鍋をたたく...鍋男

 

 

検証・エチオピア饅頭 - 2003年05月09日(金)

「四万十川に向かっててね、国道ぞいに-エチオピア饅頭-!!って看板があって」
「四万十川饅頭やったらわかるのよ、高知饅頭とかね、。でもエチオピア饅頭って、なんなんよ」
という話を師匠から聞いたのは数年前。

「姉妹都市?」「いやエチオピアからの入植者が、村を作っていて...」いろんな憶測が飛んだ。
結局師匠は食べそびれたまま、旅を終えたらしい。
いつかその唐突な看板を自分でも見てみたいと思っていた。

そんなおばかな話もしてみるもんだ。
四万十帰りの生徒さんが買ってきてくれた。
とうとう私は四万十川のエチ饅を目の前にしている。

ヒヨコ饅頭を少し小振りにしたくらいの大きさ。
黒糖を使った生地なのだろう、茶色い皮がしっとりと光って、なかなかにおいしそうだ。
一口かじってみる。
中からこしあんの上品な甘さがしみわたる。
うすく甘い生地の味をじゃましない、あくまで上品な甘さのあん。

おいしい。

おいしいが、

どこがエチオピアなのか。


そんなはずはない。「エチオピアから直輸入している○×△豆を使って」とか、「エチオピアのお菓子、#$$◇の製法をあん作りに応用して」とか、なにかエチオピアのアイデアがこの中にあるはずだ。

もう一口かじってみる。
おいしい。が、あくまで和菓子だ。

箱に同封されているしおりをひもといてみよう。

素朴なふるさとの味。
  エチオピア饅頭
    エチオピア駐日大使公認/土佐名物

大正八年 近森大正堂創業の地、高知県香美郡の野市町一帯は、白下糖と呼ばれる黒糖の特産地でした。
初代店主はこの白下糖に加味工夫し、黄まんじゅうを製造し、「のいち名物」として発売し、その素朴な風味は、広く親しまれて居りました。
十数年後、エチオピア大国はイタリアの侵略を受けましたが、エチオピア軍は勇敢に迎えうち苦戦のうちにも撃退することができました。
このニュースに非常な感動を受けた主人は、このエチオピアの名を敬意と賞賛とを込めて、愛するまんじゅうに名づけ「エチオピア饅頭」と改めたのでございます。〜中略〜




がっっくーーん




ま、そんなもんですか。

ヨーロッパの侵略から耐えたエチオピアのニュースというのは、昭和初期の当時としては、大変なもんだったんだろね。
その後、六十年、のれんを守った近森大正堂は「駐日エチオピア大使の訪問を受けて、エチオピア国から公認を受け、支援をして頂きました。
       主人 敬白」
としおりを終えている。

たいしたもんだね。
お店に行くと多分、エチオピア大使と主人のツーショットとかが飾られてたりするんだろうな。どっちかというと、エチオピア土産の仮面とか太鼓とかで埋まってて「この店何屋さん?」っていう店だったりすると、楽しいんだけど。そういう店じゃ多分この上品なまんじゅうはできない気がする。

でもおいしい。一国の勇猛果敢さと誇りを持ってしても恥じない、背筋の伸びる正しい「和菓子」だ。ある意味ふつうの。

それでもまだ、唐突にでてくる看板と、ふつーのまんじゅう屋さんで売っている「エチオピアまんじゅう」を見てみたいと思うのであった。
四万十川にはまだ行ったことがないしね。




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