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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年06月21日(火) ビッグブックの分かりにくさ 前回、ビッグブックこそがAAの12のステップを説明した本である、という話をしました。だから、AAの12のステップについて知りたければ、ビッグブックを読むのが一番です。
ビル・Wもドクター・ボブも、オックスフォード・グループの一員で、初期のAAはオックスフォード・グループの一部として活動していました。そこには6つのステップからなる「教義」がありました。それがアルコホーリクを回復させるのに十分な効果を持っていたなら、彼らはオックスフォード・グループに留まったままで、AAは誕生しなかったでしょう。
彼らは新しいものを作る必要がありました。当然痛ましい失敗もありました。ビルとロイスの家の居間で自殺したアリコホーリクもいました(AA p.24)。彼らは失敗したやり方を捨て、うまくいった方法を残しました。そうやって試行錯誤と取捨選択を経た結果、完成したのが「12のステップ」であり、それを記録したのがビッグブックです。だからビッグブックには彼らの失敗についても書かれています。僕らはそれによって、「何をすべきか」だけでなく「何をしてはいけないか」も学ぶことができます。(だから僕らは車輪を再発明する必要はありません)。
ではなぜこの本がこんなに小難しいのか。それは当時はテレビがなかったからだ、とジョー&チャーリーは言っています。テレビがない時代に人々は楽しみを活字から得ていました。だから今よりずっと本が読まれていた時代であり、人々の教養もずっと高かったわけです。ウィリアム・ジェイムスの『宗教的経験の諸相』がベストセラーになる時代です。だからまっとうな本の文章は格調高く(つまり小難しく)なくてはならなかったわけでしょう。
僕らが手にするビッグブックは現代の日本語を使っています。つまり僕らは翻訳というフィルターを通してビッグブックに接しているので、その古めかしさはダイレクトには伝わってきません。しかし、現代のアメリカのAAメンバーにとってはその古さは当惑の対象だそうです。彼らがどう感じているか、日本人の僕は想像するしかありません。当時の日本の文章はどうだったでしょうか。坂口安吾が1935年に書いた文章です。
青空文庫:文章の一形式 坂口安吾
(旧仮名がよけい古さを感じさせますが)。
ビッグブックを現代的にもっと分かりやすく書き直すべきだという意見もありますが、それが実現することはないでしょう(理由はビッグブックの前書き p.xv に書かれています)。AAやビッグブックが誕生した歴史を調べてみると、それはいくつかの奇跡と言っても良い偶然が積み重なった結果であることがわかります。そして、奇跡は狙って起こせることではありませんから、現代英語で新しくビッグブックを書き直しても、それがオリジナルと同じ効力を持つという保証は誰にもできません。
であるにしても、ビッグブックの分かりにくさは現実的な問題です。そこでビッグブックとは別に12ステップの解説書が出版されています。AA本体はそうした解説書を出すことを拒否しているので、そうした本はすべてAA以外から出版されています。日本語に翻訳されたものだけ挙げても、回復研から出されている『「回復」のステップ』(赤本)、『ビッグブックのスポンサーシップ』(緑本)。ジャパンマックから『スツールと酒ビン』、秋には "A Program For You" も訳出されるとか。
こうした本はビッグブックの代わりになることを狙っていません。だからまずビッグブックを読むように、と巻頭あたりに必ず書いてあります。
そうしたビッグブックの使いにくさは、一対一のスポンサーシップによって補われています。人間対人間が基本であり、本は「AAメッセージの一貫性を保つ(AA p.xxx)」ための脇役に過ぎないとも言えます。
ではAA以外の12ステップグループの基本テキストについてはどうか。それについてはまだ僕にもよく分かりません。NAのホワイトブックについては、いつか薬物のスポンシーと読み合わせて分かち合ってみたいと思っています。先日7千円ほど使ってGAの日本語になっている本を一通り買ってみました。しかし、そういったものに手をつけている時間がないのが僕の問題です。ただ、薬物のスポンシーも、ギャンブルのスポンシーも、AAのビッグブックで何とかなっています。
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