ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年06月03日(日) 予備の原稿 「回復したAAメンバーってのは俗っぽい人たちだね」と、ある医療関係者が言っていました。
12のステップなんていう、神だとか祈りだとか黙想とか自己点検とか、そういうことを何年もやっている人たちって、たぶんすごい品行方正な人たちで、悩みもなくて、浮世離れしていて、僕なんかにはちょっとうち解けづらい人たちだろうと思っていました。だったら、ステップを使った回復なんて、あんまり魅力を感じないな、と思っていました。
ところが、目の前にいるAAメンバーは、世間を生きているただの人たちでした。たばこも吸うし、麻雀もする。話すことと言えば、人間関係の悩み、身体の痛み、金の無さぐらいのもの。そうじゃなければ自慢話。これじゃ会社の喫煙室の話題と変わりがありません。でも、そう言う人たちもステップをやっているらしい。
だったら、ステップなんてやったって、あんまり変わんねーんじゃねーの? とも思っていました。今の自分と同じじゃないかと。苦労してミーティングに通って、ステップなんぞやる意味がどこにあるのか、ちっともわかりませんでした。
回復すれば、すごくエネルギッシュになったり、動揺しなくなったりするんだと思ってました。
その品行方正でもない、欲にまみれて悩みまくりの要するに「俗っぽい人たち」の中に、「生きていくのはしんどいけれど、人生なんてこんなもんだし、こんな人生でも結構捨てたもんじゃないんだよね、えへへ」と言う人たちがいて、つまるところ「生きてて良かったー」というメッセージを送ってくる人がいるんです。
それがステップの回復なのかなと思いました。
僕は清く・正しく・美しくは生きられませんし、それを回復の目標には設定できないですが、「人様から見たらバカらしい人生でも、自分にとっちゃいい人生そのもの」というのを目指していきたいですね。
先ゆく仲間が怒っちゃったりして、人間味溢れるところを見せているのを、ついつい「回復してねーなー」なんて勝手に評価してたりしたんですが、そういうところで判断するのとは違うんだって、まそんな話です。
飽きっぽくって不平の多い、俗っぽい回復者ってのになろうぜ。
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