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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年12月08日(木) 豊川一家殺傷事件について この雑記ではあまり時事問題を取り上げませんが、今回は
豊川一家殺傷の長男に懲役30年 名古屋地裁支部判決
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011120790151544.html
を取り上げます。
15年間ひきこもり状態だった30才の長男が、回線を解約されインターネットが使えなくなったことを恨んで両親や同居の弟一家を包丁で襲って殺傷、自宅に放火した事件です。とりわけ1才の姪まで殺害したことは凶悪とされ、地裁の判決は懲役30年でした。
長男(被告)はネットでの買い物の借金が200〜300万円あったとされています。ひきこもり状態で無職の被告になぜ多額の借金ができたのか。それは父親名義でクレジットカードを作って買い物をしていたからだそうです。また、ワイドショーでのレポートなので信憑性は不明ですが、父親の給料は長男が管理し、父親に5万円、母親に4万円渡し、残りを全額長男が使っていたとされています。
長男は中学卒業後、菓子製造会社に1年ほど勤めたものの退職。その後はひきこもり状態。他に新聞配達の次男が同居(事件時は外出していて無事)。さらに、事件の一年前には三男が派遣切りにあい、内縁の妻と1才の娘(長男にとっては姪)を連れて実家に戻ってきました。その頃からトラブルが急増。姪の夜泣きにキレた被告が怒鳴り声をあげ、男同士の口論が絶えなくなり、しばしば警察が呼ばれました。
ネットではアイドルの写真集やアニメのDVDを購入。さらにネットオークションで人に競り勝って落札することに熱中したといいます。手に入れたのは、壊れた家電製品や段ボール箱100個など無用のもので、家に届いてもほったらかしだったといいます。
事件の数日前には、長男が父親の身分証明書を使って銀行口座を開設しようとしたために、110番で自宅にパトカーが呼ばれていました。
父親は借金が増えるばかりで口座引き落としすらままならなくなり、ネット接続を解約しました。この判断が、相談を受けていた警察の助言によるものなのかどうか、そこは曖昧でハッキリしません(させたくないのかも)。
ネットという「ライフライン」が使えなくなったことに逆上した長男は、深夜に懐中電灯を片手に家族を包丁で刺して回り、放火、血まみれの姿で燃える自宅を眺めているところを逮捕されました。生き残った家族は検察求刑時のインタビューに「死刑にして欲しい」と答えています。
・・・
さて、この事件をどう読み解けばいいのでしょうか。
アディクション的な解釈では、長男はインターネット依存であり、買い物依存だということになります。そして、家族が長男に買い物を許してきたのは「イネイブリング」という間違った対応であり、それによって依存症が進行して深刻化、ついには家族が生活を防衛しようとネットを切断したことが最悪の結果を招いた、ということになるのでしょうか。
アルコール依存に対比させれば、家族が酒や金を与えたり、(自分で稼いで飲んでいるなら)その他のトラブルの尻ぬぐいをすることで、本人が自分問題を直視せずに飲み続けることを可能にしている、という「イネイブリング理論」です。家族が手助けを拒否することで、本人が問題に直面化できるという理屈です。
ところがこの事件にはこれが当てはまりません。捜査と裁判の中で、被告(長男)は発達障害であることが明らかになっています(自閉症と知的障害)。障害の詳しい内容は報道されていませんが、ネットへののめり込みには自閉的特性が関係していることは明らかです。また、買い物にブレーキをかける力の弱さは、知的な弱さが影響しているでしょう。こういう人をアディクションとして扱って、依存症治療の枠組みに入れてもなかなかうまくいかないという報告は最近あちこちからあります。
(間違ったやり方ではありましたが)家族が手助けしなければならないのには、本人の能力不足という理由があり、手助けすること自体を「イネイブリング」とはとうてい呼べません。
必要であれば入院治療を経た上で、自立支援の福祉施設で生活訓練を行い、生活自立を目指すことが正しい対応でしょう。おそらくは小学校・中学校時代は普通学級だったのでしょうが、特別支援学級のほうがふさわしかったのかもしれません。
第一審では、検察側が殺意と完全な責任能力を主張して無期懲役を求刑。弁護側は、けがをさせるつもりで殺意はなく、責任能力は限定的で心神耗弱状態だったと主張しました。判決では完全な責任能力を認める一方で、「誰にも障害に気付いてもらえず、支援を受けられなかった。家族の行為が結果的に被告を追い詰めた」という事情を酌み、無期懲役を選びませんでした。その量刑が相応しいかどうか、僕にはわかりません。
皮肉なことに、この長男は凄惨な事件を起こすことで、障害を見つけてもらい、支援を受ける見通しが立ちました。あまりにも遅すぎる発覚、遅すぎる支援ではありましたが。
アディクションの世界にいる僕らはこの事件からどんな教訓を読み取ればいいのでしょうか。
一つは、××にのめり込んでいれば××依存症、という単純な図式を捨てることです(例えばパチンコのめり込んでいればギャンブル依存症とか)。人が何かにハマるのには様々な理由があります。アディクションである場合もあれば、違うこともあります。そして違っているのに、アディクションの図式を当てはめた支援を行うと、本人のためにも、家族のためにもなりません。
もうひとつは、そろそろイネイブリング理論は有効性を疑われるべきだろうということです。少なくとも単純に手助けをやめれば良いとは言えなくなっているのではないでしょうか。最近の新しいアディクション治療では、周囲の関与を求める傾向になっています。
さらにもう一つ。家族にも支援が必要となる可能性です。両親の二十数万円の収入を長男が管理したと聞けば、暴力によって家族を支配していたのだろうと想像してしまいます。しかし実は両親が金銭管理が苦手で、数年前より長男に管理をまかせており、ATMを操作させるために父親が長男を銀行に連れて行くこともあったとされています。両親にも援助が必要だったわけです。
小学校時代の長男は学校ではしゃべらず、イジメやからかいの対象にされ、家庭での虐待やネグレクトをうかがわせるエピソードもあります。中学になるとゲームやパソコンに熱中。卒業後は菓子製造工場でパンを包装する単純作業を黙々とこなし、働きぶりを評価されたものの、1年後に後輩たちが入社してくると指導ができずに仕事を辞めてしまいました。その後見つけた仕事は、最初に30万円を支払うと仕事を紹介してくれるという詐欺に近いもの。それに失敗したことが、社会に背を向けてひきこもりを選ぶきっかけになりました。
どこかで支援が入っていれば事件は防げたように思います。もちろんその支援は、ネット依存症や買い物依存症という視点からのものではないはずです。
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