鍋をたたく...鍋男

 

 

Leroy Dead - 2004年10月24日(日)

所用があり、久しぶりに電話したら、昨日リロイが死んだと言う。

私がずっとお世話になっているトリニダードのスティールバンド、Moodsのリーダーであり、チューナーであり、私のパンメイキングの師匠でもある。

25年ほど前に(確か1977年と記憶している)Moodsを立ち上げ、ブグジーからの誘いも蹴り、自分自身の音を追求し、パン一筋に生きてきた男が一人、息を引き取った。

パノラマに勝とうが負けようが、年中練習している事に一番のプライドを持ち、休む事がなかった。それ故にMoodsのスモールアンサンブルは、トリニダード国内より、主にヨーロッパから高い評価を受けていた。

楽器の制作、調律、バンドアレンジまでを彼一人で行っていた。トリニダードでは、珍しいスタイルだ。
彼の求める音に仕上げるには、それしかなかったのだろう。

93年、東国から来た英語もろくにしゃべれない男を、バンドに引き入れ、わずか一ヶ月で一人前に仕上げ、パン・ジャンボリーに出場させた男。

世界中から調律、制作の技術者が集まる、科学技術会議にボアパン、ノーグルーブパンのスペシャリストとして、講師として呼ばれていたのに、軽く蹴ってしまった男。

敬虔なカトリック教徒で、家族を愛し、バンドメンバーも家族同様に愛した。

酒とたばこを嫌い、スポンサーからもらったラムは全部僕にくれた。

二度目の旅で、少し英語を話せるようになった僕に、パンの歴史やチューニングの秘伝を少しづつ話してくれた。

朝10時から夕方5時まで、彼のハンマーの音がしない日はなかった。
ビックリするくらい勤勉な男だった。

彼に一度、僕の作ったベースパン、チェロパンを見て欲しかった。僕の調律したギターパン、テナー、セコンドを見て欲しかった。
うちのバンドを一度ちゃんと聞いてもらいたかった。

あなたにいただいた技術は、村治の中で確実に進化しています。
あなたにいただいた音楽に対する情熱は、うちのメンバー、生徒さんに私が責任を持ってそそいでいきます。
あなたが作ってくれたパンは、今、日本中で鳴っています。

まだまだ教えていただきたい事はたくさんありました。
まだまだお話したい事はたくさんありました。
もうあなたに会えないのは、あなたを頼ってはいけない、という事でしょうか。

もう私も一人前なのかも知れません。

たくさんの技術を作ってこられて、もう充分だと思います。
お疲れさまでした。
たくさんの愛を音楽にささげてくれてありがとう。



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