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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年07月22日(木) スポンサーとの対話 隣県のAAメンバーが亡くなったと連絡を受けました。
その文章には彼を知る人に伝えて欲しいとあったのですが、ここ数年病に伏せていたようであり、最近の仲間は彼を知らず、伝えるべき人はそう多くはありませんでした。
僕の最初のスポンサーには電話で知らせました(メールを使わない人なので)。
はて、電話するのも何年ぶりなのか。
受話器を取った奥様(この方もAAの人だった)と挨拶もそこそこにスポンサーに替わってもらいました。毎度電話するたびに奥様ともう少し話をすれば良かったと後悔します。一度スポンサーに替わってしまうと、もう一度奥様に替わってもらえたことは一度もないのですから。
スポンサーの反応は意外でした。
「彼はもう何年も前に亡くなったんじゃなかったかな?」
「いえ、それはたぶん別の人です。彼も倒れたけど生き延びていたのです」
「おおそうか、病院に見舞いに行ったのと、葬式に行ったのを勘違いしていたよ」
こんなふうにAAメンバーというのは、しばらく顔を見せないと殺されてしまうのです。
それからしばらく話をしました。スポンサーの近況のこと。すでに車を運転しなくなり、いろいろ人の世話を受け、病院には奥さんの運転で行っていること。どれだけ年数が経とうと、無力を認めるステップ1の難しさなど。
そして「今の若い人たちに伝えてくれ」とこう言われました。
一つは、「こうやって人の世話になるようになって思うことは、もっと働いておけば良かったということ」。
この場合の「働く」は金を稼ぐ仕事という意味です。彼は若い頃はヤのつく自由業だったし(エンコがない)、年を取ってからは健康に優れずなかなか働けませんでした。長野の田舎では生活保護というわけにもいきませんが、昔は公的扶助もそれなりに充実していたのです。僕は彼から、金銭という対価のない仕事にもちゃんと意味があることを教えてもらったと思っています。それでも彼は、何らかの形で人の役に立って対価として金銭を得ることの大切さを感じているというのです。
もう一つは、「薬に頼るなよ」ということ。
彼のことを「医者の出した薬で壊された人」と表現する人もいます。処方乱用がひどくなって、睡眠薬や安定剤はおろか、多くの抗うつ剤も使えなくなってしまいました。うつがひどくなっても薬も飲めずに寝伏せっている状態が続いた時期もありました。「医者の出した薬だから」と言い訳を自分にして、飲めなくなってから乱用を後悔したのでは遅いぞ、という彼の言葉には重みがあります。
電話を切った後で、やっぱり奥様に替わってもらえなかったことに気づきました。次こそは、と思ったものの、果たして次はいつでしょう(誰が死んだときか、という意味)。これが最後の電話にならないことを祈るばかりです。
彼は今でも僕のスポンサーなのか?
何年のバースディのときだったか、こう言われました。「あなたに伝えることはもう何もない。もうオレは出がらしだ」。だから彼はもう僕のスポンサーじゃないのかもしれません。おかげでそれからの僕は、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、うろうろして、いろんなものを掴んで今の僕があるわけです。
けれどスポンサーの言葉は今でもずっしり重い。スポンサーというのは生きているだけでスポンサーなのかも知れんね。
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