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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年02月24日(火) 師との対話(その一) 弟子「師よ、なぜ女は理性的でなく感情的なのでしょうか?」
師「うむ。確かに学者の一部などにはきわめて理性的な女性もおるが、ほとんどの女性は感情的じゃな」
弟子「やはり脳みその違いなのでしょうか」
師「男性脳・女性脳論じゃな。それもあるが、女が感情的なのは、男が原因なのじゃろう」
弟子「それはなぜでしょうか?」
師「男女共同参画社会とか言いながらじゃな、女のことを対等の人間として認めておる男がどれだけだろうかね?」
弟子「対等だとおもっておりますが・・・ぶつぶつ」
師「対等だと言っておきながら、女の発言を一人前の人間の発言として扱おうという社会にはなっておらんのじゃよ。まあ女の言うことだからと水に流してしまうことがいかに多いことか」
弟子「そう言われてみれば、そんな気もしますが」
師「言葉に責任を持ってもらうためには、感情ではなく理性でものを言ってもらわんと困るわけだよ。感情から出た言葉であっても、その言葉には責任があるわけだ。ところが、女の感情的な発言だからと許してしまうのはな、結局対等の人間として扱っておらん証拠じゃよ」
弟子「理屈で我慢するよりも、感情を言葉に出したほうがすっきりするのは、男でも女でも変わりませんからねぇ」
師「女も意識的にか無意識にか、そのことを分かっておって行動を決めておるのじゃ」
弟子「言葉に責任を問われる立場になれば、女性も理性的になるのでしょうか?」
師「さあな、鉄の女という首相もいた。日本の大臣でも、感情的なのは長続きしとらんだろう」
弟子「まあ、感情的な男もたくさんいますからねぇ」
師「そうだな。性差よりも個人差のほうが大きいかもしれんなぁ」
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