ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2012年02月21日(火) 伝統破り? > だからAAにいる私たちは霊的原理に従っている。最初はやむを得ず、そして最終的にはそれに従うことによってもたらされる生きかたが好きだから従っている。
> (『12のステップと12の伝統』p.237)
> AAの回復のステップと伝統は、私たちそれぞれの目的のために必要なおおよその真理を表していると私たちは信じるようになった。ステップや伝統を実践すればするほど好きになる。だからAAの原理が、今あるかたちで護り続けられていくことに疑問の余地はない。
> (『ビルはこう思う』86)
AAの12のステップは、酒をやめた後で人格を磨くために取り組むものである・・というのがありがちな誤解です。12ステップはまさに「酒をやめるため」の手段です。
とりあえず今は酒を飲んでいなかったとしても、再飲酒を繰り返していた頃と考えが何も変わっていなければ、次の再飲酒は遠くない未来にやってくることになります。それでは「酒をやめられた」とは言えません。再飲酒を防ぐためには、変化を起こす必要があり、その変化こそが回復です。12ステップとは必要な種類の変化を起こす手順です。
12のステップの字面を読むと、ずいぶんストイック(禁欲的)なことが書かれていると思われるかも知れません。なんか、反省を強いるような印象があります。確かに、12ステップの作業はあまり楽しいこととは言えず、AAメンバーもついつい「もっと易しい、もっと楽なやり方」、つまり安易な方向へと流れてしまいがちです。だから、AAメンバーでも12ステップをやっていない人がたくさんいます。
しかしステップをやっている人たちは真剣です。なぜなら、なんとか再飲酒をふせいで、生活を立て直し、良い人生を送りたいからです。それに必要な変化を我が身に起こしたいと願うからです。
だから人は最初は「やむを得ず」12ステップに従います。
しかし、やった結果は「酒がやめられる」以上のものです。それは実際にやった経験のある人に聞いてみれば分かります。人生の様々な問題に以前よりずっと上手に対処できるようになり、退屈や疲れやすさもなくなっていきます。人生が楽しめるようになれば、それを手放したくないと思うのが人情です。だから、12ステップをやった人は12ステップが「好きになる」のです。
見かけは不味そうで最初は敬遠しているけれど、勧められて食べてみると美味で好物になる。12ステップもそういう食べ物みたいなものです。
さて、AAの「12の伝統」というのは、そうして(霊的)変化が起きた人たちのグループを、どうやって維持していくかという原理です。そして「12の伝統」についても、12ステップと同じ事が言えます。
それは、12ステップに取り組む前の人にとって、12の伝統は「ルール」に感じられるということです。ルールは外から人を縛るものです。束縛を受けることは誰だって不自由で嫌だと感じますから、12の伝統のことも好きにはなれません。だから、つい自分の考えに任せて、そこから逸脱しようとします。そして「12の伝統はそれほど厳密なものではない」と言い訳をします。
しかし、12のステップによる回復を経た人は、12の伝統の価値も分かるようになります。最初は「やむを得ず」しぶしぶと従っていたのが、「好きになる」というのもステップと同じです。自分が価値を認めるもの(12の伝統)から、わざわざ逸脱したいとは思いません。
伝統に共感できず、それを不都合な制約と感じるのは、ステップによる回復を経ていないからです。だから12の伝統に対する態度は、その人の回復をみきわめるリトマス試験紙になります。12ステップで回復したのに12の伝統を尊重しない人はいません。尊重していないのなら、その人は回復していないのです。そういう人に「伝統を守れよ」と圧力をかけてみても、その人は理不尽な押しつけを受けたとしか感じられないでしょう。それよりも、12ステップをやったほうが良いよ、というアドバイスのほうが適切です。
12ステップの効果が出ているかどうかは、その人が12の伝統やアノニミティ(無名性)を尊重しているかどうかで推し量ることができます。
もくじ|過去へ|未来へ