな理由。
それは私自身、彼らの言うような神の存在を 一切、信じていないからだ。
ただ、まったくの無宗教かと言うとそうでもない。 ちゃんと、自分の心の中に確固たる自分だけの 宗教観を持っている。 私は本当の神様がどこにいるのかを自分なりに 理解している。
・・・私にとっての本当の神様。 それは人の心なのだ。 言い換えれば、人間そのものなのです。
私は気づいている・・・。 神は人を救わないという事実に。 そして、人を救うのは間違えなく人間自身 なのだという事実にも・・・。
熱心に宗教を信じている人々はそのことに 気づいていない。 「神が人」を作ったのではなく、「人が神」 という存在を作り出したという事実に。
神は人を救わない。 人を救うのは人間なのだ。 悪魔は人を不幸にはしない。 人を不幸にするのもまた人間なのだ。
私は常にそう思って生きている。
人間には神と悪魔、二つの側面があると思う。
例えば、私が困っている人を救ったとすれば その人から見れば私はプラスの影響を与える 神としての存在になりえると思う。
逆に私が人を殺したり、傷つけたりしたのなら その人にとって私はマイナスの影響を与える 悪魔的な存在になると思う。
人々に対してプラスの影響を与える人間なのか、 マイナスの影響を与える人間なのか・・・、
そう考えると神や悪魔が本当にいるとするな らばそれは人の心の中なんだということが良 く解ってくる。
人は絶対に一人では生きていけない。 そして、社会の中で人が暮らしている限り悩みや 苦しみが付きまとい何かに救いを求めようとする のも事実だと思う。
ただ、その救いが神からではなく人から与えられ るんだって事を気づいて欲しいと私は思います。
いるかどうかも、わからない神にすがりつくよりも もっと、人そのもの、人間の優しさを信じて欲しい と私は思うのだ。
・・・信じるものしか救わない。 私はそんな神様なんて要らない。
私は神を信じるよりも人を信じて生きていきたい。 例え裏切にあったとしても私は人を信じたい。 人を不幸にするのも人間ならば人を救うのもまた、 人間だと思うから。
地震、火事、病気、事故・・・ 常に、何かが起きたとき、救いの手を差し伸べて くれるのは紛れも無い人間の優しさなのだから。
私は自分自身の心の中にいる神と共に信じた道を 進んでいきたい思っています。
そして、常に人に対して優しく接することが出来る、 プラスの影響を与えられる人間でありたいと願っている。
・・・神は人を救わない。 人を救うのは人間なんだ!
だから私は今後も人として生き 人として死にたいと思っている。
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