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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年12月07日(金) 常識を疑え! 常識が非常識になる(Common sense would thus become uncommon sense)とは、ビッグブックの「ビルの物語」に出てくる言葉です。それまでの自分にとって常識だと思っていたことが、実はそうではなかったという気づきを示しています。
ジョー・マキューの言葉によれば、狂気とは「真実でないこと(虚偽、false)を信じること」です。回復とは、それまでのその人の常識が、実はそうではなかったと気づきがあるプロセスです。
僕が初めて出席したAAミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」と呼ばれるスタイルでした。人が話をしている間は黙って聞き、自分の番が来たら話す。クロストークが排除された形式で、AAで最も一般的なやり方です。そのグループのミーティングはすべてそのスタイルでしたし、他のグループも同様でした。
AAのオープンスピーカーズやセミナーと呼ばれるミーティングでも、同じスタイルでした。AAと似たようなグループでも、概ね同じ形式のミーティングをやっていました。
だから、AAの「すべての」ミーティングが「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルで行われているはずで、AAとはそういうものだ、という常識が僕の中に形作られました。後になってそれは勘違いだったと分かるわけですが。
2004年頃に、スクリプト・ミーティングというのに出会いました。スクリプトとは台本のことです。通常の「言いっぱなしの聞きっぱなし」ミーティングに台本なんてありません。誰が何を話すか分かりませんから。けれど、スクリプト・ミーティングは参加者が台本を読み上げることによって進行しますから、内容は台本どおりになります。(実際には短い体験の分かち合いや質疑応答もあるので、厳密に毎回同じではないけれど)。
スクリプト・ミーティングに対しては「そんなやりかたはAAミーティングとは言えない」という意見もありました(僕も最初そう思った)。「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルのミーティングが最もポピュラーなのは間違いがありませんが、それ以外のミーティングを行ってはならない、という決まり事はAAにはありません。
この雑記でよく取り上げる「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブックスタディ」は、ジョーとチャーリーの二人が聴衆に向かってひたすら語るという、いわば講演形式ですが、でもこれもAAのミーティングとして大変に人気があり、これを聞いた人は20万人とも50万人とも言われます。
また、1950年代までのアメリカのAAでは、教室形式でビギナーに12ステップを教える「ビギナーズ・クラス」が行われ、高い成果を上げていたそうです。
数年前にある人がアメリカのAAミーティングに行ったところ、講師役のAAメンバーがホワイトボードに図を書きながら12ステップを説明していて驚いたそうです。これが普通のAAグループのミーティングとして毎週行われているというのです。こうしたやり方に対して反発はないのか心配して聞いてみたところ、「全くない」という返事でした。これが嫌なら別のミーティングにいけばいいのだから、何の不都合があるのだ? と逆に問い返されたそうです。
「言いっぱなしの聞きっぱなし」のミーティングでは参加者の体験が分かち合われます。このスタイルのミーティングしか出席したことがなければ、AA(や他のグループ)は分かち合いをするところで、分かち合いこそが目的であると考えてしまっても不思議ではありません。それが僕の勘違いでもありました。
すべてのAAミーティングには共通した目的があります。12ステップを伝えることで参加者一人ひとりに回復をもたらすのが目的です。分かち合いはそのひとつの手段に過ぎません。目的達成のために、別の手段を使うのもありでしょう。
もちろん、「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルには利点があるから大部分を占めるに至ったのでしょうし、今後もAAで最もポピュラーな形式であることは疑いありません。
神さまと違って人間の能力は限られているので、全てのことを見聞き出来るわけではありません。自分の手に入る限りの情報から導き出した結論が、実は真実ではない、ということもあり得ます。まったくのウソではないにしても、局所解に過ぎないってことはよくある事です。
実際に講座形式のミーティングをやってみたら好評でした(講座というより会議みたいだったという話もありました)。僕が「ミーティングとは言いっぱなしの聞きっぱなしのみ」という虚偽の情報に囚われていたら、この新しい体験は得られなかったでしょう。
(自分の中の)常識を疑え!、というのが大切な姿勢だと思います。
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