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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年05月09日(月) 想像力の障害 自閉症の三要素について、あらためて確認してから書こうと、ネットを検索しました。
(そうです。ネットを検索したのです。ネットは便利なので、ついつい本を開かずに検索してしまいます)
そうしたら知的障害の三要素というのを見つけました。
・知的機能に制約がある
・適応行動に制約を伴う
・発達期に生じる
なるほど、成人後に発生したものは知的障害と呼ばないんですね。あと、例によって「社会適応の妨げになっていなければ、それは障害ではない」という考えが取り入れられています。ネパールの船着き場ではしけに舟をロープでくくる仕事をしている人に、知的障害があるとか、ないとかいうことはまったく関係ない(by市川さん)わけです。でも日本だと問題になってしまう・・・それが日本社会の切ないところです。
さて話を自閉症の三要素に戻します。ローナ・ウィングの定義によれば、自閉症スペクトラム(AS)には三つの領域に障害があります。
・想像力
・コミュニケーション
・社会性
社会性の障害とは、前の二つ(想像力とコミュニケーションの障害)の結果として起こるものです。
で、想像力の障害をご本人に説明するのには苦労しています。なにしろ、本人は自分の想像力に障害があるとはまったく考えていないからです(生まれたときからずっとそうだから)。
これが足の速さだったら、他の人と比較する機会もあるでしょう。しかし、想像力を他の人と比較する機会はなかなかありません。想像力がある・想像力がない、の択一で考えれば、確かにその人にも想像力はあるのです。ただ、その力が弱いだけ。
ここで「計算力が弱い人」を考えてみます。その人は計算できる・できない、で考えれば、計算はできるのです。しかし、その力が弱いので、計算する速度が人より遅くなります。速く計算しようとすれば、間違いが増えます。
想像力も同じことです。想像力が弱い人は、想像できる範囲に限界があり、それを無理に広げようとすればしばしば間違った想像をしてしまいます。
想像とは知覚に捉えられないものを心に思い浮かべることです。それは行ったことのない場所や、まだ来ぬ未来のことばかりではなく、「自分の言葉で相手がどんな気持ちになるか」とか「相手の言葉や行動の裏に隠された真意」を捉える能力でもあります。そこに障害があると、人とうまく接することができず、社会適応の妨げになります。(んで、うつになったり、アル中にになったりする)。
想像力に障害がある人の人生は恐れでいっぱいです。それは落とし穴の多い道を目隠しされて歩くようなものです。
ではそういう人はどうすればいいのか? 先日もテレビに出ていたテンプル・グランディンによれば、「社会のルールを憶えること」だそうです。ここで言うルールとは法律や規則のことではなく、常識やマナーや暗黙の了解です。そうした隠れたルールは、あいまいで、例外が多く、しばしば破られてはいますが、確かにルールとして存在しているのです。それを憶えていくことが大切だとしています。SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)などもその一環と言えますが、SSTで学べるのは一部に過ぎません。
自閉圏の人にありがちな不満は、そうした社会の習慣(ルール)を自分がいつ破ったらいいか分からないことです。見えないルールに縛られるのは楽しいことではありません。それを逸脱できたら楽です。現実にそれを破っている人たちがいる。じゃあ自分もと破ってみると、なぜか自分だけ叱られる。酷い仕打ちではないか、というわけです。(また別のルールがあることを憶えなくてはならないわけだ)。
自分だけがそうしたルールを憶えさせられている、と不満に思う必要はありません。そうした暗黙のルールには社会の誰もが従っているもので、あなただけに課されているわけではありません。それに人間というのは、そうしたルールを一生かけて少しずつ憶えて成熟していくものでもあります(recoveryとmaturityは似た概念です)。僕も先日ちょっとした失敗をやらかして恥ずかしい思いをしました。でも、次からはうまくやるでしょう。そうやって人は進歩するしかないのでしょう。・・・という話をしても、スポンサーも同じ苦労をしている、ということは、スポンシーには想像してもらえないのかも。やれやれ。
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