ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年11月08日(火) 新聞 新聞を読む機会が多くなりました。
義父母が、読んでいる新聞をローカル新聞から読売に変えました。僕としては、自分が金を出すのでなければ、全国紙ならなんでも歓迎です。
ニュースそのものは、新聞社のサイトなり、YahooやLivedoorのニュースで読むことができます。だから、わざわざ紙の新聞を読む理由は「ニュース以外」ということになります。
読売は最近、刑務所を出所した人の再犯防止の仕組みについての特集を続けています。今日の記事は、幼い頃から母親に虐待を受けてきた男性の話でありました。
こうした話を読みながら思い起こすのは、加藤諦三という人の「自殺する高級官僚、うつ病になるエリートサラリーマン、登校拒否をする子供たち、子供を虐待する親たち、こうした人々は(中には例外もあるが)実は大変まじめな人たちなのだ」という言葉であります。まじめにこつこつやってきたものが報われない。そういう世の中なのかもしれません。
が、こつこつ努力をしても、必ず報われるとは限らないのが世の中であります。
がしかし、努力をして報われて成功することが求められている世の中になっているのかもしれません。落伍者になるのは自己責任だからねと言わんばかりの。落伍者にならないように、大人も子供も必死になっているような世の中のような気がします。実は、落伍したって、何とでもなるというのは、飲まないアルコホリーク業界にいると、自明のようにわかるのですが。
アメリカやフランスは日本より離婚率は高いけれど、家族に対する満足度をアンケートすると、満足していると答える人の割合は日本よりずっと高いのだそうであります。
子供が親の望むものを備えていない、いや親が「世間が子供に望んでいる」と勝手に信じているものを子供が備えていないと、親はちょっぴり、いやかなり寂しくなる。それは本当であります。だが、所詮は自分の子、末は博士か大臣になろうはずもありません。けれど、やっぱり勉強はできてほしいし、将来お金にも困ってほしくないという欲があります。
子供のありのままを受け止めることが、親が幸せになる近道なのかもしれません。なにせ、子供のほうは、親がアル中だろうが虐待者であろうが、それを親と思って離れない(られない)わけですから。
話が新聞からずれました。
で、自分はというと、産経新聞のネット版を読んでいます(朝刊だけだが毎月500円と安いから)。そして、実家に寄ると朝日新聞を読むわけです。
産経と朝日では主張がかなり違っていておもしろいです。朝日が親アジアで弱腰傾向だとすると、産経は対中強行派であります。都知事の文章を載せるのは産経と決まっています(読売にも載ったけど)。
新聞ごとの傾向の違いを知っていて、読む新聞を選んでいるなら、それも自己責任でしょうが、たまたま読んだ新聞の社説なんかを頭から信じてしまったりすると、新聞に自分の意見を振り回されるということになりかねません。
情報化時代になって、情報の選択能力が重要・・・なんて話がずっと前にありましたが、それは紙の新聞の昔から変わらないことでありましょう。
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