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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年05月03日(月) 行ったり来たり AA日本ニューズレターは、AAのJSOが隔月で発行しているニューズレターです。一部70円なのですが、PDFでよければ AA JSO のサイトからダウンロードして読むことができます。
中身は「回復」よりも、AAを維持し動かしていくための話が多いので、AA外の人にはあまり興味を持たれる内容ではないと思います。が、その 最新号 に山梨の大河原先生が常任理事退任の挨拶文を寄せていらして、読んで感銘を受けました。それを引いてこの雑記を書くことにします。
スリップ(再飲酒)する人たちは、「またふつうに飲めるようになる」という妄想を捨てられずに酒に手を出していると説明されます。けれど何度か試してみれば、それができないことは体験的に学習できます。
ふつうに飲めないことを知っていながら再飲酒を繰り返す人たちは、何を考えているのか。それを説明してくれるのが大河原先生の文章です。それは「ここで飲んでしまっても、またやめればいい」「回復はいつでもできる」という考えです。飲酒と断酒の間を、何度でも自由に行ったり来たりできると信じているというわけです。
「今回の再飲酒は精神病院への入院とか大変なことになる前に酒が止まって良かった」などと(ちょっと嬉しそうに)言われると、こちらは<とほほ>な気分になります。
AAで何年も酒をやめているメンバーが、「もし次飲んでもまたAAに戻ってきて酒をやめます」と真顔で言ったりすることもあります。次回も戻ってこれると無邪気に信じているわけで、実際、戻ってこられる確率のほうが高いのかも知れませんが、戻って来られない確率も少なくありません。
(断酒の側に)戻ってくるつもりってことは、(飲酒の側に)また行くつもりということでもあります。「飲んでもまたやめればいい」というのは、飲んでしまった人に慰めを与え、再起を促す言葉であって、断酒している人が使えば、将来の再飲酒をあらかじめ言い訳しておくための言葉になってしまいます。
つまるところ、酒をやめるんだったら一生断酒するしかありません。けれど、ゼロか100のどちらかしかないアル中さんは、一生酒をやめるなんて無理だから飲み続けると言い出します。「一日断酒」という言葉は白と黒の間にグレーを作り出す装置なのでしょう。ではあるものの、次回のソブラエティではなく、今回のソブラエティを大事にするのが基本というわけです。
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