21世紀猫の手日記
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2025年02月21日(金) リハビリでしばらく休むがいいようだ。

昨日話した先生が、AC強い系の先生だった。あと2回くらい話せるものならお話ししようかと思う。

同じことの繰り返しにはなるんだけど、いろいろとしゃべったほうがいいかなと思う。恐ろしいことに、曖昧だった記憶を思い出したりしている。主につらかったことだ。

こういうことがあった、と思い出すのと、こういうことがあって非常につらかったと感情を思い出すのではちょっと違う。今週、寝る前に思い出して、おや?と思ったのが……そういえば、中学のクラブ活動、運動系を行こうとしたらw全部父親にダメ出しをされ、できないだろうからやめておけと言われた。卓球は先生がやばい、バスケットは身長が足りない、テニスは足がついていかない。先生がやばいところは、確かにヤバイ人ではあった。

ほんとに、なるべくしてマンガ好きなのか、それとも他に選択肢がなくてオタクロードを今も走っているのだろうか?そもそもの疑問が。

……連日アニメみてますしなー。怪獣8号もみたし戦隊大失格もみたし。ダンダダンも見たしなぁ。チェンソーマンは、これは青年誌なのか?出だしがつらいなー。四畳半神話大系、夜は歩けよ恋せよ乙女、四畳半のタイムマシーンのはなし、とか結構見ている。
人間が出てくるドラマより、(といっても、ロキとデアデビルしかみてないが)アニメのほうが、キャラがわかりやすいから、楽といえば楽かな。次回にひっぱるうまい切り方は、いまのところ進撃の巨人がぶっちぎりだ。呪術廻戦も確かに次はきになるけれど、進撃の巨人には及ばない感じがする。本編の構成も脚本もすごくうまいんだろうと思う……。

さて、私のように成人後も、服装だの髪型だの投票先だの食器を買うな運転するな等々、よんでもないのに家に来て母親が生活チェック&矯正というか強制していく過干渉の状態が長いと、本当の自分がわからなくなってしまう。自分が何をしたいのか、何が嫌なのか、表現や話し合うことを小学校高学年くらいから全力で抑えられているので、……人格や好みがあっても、彼らの管理下で容認される程度なので、どこかおかしいところがあったろうなと思う。


中学生から高校1年のころのことだ。家にパソコンがあった。夜遅くまでやってるから、という理由で父は私にパソコンを禁止した。10時かおそくとも12時が1回くらいではないかと思う。パソコンを禁止されて絶望した。BASICをやっていたのだ。タイピングのプログラムをパソコンに入れたりしていた。フロッピーに保存できたかどうかは覚えていない。

……ということを突然おもいだしたんだけど……。すごく、悔しくて悲しくてどうしていいかわからなかった。多分禁止されたのは高校1年のころじゃないかと思う。まだ、学生の成績を入れる前の高校のパソコンに、タイピングの練習プログラムを入れた思い出がある。

……、で、でですよ。あれ?とおもったのは、そんな何十年もまえにプログラミングを進んでやっていた人が何人いたかってことですよ。多分PC,二度と触るなって言われたと思うんだけど、なぜそんな興味を持ったことを伸ばそうとしないのか?うーん、高校の時も中学の時も、ほかにパソコンがある人は一人くらいしかいなかったよ。そこの家遊びに行ったもんな、でも、彼女はプログラミングはしてなかった。

一年たって都会で一人暮らしをして、コンピューター言語の本を買ったけどわからなくてあきらめたんだけど……。これはもっと勉強いるなと思ったけど、それが高校の勉強を一生懸命するというのとは全然つながらなかった。難しすぎて。

……、英語とか、関数とか……BASICの本とか、マイコン系の雑誌とかかってあげるとか、そっちのほうになぜ指導しなかった?興味あるって、すごくない?覚えたら自由にもっと動かせるじゃん……。とか、言いようで高校の教科の勉強だってしたかもよ?自ら。せめて土日だけでもとか、うーん。

