心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年03月30日(木) ポリティカル・インパーシャリティ

雑記を書こうにもネタが無いので、また新聞記事でも取り上げることにしましょう。

朝日のサイトからは消えてしまいましたが、gooに残っていました。
「政治的発言、被爆者は自粛を」平和推進協の要請に波紋

要約すると、原爆の被爆体験談をする人に対して、政治的な発言(天皇の政治責任、9条、自衛隊、原子力発電、靖国など)を慎むように要請が出されたことに対して、反発が起きているという話であります。朝日新聞は戦前の言論統制を引き合いに出して、批判的な論調で報じています。
さらに続報として、原爆施設の案内人にも同様の要請が伝えられています。

被爆体験を聞くために講演をお願いしたのに、(賛成でも反対でも)靖国神社参拝の話をされたのではたまったものではない、というのが聞く側の正直な話でしょう。被爆体験には、人を集めて政治的発言をする特権を伴うものなのか、という反感をもたれてしまうかもしれません。被爆体験はなるほど次代に伝えるべき貴重なものなのかもしれませんが、政治的発言は人の耳を閉じさせるのに十分であります。

アルコール依存症の体験談をするときも同じことが言えるでしょう。人の心をつかむためには自分の体験だけを話すのが一番効果的であるようです。AAでもたまに、依存症の病理についての話を一生懸命する人や、どこそこの○○さんはどうだったという話ばかりする人もいます。病院の治療方針について反対ばかり言っている人もいます。誰もそれを「ダメだ止めなさい」と遮ったりしないけれど、そういう人の話が心に残ったことがありません。ましてや政治的発言なんかに偏ったら最悪です。
自分の体験をありのままに話して、そこから何を汲み取るのかは、相手に任せる。それが実は一番効率がよいと経験が伝えられているわけであります。

世の中には何かを大声で批判している人たちがたくさんいます。それはそれで、その人の大事なものを守るために戦っているんでしょう。それに耳を傾ける人もいれば、退ける人もいます。退けられることも承知で話をしているのでしょう。
なるほど体験談と言うのは、批判よりも、人に聞いてもらいやすい、納得してもらいやすい題材であります。人に話を聞いてもらえると言うのは、なかなかに自分を満足させる体験であります。が、相手の考えを自分と同じにしようと欲張りすぎると、もう結構と言われるのがオチです。

「このままでは話を聞いてもらえなくなる」という危機感がわからない人というのは、論争があって当たり前だと思っている人なのだと思います。

などということを書いているこの記事も、実は政治的に偏っている(一方の人の肩をもっている)わけであります。雑記に何を取り上げるか、取り上げないかというのは、かなり気を使うことであります。AAのメンバーであることを明らかにしてサイトを維持している以上、「外部の問題には意見を持たない」という基本方針に忠実であるべきです。
が、僕の生活は基本的には平凡で退屈なものであり、外部の問題を取り上げないことには「何を食ったか日記」になってしまうという悩みもあったりします(ひらきなおり)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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