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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年01月17日(火) 共依存について(その1) こんな質問をいただきました。
「共依存のステップ1の無力って、どう説明すれば分かりやすいのでしょう?」
依存症の世界に首をつっこんで以来、共依存は依存症者の家族がなるものだと聞かされてきました。僕自身は依存症の本人で、本人用のAAというグループに属しているので、家族のことについては強い関心を持っていませんでした。もちろん相談を受けるなど家族への対応もしていますが、その回復過程については家族グループにお任せしていました。餅は餅屋であり、本人が家族のプログラムに手を出すのは避けたほうが良いという判断です(逆も同様)。
ところがひとたびAAを離れて、12ステップ全般の話になると、とたんに「家族の無力ってどういうことか」という質問が投げかけられてきます。その質問に答えられる人がたくさんいたら、僕のところにお鉢が回ってくるはずがありません。どうやら、日本では依存症の本人への支援はそれなりに充実してきたとしても、家族への支援はまだまだなのではないか、と思うようになりました。そうなると、僕も少しは勉強しておかなければなりません。
さて、この「分かりやすい説明」という表現には背景があります。
僕自身アルコホーリクとしてAAに来て、ミーティングに参加しながら「自分はアルコールに負けたな」という感じを抱いていました。アルコールに対して無力を感じていました。しかし、無力感を持っていることと無力を理解し認めていること、この二つの間には距離があります(雲泥の差と言っても良い)。ところが、アルコールに対する無力とは何かを、当時の僕に説明してくれるAAメンバーはいませんでした。
もちろんビッグブックには無力の説明がきちんとありますが、(残念なことに)ビッグブックは決して分かりやすい教科書ではありません。
その後ずいぶん経ってたどりついたのが、Joe & Charlieであり、この二人が書いた "A Program For You" というステップの解説本でした。最近になって日本語訳が出ています。
「プログラム・フォー・ユー」
http://www.ieji.org/bbs/bbs.cgi?mode=view&th=6202
この本には無力の説明がたくさんページを割いて書かれています。それを読んで僕は「これは自分に当てはまる」と納得しました。この「納得できる分かりやすい説明」が求められているわけです。ジョーの他の著作、緑本(「ビッグブックのスポンサーシップ」)はスポンサー向けの本なので無力についての説明は詳しくありませんし、赤本(「回復のステップ」)にいたってはその説明はざっくり省かれています。
本人の無力と家族の無力は構造が違うのかもしれません。そして家族向けの「分かりやすい説明」というか納得できる説明がないからこそ、質問が発せられるのでしょう。
共依存の無力について知るには、まず共依存とは何かを知らなくてはなりません。というわけで、それについて調べてみることにしました。
まず共依存概念が成立するより前に、イネーブラー概念がありました。イネーブラーとは「可能にする人」という意味です。アルコホーリクは酩酊するにも時間を費やしますし、そこから離脱する(酔いが抜ける)にも時間がかかります。酒に多くの時間を費やすために、本来取るべき責任を放り出しています。その責任を肩代わりしたり、また本人の起こしたトラブルを後始末してくれる家族をイネーブラーと呼びました。そして、イネーブラーの存在が、飲酒の継続を可能にし、本人が問題に「直面」する邪魔をしているという説です。
イネーブラーの存在が本人の回復の妨げになるのなら、やめるように家族を教育すれば良いわけです。ところが、アルコホーリクの奥さんが、飲みながら働き続けるダンナの収入を必要としているなら、手助けをやめれば一家が経済的に困窮してしまいます。また、イネイブリングをやめたとて、すぐに本人が回復できるわけでもありません。さらには、家族の行動の中で病的なイネイブリングと健康な家事労働を簡単に区別することもできません。このようにイネイブリング理論は実はアディクションの現場ではそれほど役に立ってくれません。少なくとも、アディクションの問題はイネイブリング理論一本槍で解決できるほど生やさしいものではないと言えます。
1970年代に、コ・アルコホリズムやパラ・アルコホリズムという概念が成立しました。これはアルコール依存症(アルコホリズム)にかかった人と一緒に暮らしているせいで、家族も依存症本人と同様の考え方や行動が身に付いてしまう、つまり疑似的な依存症になってしまう、という考え方です。アダルト・チルドレンという概念もここで同時に成立しました。
本人がアルコールという毒に中(あた)ってアルコール中毒(=依存症)になるのならば、家族も依存症者という毒に中って中毒の症状が出て不思議ではありません。さながら壊れた原発が放射能を振りまいて被曝した人を具合悪くしていくように、飲み続ける(あるいは断酒しても未回復の)本人の振りまく毒によって家族が病んでしまうのです。「家族が疑似アルコホリズムになって、当人同様の行動をする」というこの考えは、現在のACAのプログラムにそのまま受け継がれています(アルコホーリクのほうのACAね)。
このコ・アルコホリズム/パラ・アルコホリズムという概念が、1980年代に「コ・デペンデンシ=共依存」という概念に発展するのですが、その過程で本質的な変化がいろいろ起きています。共依存概念を理解するには、その部分を知る必要があるのじゃないか・・・というわけで、次回に続きます。
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