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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年01月15日(土) こだわりんぐ 月刊「実践障害児教育」の1月号の特集が発達障害による不登校の特集で、その先頭の齋藤万比古の記事から抜粋です。
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「PDDと不登校」
PDDの子どもにとって、興味の中心は自己のこだわりの対象にあるという共通点があり、むしろ他者によりそれを妨害されることのほうが、孤立よりもつらいという面がある。思春期に至って他者の独白の心を認知できるようになり、仲間を求めるようになっても、一方でPDDの子どもは前述のような心性を色濃く維持している。
加えて、思春期の仲間関係の盛り上がりは、PDDの子どもに対するからかいや攻撃をエスカレートさせる。そしてその仲間の攻撃に刺激されて幼い時代からの非被虐待的体験やいじめられ体験の記憶が生々しくフラッシュバックし、恐れ、怒り、困惑といった感情が渦巻く混乱状態をPDDの子どもは生じやすいという事情がある。
これらはPDDの子どもから学校にとどまる動機を奪い、他者に妨害されないひきこもり的な生活へと傾斜させる。
以上の二点から、PDDはひきこもり状態に親和性が高く、そこから抜け出すことに動機をもちにくい傾向があると言えよう。
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PDDとは広汎性発達障害のことですが、この文章ではアスペルガーとか自閉症スペクトラムと読み替えても大丈夫です。また、これは子供についての文章ですが、「学校」を職場とかAAやGAと読み替えれば、そのまま大人に適用できます。
このこだわり(固着)の強さが障害の重さでもあります。どんなこだわりを持つかは人それぞれで、例えばネットの掲示板に書くことにこだわりがあったり、ブログのエントリの結びの言葉がいつも完全同一であったり・・・。
AAのバースディ・ミーティングだと、歌を唄ったりろうそくを吹き消したりするので、いつもと違ったミーティングの進行になるのですが、この「いつもと違う」ことに対して憤りを持つ人の姿を見ると、「ああ、なるほど」と思うわけです。(これはミーティングのやり方に対するこだわり)。
もちろん誰にだって多少のこだわりはあるわけで、こだわりそのものが悪というわけではありません。そのこだわりが本人の生き辛さとか、社会適応の障害になっているかどうか、という視点から見ないとならないのでしょう。
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