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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月03日(金) Attitude of gratitude - 感謝の心(態度) Suggested Topics #2, Attitude of gratitude - 感謝の心
「過去の苦しみから学んだ教訓――いまいただいている恵みに導いてくれた教訓をじっくり思いめぐらすと、私は心から感謝しようという気持ちになる。アルコホリズムという苦しみ、つまりアルコホリズムに反抗して自らの高慢さをくじかれた痛みが、幾度となく私を神の恵みへと、そして新しい自由へと導いてくれたことを」(ビルはこう思う 266)
3回目の入院の後、僕は節制して酒を飲むという目標に挑みました。一升瓶に線を4本引き、二合ずつに分けました。一日二合、週に五日、土曜と日曜は休肝日と決めました。一週間で一升なら、誰にも文句は言われないという作戦でした。
夕食の時に一合飲み、寝る前に寝酒で一合飲み・・。もちろんそれで我慢できるはずがありません。すぐに「明日の分も飲んじゃえ」という前借りが始まり、一週間もつはずの一升瓶が二日で空になりました。それでも節制した結果だったのです。
半年後には、どう頑張っても僕には節酒はできないと認めざるを得ませんでした。
僕は怒り狂いながら、自分の部屋の壁を蹴っていました。
父親も酒を飲む。兄も酒を飲む。叔父も酒を飲む。学生時代の友達も、仕事の仲間も酒を飲む。世の中に酒を飲む人間はいっぱいいるじゃないか。
なのになぜ?
なぜ、この酒が大好きな(そう自分で思っていただけでしたが)僕が酒をやめなくちゃならないのか。
もし神様がいるんだったら、神様はいったい何を考えているんだ。みんなの中で僕が一番酒を必要としているのに、よりによってその僕から酒を取り上げようとするなんて、悪意があるとしか思えない。僕に敵意がある奴は去れ!
大学も途中でやめ、仕事もできなくなり、友達は去り、金も失い、精神病院に何度も入り、たっぷり苦しんでいるのに、まだまだ僕は自力で何とかしようともがいていました。
その二ヶ月後にふと決心して「依存症に詳しい」と評判の精神科医を訪ね、その紹介で初めてAAに行きました。まだまだ反抗心が強くて、立派なスリップも経験させてもらいました(おかげでスリップの経験が分かち合えます)。
ともかく、あの部屋で怒り狂っていた日から1年あまりの間に、僕はAAにつながり、スリップして最後の入院をし、スポンサーとソブラエティを得てAAミーティングを開きました。ついでに言えば結婚もして、最初の子供も生まれました。生まれて初めての定期預金も作りました。あまりに多くのことが起こったのです。
最初の頃は「もし〜だったら」の罠に良くはまりました。もしアル中にならなかったら。もし大学をやめなかったら。もし東京に残れていたら。もしこいつと結婚しなかったら。数え上げればきりがありません。
今はそれも少なくなりました。僕がアル中になったことも含めて、すべてが神の計画だったと思えます。もうすこし僕の反抗心が少なかったら、飲む苦しみもAAにつながった後の苦しみも少なかったのでしょうが、それすらも計画に含まれていたと思いますね。
ときどき反抗心がぶり返して、真夜中に冷蔵庫を蹴っていたりすることもありますが、翌日になればそれも笑い話です。貴重なものをたくさん失ったけれども、僕は恵まれた人間だと思います。
平原綾香が「意味のないことなど起こりはしない」と歌うのを聞くと、確かにその通りであると(今は)思います。
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