……パッパ……??あんた先生だろ……。私は、ものすごい、障害か前科があるのか罪びとなのか?……、思い出してすごくがっかりした。

人のせいにするのは良くないが、これは私の人生うまくいかないよなーと(爆笑)思った。すっきりしない。そういう人たちが、私の人生のかじを取っていたわけですからね。選択させたり舵をとらせたりしちゃいけない、そもそも、そういう時点でよくないんですが……人の人生に対する想像力とか、気持ちを量るってことがないですからねぇ。そういう人たちが、圧力をかけたり口を出してコントロールしてくる。改めて思う、これは苦しいよな。

高校一年生のころは心理学的にいうダブルバインドが相当数かかった状態で正直ナチュラルにやばかったと思う。
外へ行くな、運動部はダメ、友達と外出NG、で、母は急に、私が太ったから朝走れって言いだした。多分53kgぐらいじゃないかな。標準体重より1割くらい多かった程度だと思う。

おやつ…そんなもの自由に食べられるわけがない。週に一回土曜日にインスタントラーメンを作って食べるくらいしか食事の自由なんかない。ポテチ?そんな体に悪いものダメですよ。チョコもどうかなー、父がパチンコでとってきた時くらい?2週に一回食えるかどうか。間食する自由あったかな?バナナとかりんごとかミカンとかは何か一種くらいはあったと思うけれど、くれる以上の量は食べられなかった。

走りたいというより、早朝の1時間でもいいから、睡眠時間削ってでも家にいたくなかった。何かができるという、コンディションではなかった。腐るほど勉強しろとは言われていたが、結局親の希望の高校に行ってしまい、ほぼ勉強する意味がないレベルだったので、どうにもならない。

茶の間を横切るのにも母親に注意されるし、なんだかしらんけど叱られるので家にはいづらい。もう、持ち物検査のレベルではない。面白い本を読んで笑ってたからという理由で、本を没収される状態だ。雑誌を買っても保存することを許されず、2週間くらいで捨てるのを強要されていた。雑誌で見て漫研に入った。これ、入っていなかったら、表現の自由すら許されず、かなりやばいことになったと思う。

なにしろ、私はマンガが書きたいと思っていたけれど、本当のところはノートと教科書とか参考書、文学全集的な本以外は取り上げられてしまってたからだ。おかげで、ランボー先生を見つけられたけど。

ノートと鉛筆で楽しいことを考えるしかない牢獄にいたのだ。TVもかなりダメだったし、ラジオも1時間くらい、NHKFM…。そりゃねぇ、いい高校受験させて落ちたら困るからアホ学校へという親の体裁はわかるが、そんなんで子供のモチベーションあがるかな?

母親がやせろと言い出したおかげで、初夏から日曜日に自転車で5kmくらい遠くの川へ行けるようになった。川のそばの遊歩道を散歩する親子連れや、犬を散歩する人を見て、自分はこうなれないんだろうなと思って泣いていました。犬を飼えるほどの安定した状況にも、自分の家族で散歩することも実際はできていないので、あのころ泣いていたのは、ある意味予知みたいなものでした。

本当に心の底から願って、親から逃げ出さないと手に入れられないものでした。

自分が親の年になって思うのは、……私、娘といえど、そこまで他人をコントロールしようと思わないってことだ。毎月一泊させるのも、強制するのもわからない。なんであんな感じになってしまったのか……。私がふがいないからといえばそれまでなんだが、命令やコントロールをずっと重ねていると、相手にどう思われるかという想像力がなさすぎだと思う。

親から連絡が来るのが怖くて、親の死ぬ年くらいまで、ダイヤル式黒電話でしたしね。携帯もってなくて、ほかの親戚から怒られたけど、親から連絡がいつでも来ることのほうが、一番怖い。親から連絡くるくらいなら、友達とも連絡とらないくらいなんだもの。(爆笑)そりゃなぁー。うんうん、よく葬式をっ出してあげた、戒名もつけてあげた。えらいぞ。w




zaza9013

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