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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月09日(木) アル中の三大否認 アル中の三大否認とは?
・自分はアルコールをコントロールできている
→だから断酒は必要ない。
→コントロールできていないことに気づく。断酒の努力が始まる。
・自分が酒をやめるのに手助けは要らない
→だから病院に行かない。断酒会も行かない。
→自力ではやめられないことに気づく。助けを求める。
・自分はアルコール以外の問題はない
→だから断酒だけすれば十分だ
→酒は表面に現れた症状にすぎないことに気づく。自分を変える努力が始まる。
それぞれ回復のステージであります。
次のステージに進むには「気づき」が必要です。
本人が気づくように、周囲はいろいろ準備をしてあげることはできます。
けれど「気づく」のは、本人にしかできません。
牛を水辺に連れて行くことはできますが、水を飲むかどうかは牛次第です。ただ、水がないと牛は水を飲めませんから、水を準備してあげることは必要でしょう。
ステップ4とか、ステップ8の表で、憎んでいる相手・恐れている相手・傷つけた相手として「自分」を書くことには、僕は否定的です。
というのも、ステップ4〜12全体が、自分を憎み、自分を恐れ、そして自分を傷つけてきた過去に対して、自分に埋め合わせをしていく作業だと思うからです。明示的に自分に埋め合わせをしようとすると、「俺の生きてきた人生、すごい辛くて苦しかった」という自己憐憫の罠にはまりがちです。だから表を書くときの「相手」の欄は、やはり他者や社会の仕組みなど、自分の外部にあるものに限定すべきだと思います。
どうしてもその欄に「自分」を書きたいときには、その言葉を「神」と置き換えてみるのも案です。自分を辛い運命に導いた神様を恨み、もっと悪くなるかと恐れ、そして信頼を裏切ったということですね。
生き方が自傷行為みたいな生き方をしてきたんだから、それの方向を変えるということが、自分に対する埋め合わせだと思いますよ。
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