心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2011年12月01日(木) 司会者の心得・ブルーカード

Twitterのほうで、ちょこっとだけ話題になっていた件です。

僕のつながった頃のAAでは「司会者の心得」というリーフレットが使われていました。

紙の片側には「オープンミーティングの場合」とあり、司会者がミーティングの前に読み上げる形式でした。その内容をざっと紹介すると、「ここで話されたことはすべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではないこと」、「ここで話されたこと、会った人のことは、この会場内にとどめておく」、「出席者のプライバシーを保護するために、写真撮影、テープ、メモはご遠慮下さい」というのが主旨です。

紙の反対側は「クローズドミーティングの場合」。こちらはミーティングの締めくくりに読むもので、「話されたことは、すべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではない」というのと、「持ち帰りたいものだけを持ち帰り、それ以外はこの場に置いていって下さい」とあり、さらに「うわさ話や陰口が私たちの中に無いように」とあります。

なぜこの「司会者の心得」が使われるようになったのか。AAサービスの生き字引みたいな人に尋ねてみたところ、ずっと以前のAAで、プライバシーが守られない深刻なトラブルが起こり、注意喚起のために善意のメンバーたちが作ったリーフレットがやがて広まったものだ、と聞きました。まだ関東のセントラルオフィスができる前だったので、リーフレットはJSOで扱われるようになり、それがあたかもAAの共通認識であるかのような印象を与えたのであろう、ということでした。

そもそも、写真撮影、テープ、メモの禁止がAA共同体の意見として決まっていたわけではないし、自助グループとはそういうもの、という認識を広める意図があったわけでもありません。もちろん、AAのような個人的な事柄がシェアされる団体の中でプライバシーという人権を尊重することは大切で、AAの様々な出版物の中でもそのことは繰り返し強調されています。

ところが、AAの中でプライバシーのことばかり言っていられなくなった事情がありました。1990年代にはセクハラが社会問題として取り上げられるようになり、1999年には職場のセクハラ防止が法律で義務づけられました。社会全体がセクハラ・パワハラ防止に傾いている中で、AAも社会の動きと無縁ではいられませんでした。

当然ミーティング会場でセクハラを受けた人(主に女性)からは、被害の訴えがあちこちから出されてきました。AAは警察機構や懲罰制度を持ちませんから、できることと言えば、せいぜい皆で話し合って注意喚起するぐらいですが、それすらも満足にできない状態でした。というのも、「ミーティング場であったことは、外には持ち出せない」と言い張って、都合の悪いことを隠蔽する体質ができあがっていたからです。これでは話し合いすらできず、被害者は泣き寝入りするしかありません。

人は様々な権利を持っておりそれがバランス良く保護されねばなりませんが、どうやら当時のAAではプライバシーという人権だけが突出してしまい、その他の人権が軽視されるような事態になっていたのです。プライバシー偏重体質に「司会者の心得」も一役買っているのは明らかでした。

その頃、アメリカのAAでは、ミーティングの前に読むために「ブルーカード」という紙が作られている、という情報が入ってきました。これも1枚紙のリーフレットで、片側がオープンミーティング用、反対側がクローズドミーティング用となっています。ただ、その内容は日本の司会者の心得とは異なっています。

僕はアメリカのAAミーティングには出たことはありませんが、聞くところによれば、1970年以降AAには様々な「AA以外の」様々な考えが持ち込まれるようになったそうです。薬物依存やACの人たちが参加し始め、その人たちはアルコールとは違う問題について話し始めました。また解決手段も、ゲシュタルト療法やインナーチャイルドや承認欲求うんぬんという話が増えていきました。(とりわけアルコール依存と薬物依存を区別しない施設が、アルコホーリクでない人たちにAAを勧めることに批判がありました)。

結果として、AAにやってきた人が、ここはアルコールのグループなのかどうかとまどうようになり、12ステップに触れる機会も減っていきました。そして1990年代になるとメンバー数の減少が始まりました(アメリカの話)。AA全体が目標を見失って迷走を始めてしまったため、アルコホーリクがAAで助からなくなっていきました。そこで singleness of purpose(目的の単一性)といったスローガンが掲げられ、AAを本来の方向に戻す動きが始まりました。

ブルーカードもその目的に沿って作られたもの(1987年)で、「AAの目的は一つ」であることを強調した上で、オープンミーティングでは「アルコールの問題だけ」、クローズドミーティングでは「アルコホリズムにかかわることだけ」が分かち合われるようにAAメンバーに呼びかけています。

日本でも同じことが問題となっていました。日本で1975年に始まったAAは、当初順調にメンバー数を伸ばしていったものの、1990年代から明らかにその伸びが鈍化し、停滞が始まっていました。AAが本来の目的から逸れ、メンバーたちがアルコールの話や12ステップの話をすることが少なくなっていました。

日本の全国評議会の決議として、「司会者の心得」を廃し、ブルーカードの翻訳を採用することが決まったのが2003年のことです。こうしてブルーカードは司会者の心得に変わり、日本のAA共同体を代表する意見として採用されることとなったわけです。だからと言って「司会者の心得」の使用が禁じられたわけではありません。使い続けたいグループはどうぞご自由にという扱いになりました。単に「司会者の心得」の内容がそのグループにローカルな意見であり、AA全体を代表した意見ではなくなったということです。

話はこれだけで終わりません。

近年になって、アディクションフォーラムやアディクションセミナーという催しが全国各地で開かれるようになってきました。その内容は、講師を招いて講演をしてもらったり、様々なアディクションの当事者が体験を語るオープンスピーカーをやったり、自助グループや回復施設が模擬ミーティングを開いたりするのが一般的でしょうか。社会に向かってアディクションの情報を発信することで、無知や偏見を取り除き、新しい人が回復資源につながりやすくする効果を狙っています。

とはいえ、一般の人たちはなかなかアディクションには興味を持ってもらえません(身内に当事者でもいない限り)。わりと来てくれるのが、医療・看護・福祉の学生さんたちです。将来自分の仕事に役立つと思ってのことですし、理解のある人がそうした分野に増えることは歓迎すべきことです。ところが、その人たちは「学び」のために来ているわけなので、ノートにメモを取るのが当然だと思っています。

ところが、壇上で話をしている当事者のほうは、自分の話がメモを取られることにまったく慣れていません。さらには、新聞やテレビの取材もお断りだったりします。社会に向かって情報を発信するという目的と齟齬が生じています。

どうしてこうなってしまったのか。(AAには断酒会という先達はあったものの)、AA以外の様々なグループが「AAのやり方」を一つのモデルとして取り入れていったことは疑いもありません。その中の一つに「何が何でもメモは禁止」という誤解も含まれています。慣れ親しんだやり方を変えるのは誰にとっても簡単ではありません。この問題の解決は容易なことではないでしょう。

ずっと以前にAAメンバーたちが、自分たちの問題を解決するために作った一枚の紙が、アディクションの情報を発信するための足枷を作ってしまったわけです。プライバシーの保護と、情報の共有・発信とのバランスはどこに置けばいいのか。そのことを議論する(できる)人たちすらほんの一握りです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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