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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年09月30日(水) 加害者性の獲得(その2) 本社に出張だったので、電車の中でアミティの本を読んでいました。
アミティはシナノンの分派です。アメリカの薬物治療施設として時代を築いたシナノンは終盤にはリーダー達が変節してカルト化しました。それを嫌っていろいろな分派ができたのですが、アミティもその一つで、いろいろな依存症だけでなく、習慣的暴力なども扱っています。
アミティのプログラムの根底は、加害者における被害体験です。DV夫、子供を虐待する親、性犯罪者などには、過去に性的被害を受けたり、子供のころに親から虐待された経験があります。すべてのケースではありませんが、何割かにはこの図式が成り立ちます。暴力が伝染病のように伝搬していく図式です。アミティのプログラムでは、その経験を具体的に掘り起こすことで、被害者としての意識をまず確立し、それを基盤に自分の加害による被害者の痛みを追体験し、自分の加害者性を獲得させます。
つまりいったん被害者性を構築し、それを元に自分の行為の加害性認識につなげる方式です。
ところが信田さんの話では、カナダのDV加害者プログラムでは、この方式を採用していないのです。問題点ふたつの指摘がありました。
一つは時間がかかりすぎることです。前にも書いたように、心の痛み(反省)では人は変わらないし、変わるにしても時間がかかります。その間も家庭内で被害者がDVを受け続けるなら、それはDV加害者プログラムの目的を果たしていないことになります。
もう一つは、(これも書きましたが)DV加害者はもともと自分を被害者だと考えています。そんな彼らに「俺も被害者なのだ」という意識を与えると、それをいま自分がやっているDV加害の免責理由にしてしまうからです。そうやって責任を逃れれば、変わろうという動機も失われます。
依存症の場合には、プログラムに時間がかかるとしても、病気の苦しみが本人に変化の動機を与え続けてくれます。飲み続けていれば、仕事や金や信用を失っていきます。ところがDV夫の場合には、(社会で受けたストレスを家庭内で発散しているわけですから)仕事が順調で、社会的な地位も保たれ、人間関係も趣味も充実していたりします。本人が苦しんでいないので、(妻の犠牲のもとに)変化をいつまでも先延ばしし続けることが可能です。
そこで刑事罰を与えることで、強制的に変化の動機を与えることも必要になってくるわけです。ほかの先進国ではDVは親告罪ではなく、現場に踏み込んだ警官がDVだと判断すれば夫は逮捕されます。ところが日本では、妻が親告しなければなりません。夫と同じ家に帰る妻に、それができるかと言えばノーです。
結果として日本では刑罰ではなく、妻が家を出たり、離婚の請求というのが、夫が加害者プログラムにつながる動機になっているとのことでした。DVのある環境の元で、夫が変わるために妻が行動を起こす必要がある・・・酷な話だと思いました。
明日もまだ続くかも。
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