心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年05月11日(水) ソブラエティを比較する

「ソブラエティは人と比べるものじゃない」と言う人がいます。比べるって、長さかしら、質かしら。長く酒をやめているから偉いってわけじゃない、というヒガミを言う人がいますが一理あります。相手がスリップ(再飲酒)しない限り追い抜けないものね。

比べるなと言われても、人は無意識のうちに比べてしまうものです。

例えばこんなシチュエーションを考えてみます。

「お宅の息子さんは良い高校に合格してうらやましいわ。いったいどこの塾に通わせたの?」という問いかけに対して、駅前のビルの2階にある塾、と返事があれば、じゃあウチの息子もその塾に通わせてみようかしら・・と考えるのが人間というものです。

「その服かっこいいね、どこで買ったの?」とか、「いつもかっこいいヘアスタイルだけど、いったいどこの美容室で切ってるの?」とか。

人がなにか魅力的なものを持っていれば、自分もそれを手に入れたい、と思うのが人間です。その背景には嫉妬心があります。嫉妬心は自己憐憫からやってきます。「あの人は良いものを手に入れて幸せになっている。でも自分は手に入れてないから不幸だ」というやつです。自己憐憫は気持ちのいい感情ではありませんが、正しく使えば役に立ちます。

つまり自己憐憫を「よし、自分もそれを手に入れよう」という方向に向かって使えば、自己憐憫を正しく使ったことになります。

昨年11月にIさんの結婚披露パーティに呼ばれました。多くの人がIさん夫妻に「どこで知り合ったんですか?」と質問していました。そう聞いている人たちはパートナーを欲しがっている人たちであり、自己憐憫を正しく使おうとしている人たちです。

ソブラエティについても同じです。「あなたのお酒のやめ方を見ていてうらやましくなります。どうやったら、そんな風になれるのですか?」と尋ねたくなるような誰かを探して質問してみればいいのです。もしその人が回復したAAメンバーならば「あなたにやる気があるのなら、教えてあげますよ」と言ってくれるに違いありません。あとは「スポンサーになって下さい」と頼めばいいだけです。

意識的にであれ、無意識にであれ、自分と相手のソブラエティの質は比較してしまうものです。比較するからこそ、自分より優れた相手を見いだし、自分が進歩するきっかけをもらえるのです。比較を回避していたら回復できません。

「あの人は良いソブラエティを手に入れて幸せになっている。でも自分は手に入れてない」。そう認めるのは楽しいことではありません。だから、相手の優位性を否定しようと躍起になる人もいます。人をこき下ろすのに熱心な人たちです。それは自己憐憫の悪い使い方をしている人たちでもあります。

「どんな塾にやってもウチの息子は勉強しっこない。どんな服を着て、どんなヘアスタイルにしてもオレは格好良くなれっこない。どうせオレは何をやってもダメなんだ」

まるで自分が不幸になるのは、他の人が努力したせいだ、とでも言わんばかりです。なんか、レインボーマンに出てきた死ね死ね団の歌を思い出しますね。エンディングに流れてたヤツ。

「暗い 暗い 暗い世界に 人を 人を 人を恨んで生きている 俺たちゃ悪魔だ死神だ〜♪」

歌詞違ったっけ?

ソブラエティ三十何年のBさんは、Gさん(おそらくソーバー数年)に頼んでビッグブックのステップを伝えてもらったのだそうです。なんて言って頼んだんでしょうかね。「あなたの持っているものを俺にくれ」とか? まあともかく、そう言えるからこそBさんは尊敬される人なのでしょう。「長く酒をやめているから偉いってわけじゃない」っていうセリフは、こういう人に言わせてこそ意味を持ちます。うかつに言えない言葉です。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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