心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年10月22日(金) 断酒?断種?

依存症者を対象にした不妊手術のキャンペーンに非難の声、というニュースが検索に引っかかっていました。
http://www.japanjournals.com/dailynews/101020/news101020_2.html

わずか$300、日本円なら3万円ぐらいのオファーで不妊手術に同意してしまう気持ちがいま一歩理解できません。たとえ本人に明らかな益があることですら経済的報酬で誘導すること(例えば禁煙成功に高額な報酬を用意する)の倫理的な是非が問われている時代に、優生学的な手法を使うなんてなんとも前時代的な話です。

何十年かさかのぼれば、この手の話はまったく珍しくありませんでした。アメリカでは19世紀の終わり頃から、知的障害者やてんかん、ハンセン病の人の結婚を制限する法律が作られていきました。また病院では精神障害者の不妊手術が公然と行われていました。その多くは本人の同意を得て行われたとされていますが、精神病院から退院する条件に不妊手術への同意を強制されたという証言もたくさんあります。

こうした施策の背景にあるのは、遺伝的に劣った(と当時考えられていた)人たちが子供を作ることを防ぐことで、社会全体で人間の遺伝形質を改善していこうという考え方です。

20世紀前半まともな依存症治療施設のない時代には、アルコールや薬物の依存の人たちも州立の精神病院を頼りにするほかはなく、(具体的に数字を明らかにした研究はないものの)相当数の依存症者が不妊手術を受けたことは明らかです。ロボトミーが盛んに行われた時代ですから、不妊手術もそれほど非人道的だとは思われなかったのかも知れません。

不妊手術ほど露骨ではなくとも、アルコール依存症者を一般社会から隔離する施策は行われており、その一つが断酒農場です。これは社会に戻るとどうしても再飲酒してしまうアル中を、田舎の農場に集めて、牧歌的な雰囲気(今の言葉で言えばヒーリング?)の中で寿命を迎えるまで落ち着いた暮らしをしてもらおうというもの。もちろんそこには、男女を分けるなど、アル中同士の子供ができないように様々な工夫があったわけです。

優生学的政策を最も積極的に行った国家がナチス・ドイツで、40万人以上の障害者(アルコール依存を含む)に不妊手術を行い、さらに「T4安楽死プログラム」によって(すでに断種しているにもかかわらず)20万人以上が殺されました。これが後のホロコーストの発端だとされています。

ナチスのやったことがあまりに酷かったため、優生学政策は多くの国で公式には放棄され、国連の世界人権宣言によってあらゆる人に結婚と家庭を持つ権利があることが確認されたものの、その後何十年にわたって精神障害者の不妊手術は続けられました。それは日本でも例外ではありません(優生保護法)。またハンセン病者隔離施設は日本の優生学的政策の象徴的存在です。

断酒会を作った松村氏が会を広げるために全国を行脚したとき、酒をやめる断酒ではなく、アル中の人たちに不妊手術を勧める「断種会」だと勘違いされた、という話が残っています。一種の都市伝説かも知れませんが、時代背景を考えればうなづける話です。

時代は振り子のように動くと言います。20世紀前半には原因を器質(素因)に求める風潮が強かったからこそ優生学がもてはやされたのでしょう。それがナチス・ドイツの行いをきっかけとして逆に振れだし、20世紀後半にはカウンセリングなどがもてはやされる「心の時代」となったわけです。しかし、その振り子がまた逆方向に振れ始めているように感じます。非定型うつ病、アスペルガーやADHDという発達障害、また依存症も、どれも器質に原因を求めるものです。

そしてもう一つ、19世紀末から20世紀初頭の優生学的政策には、社会保障費の増大という背景がありました。社会の負担を減らすために、福祉を必要とする人たちの数を減らそう。そのためには・・・というわけだったのです。昨今新聞を開けば社会保障費(生活保護費や医療費、年金)の増大という話ばかり載っている気がするのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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