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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月22日(月) 説教をいただく ミーティングが終わった後、教会の出入り口の階段で立ち話をしていました。男たち数人が「永作博美が属していたグループは?」というような、どうでもいいような話をしていたのです。するといつものように、先生(牧師さま)が中からドアの鍵を閉めに出てらっしゃいました。
カトリックの教会では神父さまと呼び、プロテスタントの教会では牧師さまとあまり呼ばず先生と呼ぶように思いますが、実際にところどうなのか門外漢なのでよく分かりません。
最近このミーティングも人数が増えました。また翌日が祝日とあって、普段来ないメンバーも混じっていました。先生は見慣れない顔が多いことに気づかれたのか、いきなりご説教を始められました。5分ほど続いたご説教の間、真面目に聞くものあり、茶々を入れるものあり。でも先生はプロなので意に介されません。まあAAメンバー相手に説教するのは、砂丘を耕すに等しいと思うのですが、先生は熱心でした。
最後に先生は「私は79才ですが、気持ちは50才です」と締めくくられました。外見は50才は無理があるとしても、60前だと言われても信じてしまいそうです。うーむ、神の力は実に偉大です。
それにしても、ミーティングの前後に説教を受けたのは何年ぶりでしょうか。最初に通った会場の教会の神父さまが熱心な方で、ミーティングの始まる前に毎回のようにご説教をいただきました。アルコールの影響がまだまだ消えていなかった僕の頭は、ザルのようにお教えをこぼしてしまったのですが、今の僕の有り様に、何らかの影響は残しているのかも知れません。
関係ないのですが、僕のように「野球だって3割打てば大打者ですから、人生7割失敗だっていいじゃないの」などと言いふらして、自己肯定的、てゆーか自分に甘い姿勢を貫いていると、ある人々から強い反発を受けます。
それは、常に100点を取ること、満点を取ることを自分に義務として強いている人たちです。
何点取ったら自分が満足するかなんて、自分で決めればいいことです。満点取って聖人になりたい人は、どうぞ聖人を目指してください。僕は卑しい人間で結構です。どうやって生きるか人に説きたいなら、牧師先生ほどとは言わないまでも、説かれる生き方にご自身が納得されてないと言葉が虚しく聞こえます。
牧師先生は「愛されて私は幸せです」と言いながら、実に幸せそうなご表情でした。そのご表情もご職業のうちでしょうね。もし、辛そうに説教されたら、こちらも辛くなってしまいます。
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