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2010年01月25日(月) 発達障害について(その13)

このアスペルガーについての雑記を読んで、「自分もあてはまるかもしれない」とスポンシーの人に言われました。僕は素人なので診断を下す立場じゃありませんが、その人を見てアスペルガーだとは思わないわけです。

子供の臨床に関わっている医療従事者が、発達障害のことを勉強したところ、来る患者全員が発達障害に見えてきてしまった、という話がありました。

なぜそう感じてしまうのか。

発達障害で問題になるのは、各能力間の発達の凹凸であり、凹の能力がその人の能力全体の足を引っ張ってしまうことだ、という話を思い出して下さい。発達障害でないことを定型発達と言いますが、この定型発達はすべての能力が均一に発展することを意味しません。

人間というのは得意なこともあれば、苦手なこともあります。発達障害を見る目を養うということは、能力間の凹凸に目を向けることですから、誰でも持っている得手・不得手にも目が向いてしまい、結果としてみんな発達障害に見えてしまったというわけです。

自閉症にも重度の人もいれば、軽度の人もいます。アスペルガーでも深刻な人もいれば、軽微な人もいます。発達障害と定型発達は白黒はっきり区別できるものではなく、つながっているものです。定型発達の人の中にも、アスペっぽい人がいることになります。とってもアスペっぽい人もいれば、少しだけアスペっぽい人もいるはずです。
前述の彼は、ひょっとしたら少しだけアスペっぽいのかも知れません。

アスペ度合いがどの程度であったとしても、(もしそれが本当にアスペから来ている障害であるのなら)障害の特性は修正しようがない、という点に着目する必要があります。

例えば大人のアスペルガーの人の悩みから「人からの誘いをうまく断れず、険悪になる」を取り上げてみると、人付き合いがうまくなるという目標ではなく、誘いを上手に断れるようになることをまず目標とすべきです。

このように障害といえるレベルでも、そうでなくても、人間の特性には変えようがない部分があることを考えねばなりません。

とはいえ、障害に対して何もできないわけではありません。子供のころに出来ることはたくさんあります。大人数の普通学級で逸脱行動を続けているより、少人数の特別支援教室でこまめに面倒を見てもらうべきですし、薬で衝動性を抑えて学習に取り組めば成績も伸びます。また虐待やいじめ、周囲の無理解からの保護も必要です。
そのためには何よりも、早期の診断が必要です。それも小学校入学前に。

自閉症圏の人は、概念化や一般化が苦手です。人間関係のルールを場面場面に適用していくことが苦手で、これが社会性の障害となります。場面に合わせて何が正しい行動かわからないので、紋切り型で不適切な行動をしてしまうわけです。しかし、彼らは記憶力が良いし、ルールを守ることは得意です。場面に合わせて細かくルールを学んでいき、失言をして恥をかくことを恐れずに質問していけば、適切な行動を取れるようになっていきます。

このように本人の努力と周囲の協力によって、社会や人間関係のトラブルは減らしていけます。また二次障害は防ぐこともできます。

つまり、障害には変えられる部分と、変えられない部分があります。変わらない部分は本人も周囲も受け入れ、変えられる部分は積極的に変えていくことが、障害への対応なのだと思います。

(まだ続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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