心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月14日(月) 微妙な話題(その3)

ここで話の切り口を変えるのですが、以前に日本における原点回帰運動を振り返る文章を書いた中で、日本のAAに見切りを付けてアメリカに渡った人たちに触れました。その中で西海岸のグループに立ち寄った人たちの話をいくつか聞きました。伝聞情報なのですが、複数から話を聞いて総合したので、それほど間違っていないと思います。

例えば、ある場所では24時間ミーティングが開催されています。1時間ごとにミーティングが終わると机と椅子が片づけられ、床がきれいに掃除されて、休憩時間中に再び椅子と机が並べられます。何もそんなに掃除しなくても、日に1〜2回で十分だと思うのですが、毎回の掃除に意味があるのだそうです。ビギナーはともかくこの掃除に参加したり、コーヒーを準備したり片づけたりして、次のミーティングに出るわけです。ともかくこれに「参加」することが大事なのだそうです。

休みの日にはスポンサー宅に行ったり、仲間と一緒になったり、ともかく飲まない人たちと一緒に過ごして、飲まない生活を身につけます。

スポンサーシップも生活指導に近く、例えばミーティングには肌の露出の多い服やミニスカートで来てはいけないと教えたり、銀行のATMの使い方というか、そもそも金の使い方そのものから教えたりして、社会性を身につけさせるわけです。
(日本でも、キティちゃんの健康サンダルに短パンサングラスでハローワークに行って「ひょっとしてそれで面接に行くのか?」と職員にヤな顔をされている若者がいたりしますが、まあそんな感じかも)。

ビッグブックは読まれているものの、あまり字句通りにステップが行われているわけではなく、例えば棚卸しはスポンシーが半生記をとつとつと語るのをスポンサーはただ聞くだけであり、退屈で寝てしまうといけないので、スポンシーを助手席に積んで、ハイウェーを走りまくることで眠気を払って最後まで聞く、というテクニックがあったりするわけです。

(無論、こうしたグループばかりでなく、比較的少人数で基本に忠実にやっているところもあるわけですが)

こうしたグループの姿を想像すると、これがAAの「欠点」に対する一つの解答であることがわかります。西海岸では若者に薬物が蔓延し、ハイスクールを途中でドロップアウトして社会経験もろくに積まずにアルコホーリクになる人も少なくないと聞きます。こういう人たちにビッグブックをいきなり読ませても成果を出すのは難しいでしょう。

これはどこか日本のAAの現状に重なります。ようは行動療法的なのです。仲間の言葉ではありませんが「これも確かにAAには違いない」。しかしAAのスピリチュアルな力はどこへ行ってしまったのでしょう。

話をジョー・マキューに転じます。彼は黒人であり、まだ人種差別の激しかったころの回復者です。彼の文章を読むと、とても頭の良い人物であることが分かります。彼はAAのオリジナルなメッセージの力を強調していました。そのため、彼はステップを分かりやすい言葉でかみ砕いて説明し、把握しやすい身近な例に例え、より広い層にステップが広がっていくように心を砕いている様子が、その文章から見て取れます。

僕はAAの12ステップを理解するために高い知的水準が要求されるとは考えていません。(もしそうなら僕だって理解できない)。しかし、ステップの本来の力を引き出すためには(つまり抽象的な欠点の概念を把握して内省を実行するためには)、それなりの国語力が必要であることは、認めなければなりません。

結局のところ、「仲間の支えによって断酒が継続していく」タイプのフェローシップ指向のAAグループも現実に必要とされているのです。ビッグブックに忠実なステップのやりかたがAAを埋め尽くせば良い、ということは決してありません。ビッグブック・ムーブメントにたずさわる人が忘れてはいけないことだと思います。

アメリカでは、AAがステップからフォーカスを外した結果、メンバー数の減少を経験しました。一方で、様々な支えがあったとしても、メンバーシップサーベイを見る限り、社会的マイノリティにとって回復が険しい道であることに変わりないようです。なかなか難しいものです。

さらに日本に話を移します。
日本でAAを始めた二人は教養高い人たちでした。M神父は京都大学で教えていた人で、P神父も学校はどこだか知りませんが教鞭をとっていた人です。まあ神父だから頭の良いのは当然か。
M神父は、社会的に恵まれた人たちが断酒会で助かっているのを東京で見て知っていました。だから日本でAAを始めるにあたって、その人たちは断酒会に任せることとし、手を差し伸べる人のなかったドヤ街のアル中さんたちにメッセージを運ぶことに決めました。そうした決断の背景には、19世紀以降アメリカに存在したキリスト教によるドヤ街での救済ミッションの姿があったと思われます(日本でも救世軍が活動しています)。
だから二人の神父は、助けるべき相手にあわせてビッグブックという道具を捨てたのではないか、と僕は思っているのです(もはや確かめる術はありませんが)。そして、その選択が合理的だったからこそ、AAが日本に根付いたのだと思うわけです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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