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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年12月08日(水) 底つきではなく「底入れ」のために 福島のカオルさんが
イネーブリング理論の功罪、底つき
http://powerless.cocolog-nifty.com/alcoholic/2010/12/post-fce0.html
というエントリを書かれているので、ぜひ読んでください。
これに関連して「底つき」について書いてみます。
「底つき」という言葉はビッグブックにはなく、12&12のステップ1にあります。
「AAのメンバーは、なぜ底をつく必要があるのか」(12&12 p.5)
底つきは元の文章では hit bottom です。「どん底のケース」は low-bottom 。どん底とはたくさんのものを失って「もっともひどい状態」にたどり着いてしまった人たちのことです。他のAAに関する本には、high-bottom という言葉も出てきます。底の浅い人たちという意味です。
「底つき」というと、まるで沼にずぶずぶ沈むものが最後に底に到着するように、アルコホーリクが社会の底辺に沈むような印象を与える言葉です。「資金が底を突く」と言えば、財布の中身がすっからかんになることです。
しかし辞書を引いてみると「底つき」には別の意味もあります。株の取引の用語で、底値になるという意味です。株価が底値になったら、あとは上昇するばかりです。hit bottom は景気を表現する言葉にも使われます。The economy has hit bottom は「景気が底入れした」という意味です。hit bottomは「底を打つ」「底入れする」と訳されます。(精神科医が「AAの用語には株式用語が多い」と指摘されたことがありますが、それはビル・Wの元の職業を考えれば当たり前かも知れません)。以前見たヘイゼルデンの資料には hit bottom を示すイラストにまさに株のチャートの底値の図が描いてありました。
「回復には底つきが必要だ」と言われますが、それはつまり「悪くなる一方の状況が止まり、反転することが必要だ」と言っているにすぎないことになります。
底つきとはつまり、「悪化するだけの状況が反転して回復に向かうこと」です。
底には低い底(low-bottom)もありますが、高い底(high-bottom)もあります。何も社会の底辺に落ちる必要はありません。「まだ元気で、家族もいて、仕事も失わず、そのうえガレージには車が二台もある」(12&12 p.32)という恵まれた状況でも、余裕で底を突くことはできるのです。
では底つきには何が必要なのでしょうか?
カオルさんのブログにもありますが、放置することは良くないことです。適切な関わりが必要です。また景気の話を持ち出しますが、政府が無策なら景気はどこまでも悪化していきます。有能な政府が良い経済政策を実施すれば、景気の底は浅くてすみます。悪い政策を実施すればかえって悪化します。依存症も同じことです。
しかし依存症者に関わろうとしても、本人に否認がありやる気も不足している状況で、まわりがどう関わればいいのでしょうか? それに対して明確な解答を用意したのが、ジョー・マキューのステップであり、同じく彼が施設プログラムとして開発したリカバリー・ダイナミクス(RD)です。
彼は回復が始まるため(つまり底を突くため)には、適切な情報が提供される必要があると説きます。ビッグブックのステップのやり方をやっている人は、ステップ1と2が「情報を得るステップ」だということを思い出して下さい。この二つのステップは、スポンサーからスポンシーへと情報が手渡されるステップです。
ステップ1では、何に対して、なぜ無力なのか。いかに状況は絶望的か、ということが伝えられます。依存症者に対して「いかに状況が絶望的か」ということは医者ですら伝えたがりません。「医師は、アルコホーリクの患者に真実のすべてを告げることを嫌うものだ。良いことは伝えられないのだから(p.134)」。しかし、解決策を示せるのならば別です。絶望はどんなに深くてもかまわないのです。
(ちなみに、「何に対して、なぜ無力なのか」という大事な情報は、12&12のステップ1にも、ミーティング・ハンドブックにもありません。この二種類の本だけを使う難点の一つです)。
しかし、絶望が深くても、それだけで人にやる気を出させることはできません。人は絶望が深かろうとも、そこからの出口がなければ、(つまり希望を持てなければ)、絶望的状況に対して「否認で対抗する」だけです。絶望が深ければ深いほど、より頑固な否認と抵抗に出会うだけです。
だから希望や解決を示す必要があります。解決はステップ2で示されます。深い絶望とそこからの出口が示されたとき、人はほぼ自動的に回復に向かって歩き出します。「おぼれる者が救命具にすがりつこうとする真剣さ」(12&12 p.31)というやつです。そこにステップを経験して回復した先ゆく仲間の姿が「生き証人」として存在していれば、なおのこと良いのです。
つまり、底つきは、事態の全貌について正しい情報を提供され、深く絶望し、そこへ示された希望に向かって歩きだすことで成し遂げられます。
底つきは、仲間からの手が差しのべられた環境で可能になる。
スポンサーの最初の役割は、スポンシーを底つきへと導くことにあります。1960年代後半以降AAは様々な力を失った、とジョーは緑の本で書いています(アメリカでの話)。例えば、AAが介入に関する技能を失ったがために、AA以外のところで専門家が「介入」について語り出したのです。介入やMATRIXなどの専門家たちの技法を、AAメンバーが否定的に捉える必要はありません。そこには学べるものがたくさんあります。しかし、まずAAメンバーとして取り組むべきことは、AAが本来持っていた能力を取り戻すことです。
RDの話になってしまいますが、RDのマニュアルの序文にジョーがこう書いています。
「施設の中には、自分の意思に反して入所させられた人や、自分が依存症だと受け入れられない人たちもいます。そういう人たちにどうやってプログラムを応用すればよいのでしょうか。(略)AAの回復の方法を彼らに提示することが何よりも重要、それが答えでした」(http://rdp2010.exblog.jp/9811894/)
ビッグブックのやり方という話をすると、棚卸しや埋め合わせのやり方など先のほうのステップばかりが注目されます。しかしジョーが重視したのはステップ1と2でした。否認が強くやる気がない人たちを放置せず、どうやったら底つきや回復へと導けるか。ジョーが心を砕いたのはそこでした。その姿勢こそ、僕がジョーに心酔する理由です。また、それはAAを始めた人たちにとっての最大の関心事であったはずです。
スポンサーは、ステップ1と2を伝える能力こそ磨くべきです。
家族もまた底をつく必要があります。しかし、家族は本人との関係性の中では底をつくことができません。家族もまた事態の全貌について正しい情報を提供され、深く絶望し無力感を味わい、そこへ示された希望に向かって歩きだすことで底をつく必要があります。そのためには、家族には家族の仲間が必要です。
AAや12ステップ以外に、いろいろなやり方が作られ始まっています。AAのメンバーの中には、そうした自分たち以外のやり方を嫌い、否定的な見方をする人もいるでしょうが、決してそんなことをする必要はありません。また、そこから何かをAAに付け加える必要もありません。それよりも、AAや12ステップが本来持っていた力を取り戻す必要があることに目を向けましょう。
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