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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年07月12日(月) レッツ・ゴー・メイク・サム・ヒストリィ アメリカではAA以前にもいろいろなアルコールの団体(自助グループ)がありました。
中にはAAより大きくなったものもありますが、その多くは衰退し消滅していきました。僕の知る限りAAより先に生まれ、長続きしているものは「救世軍」だけです(救世軍は自助グループではなく宗教団体)。
なぜAAが長続きし得たのか。(長続きしていいる点では日本の断酒会も同様)。
それはAAの生まれた時代背景を考えると分かります。1919〜33年は禁酒法の時代でした。禁酒法はザル法でしたが、実際にアル中の数を減らす効果があった点では立法の目的は果たしていました。
さて、禁酒法以前には様々なアル中の治療施設や団体が存在していました。しかし、禁酒法によって顧客がいなくなると、そうした施設も消えてしまいました。禁酒法が廃止され、ふたたびアル中が増えたとき、彼らが頼れる施設はほとんどありませんでした。
(金持ち専用のタウンズ病院に入れたビル・Wは例外的に恵まれていたと言えます)。
つまり、誰も助けてくれなかったからこそ、自分たちで何とかするしかなかった、というのがAA誕生の理由です。日本には禁酒法はありませんでしたが、断酒会誕生の時期にはアルコールの治療施設がほとんどなかった点では、発足の経緯は似ています。
アルコホーリクには、自分が苦境に陥った原因を他者に求め、自分以外の「誰かが(責任を取って)なんとかすべきだ」という考えがとりついています。それが、誰も何ともしてくれないのなら自分で何とかしようと行動が始まるとき、その人自身の回復が始まります。
掲示板でリカバリーパレードの話が出ていました。
そこには「偏見を取り除くのは回復者自身の責任である」というウィリアム・L・ホワイトの言葉があります。
なるほど社会には偏見があります。もし偏見がなければ、就職するときに履歴書の健康欄に「アルコール依存症」と書いても問題ないはずです。持病があっても十分ケアされて再発が防げているのなら他の病気と同じはずです。けれど多くの人は、自分がアル中であることは恥ずかしいことで、世間に対して隠し通さなくてはならないことだと思っています。
アルコール依存症の家族を持つことは恥ずかしい、誰にも相談できないことだと感じている人も少なくありません。そのせいで助けを求めるのが遅れ、また回復できることを知らずに悪化させて死んでいく人もたくさんいます。
偏見と差別が、人々から回復を奪い、またせっかく回復できた人に悩み苦しみを与えています。ではその偏見を「誰が」取り除くべきなのか。おそらくそこで「自分以外の誰かがなんとかすべきだ」と答えるアルコホーリクや家族は少なくないでしょう。けれど、自分たちで何とかしなくてはと考える人たちが出てきたわけです(アメリカでも日本でも)。
僕は占い師ではないので未来を見通すことはできません。でも、リカバリーパレードは発展し長続きする可能性が十分にあると思っています。なぜなら、片方は社会運動、一方は自助グループと分野は違っても、リカバリーパレードを支える行動原理は、断酒会やAAを発展させ長続きさせてきたものと同じだからです。
僕はここではAAメンバーであることを明かして書いているので、リカバリーパレードに参加するかどうかは明言できません。けれど、こう考えてみて欲しいのです。僕は病院とかAAに世話になって(断酒会にもちょっぴり)助けられてきました。そういうものは、僕が触れたときにはすでに枠組みができあがっていたので、僕は何かが始まる瞬間に立ち会ったことはありません。
リカバリーパレードの将来は予測できません。できないのですが、ひょっとして将来から振り返ってみたときに、今年の9月23日はちょっとした歴史的瞬間になっているかもしれません。断酒会やAAが始まった瞬間と比べて良いものになるかどうか、それは未来はわかりませんけど。
("Let's Go Make Some History" はウィリアム・L・ホワイト博士の著書のタイトル)
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